走る

2013-11-17 23:11:47 | まとめ

運動不足と感じるようになったのは、周囲が多少見えるようになってから。

身体が鈍ってしまう。

さらに、加齢に伴い筋肉がドッと落ちたのが分かった。

そのかわり、脂質がおなか周りに付きなかなか落ちなくなった。

ので、体重には変化はないが中身が大分変化した……。

それが身に染みてわかってしまった。

ここからが問題。

さて、どうしよう? と、考えた。
最初は歩いた。

トボトボ、歩いた。

そのうち欲が出てきて、走ってみた。

結構走れるじゃん! と、思ったら膝の外側が痛む。

知人に聞いたところ、『それは運動不足だよ』とのこと。


思っっていた以上に運動不足で体の質も大幅に変化してしまった。

あれから3年位は経っただろうか。

とにかく、気付いたのが遅かった。

遅かったついでに、がむしゃらに走れずマイペースで走ることにした。

あの時、散歩がてらレンタルビデオ屋さんまで歩いてよかった。

あれがきっかけだったと思う。

仕事のストレス解消、運動不足解消、気分転換などなど、効能はたくさんあった。

この秋、県民マラソに挑戦する。

初挑戦。距離は「10㎞」。既にエントリー済み。

今、唯一挑戦していることが、走ること。

これがなければ、今の私はただただ流されるだけの存在。

県民マラソンに出場したら、何か変化するのか?

いや、きっと何も変化しないだろう。

「出場した」ということだけが残るだろう。

それでも今の私にとって、「走ること」は大切なセレモニー。


大好きな音楽を聴きながら、走る。

伴走者はいない。

強いて挙げれば、ウォークマンに入った音楽かな。







走っていると、何も考えていない自分に気付くことがある。

その瞬間は、しかし、ごくごく短時間。

かと思えば、仕事のことや職場の思い出したくない雰囲気など、モヤモヤしたものが噴出してくるのが分かる。

そんなときは気分が悪い……。

でも、それは長続きしない。

あっという間にほかのことが頭の中をグルグル回りだす。

もしも、しつこく付きまとったら、走るスピードを上げる。

そうすれば、スピードを上げた場所へすべてを置き去りにできる。

置き去りにする代償として、荒い呼吸と足の倦怠感が残る。

それでも走ったことに快感を覚える。

これって、軽度のランナーズハイ? かな??

