ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 01/10

2017-01-12 06:31:23 | ツイッター
お早うございます。主の平和。イザヤ書49章の「主の下僕の歌」(第2)を解読。「主の下僕の歌」を下敷きにしてイエスの生涯を描いたのかもしれない。いや、そうに違いない。午後から、孫息子が家中のWi-Fiの再設定してくれた。そのため非常に便利で、PCも早くなった。スマホの電話帳の整理。11時に就寝。5時半に起床。体温:36.1、血圧(137:74、71)・体調・快調、チュン、チュン。

41 文屋 知明さん、播 稔さん、他39人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。
村田 多鶴子 おはようございます~♪
優しい孫息子さんのご配慮でいろいろと便利になって良かったですね!
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m
文屋 善明 ハイ、助けられています。


萩野 秀子 おはようございます。親切嬉しくなりますね。チラシ配りですよね守られますようにお祈りします。
東山 富昭 おはよう☀ございます。今日は晴れています。図書室で、肝臓病や小説の本を3冊、借りてきました。教会⛪の決算総会の準備で忙しいです。今週も、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 こんにちは。

文屋 善明
1月10日 5:43 ·

お目覚めの花。「さぁ、今日から脱正月気分だ」「今朝は取って置きの1枚を!」
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

34 文屋 知明さん、芳賀 道子さん、他32人

文屋 善明
1月10日 6:15 ·

2017 日々の聖句 1月10日(火)
災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は。彼らは闇を光とし、光を闇とし(苦いものを甘いとし、甘いものを苦いと)する。(イザヤ5:20)
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」(1ペトロ2:21~22)
私の黙想:
価値判断が倒錯(逆転)している。そしてそれを倒錯しているということを証明する方法がない。イザヤ書第5章は「葡萄園の歌」と呼ばれている。その中でも8節以下の部分には6つの「災いだ」(8,11,18,20,21,22)が繰り返される。今日の聖句はその4番目の災いである。注目すべき点は第5章は第6章の直前だということである。第6章は言わずと知れ預言者イザヤが召命を受ける場面である。預言者はこういう状況の中で召命を受けた。あたかも世の「災い」を糾弾するべき人間として。
今日の聖句は倒錯した価値観に対する告発である。世の中の価値観は倒錯しているということを示す基準は神からのみ来る。現代風にいうなら、神学とは世の中の学問における、逆転した真理を、反転させる使命を持っている。科学的ということの非科学性を明らかにする。

28 文屋 知明さん、播 稔さん、他26人

文屋 善明
1月10日 6:26 ·

今日の名言:@shuukyou_meigen
宗教は、それが真実であることを立証されるときは終焉する。科学は死んだ宗教の記憶である。(オスカー・ワイルド)
<一言>宗教は科学によってその真理性が証明されるのではなく、科学が宗教によって生きた学問になる。

23 文屋 知明さん、小貫 ツマさん、他21人
コメント

播 稔 面白い表現です。

文屋 善明
1月10日 6:28 ·

イミタチオ・クリスチ(362)
人間は誰でもこの世への思い克服したいと願っている。しかし自力でそれをすることができないので、つい誰かに依存してしまうことになる。しかし、この世において、愛し、尊敬している人が亡くなったとき、キリストへの愛の故にそれを堪え忍ぶことにより、この世への思いを断ち切ることを学ぶ。2:9:6~7

