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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

悲しむ人のための助け Ⅲ ~聖書

2017年10月22日 | 日記

 

悲しむ人のための助けⅢ


他の人に助けてもらう。このことは,夫婦の一方が亡くなったときは特に大切でしょう。

配偶者にしてもらっていた仕事はきっと幾つもあるでしょう。それを今度はだれかが行なわなければなりません。

家計や家事を扱ってもらっていたなら,それを自分でしようとしてもうまくできないと感じるかもしれません。

そのような場合,上手にできる友人のアドバイスは大きな助けになります。

「適切な時に話される言葉は,銀の彫り物の中の金のりんごのようだ」。
(箴言 25:11)

真の友は「苦難のときのために生まれた」と聖書は述べています。
(箴言 17:17)

ですから,他の人の負担になりたくないと考えて,自分を孤立させてはなりません。

むしろ,人との交友は,悲しみを越えて死を受け入れる助けになります。

サリーという若い女性は母親の死後,人と接しているととても元気になることに気づきました。

「多くの友達が何かとわたしを誘ってくれました。それは,深い孤独感と闘う助けになりました。
『お母さんが亡くなって,今はどう?』といったシンプルな質問をしてくれるのがうれしいです。母について話すと心が癒されます」。

 


ためらわずに思い出す。写真を眺めたりして,愛する人と過ごした幸せな時間を思い出すようにしましょう。

確かに,そうするのは最初のうち辛いかもしれませんが,時たつうちに,心を苦しめるというより,心を癒す助けになります。

日記をつけることもできるでしょう。楽しい思い出を綴り,生きている時に伝えたかった言葉を記すこともできます。

書き出してみると,自分の気持ちを客観的に見やすくなるかもしれません。自分の感情を吐露する良い方法とも言えます。

遺品を取っておくことはどうでしょうか。これについてはさまざまな見方があります人によって悲しみ方は異なるので,それも当然でしょう。

故人の身の回りの品を取っておくのは立ち直る妨げになると感じる人もいれば,助けになると考える人もいます。

前に出てきたサリーはこう言います。

「母の物を,いろいろ取っておきました。これは良い方法だと思います」。


『あなたの重荷を主(神)にゆだねよ。主(神)はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え,とこしえに動揺しないように計らってくださる』と聖書は述べています。
(詩編 55:22)

 

神への祈りは単なる精神的な支えのようなものではありません。

それは『すべての患難においてわたしたちを慰めてくださる,すべての慰めの神』との大切な実際のコミュニケーションです。
(コリント第二 1:3,4)

神の言葉 聖書は,すばらしい慰めを与えてくれます。クリスチャンの使徒パウロはこう述べました。

『わたしは神に対して希望を持っております。義者と不義者との復活があるということです』。
(使徒 24:15)

聖書に基づく復活の希望について考えるのは,愛する人の死を悲しんでいる時に,この上ない慰めとなります。

事故で十代の弟を失ったローレンという女性の場合もそうでした。

「どんなに辛くても,聖書を手に取って,1節だけでも読みました。特に励みとなる部分を選んで,繰り返し読みました。

例えば,ラザロが死んだ後にイエスがマルタに語った言葉には慰められました。イエスは,『あなたの兄弟はよみがえります』とおっしゃったのです」。
(ヨハネ 11:23)


【それに押しつぶされないでください】

簡単なことではありませんが,悲しみを乗り越えようとするなら,前向きに生きてゆくことができます。

そうしたからといって,亡くなった愛する人を裏切ること,忘れることにはなりません。ですから罪悪感を抱く必要はありません。

事実,あなたはその人を決して忘れないでしょう。何かのことで一気に記憶がよみがえってくるかもしれませんが,辛い症状は徐々に和らいでくるでしょう。

切ない出来事を懐かしく思い起こすこともできるでしょう。

例えば,前の記事に出てきたアシュリーはこう言っています。

「母が亡くなる前の日のことを思い出します。母は気分がいいようで,珍しくベッドから出ていました。姉が母の髪をとかしていた時,
ちょっとしたことで,わたしたち3人は笑いました。その時,久しぶりに母の笑顔を見ました。娘たちと一緒にいられることを本当に喜んでいたのです」。

亡くなった人と一緒にいた時に学んだ大切なことも思い起こせるでしょう。サリーはこう言っています。
「母はすばらしい先生でした。大事なアドバイスをさりげなく与えてくれました。どうすれば良い決定ができるかを教えてくれました。母や父が言ったからではなく,自分で決定するように,ということです」。

愛する人の思い出は,前向きに生きるのに必要な力となります。アレックスという青年もそのことを実感しました。
こう言っています。
「父の死後,父の教えどおりに生きてゆこうと決めました。人生を楽しむことを忘れてはならないという教えです。親と死別した人たちにはこう言いたいと思います。
親の死を完全に乗り越えることはできないとしても,それに押しつぶされないでください。悲しむのは自然なことですが,これからの人生を充実したものにすることが大切です」。





