2013-11-17 23:15:26 | まとめ

新婚旅行には行ってないんだ。

式は12月に挙げた。

当時は小売業に務めていたので、行けなかった。

少し落ち着いてから……、なんて考えていたら、義母の体調が悪くなり、入退院を繰り返すようになった。

そして、妻は看病のため、実家へもどった。

なので、新婚の私は、結婚後数年は独り暮らしだった。

あぁ、懐かしい。

別居当時、週に1回は妻の実家のある桐生へ遊びに行った。

別れて暮らしてはいたが、桐生へのドライブは丁度良い気分転換になった。






部屋に閉じこもってちゃ、精神的にも良くない。

天気が良かったら、外へ出よう。散歩でもしよう。

死別仲間と知り合って、何が良かったって、強引に外出し日常生活から一時でも離脱できたこと。

そうでもしなかったら、ずっと部屋でゴロゴロ。

娘も楽しくなかったと思う。

最近は会わなくなったけど、当時は死別仲間に会えることがなんとも心地よかった。

そう、心地よかったのだ。

お金と時間があったら、旅に出たい。

お世話になったみなさんに感謝の気持ちを伝えたい。

旅はいい。


子育て

2013-11-17 23:14:45 | まとめ

妻が亡くなったのは、愛娘が幼稚園の年長さんだった。

5歳。

娘に対しては、なんだか罪悪感がある。

あなたの大切なママを守ってあげられなかった。

実際、私が死亡原因でもなんでもないのだが、何故かしら罪悪感があるのだ。

その反動だろうか、甘やかして育ててしまったと思う。

もう遅いか(笑)。 既に高校2年生。

『あとは自分で何とかしてくれ~』って感じだな。

でも、子育てを放棄したつもりはない。

多分、一生「娘は娘、何歳になっても私の娘」なんだろうなぁ。

私は妻を喪い、娘は母を喪った。

娘も子供なりに大きな大きなショックであったろう。


死別当初、いや少ししてからかな~、『死にたい』と思ったことがある。

しかし、死ねなかった。

娘の顔がよぎった。

まるでドラマのように……。



妻が亡くなって半月後位だったろうか、娘の幼稚園でのお遊戯会。

いや~、辛かった。

泣けた。

当時は、きっとたくさんの幼稚園関係者や保護者の方にお世話になったのだろう。

が、その時はまったく周囲が見えなかった。

今思うと、反省反省。

子供も育て、仕事も行って、家事もこなす、~なんてできる訳がない。

そう、だれかの助けをかりないとできたい。

たとえできとしても、短期間だろうし、そこまで自分を犠牲にしていては、子供に見透かされる。

なので、最初から子育てに関しては、誰かを頼った。

それが、結果的には正解だったようだ。

お世話になった方々全員に感謝したい。

お礼も言いたいが、いまとなってはそれも無理。

なので、当時の恩はこれから返そうと思う。

きっと、恩やお金は天下の周りモノ。

いろんな方にお世話になったから、いろんな人たちに返そうと思う。

そうそう、思い出した。

一番悩んだのは、同性でなかったこと(笑)。

小学校高学年になり、生理が始まる前は焦った焦った。

その時にお世話になったのが、ネットでたまたま知り合った「保健の先生」だった。

もちろん、名前も住所も存じ上げない。

その保健の先生から一冊の本を紹介され、なんとか無事にその問題は乗り切れた。

後日談だが、その本は娘の友人の間を渡り、ご家族の方にも好評を博した。

そんな巡り会いがなかったらと思うと、ぞっとすること多数。

なんだ、私ってけっこう運が良いのかもね。







育児・子育ては、独りじゃ無理だ。

肩ひじ張らず、他人の力を借りよう。

あとで、返せばいいじゃないか、どんな形でも。


それから、子供が小さい時期なんて本当に短い時間だ。

できる限り一緒に過ごそう。

楽しい思い出をたくさんつくろう。

いつか、私に黄泉の国から迎えが来たとき、土産話が少ないとつまらないからね。







言う

2013-11-17 23:14:03 | まとめ

大切なことは、声に出して言おう。

相手に聞こえるように、自分の気持ちを伝えよう。

後悔しないよう、伝えよう。

私達の場合、お別れの言葉なんてなかった。

最後に伝える言葉を考える暇もなく、倒れそして息を引き取った。

強引に運命を変えられた気がする。

なんとも理不尽。そして、不条理。

突然の別れは、いつやってくるのか……。

だから、自分の気持ちは躊躇なく伝えようと思った。

またまた「タラ・レバ」の話だが、生きていればもっといろいろと伝えたかった。

「ありがとう」や「ごちそうさま」、「いいね!」に「凄いじゃん!」などなど。

でも、もう届かない。

『言っときゃ~、良かったのに・・・』と何度後悔しただろう。




これからの人生、後悔はなるべく少ない方が良い。

