Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

今月は花マル

2016-11-30 16:55:22 | 日記
早いもので11月も今日で終わり。
今月はヨガの練習を気分で休む(=サボる)日が1日もなかった。
休む理由をあれこれ考えるよりマットに立ってしまった方が手っ取り早い気がしたひと月。
気分が乗る日もあれば当然乗らない日もあるのだが、練習を休む理由をこねくり回して「これじゃあ 休むのは仕方がないよね」と自分に言い聞かせる過程がとにかくもう面倒くさかったのである。
面倒くさがりもここまでくれば結果オーライ。
波は乗っていられるうちに乗っておくものだとも思った。

「昨夜の寝不足でふらつきがちだから途中で倒れるかも」などとか弱きを演じてみても、太陽礼拝の途中で「はぁー、気持ちーー」となってくる。
とりわけダウンドッグでの5呼吸の間に体内からエネルギーが沸き起こり、さっきのか弱き婦人は霧のように消えてなくなるのである。
そうして「今日は太陽礼拝だけでも」と遠慮がちに始めたはずの練習が、あれよあれよと次のアーサナ、その次のアーサナへと続いていく。まるで身体が勝手に次のアーサナを欲して動いていくような感覚を覚えることがある。

その日の心身の状態によって練習の充実度は異なるけれども、最後のシャバアーサナを終えるときには必ず「今日も練習してよかった」と思う。
「練習するんじゃなかった」と思う日は1日たりともないのに対し、自分の都合で練習を休んだときには「やっぱり練習しておけばよかった」と悔やむことがとても多い。いや、ほとんどがそうである。
このことをデヴィッド・スウェンソン先生も言っていたが、本当にその通りだと思う。

とにかく毎日マットに立つ習慣を一時的でなく年間を通して維持していきたいのだが、これまた祝祭日だとか渡航だとかを理由になし崩しにしてしまう弱さが我ながら残念である。
実際、ヨガの練習の第一関門はマットを敷いてその上に立つことだと思う。
まぁ、それでも続いているし、続いているおかげで身体は四十路の今が一番健康的だし、気持ちの浮き沈みも実に穏やかになった。
怠け者にしてはよくやっている方だと言えるだろう。
だから今月は💮ということで。


これは先月の燃えるような夕焼け空




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