21 文屋 知明さん、播 稔さん、他19人
コメント

水草 修治 神学校1年生のとき、父が召され、3年生のとき牧師が召されたとき、「さあ、ただわたしだけに頼って、進みなさい」という、天父の声を聞く思いがしました。

文屋 善明
1月10日 6:35 ·

◎ロシア正教会の降誕祭は6日深夜に
[SKJ]世界キリスト教情報
【CJC】1月6日から7日にかけての深夜、ロシアではハリストス(キリスト)降誕祭が祝われた。20世紀初頭、ロシア正教会がユリウス暦から新しいグレゴリウス暦に移行せず、新暦を採用しなかったことから、欧米など他のキリスト教国に比べ13日遅く祝われる。帝政ロシアにおいて、降誕祭は極めて重要な祝祭であり、祭日の重みとしては新年よりもはるかに上だった。
ロシアのニュースサイト『スプートニク』(日本語版)は、1917年の革命後、その地位が変わってしまったとしている。ソ連時代、新年は、降誕祭が持っていた性格の中から、世俗的な家族のお祭りという部分を完全に自分の中に含んでしまい、降誕祭は何よりも正教信者のものとして扱われるようになった。
しかしここ数年、人々は降誕祭に、ますます多く教会を訪れるようになり、この祝祭日が持つ宗教的な意味を思い出している。モスクワにあるロシア正教最大の寺院『救世主ハリストス大聖堂』での降誕祭の礼拝には、毎年5千人を超す人達が集まっている、と『スプートニク』は言う。
『スプートニク』は、「ハリストス週間」にちなみ、ロシア正教会の聖職者で同時に、著名な画家でもあるゲオルギイ・パルフョーノフ神父に、リュドミラ・サーキャン記者が行ったインタビューを紹介している。
ロシアでは、降誕祭は、新年の後に迎える。そうした事から、多くの人たちにとって、降誕祭のお祝いは、年明けから続く宴席やお祭りに単にピリオドを打つものになっているようだが、という記者の問いかけに、神父はもう20年以上聖職者として働いているが、新年を自分の家族と祝わない。それは主要な祝祭が降誕祭だから、と言う。
多くの人たちが寺院を訪れ、洗礼を受け、イコンの前にロウソクを灯すが、キリスト教徒とは何たるか、真の信仰とは何かについて知識がない。そこで聖職者は、たくさんの仕事に取り組む。説明し啓蒙し、生きる模範としてキリスト教徒としての行動を示さなくてはならない、と語る神父。
ロシア正教会の降誕節は、暦の違いによって、問題の所在を改めて浮き彫りにしている。

21 播 稔さん、東山 富昭さん、他19人

文屋 善明
1月10日 6:40 ·

◎トランプ新大統領の就任式典に聖職者6人が参画
<SKJ>世界キリスト教情報
【CJC】米国の首都ワシントンで1月20日、ドナルド・トランプ新大統領候補とマイケル・ペンス新副大統領候補の2人が、第58代大統領・副大統領としての就任式を行うのを控え、式典に参画する聖職者が明らかになった。
就任式準備委員会から発表されたのは、カトリックのティモシー・ドーラン枢機卿(ニューヨーク大司教)、ユダヤ教のラビ・マービン・ハイヤー(ユダヤ人抑圧監視団体『サイモン・ウイゼンタール・センター』の創設者)、アフリカ系市民に向け「プロスペラス・ゴスペル」を唱導するウエイン・T・ジャクソン牧師、スペイン系市民への伝道に力を入れているサムエル・ロドリゲス牧師(『ナショナル・ヒスパニック・クリスチャン・リーダーシップ』創設者)、救援活動団体『サマリタン・パース』運動のフランクリン・グラハム牧師(『ビリー・グラハム伝道協会』会長)、女性テレビ伝道者ポーラ・ホワイトさん(『ニュー・デスティニー・クリスチャン・センター』牧師)の6人。
同委員会のトム・バラック委員長は「多彩な信仰の指導者が、トランプ氏の就任式で聖書朗読や祈祷を行い、わたしたち多文化で活力のある国で宗教信仰が重要な役割を果たしているのは名誉なこと」と語った。
6人の中でもホワイト牧師とグラハム牧師は、トランプ大統領実現に大きく貢献したと見られている。□

17 竹本 耕造さん、播 稔さん、他15人

文屋 善明
1月10日 7:00 ·

「昨日のFB 01/08」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

15 竹本 耕造さん、川染 三郎さん、他13人

文屋 善明
1月10日 8:20 ·

◎「ひどい風邪」のエリザベス英女王は快方に
<SKJ>世界キリスト教情報
【CJC】英国のエリザベス女王は1月8日、東部ノーフォークのサンドリンガムの教会で行われた礼拝に出席した。昨年末に「ひどい風邪」をひき、恒例のクリスマスの礼拝などを欠席して以降、女王が公の場に姿を見せるのは初めてで、順調に回復していることが確認された。
昨年90歳の誕生日を迎えた女王。例年クリスマス前から新年にかけてサンドリンガムの邸宅で過ごすが、風邪を理由にクリスマスや新年の礼拝を欠席し、健康状態が懸念されていた。

28 竹本 耕造さん、播 稔さん、他26人
コメント

水草 修治 聖公会のトップはエリザベス女王なのですか?

文屋 善明 Yes and No.英国国教会の首長です。

水草 修治 Yes and Noとはどういう意味ですか? 聖公会イコール英国国教会ではないのですか?

