黒板五郎役だった田中邦衛さんが亡くなって数週間が経ちました。土曜日に仕事で旭川に行った帰りに富良野を回って石の家で記帳してきました。第一話から最後までオンタイムで見ていた自分としては、この物語に出演していた多くの役者さんが亡くなるニュースを耳にするたびに残念な思いがありましたが、ついに五郎さんまで居なくなったしまったと思うととても悲しいです。
この物語は、私が北海道に抱いていた憧れを決定づけた物語です。北海道という土地に最初に興味を持ったのは昭和49年の後半の頃、当時は北海道にしか走っていないSLがもうすぐ廃止になるというので、いろいろな特集番組が組まれて放送されていました。その番組の中に山口百恵さんとオッサン(連想ゲームに出ていた人だったかと)がSL列車に乗って旅をする番組があって、それを見て「僕も乗りたい」と親にせがんだのが始まりでした。当時の北海道は愛知から見たらとても遠い場所でした。飛行機も高くてまだ旅行に気軽に行けるような場所では無かったようで、父親からは「無理だな~」との一言でした。
その頃から「いつか北海道へ」という想いが出てきたように思います。そして、北海道の映像や生活が満載のテレビドラマが「北の国から」で、これを見てさらに北海道への想いを強めたように思います。
その想いを最初に実現できたのは高校2年の夏でした。名古屋から周遊券を片手に夏の北海道を20日間掛けて回りました。高校卒業時には3月でまだ雪の残る北海道へ2度目の旅行に、3度目は大学3年に上がる春休み、青函連絡船の廃止にあわせて渡道。4度目は大学の卒業旅行で道内各地のスキー場を巡る旅でした。
今、北海道に住むようになって18年が経過しました。あの頃の憧れが形になっているわけですが、「北の国から」はやはり原点ではないかと思います。五郎さん、安らかに。合掌。
この物語は、私が北海道に抱いていた憧れを決定づけた物語です。北海道という土地に最初に興味を持ったのは昭和49年の後半の頃、当時は北海道にしか走っていないSLがもうすぐ廃止になるというので、いろいろな特集番組が組まれて放送されていました。その番組の中に山口百恵さんとオッサン(連想ゲームに出ていた人だったかと)がSL列車に乗って旅をする番組があって、それを見て「僕も乗りたい」と親にせがんだのが始まりでした。当時の北海道は愛知から見たらとても遠い場所でした。飛行機も高くてまだ旅行に気軽に行けるような場所では無かったようで、父親からは「無理だな~」との一言でした。
その頃から「いつか北海道へ」という想いが出てきたように思います。そして、北海道の映像や生活が満載のテレビドラマが「北の国から」で、これを見てさらに北海道への想いを強めたように思います。
その想いを最初に実現できたのは高校2年の夏でした。名古屋から周遊券を片手に夏の北海道を20日間掛けて回りました。高校卒業時には3月でまだ雪の残る北海道へ2度目の旅行に、3度目は大学3年に上がる春休み、青函連絡船の廃止にあわせて渡道。4度目は大学の卒業旅行で道内各地のスキー場を巡る旅でした。
今、北海道に住むようになって18年が経過しました。あの頃の憧れが形になっているわけですが、「北の国から」はやはり原点ではないかと思います。五郎さん、安らかに。合掌。