それなら、みんなにおススメだ。

悲しいなら走ってみよう。

きっと、涙か汗か判別ができなくなるから、丁度いいんじゃないかな……。

走り終わったら、水シャワーが気持ちいい。




大好きな八神純子さんのFacebookでジョギングに関するコラムがあった。

同感! 「ジョギング、その①~③」。

同じ思いだ。私にも「心の変化」は起きた。

そして、「まず一歩を踏み出すことから始まるのだと思えるようになった」。

そう、そうなんだ。

まずは、一歩。


食事

2013-11-17 23:10:50 | まとめ

死別当初、食事を作るのが辛かった。

あの味は出せない。

あの食事は作れない。

食欲だってそれほどある訳じゃない。


さらにうまくないんだなぁ~。

それでも、無理して食べないと生活ができない。

仕事にいけない。

かなり無理して食べたような気がする。

そうやっていたら体重も少しずつ戻ってきた。

テーブルの向こう側やキッチンに立つその姿を見つけてしまう日々は、いつ終了したのだろう。

いつから彼女の姿を探さなくなったのだろう……。

それを理想とするつもりはないが、なんだか楽しく食べられない。

食欲のないときは、ナッツ類をムシャムシャ食べよう。

そう、ナッツを食べてビールで流し込む。

そうやって、私は生き延びることができた(笑)。

悲しみのあまり餓死、なんてニュースはあまり聞かない。

みんな、なんとか生き延びようとするんだ。

生き続けようとする気持ち、自分では気付かないものだが、けっこうあるもんだな。

悲しい気持ちに効く薬なんて存在しない。

自分で何かを見つけ、行動しないと、いつまでも負のスパイラル。

いつかどこかで断ち切るんだ。

えい、やっ! って掛け声掛けて。

意外とやればできるもんさ~。

なんて10年もすれば考えられたりする。

死別当初は考えもつかない思考パターン。

最初は、肉体的にも精神的にも、十分充電が必要。

充電が済んでも、必ずリハビリ期間を設けること。

だって、人生で一番のストレスを受けたのだから。

単位は年で考えよう。





栄養のあるものを摂取しよう。

美味しいものを食べよう。

多少高価でも、高カロリーでも、暫くはいいじゃないか。

だって、美味しいものを食べると笑顔になれるから。


ネットの世界

2013-11-17 23:10:09 | まとめ

もしもあの時、Chikaさんのサイトへたどり着いていなかったら、きっと今の自分はなかったと思う。

本当にお世話になった。
仲間たちとのオフ会やチャット(懐かしい~!)に救われた。

「死別」という同じ経験をした仲間だからこそ話せること、話さなくてもいいこと、リラックスして話すことができた数少ない場所(サイト)だった。

そんな素敵なサイトも、今年の春に閉された鎖。

Chikaさん、本当に今までありがとう。

私のようにあの伝説のサイト(笑)に救われた人って、他にもいると思う。

長い間、本当にありがとう。




ネットの世界は、現実から少しだけ気持ちを引き離してくれるし、当時は自分の感情を吐露できたことが嬉しかった。

もちろん、キーボードをたたきながら涙を流したこともあった。

とにかく、そんな感情の発露する場所が必要だ。

死別初期の段階で、早めにそんな場所が見つかった人は幸運だろう。

私の場合、死別後、3年目位だったかな。

今となっては、もうだいぶ過去のことになりつつある……。

横道にそれるが、死別を経験直後はうつ状態にはなるが、うつ病ではないんだと思う。

悲しみが強いんだから、そうなるのは当たり前。

パートナーを喪って、人生で一番強いストレスを受けているのだ。

一時は薬にたよっても良いではないかと思う。

ゆっくり休んで、充電しよう。

死別という悲しみを乗り越えなと、いくら薬を飲んでも、うつ状態は治らないと感じる。

「乗り越える」という表現が適切でないかも知れない。

「癒す」「断ち切る」「折り合いをつける」「昇華する」「正面から立ち向かう」・・・。

当時私は、自らを病気じゃないか?と思っていた。

集中力がなく、何をやっても亡き妻を思い出す……。

当時は『うつ病じゃないんだ、今は悲しみが強いからこんな風になっているだけなんだ』と思うようにしていた。

10年が経過し、いつからだろうか、「乗り越えられた」のだ。

しかし、油断はできない。いつ何時、なにが引き金になってフラッシュバックするやもしれぬ。

こんな状態はきっとこれからも続くのだろう。

でもその度に、耐久性が増すと考えるようにしている。

きっと、大丈夫。


2013-11-17 23:09:30 | まとめ

今なら、友人達が私から離れた理由がわかる。

特にご夫婦でお付き合いをしていた方々が離れたのもよく解る。

でも、当時は『人間なんて薄情なんだなぁ~』と悲しくなった。

そうではなかった。

解らなかったのだ。

どう対応してよいものか。

どう声を掛けたら良いか。

・・・そう思いたい。







友人は私から離れていった。

でも新しい「友」と巡り会えた。

それは、同じ死別経験のある方々。

彼らには今でも良くしてもらっている。

とても大切な人たちだ。

彼らと会ったり、メールを交換したりすると、元気になれる。

何故かはわからない。

きっと、同じように苦しい経験をしてきた仲間(戦友?)だと解っているからだろう。

それから、「本」。

死別関連の書籍は、20冊近く読んだ。

読むだけで心が落ち着いた。

一番の成果は、『自分自身を冷静に見つめることができるようになった』ことだ。

また、体験談を読んで涙することも悪くない。ただし、電車の中で読むのは気を付けよう。

40過ぎのオッサン(私、ね)が思わず涙ぐんだりした姿は、あまり見せられたもんじゃないから。

死別の研究書みたいなものもあったけど、自分に合わないと思ったら、途中で放棄することもアリだ。
勉強ではないので、無理して読む必要なし。そんな時は、いかりや長介のように「次、いってみよ~」が良い。

