2013-11-17 23:08:03 | まとめ

我慢しつつも、夜一人になると泣けて仕方なかった。

五感で亡き妻を探してしまった。

いるはずがないのは十分承知しているのだが、どうしてもいつもいた場所や好きだった音楽、妻の持ち物などなど。

そこに妻の姿を見つけてしまう。

そして、当然のことながら見つからない。

また、落ち込む……。

まさに『負の連鎖』。

どこでも断ち切ることができず、落ちるところまで落ちて行った。
 
 

 

 

 

 

 

それでも仕事場へ着くと、泣くわけにもいかず、まぁ、それなりに平常心を装う。


    

 

しかし、日常生活にはトラップがたくさん仕掛けられていて、まんまとその罠に嵌る。

(T_T)

引き金は言葉であることが多かった。

CMやTV番組の「おかあさん」って一言で、もうウルウル~。



娘の前では泣かないと決めた。

一人になると泣いた。

たくさん泣いた後……

『その涙は誰のため?』

『誰のために泣いているの?』

なんて声が聞こえたような気がした。

もしも、妻と私の立場が逆だったらと真面目に考えた。

どう考えても、その方が良かったはずだ(笑)。

それでもそうはならなかった。

時間が逆戻りしたり、私と妻が入れ替わることはなかった。

誰のために泣くのか?

妻の無念さを思って?

娘への申し訳ないといった感情?

自分の身の上に起こった現実の深刻さ?

なんで?という得体のしれない理不尽さへの怒り?





泣くほどに悲しみは深くなるのと同時に、何か別の感情が沸き起こってくるのが分かった。

なんだろう?

癒されるというか、許されるというか、気持ちが楽になるというか……。

こうやって徐々に傷は癒えて行くのだろう。

だから、当時もっと泣くべきだったと今後悔している。

もっと泣いておけば、もしかしたらもっと早く今回のような行動が起こせたかもしれない。

男性も女性も関係ない。

年齢や社会的立場、世間体なんてどうでもいい。

大切な人を亡くしたら、泣いてもいいんだよ。

思いっきり泣こう。

 

10年経った今でも亡き妻を想い、涙を流すこともある。

が、それはきっと『その場に立ち止って、悲しみに暮れなさい』ということではない。

 

きっと、「何か」を洗い流しているんじゃないだろうか。

「何か」は人ソレゾレ(笑)。

洗い流した後は、きっと身軽になるだろうし、キレイになれる。

 


あの日

2013-11-17 23:07:10 | まとめ

仕事中、車の中に置き忘れた私の携帯電話は何度も何度も鳴っていた。

後で分かったことだが、当時5歳の娘は、私の携帯への電話のかけ方を母親(亡き妻)から教えてもらっていたそうだ。

結果として娘からの着信履歴を確認した時には、既に妻は救急車で地元の大学付属病院へ搬送中だった。

あの日は、金曜日。翌日は友人たちと釣りへ行く約束をしていた。

病院へ行く途中にそれを思い出し、断りの連絡を入れた。

事の重大さに気付いていなく、今思えば深刻な状態だとは感じていなかったのだろう。

私が病院へ到着した時には既に心臓は停止するかしないかの瀬戸際。

その時、私は悪魔と取引をしてもいいと思った。妻を助ける代わりに、私の……。

しかし、その願いは叶えられず、悪魔との取引も成立しなかった。

H先生から妻の死を告げられた時、人生で初めて崩れ落ちそうになった。

が、必死で堪えた。目の前には5歳の愛娘がいたから。




病院からどうやって自宅へ帰ったのか、記憶がない。

頭の中が整理できなくても、車の運転はできるものだ。

『そうか、これから葬儀か……。』と考え、憂鬱だと感じたことを思い出す。

気丈になんて振る舞えない。

誰彼の区別なく、他人の前で泣いた。

正確には、半分だけ泣いた。

あとの半分は歯を食いしばって、我慢した。

後々、この歯を食いしばる行動が原因で顎の筋肉が痛かった。

それ程、強く喰いしばったのだ。

が、今冷静に考えると、もっと泣けばよかった。

『男だから』とか『父親として』なんて考えばかり先走り、妙な型にばかりはまってしまっていた。

おそらく、私以外にも同じように十分に泣かなかった男性は多いのではないだろうか。

もっと自分の感情を表に出し、泣けばよかったのだろう。

そうすることで、その後の回復にかかる時間にも影響が出ているんじゃないだろうか。

ここは日本。文化や地方独特の仕来たりやモノの考え方があったため、ある種の偏見
を持って(それも自ら)、妻の死に接したのだろう。

人間の欲求である食欲、性欲、睡眠欲のどれもが急激に減退した。

生命維持に関する必要条件が限りなく小さくなって行く。

そんな中、一週間もすれば職場への復帰が待っていた。

『何故、そんなに頑張るんだ?』

そんな声も聞こえたが、正直に言うと『家に居たくなかった』のだ。

家に居れば、妻の使っていたものが身の回りにある。

そこから逃げ出したかった。

よって、自分を追い詰めるようにと職場へ向かった。

仕事を持っている方はみんなこうなのだろうか?

