少し日にちが経ちましたが、先週の水曜日に無事、イスラエルでのティーチャー・トレーニング・コース(略してTTC)を修了いたしました。
このコースが始まったのが2009年10月初旬。私たち一家がイスラエルに移り住んで1年と2カ月が過ぎた頃でした。
イスラエルでの生活がどういうものかをひとサイクル経験し、「そろそろ、この土地の生活にも慣れてきたよね。」と言っているはずでしたが、実は家族の中で私一人だけは「もうここでは暮らしていけない!」と強く抵抗していた時期でもありました。
そんな中で、やはりヨガだけは日本で暮らしていた頃と変わらずに続けることにしていました。
週に1~2度ですがテルアビブのシャラまで通い、その時間だけが唯一、目の前の現実から解放されるひとときというのでしょうか。心身のメンテナンスの場として私はその時間を活用していました。
シャラのスタッフの女性から電話があったのはコースが始まるほんの数日前のこと。
「TTCが始まるので受講してみませんか?」とのお誘い。
この時も例によって私はためらいます。「え、私がですか?」
それもそのはず。授業はテキストも含め全てヘブライ語ですから。
しかし、ここでもやはり相手はイスラエル魂全開です。何の根拠をもってか「その点は問題ありませんので。」と実にサラリとしたものです。
「あっちが大丈夫っていうんだから、大丈夫なんじゃないの?」という主人の勧めもあり、私は資格目当てというよりは半ば“やけっぱち”みたいな勢いで行くことにしました。
当時は本当に気持ちがささくれていたな、と。
ヘブライ語での授業は、それはもう厄介なものでした。日常生活で困らないくらいには話せましたが、ヨガですから哲学もあれば解剖学も出てきます。おまけにアーサナの名前はサンスクリット語なので、本当に訳が分からなくなることも少なくありません。
先生は「分からない時は遠慮なく質問していいからね。」と、いつも言ってくれていたのですが、私は「何が分からないのかが分からない」ので、どうにもこうにも言葉を発することができないでいました。
それでも、なぜか通い続けてしまうんです。これを真面目と呼ぶのか意地っ張りと呼ぶのか分かりませんが…。
そうこうするうちに、授業の内容を咀嚼できる幅が広がってきます。「たぶんこういうことなんじゃないか」というふうに“勘”に頼る部分も含めてですが、だんだんと先生の話しているポイントが見えてくる。
このTTCでヘブライ語のヒアリング力は相当鍛えられただろうと自負しています。
仲間との関わりも月日を追うごとに温かみを帯びてきました。
最初は日本人との共通の話題を見出せずにちょっと困った様子が見え隠れしていた彼ら。
私は少しずつ、本当に少しずつ、自分が「この人となら仲良くなれそう」と思える人を見つけては、みんなの輪の中に自分の居場所をつくっていきました。
最初の出会いから一年が経ち、私がふとした理由で家の外に出ること自体が煩わしくなってしまった時、みんなが心配して励ましてくれたことがあります。
言葉で気持ちを伝えてくれる人、話を聞いてくれる人、そっと肩に手を置いてくれる人、手を取って「相談しておいでよ」と先生のところまで連れていってくれる人、いつもと変わらない満面の笑顔でハグしてくれる人。
そこには私が日本人であるとか、彼らがイスラエル人であるとか、世代が違うとか、そういったものはもうどうでもよくなっていて、ただひたすらに仲間としての思いやりがあるのみ。
私はその時に思い知りました。誰も私のことを一歩退いた場所から見てはいなかったんだなということを。
この関わりの中で心を開いていなかったのはこの私だったのだな、と。
そのことに気付いたのは、いよいよコースが終わろうとしている頃だったので、みんなにはなんだか申し訳ない気持ちもあるのですが、少なくとも気持ちを開いた状態で修了の日を迎えられたことは幸いであったと思います。
修了の日。仲間の一人が代表で先生方へのお礼の手紙を書いてきました。
13名のクラスメイトがいかに個性豊かであったかを、彼女は一人ひとりを形容しながらその手紙の中で語っていました。
その中で彼女はなんと私のことを「日本からやってきた白鳥」と例えてくれていたのです。なんだかもう嬉しいやら、くすぐったいやら。
