イスラエルでは先月の29日にユダヤ暦の5772年の新年を迎えました。
ユダヤ暦は太陰太陽暦なので、一般にいう西暦、つまり太陽暦であるグレゴリオ暦とは対応しておらず、新年をはじめとする様々な祝祭日は西暦上だと毎年のように変動します。
西暦の新年が真冬にやってくるのに対し、ユダヤ教の新年は秋。
しかも「新年はだいたい9月か10月だよね」という曖昧な設定も、長年西暦に慣れ親しんだ私には今ひとつモヤモヤ感を拭えない要因のひとつでした。
とはいえ、イスラエルでの暮らしも4年目に突入。
国じゅうで「明けましておめでとう」と祝っているので、初秋に迎える新年にも心なしか馴染んできたような気がします。
そして、昨日はユダヤ教の年に一度の贖罪の日。こちらではヨム・キプールと言います。
この日は一切の飲食や労働を放棄して、神に過去一年の罪の赦しを乞うというユダヤ教における一大イベントです。
会社や銀行、学校や役所などの公共機関、ショッピングモールや商店のすべてが閉まり、交通機関もピタリと止まって国じゅうが静寂に包まれる不思議な一日です。
道路からは緊急車両を除くあらゆる車両がすっかり姿を消し、そこを自転車に乗った子供たちが悠々と走り回ります。
来春13歳になるわが家の長男は「今年が最後だから」と言ってクラスメイトたちと遠出。
(*ユダヤ教では男の子は13歳で、女の子は12歳で成人とみなされます。)
なかなか帰って来ないなと思っていたら、自宅のあるHerzliyaから15キロ以上離れたTel AvivやRaananaという隣町まで仲間同士でフリーウェイを自転車で飛ばしてきたとのこと。
10歳になる長女もまた友達グループで家の近所の往来を自転車で行ったり来たり。時折水分補給に立ち寄る彼女たちの真っ赤な顔が本当に可愛らしかった。
断食組の私はというと自宅で体力温存に専念。
飲食以外にも禁じられていることを挙げるときりがありませんが、車の運転、テレビやラジオ・音楽の視聴、描画や執筆、入浴、そして主婦には嬉しい家事全般なども含まれます。
点火や点灯、電話やネットもだめですから、お祈りの他にできることと言ったら本当におしゃべりか読書か昼寝くらい。
ただ、細かい規律になるとそれを遵守するか否かは各個人の信仰の度合いや選択によるところもわりとあるようです。
ほんの2~3年前まではこの日を迎えるのが苦痛で仕方のない私でした。
25時間の飲まず食わず。飴玉ひとつ口に含めないというのが大変な試練に思えて、終盤の数時間はずっと時計とのにらめっこ。
とりわけ最後の1時間は時計の針の動きの鈍いことといったらこの上ない。
ところが、今年は今までで一番楽に過ごせた断食でした。
「またか」と思われるかもしれませんが、ここでもやはりヨガ効果が発揮されます。
・お腹を空にしてからヨガの練習をする習慣が身に付いたこと。
・「食べられない。飲めない。」から「食べない。飲まない。」に認識を変換すること。
・空腹やのどの渇きはあくまで観察の対象として意識すること。
・断食による浄化への期待。
といったことが大いに助けとなりました。
これに加えて、この不思議な世界を味わえる機会に恵まれたことへの感謝。
この日は世界中のユダヤ教徒が断食をしますが、社会全体が動きを止めてシーンと静まり返るのはおそらくここイスラエルだけではないでしょうか。
年に一度、世界でたったひとつの場所だけで得られる貴重な体験だと思うことで、自然と受け入れられたのでした。
さぞや体重も減っているはずと思いきや、なぜか1キロ増えていましたが...。
ナマステ&シャローム
Nozomi
ユダヤ暦は太陰太陽暦なので、一般にいう西暦、つまり太陽暦であるグレゴリオ暦とは対応しておらず、新年をはじめとする様々な祝祭日は西暦上だと毎年のように変動します。
西暦の新年が真冬にやってくるのに対し、ユダヤ教の新年は秋。
しかも「新年はだいたい9月か10月だよね」という曖昧な設定も、長年西暦に慣れ親しんだ私には今ひとつモヤモヤ感を拭えない要因のひとつでした。
とはいえ、イスラエルでの暮らしも4年目に突入。
国じゅうで「明けましておめでとう」と祝っているので、初秋に迎える新年にも心なしか馴染んできたような気がします。
そして、昨日はユダヤ教の年に一度の贖罪の日。こちらではヨム・キプールと言います。
この日は一切の飲食や労働を放棄して、神に過去一年の罪の赦しを乞うというユダヤ教における一大イベントです。
会社や銀行、学校や役所などの公共機関、ショッピングモールや商店のすべてが閉まり、交通機関もピタリと止まって国じゅうが静寂に包まれる不思議な一日です。
道路からは緊急車両を除くあらゆる車両がすっかり姿を消し、そこを自転車に乗った子供たちが悠々と走り回ります。
来春13歳になるわが家の長男は「今年が最後だから」と言ってクラスメイトたちと遠出。
(*ユダヤ教では男の子は13歳で、女の子は12歳で成人とみなされます。)
なかなか帰って来ないなと思っていたら、自宅のあるHerzliyaから15キロ以上離れたTel AvivやRaananaという隣町まで仲間同士でフリーウェイを自転車で飛ばしてきたとのこと。
10歳になる長女もまた友達グループで家の近所の往来を自転車で行ったり来たり。時折水分補給に立ち寄る彼女たちの真っ赤な顔が本当に可愛らしかった。
断食組の私はというと自宅で体力温存に専念。
飲食以外にも禁じられていることを挙げるときりがありませんが、車の運転、テレビやラジオ・音楽の視聴、描画や執筆、入浴、そして主婦には嬉しい家事全般なども含まれます。
点火や点灯、電話やネットもだめですから、お祈りの他にできることと言ったら本当におしゃべりか読書か昼寝くらい。
ただ、細かい規律になるとそれを遵守するか否かは各個人の信仰の度合いや選択によるところもわりとあるようです。
ほんの2~3年前まではこの日を迎えるのが苦痛で仕方のない私でした。
25時間の飲まず食わず。飴玉ひとつ口に含めないというのが大変な試練に思えて、終盤の数時間はずっと時計とのにらめっこ。
とりわけ最後の1時間は時計の針の動きの鈍いことといったらこの上ない。
ところが、今年は今までで一番楽に過ごせた断食でした。
「またか」と思われるかもしれませんが、ここでもやはりヨガ効果が発揮されます。
・お腹を空にしてからヨガの練習をする習慣が身に付いたこと。
・「食べられない。飲めない。」から「食べない。飲まない。」に認識を変換すること。
・空腹やのどの渇きはあくまで観察の対象として意識すること。
・断食による浄化への期待。
といったことが大いに助けとなりました。
これに加えて、この不思議な世界を味わえる機会に恵まれたことへの感謝。
この日は世界中のユダヤ教徒が断食をしますが、社会全体が動きを止めてシーンと静まり返るのはおそらくここイスラエルだけではないでしょうか。
年に一度、世界でたったひとつの場所だけで得られる貴重な体験だと思うことで、自然と受け入れられたのでした。
さぞや体重も減っているはずと思いきや、なぜか1キロ増えていましたが...。
ナマステ&シャローム
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