今日はドイツ人ヨギ、グレゴール・メーレ氏によって書かれた『アシュタンガ・ヨーガ 実践と探求』をご紹介したいと思います。
監修はアシュタンガ・ヨガをしている方なら皆さんご存知のchama先生。装丁は昨年デヴィッド先生のTTでご一緒した勝岡愛さん。
タイトル通りアシュタンガ・ヨガについて特筆されている著書なので、アシュタンギでない方には今ひとつピンと来ないかもしれません。
なので、「ヨガはやってるけど、アシュタンガにはちょっと興味ないな」という方や「そもそもヨガ自体やってないよ」という方とも共有できそうな部分から先に述べることにします。
【腹式呼吸か胸式呼吸か】
呼吸をコントロールして心身の健康を目指す呼吸法が最近注目されています。
「はい、お腹の底から息をして~」というのがたぶん私たちが一番馴染み深い呼吸法だと思うのですが、その場面でおへその辺りに手を当てて腹部の伸縮を確かめてみたりもしますので、なんとなく「呼吸は腹式呼吸がいい」という認識が広く定着しているような気がします。
しかし、メーレ氏は呼吸と感情の関連性についての記述の部分で、腹式呼吸と胸式呼吸の特質を比較しつつ次のように述べています。
[すでに述べたように、ここ40年の間に西洋文化では腹式呼吸が強調されてきた。(中略)腹壁を完全に緩める腹式呼吸は、感情移入して感情を前面に押し出したい時には効果的だと考えられている。特にニューエイジ運動の中で、感情は従うべきもの、実現すべき何か神聖なものとして見なされているのである。自分の感情を強めたい時には、腹式呼吸が得策なのである。
しかし、その他の状況では多くの場合、感情を高めるのは有用ではない。結局のところ感情とは単に心の形にすぎないのである。感情的になるのは、過去の条件づけに従って現在の状況に反応することを意味する。(中略)感情的になることはより本来の姿に近づくことであるという理論は、間違っている。感情的な人とは、常に「頭の中にいる」人同様、過去の中に存在しているのである。]
緊張感や動揺を鎮めるために私たちはよく深呼吸をしますが、どうせやるなら腹式よりも胸式の方が良さそうですね。
【身体的ヨーガが持つ大きな落とし穴】
ここでは「ポーズと一体化して体に没頭すること」がそのひとつとして挙げられています。
メーレ氏は別の著書『現代人のためのヨーガ・スートラ』の中でもこの点を指摘し、ヨーガの考えの下では身体はあくまでも“意識に対する行為の乗り物”にすぎないにもかかわらず、難しいポーズをこなしたりすることにあたかも大きな価値があるかのような風潮が生まれたことを厳しく批判しています。
「ヨーガとは、心のはたらきを死滅することである」という聖者パタンジャリの説いた定義を徹底して貫く彼の姿勢がここにも見られます。
ポーズと一体化してしまうとどうなるかというと、肉体という一過性のものへの執着が生まれてしまい、永遠なるもの、普遍なるものへの目覚めと逆行する形になってしまうわけです。ヘタをすると、自我を強めて、自己満足のためにポーズをとるようになってしまう、ともメーレ氏は言っています。
長いヨガ歴の中でポーズと一体化してかえって自我を強めてしまっているんだろうなと思える人、ごく稀にですが実際に見受けることがあります。私自身は身体的にもまだまだそこまで上達していませんから「ポーズとの一体化」の症状は劣等感として現れてくるわけですが、これは裏を返せば、いとも簡単に優越感に変わる可能性を大いに秘めている兆しでもあるので、個人的に常に肝に銘じている注意事柄です。
そういった過ちを避けるためにアシュタンガ・ヨガはひとつのポーズを長く取らずにフローさせていく、いわゆるヴィンヤサを取り入れ、呼吸と共に「無常への瞑想」へと私たちを導くようにできています。
ここでちょっと目から鱗の記述があったので付け足しておきます。