文屋 善明 ではありません。聖公会(アングリカン・コミュ二オン)は各国が独立しているのが原則で、ただ歴史的に英国の宗教改革の流れを受けているという意味で「アングリカン」という英国を意味する用語が用いられています。しかし、The Church of Englandの強い影響の元に産まれたという意味で緩やかな交わりの組織である。その点がローマ・カトリックと決定的に異なる点です。

水草 修治 それがどういう「感じ」なのかピンと来ませんね。自分が英国人ならまだしも。不思議な感じ。

Mizota Michael Satoshi 聖公会の信者にならない限り「わからない感覚だ」ともいえるでしょうけども。

文屋 善明 具体的にいうと、各国の「聖公会」はそれぞれ独自の「法憲法規」(Canon Law)を持ち、人事、経済とう組織的なことはそれぞれ独立しています。アメリカ聖公会では「総裁主教」が全体を代表しますが、日本では法的代表者は「首座主教」と呼ばれ、それは11教区の主教の一人という位置づけです。

Mizota Michael Satoshi 民族自立教会の理念というのが共有されない以上むずかしいです。正教会もその点でプロテスタントに完全に「誤解」されていますから。

文屋 善明 英国教会がローマから分離独立する際にモデルになったのが東方正教会の複数総裁主教制でした。

Mizota Michael Satoshi 一部には聖公会が東方教会の一枝だという認識もあるくらいです。この意味では主教制なき教会が本来のキリストの教会と言えるのかという問題をはらむと思います。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
1月10日 10:12 ·

5年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2012年1月10日 ·
#losungenj 今日のローズンゲン 1月10日(火):
衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。あなたたちの神、主に立ち帰れ。(ヨエル2:13)
イエスの言葉:時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ1:15)
私の黙想:
人間は罪深いものである。しかしそのことと悔い改めとを直結してはならない。悔い改めとは具体的な罪を自覚し、その罪に悩むから意味がある。ところがキリスト教では悔い改めそのものが目的化している。悔い改めの神学が変な敬虔主義の温床になっている。

14 望月 克仁さん、村田 多鶴子さん、他12人

文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
1月10日 13:37 ·

1月8日の朝刊で、朝日新聞としては珍しいヒット・スクープ。日曜日の朝ということで、ざっと目を通しただけでしたが、このまま記憶の底に埋もれてしまうのも、モッタイナイので、FBに投稿しておきます。
天皇陛下のさまざまな平和的な行動の根っ子にはこれがあったのだと合点しました。まだ、若い皇太子時代、英語と国際的なマナーの家庭教師としてバイニング夫人がおられたことは知っていましたが、彼女がクエーカー教徒であったことはあまり知られていない。このキリスト教の一派であるクエーカー派は、平和運動でよく知られている団体で、若き皇太子時代に彼女から受けた「教育」が現在の天皇の背景にあったことを知らせれた記事でした。
<天皇陛下、米学者と書簡で交流 被爆者支援が縁で半世紀>
昭和天皇、現天皇陛下と、戦後日本の復興や平和運動に携わった米国人との交流を示す英文の書簡15通が、米シアトルのワシントン大図書館で確認された。米国による原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島での支援活動が縁となり、侍従らを通じた手紙のやりとりを半世紀近く重ねていた。専門家は「戦後の日米交流と皇室の関わりを示す貴重な資料」と話す。
皇室と書簡をやりとりしていたのは、森林学者だったフロイド・シュモー氏(1895~2001)。平和主義で知られるキリスト教・クエーカー教徒で、家を失った被爆者向けの復興住宅を建てる救援組織をつくり、1949年夏に広島を訪問した。天皇陛下が皇太子の時に家庭教師を務めた同教徒のバイニング夫人とも知人で、その縁もあって皇室に手紙をしたためたとみられる。
今回見つかった書簡のうち最も古いものは、昭和天皇にあてた49年7月6日付。シュモー氏が訪日前に自らの活動への理解を要請した内容だった。
「もし(支援活動の)精神が日米両国の人々に理解されるなら、救済や復興のために私たちができる物質的な作業よりも、将来の世界平和にとってはるかに重要なものとなるでしょう」
これに対する返信は同月31日付。当時の三谷隆信侍従長の署名で、昭和天皇が訪日中のシュモー氏による支援活動への謝意を伝える内容だった。
「陛下(昭和天皇)は手紙を受け取ったことに礼を言うことと、あなたの寛大さと日本国民への温かい友情に深く感謝するだけでなく、救援派遣団の高貴な性格と精神への高い称賛を伝えることを熱望されています」
「あなた方のような善良な人々による継続的な努力のおかげで、ゆっくりではありますが、確実に世界の平和が戻りつつあると知ることは、陛下の大きな喜びの源です」
皇室とシュモー氏の書簡での交流は90年代まで続いた。特に天皇陛下は、皇太子だった49年10月と88年11月の2回、東宮御所などでシュモー氏と面会し、功績をねぎらっていた。90年にシュモー氏が寄付を集め、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も備えた「平和公園」をシアトルに開設した際には、楠本祐一侍従が同4月20日付で、天皇、皇后両陛下の謝意を伝える書簡を送っていた。
「両陛下は、この素晴らしい事業で示された、あなたとシアトルの人々の平和を希求する強い思いに感銘を受けておられます。皆様の精力的な努力に深い感謝の意を表しておられます」
天皇から民間人に送る書簡は意を受けた侍従らが書くのが慣行とされ、皇室からシュモー氏への11通(うち1通は昭和天皇の意向による書簡)も当時の侍従らの署名で送付。残る4通はシュモー氏から皇室に送られていた。(岡本玄)
     ◇
フロイド・シュモー(1895~2001) 米国の森林学者。太平洋戦争中に強制収容された日系米国人を支援した。戦後は原爆投下で住まいを失った被爆者のために米国で寄付を募り、広島や長崎に復興住宅を計約30戸建てたり、米シアトルに平和公園を造ったりした。83年には広島市特別名誉市民の称号が贈られた。著書に回想録「日本印象記―ヒロシマの家―」(52年発行)など。
以上が朝刊第1面のトップ記事。以下は同紙の26頁の記事。
<陛下、シュモー氏と2度面会 立場超え平和への思い共有>
皇室と米国の学者との「平和交流」――。昨年、米シアトルのワシントン大で確認された書簡15通のうち10通は、天皇陛下の意向を踏まえ、侍従らが森林学者だったフロイド・シュモー氏に送ったものだった。陛下は皇太子時代の1949年と88年、日本の復興や平和運動に尽くしたシュモー氏と直接面会していた。
<天皇陛下、米学者と書簡で交流 被爆者支援が縁で半世紀>
 
