伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

羽生選手、楢葉町を訪問

2018年07月04日 | 羽生結弦
羽生結弦選手、楢葉町を訪問




・・・・・まだまだ羽生選手関連が続くので恐縮ですが…
羽生ウィークなのだ…


未明に起きて、
羽生結弦選手が福島県楢葉中学校を訪問したというニュースを聞いて、
何かざわざわとし、打ちのめされた気持ちがした。

そして動画ニュースを見て、なぜか、胸がつまった。

前日の凛々しい袴姿とは打って変わって、
ラフな半袖で優しく子供たちに語りかける姿。


福島県双葉郡楢葉町立楢葉中学校ニュース・ブログ
https://blog.goo.ne.jp/narahachu/e/41f9160ce5d4122604c0b74c7631fb7b
「本日、午後1時、羽生結弦選手が来校しました!!
 かねてより羽生選手が続けている被災地の訪問活動として、
楢葉町にお越しくださいました。」



ギャラの発生する時のみの被災地支援活動
テレビカメラが同伴する時だけ被災地に足を運ぶ…

そんな揶揄する声がどこからともなく私の頭の中に聞こえて来て、
恐ろしさで体が震え、涙が出て来て・・・
・・未だに私の心にトラウマになってるアンチの言葉


それでも、彼はそんな声もおそらく承知のうえで、決意したのだ…と
そう、思った。

全国放送でなくてよかった。









子供のころ、こんな風に言ってくれる人がいたら、
どんなに親を大事にしようと思えただろうか。



https://twitter.com/YukinotoriKey/status/1014077167167082496
より

日刊スポーツ

https://www.nikkansports.com/sports/news/201807020000516.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=20180702-00256409-nksports-spo
羽生「素晴らしい賞」最年少で国民栄誉賞/一問一答より


「将来的にはトップに立ちたいと思っている選手が全世界にあふれているので、
支援ができる立場になれればと考えている。

こういう賞をいただけたからこそ、日本人としての誇り、文化、考え方、
そういったものにも思考をめぐらせて、そういった立場に立ちたい。

五輪2連覇をして、結果をいただけたからこそできることは絶対ある。

僕にしかできないこと、僕にしか感じてこれなかったこと、
僕しか学べなかったことを伝えていく存在になりたい。」

https://www.nikkansports.com/sports/news/201807020000516.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=20180702-00256409-nksports-spo


彼はもう、ただの一スケーターとしてあるだけでなく、
それ以上の「象徴的な」存在になっているのかもしれない。
それを自分自身で自覚しているのかもしれない。

いや、自分でそうなろうとしているのかもしれない。

誰に何を言われようが、きっと彼は「決めた」。
その道を、びくびくしないで、行くと決めた。
そして歩みはじめている・・







強い強い彼の意志を感じて、涙が止まらなくなる。
そっと、片隅から、彼のこれからと、
彼の気持ちをちょっとでも応援していこうと思う。

もう、アンチがどうのこうの、
彼らを非難するのどうのこうの、どうでも良くなった。
そんな自分が恥ずかしくなった。
些細なことに腹を立てたり、憤慨したりするのは、
どうでもいいことなんだとやっと気づいた。

彼の姿勢、理想、自分を信じきる姿に胸を打たれた。
私の想像以上の覚悟を決めていたのだろう。
立ち向かう覚悟を決めていたのだろう・・・

でもきっと、夢いっぱいで・・








おーい 左右のポケットにメダル無造作に入れんなよ・・



スポニチ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180703-00000021-spnannex-spo

<贈った甲田氏感動「仙台人として誇り」> 
羽生に仙台平を贈った甲田氏は本紙の取材に
「震災復興に尽力されている方なので、
授与式では男子の第一礼装の立派な装いで臨んでいただきたいとの思いから、
仙台市を通じ進呈を打診したところ、快諾してもらった」と経緯を説明。

テレビなどで羽生の晴れ姿を見たといい
「立派に着こなすりりしい姿に感動し、同じ仙台人として誇りに思いました」


■オーサー氏「歩み止めず、未知の領域」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32488950S8A700C1UUT000/?df=2
(日経)
フィギュアスケートの五輪王者が現役を続けることはまれだ。
続けるにしても休養をとる。

しかし、結弦はソチ五輪後も歩みを止めなかった。
そんな選手は見たことがなく、それ以降はコーチの僕にも未知の領域で手探りだった。

 6年前に初めて会った時の結弦は目立ちたがりで夢あふれる、スケートを愛する少年。
僕はほかの選手同様、結弦に練習スケジュールを指示し、基本的な訓練を徹底させた。

しかし、時とともに選手、そしてコーチとの関係も変わる。
ハビエル・フェルナンデスは今も常に、僕らに(演技の)方向性や練習でアドバイスを求める。

一方、結弦は自分の考えがあり、全てを自分でコントロールしたい。
あれこれ指図する必要がないタイプだ。

 昨秋、足首をケガした時も、経過報告は随時受けたけれど、メンタルトレーニング、
治療は彼の責任でやっていた。でも、ケガした直後、僕は一つだけ言った。
「世界最高得点での優勝は無理でも、五輪の連覇を目標にするなら間に合う。
夏の時点で五輪に出られる状態まで仕上がっていたから、
短期間で戦える状態に戻るよ」と。

それが結弦に希望を与えたと思う。
いつもは出遅れると、埋め合わせようとしゃかりきになる結弦が、
周囲の意見を聞き、ゆっくりと段階を踏んでいた。


 彼を通じて、選手にはいろいろなタイプがいると、改めて学んでいる。

コーチの仕事は、選手たちがやりたいことができるツール、
スケートの基礎を与えることだって。
それを使って、選手に個性を羽ばたかせてもらえればいい。


 この6年で結弦には環境の変化もあった。

ソチ後、急激にスター、僕には理解も及ばないようなレベルのスターになった。
多くの人、ファンの人生に影響を与えているし、
不可能な期待もたくさんかけられる。

 そんなスターの立場を結弦は理解し、責任も自覚している。
神様が、「スターという地位との付き合い方」という才能も与えたんだと思う。

 プレッシャーは相当だろう。
練習拠点のトロントでの結弦は常に「オン」の状態だ。
まず第一に「素晴らしいスケーター」でなければいけないのだ。
練習一色で、(日本より人目のないカナダでも)
誰かと遊ぶこともほとんどないし、
あまり人と関わらない。

 6月、神戸でのアイスショーのリハーサルで、昔のように、
他のスケーターとはしゃぐ姿を見てうれしかった。
「楽しい時間を過ごしているんだな」と。
今、結弦にそんな時間はほとんどないから。

 疲れもあるだろうに、3月末には現役続行を正式に告げてきた。
驚いたけれど、予感はあった。
彼は勝つことが好き。
スケートで競うことが彼の血に流れている。それが羽生結弦という人なんだ。







オーサーは側で見ているから彼がどんな人間なのかいちばんよく分かっているのだろう。

パパラッチや追っかけがいるため、自由に外に出て仲間と遊ぶことも出来ない。
いろんなものを捨てた。
それでも楽しい時間を過ごすすべも心得ているのだろう。
仲間と滑る時、スケートをする時・・・
楽しみは人それぞれ
遊ぶことだけが楽しいことじゃないからね




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