母とは上越新幹線が開通した時「疎開先が見たい」と言うので新潟の十日町に行ったことがある
六日町だったかも 寺尾だったかな 私は良く覚えていない
たしか疎開先に近いところの民宿泊まった
母の案内で「疎開していたお堂」を見に行った
雪が深くて お堂は見上げるような高いところにあった
「めぇだ(前田)」という家に行った 母はそこのおばあさんと話しをしていた とても大きな家だった
以前 母は羽吹のお墓のことで一人で新潟に行き色々手配をしたことがありその時「羽吹組」の話をしていた
母の実家の本家は新潟では大手のようで ヘリコプターに乗せてもらったというようなことも話していたけど
残念ながら私は何も覚えていない
2日目は市内のホテルを予約していた移動するのに六日町の駅に行った
六日町の駅前で「みっちゃんかい?」と言うおじさんに出会った
ケイばあちゃんの友達だったらしい 旧知の人に会えて良かった
ホテルのある街に行っては見たものの雪が多くて商店街はシャッターだらけ
チェックインまで時間を潰すすべがない
私は当初から新潟にはびこる低気圧のせいかずーっと気分が沈んでいた
「帰ろうか?」と言うことになりホテルはドタキャンして帰って来た
今思うと もっと母の話を聞き 疎開先での思い出や人間関係など
もっと興味を持って聞いておけば良かったと残念でならない
六日町だったかも 寺尾だったかな 私は良く覚えていない
たしか疎開先に近いところの民宿泊まった
母の案内で「疎開していたお堂」を見に行った
雪が深くて お堂は見上げるような高いところにあった
「めぇだ(前田)」という家に行った 母はそこのおばあさんと話しをしていた とても大きな家だった
以前 母は羽吹のお墓のことで一人で新潟に行き色々手配をしたことがありその時「羽吹組」の話をしていた
母の実家の本家は新潟では大手のようで ヘリコプターに乗せてもらったというようなことも話していたけど
残念ながら私は何も覚えていない
2日目は市内のホテルを予約していた移動するのに六日町の駅に行った
六日町の駅前で「みっちゃんかい?」と言うおじさんに出会った
ケイばあちゃんの友達だったらしい 旧知の人に会えて良かった
ホテルのある街に行っては見たものの雪が多くて商店街はシャッターだらけ
チェックインまで時間を潰すすべがない
私は当初から新潟にはびこる低気圧のせいかずーっと気分が沈んでいた
「帰ろうか?」と言うことになりホテルはドタキャンして帰って来た
今思うと もっと母の話を聞き 疎開先での思い出や人間関係など
もっと興味を持って聞いておけば良かったと残念でならない