1年と4カ月。およそ200時間に及ぶ学習の場は、ヨガの指導者になるためにヨガに対する知識を頭と心と体を使って深めていくものでした。
そこで私はまた並行して、言葉の壁も、文化や習慣の違いも、ヨガというツールの力を借りて越えていけるのだということを、身を以ってガッツリ学ばせていただくことができました。
イスラエルで初めて持つことができた「私だけの場所」。
そこから笑顔で巣立つことができ、今とても満たされた気持ちです。
修了証。ヘブライ語で書かれてあるところに自分が歩んだプロセスの重みがずっしり。
(ちなみに右から左に読みます。)
最後にクラスメイトたちと先生方を囲んで。
支えてくれたすべての存在に心から感謝します。
ナマステ&シャローム
Nozomi
このコースが始まったのが2009年10月初旬。私たち一家がイスラエルに移り住んで1年と2カ月が過ぎた頃でした。
イスラエルでの生活がどういうものかをひとサイクル経験し、「そろそろ、この土地の生活にも慣れてきたよね。」と言っているはずでしたが、実は家族の中で私一人だけは「もうここでは暮らしていけない!」と強く抵抗していた時期でもありました。
そんな中で、やはりヨガだけは日本で暮らしていた頃と変わらずに続けることにしていました。
週に1~2度ですがテルアビブのシャラまで通い、その時間だけが唯一、目の前の現実から解放されるひとときというのでしょうか。心身のメンテナンスの場として私はその時間を活用していました。
シャラのスタッフの女性から電話があったのはコースが始まるほんの数日前のこと。
「TTCが始まるので受講してみませんか?」とのお誘い。
この時も例によって私はためらいます。「え、私がですか?」
それもそのはず。授業はテキストも含め全てヘブライ語ですから。
しかし、ここでもやはり相手はイスラエル魂全開です。何の根拠をもってか「その点は問題ありませんので。」と実にサラリとしたものです。
「あっちが大丈夫っていうんだから、大丈夫なんじゃないの?」という主人の勧めもあり、私は資格目当てというよりは半ば“やけっぱち”みたいな勢いで行くことにしました。
当時は本当に気持ちがささくれていたな、と。
ヘブライ語での授業は、それはもう厄介なものでした。日常生活で困らないくらいには話せましたが、ヨガですから哲学もあれば解剖学も出てきます。おまけにアーサナの名前はサンスクリット語なので、本当に訳が分からなくなることも少なくありません。
先生は「分からない時は遠慮なく質問していいからね。」と、いつも言ってくれていたのですが、私は「何が分からないのかが分からない」ので、どうにもこうにも言葉を発することができないでいました。
それでも、なぜか通い続けてしまうんです。これを真面目と呼ぶのか意地っ張りと呼ぶのか分かりませんが…。
そうこうするうちに、授業の内容を咀嚼できる幅が広がってきます。「たぶんこういうことなんじゃないか」というふうに“勘”に頼る部分も含めてですが、だんだんと先生の話しているポイントが見えてくる。
このTTCでヘブライ語のヒアリング力は相当鍛えられただろうと自負しています。
仲間との関わりも月日を追うごとに温かみを帯びてきました。
最初は日本人との共通の話題を見出せずにちょっと困った様子が見え隠れしていた彼ら。
私は少しずつ、本当に少しずつ、自分が「この人となら仲良くなれそう」と思える人を見つけては、みんなの輪の中に自分の居場所をつくっていきました。
最初の出会いから一年が経ち、私がふとした理由で家の外に出ること自体が煩わしくなってしまった時、みんなが心配して励ましてくれたことがあります。
言葉で気持ちを伝えてくれる人、話を聞いてくれる人、そっと肩に手を置いてくれる人、手を取って「相談しておいでよ」と先生のところまで連れていってくれる人、いつもと変わらない満面の笑顔でハグしてくれる人。
そこには私が日本人であるとか、彼らがイスラエル人であるとか、世代が違うとか、そういったものはもうどうでもよくなっていて、ただひたすらに仲間としての思いやりがあるのみ。