1度目の面会は、シュモー氏が被爆者向けの復興住宅建設のために来日した49年10月。皇太子だった天皇陛下が東京・小金井に滞在時、シュモー氏が訪れる形で実現した。陛下はシュモー氏が持参したスキー映画を一緒に鑑賞し、広島での活動について説明を受けた。小泉信三・東宮御教育常時参与らが面談後、シュモー氏に礼状を書いていた。
「皇太子殿下は、(住宅を建設した)あなたの2カ月間にわたる崇高かつ実用的な活動に深く感銘しておられます」「殿下の国際的な友情への確信がますます育まれますように望んでいます」
シュモー氏は翌50年、再び広島を訪れ、復興住宅建設を再開。同7月にはこの間の活動を書簡で報告し、野球ボールをプレゼントとして贈った。清水二郎・東宮傅育(ふいく)官は同年末、ボールへの礼状と覚書を送った。
「世界平和のためにあなたが日本でされている素晴らしい仕事への感謝を込め、クリスマスと新年のお祝いを申し上げます」「(殿下は)ボールを学習院大に持って行かれ、学習院チームにプレゼントされました」
その後も手紙の往来は続いた。昭和末期の88年11月、反核・平和に貢献した人や団体に贈られる「谷本清平和賞」の受賞が決まり、シュモー氏が広島を訪れた際には、東宮御所に招かれて再び面会。一緒に御所の庭を散策するなど、もてなしを受けた。
昭和天皇が89年に逝去した際には、シュモー氏が天皇陛下にお悔やみの手紙を送った。これに対し、西園寺公友侍従が同5月25日付で謝意を伝える手紙を送っていた。
「天皇陛下はあなたの心遣いに感謝されており、よろしく伝えるようおっしゃられました」
シュモー氏が米市民らから寄付を募り、90年にシアトル市内に造った平和公園には、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も建てられた。楠本祐一侍従が同4月20日付で出した書簡には、天皇、皇后両陛下がシュモー氏の長年にわたる社会福祉や平和への貢献をねぎらう言葉がつづられていた。
「両陛下は戦後、この国の社会福祉の促進にあなたが貢献されたことをよく覚えておられます」「禎子像とシアトルピースパークが、世界平和と、すべての人々の友好の象徴として役立つことを両陛下は強く望まれています」
天皇から民間人に送る書簡は意を受けた侍従らが書くのが慣行とされ、皇室からシュモー氏への11通(うち1通は昭和天皇の意向による書簡)も当時の侍従らの署名で送付。残る4通はシュモー氏が皇室に送った。今回確認された最後の書簡は94年3月7日付。シュモー氏が現皇太子さまに、終戦50年の95年に合わせて米国を訪問するようお願いした内容だった。実現はしなかったが、シュモー氏が晩年まで日米の親善と平和交流を望んでいたことがうかがわれる。
シュモー氏の功績を伝える活動をする市民団体「シュモーに学ぶ会」(広島市)の今田洋子代表(73)は、確認された書簡について「皇室と親交があったと聞いていましたが、具体的なやり取りが分かり、驚きました。地位や国籍を超えて、ともに手を携えることが平和の原点だと教えられました」と話す。(岡本玄)
■皇室からシュモー氏にあてた書簡の主な文面
1949年7月 「陛下(昭和天皇)は手紙を受け取ったことに礼を言うことと、あなたの寛大さと日本国民への温かい友情に深く感謝するだけでなく、救援派遣団の高貴な性格と精神への高い称賛を伝えることを熱望されています」「あなた方のような善良な人々による継続的な努力のおかげで、ゆっくりではありますが、確実に世界の平和が戻りつつあると知ることは、陛下(昭和天皇)の大きな喜びの源です」(三谷隆信侍従長)
