えー、ブログを書いていて、
自分の記憶力のなさというか、正しく確めない、
いい加減な性格が露わになって困るが、
まあ人間というものは自分がさほど興味を持っていないものに対しては、
正確に覚えようという気がないのだと、
斯様に一般論にすりかえてしまって平然としているのだが。
というわけで、天皇の内親王(?)である
紀宮様だったか何かが結婚した。
(正確な名前を覚えられないのだ。)
こういう場合、「だったか何か」とか「とか」など
不確かな形容詞が乱立する。
読み苦しいが、どうも仕方がない。
何かを書く場合、どんなにプライベートなことであろうが、
遊び半分だろうが、
何かを書く場合はちゃんと調べてからでないと何ごとも書けないのだと、
今更ながら思う。
私の場合、思うだけで行動には移さない。
そんなわけでこんなにいい加減な書き方になってしまうのだが。
とにかく、何とか様が結婚した、
ということがこの文章のメインではないのでそれはまあいいのだ。
その結婚式のようすがテレビニュースで映され、
日本じゅうに配信された。
結婚式(に向かうようす)と、披露宴(のさわり)が、放送された。
それを私も見た。
で、驚いたのは、皇居から帝国ホテルに向う時に
着ていたロングドレスのまま結婚式になだれ込んだことと、
披露宴で着ていたお着物が地味であったことだった。
いや、結婚式自体、披露宴自体も、
見たことがないほど地味だった。
皇居から出られる時、ドレスを着ておられたが、
結婚式本番では着替えるのだろうと、漠然と思っていた。
そうしたら、そのドレスのまま、
ウェディングベールも、ブーケも、何もない。
というか、神前結婚なら打掛とか、文金高島田とか、
そういうものに着替えるのかと思っていたのだ。
(それは、皇室の人なら十二単だと母に否定された。
しかも、すでにそれは皇居で済んでいるので、
そういうことはないと言われた)
ロングドレスは、飾りが何もなく、
アクセサリーもパールのネックレスのみ。
あとは何にもない。
シンプルというよりも、何もなさすぎる。
地味と言ったほうが良い。
それに驚いたのだ。
でも、ドレスの生地はシルク。
地味だけれど、ものは良い。
これが本当の金のかけ方だと思った。
そうして、披露宴でも驚いた。
お着物は、母上の美智子皇后の物を借りたという。
帯も、皇后のものを結び方を変えて締めていた。
何というエコロ。
けれど清子さんには母上の皇后に対する思い入れもあったのだろう。
でもあの地味さには、心底驚いた。
着物の柄も色も、帯の色も地味。
ただ、白地に金糸で、
お目出度い場に最も相応しいというか、
これしかない色柄だったのだろう。
同じ日に結婚式をしたという一般人がニュースで報道されていたが、
その新婦のやたらに派手で、俗悪で、
けばけばしく飾り立てたいで立ちを見ていて、
清子さんと何という違いかと目が点になった(古い表現)。
一般人は、結婚式に、ここが一生で一番の決め時だからと、
やたらに飾り立てる。
人生のここしか主人公になる時がないから、
ここしか目立つ時がないからと、ひたすら派手に、
きんきらきんに、ごてごてと飾り立てる。
その結果、今現在のようなグロテスクな結婚式が、
一般で横行しているのだろう。
皇室の方々は普段から注目されているので、
結婚式であえて目立たなくても全然構わない。
だからむしろ儀式として粛々とそれを祝福してもらえればいいという、
結婚式というものの原点というか、
エキスだけを純粋に抽出したような形になったのではないか。
披露宴で乾杯したあと、
天皇皇后の座るテーブルに来て、そこで食事を摂りつつ歓談したという。
このやり方も、なるほどと頷いた。
清子さんが派手なものが嫌いという個人の資質もあるだろう。
自分の顔形を知っているからでもあるのだろう。
飾り立てても似合わない、ということが分かっているのだ。
ごてごてと飾り立て、
派手な恰好をすればするほど下品になってゆくということが、
今回あのあまりにも地味な式と披露宴で分かった。
飾りなど何もなくても、
真に光っている人は何もつけなくても光っている。
けばけばしく、
これ見よがしに派手にするのがいかに下品なことか。
何もない、けれどもいいものをさりげなく使う。
お金をかけるべきところにかけ、あとは何もしない。
それがいかに品格のあることか。
ああいう結婚式、ああいう披露宴ならしてみたい、と思った。
…いや、思うだけで、出来ないから言うんだけどさ。
ちっ。
