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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

安全な将来は確実~聖書~

2018年09月27日 | 日記

 

【安全な将来は確実】

 



世界の幾百万もの人々は聖書について学び,地上が将来安全な場所になると信じるようになりました。

こんな例があります。

アンドレはある日,正義の行き渡る新しい世が訪れるという聖書の約束について,近所の人に話していました。
「主(神)は国々の争いを裁き,多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし,槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず,もはや戦うことを学ばない」。
(イザヤ 2:4 )
「狼は子羊とともに宿り,ひょうは子やぎとともに伏し,子牛,若獅子,肥えた家畜が共にいて,小さい子どもがこれを追っていく。
雌牛と熊とは共に草を食べ,その子らは共に伏し,獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても,これらは害を加えず,そこなわない。主(神)を知ることが,海をおおう水のように,地を満たすからである」。
(イザヤ11:6~9)
「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。
(ペテロ第二 3:13)
すると突然,自動小銃を持った兵士たちがその家を囲み,取り調べのため外に出るようアンドレに命じました。
兵士たちは,アンドレが聖書について教えており,家の人も喜んで話を聞いていたことを知ると,その場を去りました。

アンドレは家の人に,ノアの時代のように,神が人間の物事に介入するということを説明し終えたところでした。
その時代に,『地は暴虐で満ちるようになって』いました。
(創世記 6:11)

神は全地球的な大洪水によって当時の世を一掃し,平和を愛するノアとその家族を生き長らえさせました。
イエスも,「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです」と語っています。
(マタイ 24:37~24:39)

「人の子」であるイエスは,神の王国と呼ばれる,天の政府の支配者として神に選ばれた方です。
その方は間もなく,天にある神の軍勢を率いて,地上から暴力を一掃します。
『しかしイエスは彼らにこう言われた。「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」』。
(ルカ 4:43)

天の王であるイエスは「すべての人を公平に扱い」,その支配のもとでは「平和があり」ます。
イエスはまた,臣民を「暴力による残酷な死から」保護します。
「彼の世に義は栄え,平和は月のなくなるまで豊かであるように」。
(詩編 72:7)
「彼は虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻し,彼らの血はその目に貴重なものとなります」。
(詩編 72:14)

その後,正義を愛し,この天の王の臣民になる人は皆,地上が平和な楽園に変わってゆくのを目にするでしょう。
「イエスよ,あなたの御国においでになるときには,わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは,「はっきり言っておくが,あなたは今日わたしと一緒に楽園・パラダイスにいる」と言われた。
(ルカ 23:42,43)

聖書の約束のとおり,「平和と公正がすべての山と丘に行き渡り」ます。
「神よ,王にあなたの司法上の定めを,王の子にあなたの義を与えてください。
 彼があなたの民の言い分を義をもって,あなたの苦しむ者たちの言い分を司法上の定めをもって弁護しますように。
 山々が民に平和を携えて来るように。また,もろもろの丘も,義によって」。
(詩編 72:1~3)



そのような王が治める世界で生活したいと思われませんか。

実のところ,それはテロのない世界なのです。


 

 

 

         



すべての人・魂は上位の権威に服しなさい~聖書~

2018年09月26日 | 日記

 


すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。
存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。
したがって、権威に敵対する者は、神の取り決めに逆らう立場を取っている
ことになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。
支配者たちは、善行にではなく、悪行にとって、恐れるべきものとなるのです。
それで、あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。
善を行なってゆきなさい。そうすれば、あなたはそれから称賛を受けるでしょう。
聖書(ローマ人への手紙13:1~13:3)



すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく
おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。
そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。
いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。
あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。
そうすれば、彼からほめられるであろう。
聖書(ローマの信徒への手紙13:1~13:3)




すべての人は、自分の上にある権威に服従しなさい。
なぜなら、神によらない権威はなく、存在している権威はみな、神によって定められているからです。
ですから権威に逆らう者は、神の定めに反抗するのであり、反抗する者は、自らに裁きを招くでしょう。
支配者たちは、善い行ないをする者にとって恐ろしいのではなく、悪い行ないをする者にとって恐ろしいのです。
あなたは権威を恐れないことを願うのですか 善いことを行ないなさい。
そうすれば、あなたは彼から賞賛を受けるでしょう。
聖書(ローマ人への手紙13:1~13:3)








それはあなたの益のための神の奉仕者だからです。
しかし、もしあなたが悪を行なっているのであれば、恐れなさい。それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。
それは神の奉仕者であり、悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。
したがって、あなた方がどうしても服従するべき理由があります。その憤りのため
だけではなく、あなた方の良心のためでもあります。
それゆえに、あなた方は税を納めてもいるのです。彼らは、まさにこのために絶えず
奉仕する神の公僕だからです。すべての者に、その当然受けるべきものを返しなさい。
税を要求する者には税を、貢ぎを要求する者には貢ぎを,恐れを要求する者には
しかるべき恐れを、誉れを要求する者にはしかるべき誉れを。
あなた方は、互いに愛し合うことのほかは、だれにも何も負ってはなりません。
仲間の人間を愛する者は律法を全うしているのです。
「あなたは姦淫を犯してはならない、殺人をしてはならない、盗んではならない、
貪ってはならない、そしてほかにどんなおきてがあるにしても、その法典は、
この言葉、すなわち、「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」に要約されるからです。
愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから、愛は律法を全うするものなのです。
聖書(ローマ人への手紙13:4~10)





彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。
彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。
だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。
あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。
あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。
すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。
互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、
結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
聖書(ローマ人への手紙13:4~10)




なぜなら、彼は神のしもべであって、あなたにとって益であるからです。
しかし、もしあなたが悪いことを行なうなら、恐れなさい。彼はいたずらに剣を帯びているのではありません。
彼は神のしもべであって、悪を行なう者に激怒をもって報復する者なのです。
ですから、服従することが必要です.それは激怒のためだけでなく、良心のためでもあります。
このために、あなたがたは税を納めるのです。なぜなら、彼らは神の役人であって、絶えずこのことに当たっているからです。
それぞれの義務をすべての者に果たしなさい。税を納めるべき者には税を納め、
関税を納めるべき者には関税を納め、恐れるべき者を恐れ、尊敬すべき者を尊敬しなさい。
互いに愛し合うことのほかは、何も借りがないようにしなさい。人を愛する者は、律法を成就しているのです。
なぜなら、「姦淫してはならない、殺してはならない、盗んではならない、むさぼってはならない」など、
そのほかにどんな戒めがあっても、それは「あなたは自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」という言に要約されているからです。
愛は隣人に悪を行ないません。こういうわけで、愛は律法の成就です。
聖書(ローマ人への手紙13:4~10)





                   


信じられ、呼び求められるキリスト~聖書~

2018年09月26日 | 日記

 





聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
「主(神)の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
聖書(ローマ10:11~10:13)

 

 

 


聖書は、「彼に信仰を置く者はだれも失望させられない」と言っています。
ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ、この方はご自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです。
「神(ヤハウェ、エホバ)の名を呼び求める者はみな救われる」のです。
聖書(ローマ10:11~10:13)

 

 

 



聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主(神)の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
聖書(ローマ10:11~10:13)

 

 

 



聖書は、「すべて彼に信頼する者は、辱められることがない」と言っています。
ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません。同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです。
なぜなら、「主(神)の御名を呼び求める者はすべて2救われる」からです。
聖書(ローマ10:11~10:13)