別の家に引っ越すとか,新しい人間関係を築くといったことも,急いで決めないほうがよいでしょう。

そのようなことは,今の新たな状況に順応する時間を十分に取ってからにする必要があります。

アルコールは死別の悲しみを和らげるかもしれませんが,それは一時的なものです。

長い目で見ると,アルコールは悲しみを乗り越える助けにはならず,依存症を招くおそれがあります。

人によって悲しみ方は異なるので,友達や親族は,この点について個人的な意見を押しつけないようにすべきです。

「互いに重荷を負い合いなさい。そうすればあなたがたは,キリストの律法を完全に成就するでしょう」。
「めいめいが,自分の重荷を担うべきです」。
(ガラテア 6:2,5)



                      




悲しむ人のための助け Ⅱ ~聖書

2017年10月19日 | 日記

 

悲しむ人のための助け

 

 

主(神)は打ち砕かれた心に近くいまし,悔いる霊を救ってくださる』。

(詩編 34:18)

 

愛する人が亡くなると気持ちが動揺し,ショック,放心,悲しみなどを経験するものです。

罪悪感や怒りを感じることさえあるかもしれません。前の記事から分かるように,人の悲しみ方は同じではありません。

ですから,ここにあげたすべてを経験することはないかもしれません。また,悲しみの表わし方が人と違うこともあるでしょう。

それでも,悲しみを表わす必要があるなら,そうするのは間違ったことではありません。

 

 

「悲しんでください」

前の記事(死を受け入れる 悲しむ人のための助け)に出てきた医師エロイザは,母親の死後,自分の感情を抑えようとしました。

「初めは泣きました。でも,患者が亡くなった時と同じように,すぐに気持ちを抑えつけるようになりました。
そのためだと思いますが,かなり体調を崩しました。愛する人を失った方にはこう申し上げたいと思います。
悲しんでください。悲しみを抑え込まずに外に出してください。そうすれば楽になります」。

 

 

しかし,何日か何週間かたつうちに,夫をがんで亡くしたセシリアと同じように感じ始めるかもしれません。

セシリアはこう言っています。

わたしは立ち直れていない,みんなが思うとおりにできていないと思えて,時々自分が嫌になってしまいます」

 

そのように考えているなら,悲しみ方に正解不正解はない,ということを忘れないようにしましょう。

割とすぐに気持ちを切り替えることのできる人もいますがそうできない人もいますその切り替えを早めることはできません。

ですから,ある“期限”までに立ち直るべきだとは考えないでください。

 

 

しかし,悲しみが際限なく続き,そのために疲れ果てているなら,どうでしょうか。義にかなった人ヤコブも同じような経験をしました。

ヤコブは息子のヨセフが死んだと聞いて,『慰めを受け入れようとしなかった』と記されています。
(創世記 37:35)

 

 

そのような場合,悲しみに呑み込まれてしまわないために,どんな実際的な方法を取れるでしょうか。

体をいたわる。セシリアは,「時々,どうしようもなく疲れてしまい,もう限界を超えていると思いました」と言っています。

この言葉から分かるように,悲しみは体にも感情にも大きなダメージとなることがあります。

ですから,きちんと健康に注意を払うのは大切です。睡眠を十分に取り,栄養のある物を食べてください。

買い物や料理をすることはもちろん,食べたいとも思えない場合もきっとあるでしょう。

それでも,栄養を取らないなら,感染症などの病気にかかりやすくなり,状況は悪くなるだけです。健康を保つために,少量でも食べるようにしましょう。

できるだけ,何か運動をしてください。歩くだけでもかまいません。体を動かすことにすれば,おのずと家の外へ出ることになります。

また,適度な運動をすると,エンドルフィンが分泌されます。この脳内化学物質には気分をよくする働きがあります。

 

 

パートⅢへつづく>>>

 

                                     


猫を殺傷し動画公開した、ある税理士の実像~東洋経済オンライン~

2017年10月17日 | 日記

 

【クリック】

猫を殺傷し動画公開した、ある税理士の実像
ガスバーナーで焼かれ黒焦げに…



一部引用


大矢被告の横柄さは、逮捕後の供述に、如実だ。

「猫は糞尿が臭く、爪で壁などを傷つけるので、有害動物の駆除をしただけ。法律違反ではない」

と、トンデモない強弁を繰り返したという。反省の様子は、まったくない。







猫は動物愛護法で定められている『愛護動物』にあたる。殺したり、傷つけた場合の罰則は、

2年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金になる。ペットはもちろん、野良猫も同様だ。

しかし猫の虐待、殺害事件で裁判になるケースはまれ。2016年、同様の事案が33件起訴されたが、29件が罰金刑を求めた略式起訴だった。

懲役刑を求める署名活動


大矢被告に懲役刑を求めるインターネット署名の活動をしている綿引静香さんは9月6日、約3万7000筆の署名を東京地検に提出した。

事件を知り、ショックと怒りを覚えました。虐待、殺害をして罰金で終わりなんて社会、おかしくないですか?