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いい加減な性格が露わになって困るが、
まあ人間というものは自分がさほど興味を持っていないものに対しては、
正確に覚えようという気がないのだと、
斯様に一般論にすりかえてしまって平然としているのだが。
というわけで、天皇の内親王(?)である
紀宮様だったか何かが結婚した。
(正確な名前を覚えられないのだ。)
こういう場合、「だったか何か」とか「とか」など
不確かな形容詞が乱立する。
読み苦しいが、どうも仕方がない。
何かを書く場合、どんなにプライベートなことであろうが、
遊び半分だろうが、
何かを書く場合はちゃんと調べてからでないと何ごとも書けないのだと、
今更ながら思う。
私の場合、思うだけで行動には移さない。
そんなわけでこんなにいい加減な書き方になってしまうのだが。
とにかく、何とか様が結婚した、
ということがこの文章のメインではないのでそれはまあいいのだ。
その結婚式のようすがテレビニュースで映され、
日本じゅうに配信された。
結婚式(に向かうようす)と、披露宴(のさわり)が、放送された。
それを私も見た。
で、驚いたのは、皇居から帝国ホテルに向う時に
着ていたロングドレスのまま結婚式になだれ込んだことと、
披露宴で着ていたお着物が地味であったことだった。
いや、結婚式自体、披露宴自体も、
見たことがないほど地味だった。
皇居から出られる時、ドレスを着ておられたが、
結婚式本番では着替えるのだろうと、漠然と思っていた。
そうしたら、そのドレスのまま、
ウェディングベールも、ブーケも、何もない。
というか、神前結婚なら打掛とか、文金高島田とか、
そういうものに着替えるのかと思っていたのだ。
(それは、皇室の人なら十二単だと母に否定された。
しかも、すでにそれは皇居で済んでいるので、
そういうことはないと言われた)
ロングドレスは、飾りが何もなく、
アクセサリーもパールのネックレスのみ。
あとは何にもない。
シンプルというよりも、何もなさすぎる。
地味と言ったほうが良い。
それに驚いたのだ。
でも、ドレスの生地はシルク。
地味だけれど、ものは良い。
これが本当の金のかけ方だと思った。
そうして、披露宴でも驚いた。
お着物は、母上の美智子皇后の物を借りたという。
帯も、皇后のものを結び方を変えて締めていた。
何というエコロ。
けれど清子さんには母上の皇后に対する思い入れもあったのだろう。
でもあの地味さには、心底驚いた。
着物の柄も色も、帯の色も地味。
ただ、白地に金糸で、
お目出度い場に最も相応しいというか、
これしかない色柄だったのだろう。
同じ日に結婚式をしたという一般人がニュースで報道されていたが、
その新婦のやたらに派手で、俗悪で、
けばけばしく飾り立てたいで立ちを見ていて、
清子さんと何という違いかと目が点になった(古い表現)。
一般人は、結婚式に、ここが一生で一番の決め時だからと、
やたらに飾り立てる。
人生のここしか主人公になる時がないから、
ここしか目立つ時がないからと、ひたすら派手に、
きんきらきんに、ごてごてと飾り立てる。
その結果、今現在のようなグロテスクな結婚式が、
一般で横行しているのだろう。
皇室の方々は普段から注目されているので、
結婚式であえて目立たなくても全然構わない。
だからむしろ儀式として粛々とそれを祝福してもらえればいいという、
結婚式というものの原点というか、
エキスだけを純粋に抽出したような形になったのではないか。
披露宴で乾杯したあと、
天皇皇后の座るテーブルに来て、そこで食事を摂りつつ歓談したという。
このやり方も、なるほどと頷いた。
清子さんが派手なものが嫌いという個人の資質もあるだろう。
自分の顔形を知っているからでもあるのだろう。
飾り立てても似合わない、ということが分かっているのだ。
ごてごてと飾り立て、
派手な恰好をすればするほど下品になってゆくということが、
今回あのあまりにも地味な式と披露宴で分かった。
飾りなど何もなくても、
真に光っている人は何もつけなくても光っている。
けばけばしく、
これ見よがしに派手にするのがいかに下品なことか。
何もない、けれどもいいものをさりげなく使う。
お金をかけるべきところにかけ、あとは何もしない。
それがいかに品格のあることか。
ああいう結婚式、ああいう披露宴ならしてみたい、と思った。
…いや、思うだけで、出来ないから言うんだけどさ。
ちっ。
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