ココロと機械

ココロの病を患う私の気ままなブログです

そう簡単に断ち切る事は出来ない

2016-01-22 11:11:53 | ブログ

悲しい思い出と言うのはそう簡単に忘れる事は出来ない。

私の場合むしろ忘れるどころかまだ暗中模索と言う感じで出来事は
まだ続いているのだ。

それを断ち切って忘れろなんていうのは無理な話である。
なんもかんも忘れてしまうような素晴らしい女性と出会ったりでも
すれば諦めるかもしれないがまずそんな事はありえない。

なのでずっと今でも事件を引きずりながら生きているわけでこれで
人生楽しいはずがない。

何をするにしても元の家族のことが後ろからついて回って私を苦し
める。

火の消えたような家の中でポッと灯る一点の明かりは飼い猫ハナち
ゃんである。

猫は人の心が読めるようで、私が落ち込み沈んでいるといつの間に
か側に来てちょこんと座っている。

こうやって暗い記事を書いているときもファンヒーターの前からよ
っこらせと起き上がって「なにしてるの?」と言う。

逆に私が元気な時には安心して私の服の上で丸くなって眠っている。
そんな猫様に癒されるだけで、買い物するのも最近では飽きたし、
写真を撮りに出かけてもこういう時はパッとしない写真ばかり撮れ
るので困る。

想い出と言うのはそれが楽しかっただけ大きく残る。
苦労もした、ケンカもしたけれどやはり皆でワイワイやっていた時
の方をたくさん思い出す。

先のとおり、どこへ行こうが何をしようが家族の亡霊はついて回る
のでそれを振り切る事は出来ない。

振り切る事が出来ないなら一緒について回るのを許容するしかない。
問題が解決しない限り思い出を断ち切るなんて無理な話なのである。
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なぜシンディ・ローパーとにコンクールピクスAは悲しい組み合わせなのか

2016-01-22 01:11:03 | ブログ

まずカメラの前になぜシンディ・ローパーが悲しいかと言うところ
から始めなければならない。

誰が聴いてもシンディ・ローパーはポップである。
悲しくなる要素などどこにも無いではないか。

これは時代をさかのぼる辛い仕事となる。
要するに家族で出かける時によく車の中でかかっていたわけだ。

なので長らく聴くのを止めにしてきたけれど、思い出の場所に行っ
てみて、殻に閉じこもることも無いではないか、悲しいときは悲し
いと、はっきり言えばよいではないかという事になって、また聴き
出したのだ。

確かにシンディ・ローパーを聴き出したらどっぷりと悲しい気分に
なる。

でも、悲しいときは悲しいのだからそれを我慢することは無いでは
ないかという事だ。

次にカメラだ。
コンパクトデジカメで28mm固定と言うズームも何も出来ないこ
のカメラのそれもシルバーではなく黒いやつである。

私はこのカメラのシルバーは後から買った。
それはそれで満足して今でも使っているけれど使うシュチュエーシ
ョンが違う。

カメラ店にあった黒い方のデモ機(随分前のことだが)を見てこれ
は何か悲しいカメラだと思ってすぐにそれをを購入した。

それがこの黒いクールピクスAである。
悲しい感じだと思いつつも使う事はなく長らく箱のままだったがつ
い最近・・・と言っても去年だが引っ張り出して眺めているとなぜ
だかやはりさみしい時にはこれだなぁと、根拠のない理屈をつけて
さみしい時にはこのカメラを持つようにしている。

フィルムカメラのライカM4と言うカメラもあるのだがそれはもう
想い出の塊で手にするだけで寝込む勢いなのでカメラ庫の中である。

こうやって何のつながりもないシンディ・ローパーと黒いコンパク
トカメラを結び付けてセットにしているのだ。

まあ、誰が見るわけでもないけれど、私がシンデ・ローパーを聴き
ながらこの黒いカメラを首から提げていたらそれはかなり危ういサ
インである。

危ういと言うのは心が方が崩壊しそうな時であって決して暴れる前
兆とかそういう事ではない、むしろ逆で寝込む寸前であると言うこ
とである。

変な人だと思われようが別に良い。
人からどう見られようが自分の内面のことなのだから・・・・。

ちなみにクールピクスAとは最近出たAシリーズのことではないの
であしからず。(旧製品)
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