単身赴任先の旭川はネット環境がないので、たまに帰ってくる札幌の自宅でしかブログを更新できません。というわけで更新していない間に可決されたこの法案について思うところをつらつらと書き綴ってみます。
まず基本的に賛成か反対か、これについては「賛成」です。集団的自衛権の行使は、普通の国には認められた権利です。日本はこれまで“普通じゃなかった”訳です。それはなぜ?先の大戦で負けたから?日本には戦争アレルギーのようなものが蔓延していますが、これは敗戦国特有のものでしょうか?今の日本は戦前とは間逆だと思います。かつては世論もマスコミも「戦争賛成」「反戦派は非国民」だったと思います。その反動なのでしょう。しかしながらマスコミは常に中立であるべきです。一方的な考えしか報道しない今のマスコミは戦前と変わらないでしょう。報道の自由があるにもかかわらず、です。
集団的自衛権の行使に反対する論調は「憲法違反」「他国に戦争に巻き込まれる」「戦争法案である」というものでした。
「憲法違反」、特に9条に違反しているという点については、今に始まったことではないです。「自衛のための軍備は軍備ではない」という解釈そのものが苦し紛れの言い訳ではないでしょうか?憲法学者で安保法案に反対するものの多くは「自衛隊は憲法違反」「日米安保条約は憲法違反」というスタンスを取る人たちです。9条が実質的に破綻している今、これを守れというのは厳しいと思います。また、憲法違反かどうかも判らないです。解釈で運用されているだけで、集団的自衛権がそこまで憲法には明確に書かれていません。
「他国の戦争に巻き込まれる」というのは、今後の運用で十分に解決できます。イギリスがアメリカのシリア空爆に同調しなかったのは議会での決定されたことです。こういった運用で十分に解決できたはずです。反対一辺倒で対案を出さなかった野党は、この運用という点で現実的な譲歩をすべきだったのではないかと思います。
「戦争法案」という言葉は、どこかのマスコミか共産党あたりの政党が発した言葉と思います。まず、“自衛権”の名のとおりこれは日本を守るためのものであるという論点が全く抜けていることに違和感ありです。日本近海で自衛隊と米軍の艦船が共同で活動していて米艦が攻撃されたとき、自衛艦は反撃できません。個別的自衛権はあくまでも自らが攻撃を受けたときのみ有効です。その事実をおそらくは反対派は知らないでしょう。米軍が攻撃されて多くの兵士が目の前で死んでいっても日本は何も出来ない。それがこれまでの法律なのです。そんな非人道的な法律を「守れ」というほうがおかしいと思うべきでしょう。
東シナ海域や東アジア海域のこと、つまりは中国の海洋進出を念頭に置けば、アメリカとの協調としてこの法案は必要不可欠なものです。外交とは軍事的な抑止力を背景に、時に寛容にときに恫喝まがいの姿勢で行っていかなければならないものです。それが世界のスタンダードである現実に日本人は気づきません。これはこれまでの教育制度にともなう欠陥だと感じます。いわゆる“平和ボケ”というヤツでしょうか。
より現実的な判断として、集団的自衛権の行使は容認すべきだというのが私の考えです。いつでも行使できるように準備しておくこと、そして限定的な“運用”という手段で歯止めをしていくこと、これが大切だと思います。中身のない国会論戦で、大切なことを全くきめることが出来ませんでした。大筋の考え方と運用についてもっと注文すべきことがたくさんあったと感じます。それが無かったのが残念です。今後は、これを詰めていくことが大切です。バカげた反対意見ではなく建設的な注文意見が、この法案の中身をより深めていくことを国民一人一人がもっと考えるべきです。
まず基本的に賛成か反対か、これについては「賛成」です。集団的自衛権の行使は、普通の国には認められた権利です。日本はこれまで“普通じゃなかった”訳です。それはなぜ?先の大戦で負けたから?日本には戦争アレルギーのようなものが蔓延していますが、これは敗戦国特有のものでしょうか?今の日本は戦前とは間逆だと思います。かつては世論もマスコミも「戦争賛成」「反戦派は非国民」だったと思います。その反動なのでしょう。しかしながらマスコミは常に中立であるべきです。一方的な考えしか報道しない今のマスコミは戦前と変わらないでしょう。報道の自由があるにもかかわらず、です。
集団的自衛権の行使に反対する論調は「憲法違反」「他国に戦争に巻き込まれる」「戦争法案である」というものでした。
「憲法違反」、特に9条に違反しているという点については、今に始まったことではないです。「自衛のための軍備は軍備ではない」という解釈そのものが苦し紛れの言い訳ではないでしょうか?憲法学者で安保法案に反対するものの多くは「自衛隊は憲法違反」「日米安保条約は憲法違反」というスタンスを取る人たちです。9条が実質的に破綻している今、これを守れというのは厳しいと思います。また、憲法違反かどうかも判らないです。解釈で運用されているだけで、集団的自衛権がそこまで憲法には明確に書かれていません。
「他国の戦争に巻き込まれる」というのは、今後の運用で十分に解決できます。イギリスがアメリカのシリア空爆に同調しなかったのは議会での決定されたことです。こういった運用で十分に解決できたはずです。反対一辺倒で対案を出さなかった野党は、この運用という点で現実的な譲歩をすべきだったのではないかと思います。
「戦争法案」という言葉は、どこかのマスコミか共産党あたりの政党が発した言葉と思います。まず、“自衛権”の名のとおりこれは日本を守るためのものであるという論点が全く抜けていることに違和感ありです。日本近海で自衛隊と米軍の艦船が共同で活動していて米艦が攻撃されたとき、自衛艦は反撃できません。個別的自衛権はあくまでも自らが攻撃を受けたときのみ有効です。その事実をおそらくは反対派は知らないでしょう。米軍が攻撃されて多くの兵士が目の前で死んでいっても日本は何も出来ない。それがこれまでの法律なのです。そんな非人道的な法律を「守れ」というほうがおかしいと思うべきでしょう。
東シナ海域や東アジア海域のこと、つまりは中国の海洋進出を念頭に置けば、アメリカとの協調としてこの法案は必要不可欠なものです。外交とは軍事的な抑止力を背景に、時に寛容にときに恫喝まがいの姿勢で行っていかなければならないものです。それが世界のスタンダードである現実に日本人は気づきません。これはこれまでの教育制度にともなう欠陥だと感じます。いわゆる“平和ボケ”というヤツでしょうか。
より現実的な判断として、集団的自衛権の行使は容認すべきだというのが私の考えです。いつでも行使できるように準備しておくこと、そして限定的な“運用”という手段で歯止めをしていくこと、これが大切だと思います。中身のない国会論戦で、大切なことを全くきめることが出来ませんでした。大筋の考え方と運用についてもっと注文すべきことがたくさんあったと感じます。それが無かったのが残念です。今後は、これを詰めていくことが大切です。バカげた反対意見ではなく建設的な注文意見が、この法案の中身をより深めていくことを国民一人一人がもっと考えるべきです。