同10月 「皇太子殿下(現天皇陛下)は、あなたが先週の水曜日、小金井までいらっしゃったご厚意への感謝だけでなく、もっとも誠実な感謝の気持ちを伝えるよう切望されています」(小泉信三・東宮御教育常時参与ら)
50年12月 「親切なメモとすてきなボールの贈り物を受け取り、皇太子殿下はとても喜んでおられます」(清水二郎・東宮傅育官)
89年5月 「天皇陛下は(昭和天皇の逝去に際しお悔やみの書簡を送った)あなたの心遣いに感謝されており、よろしく伝えるようおっしゃられました」(西園寺公友侍従)
90年4月 「天皇、皇后両陛下はあなたの長期間の努力が、禎子像に象徴されるシアトルピースパークの形でまもなく実を結ぶことを喜ばれています」「みなさま方の精力的な努力に深い感謝を表しておられます」(楠本祐一侍従)
(注)原文は英文。侍従らの肩書は書簡の送付当時。本文のかっこ内は朝日新聞が補足した。
     ◇
■人間的つながり感じさせる書簡
〈日本近現代史や皇室にかかわる著書が多いノンフィクション作家・保阪正康さんの話〉 今上天皇ご一家とシュモー氏の人間的なつながりを感じさせる書簡だ。天皇の家庭教師だったバイニング夫人と同じクエーカー教徒だったため、親しみを感じたのかもしれない。
天皇が自ら手紙を書くような慣行はない。今回の手紙も、侍従長ら要職が代わりに意を伝えている。文面からも、天皇がシュモー氏に礼節を持って接していることがうかがえる。戦争中に苦労したときや、戦後復興で苦難に直面したとき、助けてくれた善意の人たちを「真の友人」と受け止めているからではないか。
天皇は戦後、追悼と慰霊の旅を繰り返してきた。歴史と向き合い、悲惨で残酷な戦争を再び繰り返さない、という覚悟を行動で示してきた。その心中には、言葉による励ましだけではなく、広島に家を建てるという具体的な行動で善意を示したシュモー氏の影響があるのかもしれない。
画像に含まれている可能性があるもの:1人
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33 佐藤 彰子さん、文屋 知明さん、他31人
コメント

徳善 義和 そうですか、私は知ってましたよ。

橘 智 私も、うっすら聞いた覚えがありますが、こう明確にされたのは初めてでした。教育の大切さ、感じます。...
播 稔 全くしりませんでした。

文屋 善明
1月10日 21:24 ·

お正月も今日まで。
画像に含まれている可能性があるもの:室内
32 真塩 ナナ子さん、佐藤 彰子さん、他30人
コメント

大垣 收ピーター 15日までじゃないんですか?

文屋 善明 そうとも言いますが、私的には今日までです。何故か、理由なんかありません。強いて言うなら、成人の日がもう終わっているから。

大垣 收ピーター なるほど。移動する成人の日に合わせて、正月が伸び縮みするのですね。
大垣 收ピーター 関西は15日まで、関東では7日まで、九州は基本的にどうなんですか?

文屋 善明 知りません。話題にもならないようです

大垣 收ピーター そうなんですか

文屋 知明 松の内(正月の松飾りを立てておく期間は7日、または15日まで。鏡開きは正月11日(もと20日)だそうです。正月飾りは10日までがいいね!

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