[アーサナだけを練習すると、過度に体が柔軟になりそのため体を弱体化することもある。(中略)力で支えられる以上の柔軟性は、目指すべきではない。]
力と柔軟性のバランスについてのこうした概念が簡潔に言語化されたものは、ありそうであんまりない気がしたのでメモ。
さて、身体への執着という落とし穴についてメーレ氏が指摘しているからといって、ヨガにおける身体的な面を彼がないがしろにしているかというとそれは全くの逆で、実際にこの本を手に取っていただけるとわかるのですが、ポーズのひとつひとつを解剖学的見地からも図解付きで非常に詳しく解説してあります。
一見これは矛盾しているようではありますが、アーサナを正しく組むことによって体に蓄積されたネガティブな感情が解放され、真の知識を得るために必要な意識へと整えられる、というヨガの仕組みを理解することができれば納得がいくかと思います。
例えば、膝関節ひとつ取り上げても、その構造と機能、どのようにして故障が生じるのか、またどのようにすれば故障を改善できるのかなど、練習において必要な知識が限られたスペースの中できちんと解説されています。
私が個人的に印象深く感じた箇所にフォーカスをしましたが、最後に本書未読のアシュタンギの皆さんのためにざっくりと本書の概要をお伝えすると、
まずアシュタンガヨガ概論とその基本である呼吸・バンダ・ドリシュティ・ヴィンヤサの解説があり、その後でプライマリーシリーズの各アーサナの説明が続きます。
その合間に載せてあるコラム風の[解剖学的焦点]、[実用的ヒント]、[神話的背景]によって上手に息抜きできる構成です。
メーレ氏のヨガに関する広く深い造詣のエッセンスが哲学、解剖学の両面から見事に詰め込められた良書だと言えます。
より正確で安全な練習のために傍に置いておきたい一冊です。
昨日は西暦で「1」が6つも並ぶ日でした。
11月11日は「ポッキーの日」と言うんですね。
ヨギとしては直立不動の「山のポーズの日」にしてはどうかと思うのですけども。
ナマステ&シャローム
Nozomi
監修はアシュタンガ・ヨガをしている方なら皆さんご存知のchama先生。装丁は昨年デヴィッド先生のTTでご一緒した勝岡愛さん。
タイトル通りアシュタンガ・ヨガについて特筆されている著書なので、アシュタンギでない方には今ひとつピンと来ないかもしれません。
なので、「ヨガはやってるけど、アシュタンガにはちょっと興味ないな」という方や「そもそもヨガ自体やってないよ」という方とも共有できそうな部分から先に述べることにします。
【腹式呼吸か胸式呼吸か】
呼吸をコントロールして心身の健康を目指す呼吸法が最近注目されています。
「はい、お腹の底から息をして~」というのがたぶん私たちが一番馴染み深い呼吸法だと思うのですが、その場面でおへその辺りに手を当てて腹部の伸縮を確かめてみたりもしますので、なんとなく「呼吸は腹式呼吸がいい」という認識が広く定着しているような気がします。
しかし、メーレ氏は呼吸と感情の関連性についての記述の部分で、腹式呼吸と胸式呼吸の特質を比較しつつ次のように述べています。
[すでに述べたように、ここ40年の間に西洋文化では腹式呼吸が強調されてきた。(中略)腹壁を完全に緩める腹式呼吸は、感情移入して感情を前面に押し出したい時には効果的だと考えられている。特にニューエイジ運動の中で、感情は従うべきもの、実現すべき何か神聖なものとして見なされているのである。自分の感情を強めたい時には、腹式呼吸が得策なのである。
しかし、その他の状況では多くの場合、感情を高めるのは有用ではない。結局のところ感情とは単に心の形にすぎないのである。感情的になるのは、過去の条件づけに従って現在の状況に反応することを意味する。(中略)感情的になることはより本来の姿に近づくことであるという理論は、間違っている。感情的な人とは、常に「頭の中にいる」人同様、過去の中に存在しているのである。]