と署名活動の理由を語り、その効果を次のように期待すると同時に、被告に償いを求める。

「初公判に向けて10万人分の署名を提出したいと思っています。難しいかもしれませんが、実刑になれば、他の虐待への抑止力になります。

猫を虐待し、その動画で盛り上がるのは、異常です。心の闇が広がっているように思います。猫が嫌い、苦手だからといっても虐待していいわけではない。

被告には一生かけて償ってほしい。可愛がれとは言いません、罪の深さを考えてほしい」

このような一般市民の動きを、「罰金刑ではなく、懲役刑を求めるムーブメントが高まっている」ととらえるのは、ペットや動物の問題を専門としている石井一旭弁護士だ。

「少しずつですが、厳罰化に向け動きだしています。小動物の虐待は再犯率も高く、何らかの犯罪の温床、きっかけになることもありますからね」

そう話すと同時に、人間の事件と違って人材を投入できない捜査当局にかわる新たな組織づくりを提案する。

「“アニマルポリス”のような専門機関を設置することが必要です。加害者たちは罰則を知っているから、隠れて虐待する。

それを捜査で明るみにしなければ、新たな事件が起きる。罰せられることをアピールする必要はあります」

 

 

 




死を受け入れる  悲しむ人のための助け ~聖書

2017年10月17日 | 日記

 

悲しむ人のための助け


【死を受け入れる】

 



「父が亡くなったという知らせにショックを受け,目の前が真っ暗になりました。
死に立ち会えずに申し訳なかった,という思いにさいなまれました。愛する人の死ほど,苦しいことはありません。
父が亡くなって本当に寂しいです」。―サラ


文化や宗教に関係なく,多くの人は死について話すことをためらいます。言語によっては,不快感を和らげるための婉曲表現が幾つもあります。

日本語では,人が「死んだ」と言う代わりに,「亡くなった」,「旅立った」,「帰らぬ人となった」というような言い方をします。

しかし,どんなに優しい言葉を用いても,愛する人を失った深い悲しみを和らげることはできません。

悲しみのあまり,事実を事実として受け入れられない人もいます。

愛する人と死別した方は,必死に死を受け入れようとしておられるでしょう。

本当は違うのに,平静を装っているかもしれません。もちろん,人の悲しみ方は同じではないので,

悲しみを表に出さない人がすべて,自分の気持ちを押し殺しているわけではありません。

しかし,悲しみに暮れている家族などの前では気丈に振る舞わなければいけない,と思っていると,問題が生じかねません。



【自分が悲しむ時間はありませんでした】

24歳の時に母親を亡くしたナサニエルの経験を見てみましょう。こう言っています。
「最初はどうしてよいか分かりませんでした。父や,動揺している母の友人たちを支えなければならない,と思いました。自分が悲しむ時間はありませんでした」。

1年余りたったころ,ナサニエルは自分が母親の死を受け入れられずにいることに気づきました。
「父は今も,辛い気持ちを時々電話で伝えてきます。それは良いことです。父はそうする必要があるからです。
わたしは喜んで助けになりたいと思っています。ただ,わたしに支えが必要な時,だれにも頼れないような気がします」。

 


死という現実によく直面する医療専門家を含め,介護をする人たちも,自分の感情を抑えなければいけないと考えるようです。

20年余り医師の仕事をしてきたエロイザもその一人です。その職場には連帯感があり,エロイザと患者との間には強い絆がありました。

こう言っています。「わたしは大勢の人の死を看取ってきました。その中には,わたしの心の友と言える人もいました」。

涙を流せば自然と楽になることをエロイザは知っていました。

「でも,泣けませんでした。人を助けるためには強くなければならず,感情は抑えるべきだと思っていました。ほかの人もそれを期待していると思いました」。



【母がいない家はがらんとしていました】

愛する人を失って直面する大きな問題の一つは,孤独感かもしれません。例えば,19歳の時に母親をがんで亡くしたアシュリーは,こう言っています。

「その後は,どうしてよいか分からず,独りぼっちでした。母はわたしにとって一番の友達でした。何をするにも一緒でした」。

アシュリーは,家には母親がいないので,帰りづらくなりました。それも無理はありません。

「母がいない家はがらんとしていました。ただ自分の部屋に入って母の写真を眺めては,一緒にしたことを思い出して泣きました」。



あなたが家族や親友を失ったとしても,悲しんでいるのは決してあなただけではありません。多くの人が,悲しみを乗り越えてきました。

どのようにでしょうか。

見てみましょう。

 

 

つづく >>>>

 

 

*悲しみ方には個人差があるので,家族などが亡くなっても感情を表に出さない人について,他の人があれこれ言うのは,正しいことではありません。