小学生の頃から美しいユニフォームを思い浮かべては恍惚としていた怪しい少年だったオレ(笑)そんな少年時代から続いている怪しい妄想を可視化できるよう個人的な偏見・主観に基づいて、オレが大好きだった、惚れ込んだユニフォームを各球団ごとにピックアップしてみるというどーでもいいことをやってみる。まぁ、ネタ切れだからなんだけど(苦笑)
基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
①昇華プリントNG
②広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要
第3回目は現在の「埼玉西武ライオンズ」
●ホーム用
・1954~1959モデル(西鉄ライオンズ)

左より#20 西村貞朗/#15 河村英文/#16 大津守
重厚感溢れるドイツ文字(フラクトゥール)で描かれた胸ロゴ「Lions」、キャップロゴのNとLを重ねたマークは後の西鉄黄金期を象徴するデザインのユニフォーム。NPB史上最も美しいと思われる毎日オリオンズに引けを取らないほど、シンプルながらも燦々と輝きを放つ気品あふれるユニフォームであったよ。その美しさに魅了されTシャツまで自作したほどだ。
・2009~2014モデル(埼玉西武ライオンズ)

#52 ホセ・フェルナンデス
2009年埼玉西武ライオンズは西鉄時代の伝統を継承すべくチームカラーをレジェンド・ブルーと称する濃紺に変更し、西鉄ライオンズ時代のユニフォームを踏襲したデザインに変更。ホーム用は白地に紺のラケットライン。左胸に「L」のイニシャルが付き、デトロイト・タイガースに似たデザインとなる。NPB史上もっとも説得力のあるコンセプトのもと作成されたユニフォームであろう。21世紀以降のユニフォームでは最も気品あふれるユニフォームであった。但し、背番号や背ネームのフォントは評判が悪かった。しかし、それを差し引いてもこのユニフォームへの評価は変わらない。Tシャツも自作したぐらい惚れ込んだデザインだった。
●ビジター用
・1958~1959モデル(西鉄ライオンズ)

左から#21 島原幸雄/#38 若生忠男

左:#24 稲尾和久 右は読売ジャイアンツの#3 長嶋茂雄
西鉄ライオンズ創立時の1951年から1957年までのビジター用ユニフォームには企業名の「NISHITETSU」が表記されていたが1958年から福岡県または福岡市の資金援助があり胸のレターが本来ビジター用ユニフォームがあるべき姿である地名の「FUKUOKA」が記載されることになった。「FUKUOKA」のレターは以降1968年まで掲示された。オレがピックアップした1958~1959モデルはグレー×ブラックのシンプルな配色、袖あるいは胸番号がないシンプルなデザイン。
・1980~1995(2軍は1996年まで)モデル(西武ライオンズ)

#39 オレステス・デストラーデ
まるでパジャマみたいと悪評高かったユニフォームだったが、MLBでも20世紀初頭には上下黒ないしは濃紺というユニフォームはあり、この上下ブルーのユニフォームもビジター用ユニフォームに白を使わないというコンセプトには合致し、正統派と言えるはず。それと当時はビジター用にライトブルーを採用する球団も多かったため、違和感はなかったし寧ろカッコいいとも思えた。
次回は読売ジャイアンツの予定
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)
好きなキャップロゴはこちら。
基本的にオレ個人の美しいユニフォームの定義は下記の通り
①昇華プリントNG
②広告ロゴNG
③プルオーバーNG
④ビジターのカラージャケットNG
⑤ビジターユニに企業名表記はNG
⑥できれば背ネームはいらない
⑦できれば胸番号も不要
第3回目は現在の「埼玉西武ライオンズ」
●ホーム用
・1954~1959モデル(西鉄ライオンズ)

左より#20 西村貞朗/#15 河村英文/#16 大津守
重厚感溢れるドイツ文字(フラクトゥール)で描かれた胸ロゴ「Lions」、キャップロゴのNとLを重ねたマークは後の西鉄黄金期を象徴するデザインのユニフォーム。NPB史上最も美しいと思われる毎日オリオンズに引けを取らないほど、シンプルながらも燦々と輝きを放つ気品あふれるユニフォームであったよ。その美しさに魅了されTシャツまで自作したほどだ。
・2009~2014モデル(埼玉西武ライオンズ)

#52 ホセ・フェルナンデス
2009年埼玉西武ライオンズは西鉄時代の伝統を継承すべくチームカラーをレジェンド・ブルーと称する濃紺に変更し、西鉄ライオンズ時代のユニフォームを踏襲したデザインに変更。ホーム用は白地に紺のラケットライン。左胸に「L」のイニシャルが付き、デトロイト・タイガースに似たデザインとなる。NPB史上もっとも説得力のあるコンセプトのもと作成されたユニフォームであろう。21世紀以降のユニフォームでは最も気品あふれるユニフォームであった。但し、背番号や背ネームのフォントは評判が悪かった。しかし、それを差し引いてもこのユニフォームへの評価は変わらない。Tシャツも自作したぐらい惚れ込んだデザインだった。
●ビジター用
・1958~1959モデル(西鉄ライオンズ)

左から#21 島原幸雄/#38 若生忠男

左:#24 稲尾和久 右は読売ジャイアンツの#3 長嶋茂雄
西鉄ライオンズ創立時の1951年から1957年までのビジター用ユニフォームには企業名の「NISHITETSU」が表記されていたが1958年から福岡県または福岡市の資金援助があり胸のレターが本来ビジター用ユニフォームがあるべき姿である地名の「FUKUOKA」が記載されることになった。「FUKUOKA」のレターは以降1968年まで掲示された。オレがピックアップした1958~1959モデルはグレー×ブラックのシンプルな配色、袖あるいは胸番号がないシンプルなデザイン。
・1980~1995(2軍は1996年まで)モデル(西武ライオンズ)

#39 オレステス・デストラーデ
まるでパジャマみたいと悪評高かったユニフォームだったが、MLBでも20世紀初頭には上下黒ないしは濃紺というユニフォームはあり、この上下ブルーのユニフォームもビジター用ユニフォームに白を使わないというコンセプトには合致し、正統派と言えるはず。それと当時はビジター用にライトブルーを採用する球団も多かったため、違和感はなかったし寧ろカッコいいとも思えた。
次回は読売ジャイアンツの予定
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)
好きなキャップロゴはこちら。