緊張感や動揺を鎮めるために私たちはよく深呼吸をしますが、どうせやるなら腹式よりも胸式の方が良さそうですね。
【身体的ヨーガが持つ大きな落とし穴】
ここでは「ポーズと一体化して体に没頭すること」がそのひとつとして挙げられています。
メーレ氏は別の著書『現代人のためのヨーガ・スートラ』の中でもこの点を指摘し、ヨーガの考えの下では身体はあくまでも“意識に対する行為の乗り物”にすぎないにもかかわらず、難しいポーズをこなしたりすることにあたかも大きな価値があるかのような風潮が生まれたことを厳しく批判しています。
「ヨーガとは、心のはたらきを死滅することである」という聖者パタンジャリの説いた定義を徹底して貫く彼の姿勢がここにも見られます。
ポーズと一体化してしまうとどうなるかというと、肉体という一過性のものへの執着が生まれてしまい、永遠なるもの、普遍なるものへの目覚めと逆行する形になってしまうわけです。ヘタをすると、自我を強めて、自己満足のためにポーズをとるようになってしまう、ともメーレ氏は言っています。
長いヨガ歴の中でポーズと一体化してかえって自我を強めてしまっているんだろうなと思える人、ごく稀にですが実際に見受けることがあります。私自身は身体的にもまだまだそこまで上達していませんから「ポーズとの一体化」の症状は劣等感として現れてくるわけですが、これは裏を返せば、いとも簡単に優越感に変わる可能性を大いに秘めている兆しでもあるので、個人的に常に肝に銘じている注意事柄です。
そういった過ちを避けるためにアシュタンガ・ヨガはひとつのポーズを長く取らずにフローさせていく、いわゆるヴィンヤサを取り入れ、呼吸と共に「無常への瞑想」へと私たちを導くようにできています。
ここでちょっと目から鱗の記述があったので付け足しておきます。
[アーサナだけを練習すると、過度に体が柔軟になりそのため体を弱体化することもある。(中略)力で支えられる以上の柔軟性は、目指すべきではない。]
力と柔軟性のバランスについてのこうした概念が簡潔に言語化されたものは、ありそうであんまりない気がしたのでメモ。
さて、身体への執着という落とし穴についてメーレ氏が指摘しているからといって、ヨガにおける身体的な面を彼がないがしろにしているかというとそれは全くの逆で、実際にこの本を手に取っていただけるとわかるのですが、ポーズのひとつひとつを解剖学的見地からも図解付きで非常に詳しく解説してあります。
一見これは矛盾しているようではありますが、アーサナを正しく組むことによって体に蓄積されたネガティブな感情が解放され、真の知識を得るために必要な意識へと整えられる、というヨガの仕組みを理解することができれば納得がいくかと思います。
例えば、膝関節ひとつ取り上げても、その構造と機能、どのようにして故障が生じるのか、またどのようにすれば故障を改善できるのかなど、練習において必要な知識が限られたスペースの中できちんと解説されています。
私が個人的に印象深く感じた箇所にフォーカスをしましたが、最後に本書未読のアシュタンギの皆さんのためにざっくりと本書の概要をお伝えすると、
まずアシュタンガヨガ概論とその基本である呼吸・バンダ・ドリシュティ・ヴィンヤサの解説があり、その後でプライマリーシリーズの各アーサナの説明が続きます。
その合間に載せてあるコラム風の[解剖学的焦点]、[実用的ヒント]、[神話的背景]によって上手に息抜きできる構成です。
メーレ氏のヨガに関する広く深い造詣のエッセンスが哲学、解剖学の両面から見事に詰め込められた良書だと言えます。
より正確で安全な練習のために傍に置いておきたい一冊です。
昨日は西暦で「1」が6つも並ぶ日でした。
11月11日は「ポッキーの日」と言うんですね。
ヨギとしては直立不動の「山のポーズの日」にしてはどうかと思うのですけども。
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