「音楽」

死別当初は、完全拒否状態だった。

車の中では、ラジオもスイッチを入れなかった。

が、3年後位からはなんとか聴くことができるようになったかな。

死別直後から3年位は、音もなし、色もなし、温度もなし、臭いもなし、・・・のような状態だった。

それを思えば、今はなんでもあり状態(笑)。

そして、週末ランナーには音楽が必需品。
バッテリー切れになろうもんなら、走行終了後のご機嫌は斜め。
今の悩みは、ランニング中に使うイヤホンが欲しい。
そう、できるだけ耳から外れないタイプをご所望。
後方確認したりすると、ずれちゃうこともあるんだなぁ。

暑さ寒さを感じられる今は本当に素晴らしい。

音楽の趣味や好きな傾向は、昔も今もそれほど変化がない。





今、音楽を聴くことが辛い方へ。

そんなときは無理して聴くことはないよ。

だって、聴きたいと思わないんだから(笑)。

ゆっくりで良いのです。

きっと、時間が解決してくれるでしょう。

また昔のように音楽が楽しく聴くことができるようになるさ、きっと。






友は去り、新しい友を得た。

何かを喪うと、何かを得るのか。


ならば、大きな大きな存在の妻を喪った私は、一体何を得るのか?


仕事

2013-11-17 23:08:47 | まとめ

妻の葬儀後、1週間の休みを終え、職場へ復帰した。

当時は、商品部で仕入を担当していた。

ほぼ毎週の発注業務とそのフォロー。

朝から晩まで仕事、仕事、仕事。

仕事に関しては、人生で一番乗りに乗っている絶頂期だったと思う。

復帰する前から『このままこのポジションでいいのだろうか?』『もしかしたら、迷惑をかけるんじゃないだろうか?』と殊勝なことを考えていた。



就業時間に合わせた日常が開始された。

帰宅は早め。

帰宅するだけで、もうそれだけで良かった。

娘やおばあちゃん(実母)が安心するのだ。

こんな私でも帰宅を待っていてくれる人がいる……。

それが唯一の救いであったのは事実。

待っている人がいなければ、もしかしたら、今この世に私の姿はなかったと断言できる。

帰宅が早くなる。

そうなると、いくら仕事の質を上げ効率化を考えても、『周囲の眼』が色々と気になる。

さらに余計なことまで考える。

当時働いていた職場には労働組合があり、そのS委員長にも相談した。

が、予想以上に残念な対応であった。

期待はしていなかったが……。

裏切られたという思いはなかったが、勉強させてもらったと今は感謝・感謝。

結論は考え抜いて自分自身で出すことにした。

 

 

数か月後、異動の願いを出した。

総務関連のポジション。

当時、辞めそうな人事担当者の後任がいなかったことも幸いした。


当時は、目の前のことしか解らなかった。

少ない情報の中で結論を出さなければならず、信頼できる人は残念ながら社内にはいなかった……。

もし、以前上司だったN氏がいたら、と何度か思ったが既に転職していた。

異動先でうまくいかなかったら、定時であがれる仕事へ転職していたと思う。

あの時点で、働き方も変わった。

社内での人間関係も変わった。


仕事に対しても、ガツガツとした感じではなくなった。
妻が生きている間に気付けばよかったと反省もした。

人生のターニングポイントであり、仕事は変えざるを得なかった大きな大きな出来事だった。

もしかしたら、あの時、異動を申し出なくても良かったのかもしれない。

そんな風に最近になって思う。

不思議なことだが、当時より今の方がそんな風に思える。

無理して変える必要はなかったのかもしれない……。

流されてみるのもいいのかもしれないと思う。

その後、転職。

新しい職場では、私の身の上に起こったことなんて現実味を帯びていない。

情報としては知っていても、それほど親しくしている訳ではないので、『そうですか』って感じ。

なので、甘えるつもりも毛頭ない。

が、それにしても手加減なし(笑)。



それを承知で、新しい環境を選ぶなら、それもまたよし。

新しい職場にはそれ相応の思い入れがあるけど、長い年月を過ごしていないので、以前の職場と比較して色々を考えてしまう。

 

まぁ、それなりに大変だけどね~。