一日一日を大切に、悔いなく生きたいと強く強く思う。






自分の気持ちはちゃんと伝えよう。

後で悔いが残らないように。



今日も一日、精一杯生きた(と自分では思う)。

関係各位に感謝♪








世間の評価

2013-11-17 23:13:27 | まとめ

死別後、10年経過。

恋はしづらい(笑)。

なんだか周囲がザワザワ。

良く聞くのが、『死んだ人には勝てない』。

そして、『亡くなった方は美化される』。

両方とも幾度となく聞いた。

捉え方は、その時々で違った。



でも、いつも同じように感じていたのは、その二つの決まり文句を「死別を経験した人は言わない」ってこと。

経験のない人の多くがそう思い、そう話す。

こちらは『そのセリフ、もううんざり。言わないでくれ!』と思いつつ、無言でいるからなおさらいけない。





良く考えると、死別を経験しなかった昔々、自分もそう考えそう言っていただろう。




相手の立場に立ってことは難しい。









大きな悲しみを経験した直後は、もう感情の起伏が起こらないんじゃないかってくらいに、悲しみ100%の中に埋もれる。

分け入っても分け入っても、そこには悲しみしかない。

人生で一番の底まで落ちてしまう。どう俯瞰してみても、深い深い海底を這いずり回っている自分にピンスポが当たっているようにしか見えない。



そんな状態が一生続くように思えたが、少ないながらも友人や愛する人たちの存在が着実に上昇気流に乗せてくれる。



一気に上昇する特効薬は存在しない。

あると確信できたのは“時薬若しくは日薬”。

この薬の効果はヒトソレゾレだが、実感できたのは「誰かを好きになっている自分がいる」ことを感じた時だ。

もうだれも好きになってならないと思っていたが、実際はそうではなかった。

好きになっちゃうのだ。

でもそれってそれで良いの?という自問はあった。

ある種の罪悪感のような感覚は今でも多少ある。

『でも、~』と思うのだ。

良いか悪いかの判断は、自らに委ねられている。

それに対し、妻からは回答がないのだ。

万が一、あったらそれはそれで嬉しいのかもしれない。

だから、自分で決め、自分で責任をとればなんら迷う必要はないのだ。

もしも、妻と私の立場が逆だったら、といつも思う。

もしも逆だったら、長い時間を悲しみに暮れることを果たして望んでいるのだろうか?

→ 否。

ずっと一人寂しく時間を過ごすことを望むのか?

→ 否。

人を愛することをやめ、好意を持つことの高揚感を押さえつけ、ずっと一人で考え、決断し、生活することを望むだろうか?

→ 否。

「生前、そんなに愛してくれたのか」と悲しむ姿は、少しの間感じ入るものがあるかもしれない。

でもそれを長い間、継続して欲しいとは思わない。



好きだった人が自分と別れても、幸せになって欲しいと思う。

もしも、自分でどうにもできないなら、誰でもいい、好きな人を見つけて幸せになって欲しい……。


そう、思う。




我々は深い深い傷を負ったのだ。

猛禽類の鋭い爪で、臓器を半分以上えぐり取られたのだ。

時が経ち、その傷口は塞がり、痛みは消えた。

しかし、傷跡は残った。そして時々、シクシクとその傷が疼く。


日常生活ができるのだから、治ったといば治ったのだろう。

でも傷口を見るたびに、傷を負った時のことを思い出す。

悲しみは思い出に変化しつつある。

が、まだ時間はかかる。

世間の皆様にその痛々しい傷口を見せる必要はない。

知って欲しい人にだけそっと見せる(笑)。あくまでもそっと。

そうすると、相手もじつは~と傷を見せてくれたりする。

嫌われるヤツは、他人(ひと)のは見ておきながら、自分のは見せないヤツ。

そして、人の心の中に土足でズカズカ入ってくるデリカシーのないヤツ。

もう私は、一度死んでいる。

妻が亡くなった時点で、一緒に死んでいるのだ。

だから、今は人生の第二幕(かな)。

とすると、死別後10年経過したから、第二幕での私の年齢は10歳か?


誓いの言葉

2013-11-17 23:12:27 | まとめ

わたくしは、この女を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓います。

では、妻に死が訪れ、私独りになったら、どうしたらよいのでしょう?

結婚式は1991年だったかな(笑)。

妻の希望で洋式でした。

神父様の前で例の誓いの言葉を言いました。

そして、死が訪れ、妻は亡くなり、私はこの世に残った。

不条理であれなんであれ、これが現実。

いくら誓いの言葉で愛を誓っても、もう妻はいないのだ。

私の夢にもめったに出演はない(笑)。

それで、先程の質問への回答。

私の神様はきっと、こう答えるだろう。

『それは自分で考えろ』ってね。