一週間のうちにもっと悲しみをぶちまければよかった。

そんなこともせず、職場に戻ったものだから、回復が早い訳がない。





葬儀の後位からの記憶があまりない。

長さにして2年弱程度か。

その間、暑かったのか寒かったのか……。

記憶しているのは、かなりの量のお酒を飲んでいたこと。

おおよそ、2~3晩でウィスキーのボトル1本が空になった。

もったいない飲み方だ(笑)。

それだけ飲んでも眠れない。

泣けてくるが、声を出して泣けない。

これも『男だから』『父親だから』ってのがあったからだろう。

でもどうしても泣けてしまう。

口にタオルを当て、嗚咽。

フラフラになって、茫然としていたら、いつの間にか東の空が明らんできた、なんてことはほぼ毎日という状態。

職場では、あんなに頑張らなくても良かったんだよな、本当は。

私がいなくても、会社が潰れる訳じゃないんだよね~。

もっともっと悲しめるときにたくさん悲しんでおけばよかったと後悔している。

『我慢せずに泣こう』と伝えたい。


あのモヤモヤしたもの・・・

2013-11-17 23:05:51 | まとめ


死別後10年を過ぎた位からだろうか。

いつもモヤモヤしたものがまとわりついている。

それが何なのか、最近やっと分かり始めた。


それは、失われたこの10年を取り戻したいと感じているのだ。

仕事も、プライベートも、何もかもが上手くいかない原因を、妻との死別に求めていたのだ。
はっきりとは言わなくても、そう思うことやそんな風に振る舞う自分がいるのだ。
「そうじゃないだろう」と自分自身に言うと、やっと気付く。

これではいかん。

何かしないと。

何か行動を起こさないと・・・・・・。

焦る。

まだ自分の考えがまとまらない。

まとまらないまま、どんどん年齢を重ねる。

どこかで、負のスパイラルを断ち切らないとね。

娘(高2)が成長したこともあり、物事を考える時間は昔よりはるかに増えた。

今がきっと良いチャンスだと思う。

このブログの何回目かの節目が来たのだ。

しばらくの間、このブログから離れることにした。

別に宣言する必要もないとは思ったが、4~5名のこのブログの希少な読者の方々にお伝えしたかったのだ。

いわともは、おそらくかなりの割合で再生しているんだと思う。

でもあともう少しだけクリアにならない……。

そんなこともあり、何かにチャレンジし、手当たり次第本を読んだりしていた。

その一環として、今回の県民マラソンへ参加もあったのだ。




自分の一番近くにいるはずの自分自身がモヤモヤしているのは、自分自身が悲しく辛いものだ(笑)。

今、思うことを少しだけまとめてみた。


一段落~♪

2013-11-17 22:45:28 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに死別仲間達と再会した。


相変わらず元気で明るい。そして、誰もが清々しさみたいな部分を持ち合わせている。

ただし、私自身にあるかどうかは甚だ疑問(笑)。

仲間達と一緒にいると『ある種の居心地の良さ』みたいなものがあるのは、以前と変わりない。気持ちが穏やかになるのを久しぶりだが感じた。
 



今回は『ある人を別のある人に会わせたい』と思っていたが、残念ながら都合が合わず実現できなかった。

それでも、楽しい時間が過ごせた。

そして、やっと吹っ切れたような気がする。

ありがとう、みなさん。
感謝、感謝。
楽しい時間でした。


週末ランナー ~大会編

2013-11-03 22:55:37 | 日記・エッセイ・コラム

2013年11月03日

一年前に、まさか、自分が大会に出るなんて思ってもいなかった。

いや、もしかしたら小さな大会にでも出たいという願望はあったのかもしれない。



本日開催の地元県民マラソンに出場。

人生初だ(笑)。

エントリーは、男子の10キロ。

『完走できれば、良いかなぁ』程度に考えてエントリー。

エントリーしてからは、『1時間を切れるといいなぁ~』と欲がでた。


結果は、完走できた。1時間を切った。
そして、無事帰宅。




近所の散歩から始まった週末ランナーも、大会に出るまでに成長した。

ここ数年の間で、一番自分をほめてあげたいと思った。

そう、まだまだできるんだと自分自身に証明できた気がする。


お疲れ様、自分。