私はその時に思い知りました。誰も私のことを一歩退いた場所から見てはいなかったんだなということを。
この関わりの中で心を開いていなかったのはこの私だったのだな、と。
そのことに気付いたのは、いよいよコースが終わろうとしている頃だったので、みんなにはなんだか申し訳ない気持ちもあるのですが、少なくとも気持ちを開いた状態で修了の日を迎えられたことは幸いであったと思います。
修了の日。仲間の一人が代表で先生方へのお礼の手紙を書いてきました。
13名のクラスメイトがいかに個性豊かであったかを、彼女は一人ひとりを形容しながらその手紙の中で語っていました。
その中で彼女はなんと私のことを「日本からやってきた白鳥」と例えてくれていたのです。なんだかもう嬉しいやら、くすぐったいやら。
1年と4カ月。およそ200時間に及ぶ学習の場は、ヨガの指導者になるためにヨガに対する知識を頭と心と体を使って深めていくものでした。
そこで私はまた並行して、言葉の壁も、文化や習慣の違いも、ヨガというツールの力を借りて越えていけるのだということを、身を以ってガッツリ学ばせていただくことができました。
イスラエルで初めて持つことができた「私だけの場所」。
そこから笑顔で巣立つことができ、今とても満たされた気持ちです。
修了証。ヘブライ語で書かれてあるところに自分が歩んだプロセスの重みがずっしり。
(ちなみに右から左に読みます。)
最後にクラスメイトたちと先生方を囲んで。
支えてくれたすべての存在に心から感謝します。
ナマステ&シャローム
Nozomi
す・て・き
希ちゃんが輝いてきた訳だ。
私にもそんな暖かいお友達や仲間ができますように・・・
知らなかったNozomiの時間が丁寧に書かれていて、その時の雰囲気まで、読みながら勝手に描いてしまえるほどでした。
暖かい仲間と共に、じっくりと着実に歩いてきて、今日の貴女があるんだなぁってしみじみ。
一瞬躊躇してしまうような事を、全部自分の味方に変えていける、強い女性だなと改めて感じました。
最近、自分の中にキラリとするものを感じることが出来るようになってきました。
まみさんならきっと、温かい人たちがたくさん集まってくるよ。
のんびり&じっくりでないと消化あるいは昇華というのができないみたいで。
難しいことにチャレンジしてみようと思えるのは、誰かしらがいつも支えてくれるから。
"with a little help from my friends"...コレだよ。
本当に人には恵まれた人生だと思う。ありがたき私の財産。
TTC修了おめでとうございます!
最近の希さんは春の新芽のようにぐんぐんと伸びているように感じます。
これからもどんどん伸びて、たくさん花を咲かせて下さいね。
最近の私は風邪をひいたり、少し思う所もあったりで、なんだかくさくさしております(ツイッターには書きませんが)。
少し心が落ち着いてからゆっくりメールしますね!
おかげさまで、無事に修了することができました。
勝手知ったる母国ではないので、自らチャンスを作り出すのはちょっと難しい。
ならば、与えられるチャンスに貪欲になってみるのもアリなのかな?と。
でも、そんな気持ちになれたのはごく最近のこと。
佳代さんがくさくさしてしまうお気持ち、私には何となく分かる気がします。
自分のペースで歩んでいれば、自分に相応しいタイミングで変化が訪れるはずですから。
そちらはずいぶん寒さが厳しいようですね。
どうぞお大事になさってください。
希さんTTC修了おめでとうございます!
いろんなことを感じながら、1歩づつ進んだことが、自信に変わっていくんだと思う。
せわしない日常生活につかれても、ここに来て希さんの文章を読むと、少しとまって考えさせられます!(うまく書けないけどいい意味で一歩とまれる。。。)ありがとう!
この国で私は、何かにつけて いちいち自分を奮い立たせなくてはいけない気がしててね。
諦めてしまうこともたくさんあります。
そんな中で、たったひとつでも成し遂げられたことを本当に嬉しく思っているよ。
なかなか定期的に更新できないのだけれど、是非いつでも覗いてみてね。
慌ただしい日常に ふと立ち止まるひとときをこれからも提供できたらと思います。