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ぶんやさんの記録

大斎節前主日の断想:夢か、真か

2016-02-06 15:45:49 | 説教
大斎節前主日の断想:夢か、真か ルカ9:28~36

1. 「山上の変容」
毎年大斎節に入る直前に「山上の変容」の記事が読まれる。私たちはこの物語を一体どう理解したらよいのだろう。いくつかの問題がある。先ず第1に、一体この物語はイエスの弟子たちのどういう体験を元にして語られたのだろうか。その体験とは、いつ、どこでなされたのか。第2に、初代教会において、この物語を語り伝えた人々は、この物語を語ることによって何が言いたかったのか。第3に、この物語を聞いた人々は何を感じ、どう応答したのだろうか。これらの問題は初代教会の人々だけでなく、現代の私たちにとっても大問題である。

2. ルカの理解と強調点
この物語の取扱い方について、3つの点でルカは他の著者たちと著しく異なっている。大枠としては共観福音書に共通の大枠としてはイエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人の弟子を連れて山に登り、そこで突然イエスの姿が変わったと出来事である。出来事の場所についてはマルコもマタイもただ「高い山」(Mk.9:2、Mt.17:1)という。ルカはただ「山」とだけしか言わないが、私などは若い頃から「変貌山の出来事」と言い慣れてきたのそのように言うことにする。ただ最近では「変貌」の「貌」の字が当用漢字からはずされているので「変容」などと言う。原語ではメタモルホーという単語が用いられているが、これは単に顔が変形しただけではなく「姿、形」の全体が変化したことを意味する。という訳で田川建三さんは「変身」と翻訳している。
先ず第1にルカだけが「祈り」ということに触れている。イエスが3人の弟子たちを連れて山に登られたのも祈るためであり、「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(Lk.9:29)。このことは他の著者たちが触れていない。ルカがこれは祈りの時に突然起こったことだというときに、読者はオリーブ山での祈り(Lk.22:30)を思い起こす。もちろん時間的には、オリーブ山での祈りはイエスが逮捕される直前なので、かなり後になるが、そこでは祈りが「いつものように」と書かれており、イエスの祈りの習慣を思わせる。そこではイエスが先頭に立ち山に登り、特定の場所に来ると、そこで弟子たちに「祈れ」とお命じになり、自分は「石を投げて届くほど」離れて一人で祈る情景が描かれている。おそらく、変貌山 での祈りも「いつものとおり」であったに違いない。そうすると、イエスが祈っていた場所と3人の弟子が祈っていた場所との距離は「石を投げて届く」程度であったと言うことが推測される。昼間ならハッキリ見えるが、暗くなるとよく見えない距離、声は聞こえるがその内容まではわからない程度ということであろう。マルコなどはその点がかなり曖昧で、突然、「目の前で」イエスの姿が変わったという。その場面を推測するとルカの描写の方がかなり説得力がある。
次にルカだけが述べている第2の点は、その場面に居合わせた弟子たちの状態である。新共同訳では、「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると」とあたかも眠っていないかのような表現になっているが、口語訳では「熟睡していたが、目を覚ますと」、フランシスコ会訳では「ひどく眠かった。それでも目を覚ましていると」と訳されている。ここでは彼らが眠っていたのか、睡魔と闘っていたのかよく判らない。田川建三さんは「眠るこけていたのだが、目を覚ますと」と訳している。要するに、「夢うつつ」、起きているのか寝ているのか、寝ていると言えば、それなら「見ていない」ということになるし、確かに見えていたから起きていたのであろうが、半分は夢の中。これは本人たちに聞いたところではっきりしないことであろう。
要するに、ここでルカが言いたいことは、この出来事が「夜の出来事」であったということである。それは、この物語のすぐ後で、「翌日」という言葉が用いられていることからも判断できる。ルカはこの出来事を「夜の事件」としたいのである。「夜」とは「昼」とちがう。現代人は夜も昼も同じことと考えている。昼の判断も夜の判断も同じ、昼の経験も夜の経験も違わないと考えている。ところが古代人にとっては夜と昼とでは世界が違う。夜は昼と同じ経験をしないし、昼の判断と夜の判断とは異なる。夜は昼の理性が通用しない。夜の力は昼間は眠っている。同様に昼の支配は夜には及ばない。夜には夜の支配がある。それは夢の体験とも通じる経験であり、夜は人間の力の及ばない世界との交流の時間である。ルカがこの出来事を夜の出来事と理解したことの背景には現代人が理解できない世界観がある。

ルカだけが述べている第3の点、これが最も重要な点であるが、ここでルカはイエスがモーセとエリヤとともに語り合っておられる「内容」に触れている。「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」。一体これを誰が聞いたのだろうか。まさか、イエスがそのことを弟子たちに語ったとは思われない。マルコもマタイもそのことにはいっさい触れていない。このことについて触れ、語るということにはルカも勇気がいったことと思う。ルカはこのことを誰から教えてもらったのか、誰も判らない。ルカの創作か。そうとも言える。しかし恐れ多くもさすがのルカといえどもそんなことを軽々しく創作できるのだろうか。私は思う。ルカは決して軽々しく創作したのではない。むしろ、このことにルカは自分の人生全体を掛けるほどの信仰を持って、確信して、このことを述べていると私は信じる。この言葉の中にイエスの生涯を研究し、思索し、自分の人生を掛けたルカの信仰が示されていると思う。従って、ここでルカは一つ一つの言葉に注意を払い、選び、語っている。それが「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」という言葉である。ルカがそれ程までに慎重に選び抜いた言葉を私たちは軽々しく翻訳してはならないと思う。私たちは、そしてルカによる福音書を読む全ての人々は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられること」ということが、何なのかよく知っている。それは死ぬことである。十字架上で死ぬこと、それ以外の何ものでもない。しかし、それは「最期」であろうか。日本において「名人訳」として名高い永井訳では「エルサレムにて彼の将に成し就げんとし給う、死について」(新契約聖書)と訳している。有名なラゲ訳では「エルサレムにて遂げんとし給う逝去の事」と訳している。新共同訳が出版される前に、部分的な翻訳として聖書協会から出されたルカスによる福音書では「イエススがエルサレムで果たそうとしている死の旅立ちについて」と訳されている。ついでに中国語の訳を見ると「去世」という言葉が見られる。昔の文語訳では「逝去」という言葉が見られる。要するに、ここで用いられている言葉は「最期」という言葉ではなく、また「死」という言葉でもなく、まさに文字どおりに訳せば「世を出ること」である。それは「死」というよりも「旅立ち」というニュアンスが強い言葉である。原文では「エクソドス」という特殊な単語が用いられている。これは古代ギリシャにおける演劇用語で、ドラマの「終曲」を意味する言葉である。つまりイエスの生涯の終わりという意味ではなく、ドラマの終わり。そこには十字架から復活までの最終場面についてイエスとモーセとエリアとが相談していたというのである。こんなこと、通常の「見た」とか「聞いた」というレベルの話ではない。イエスという人間の本性を垣間見たという経験に外ならない。

3. ルカのメッセージ
以上3つの点をまとめてルカがこの物語に託して述べようとしている点は、この世界、私たちが知り、そして生きている現在の世界だけで世界は完結しているのではなく、この世界と密着し、この世界を支えている「もう一つの世界」があるということである。私たちは「祈りにおいて」その世界と交わり、夜、幻の中でその世界に触れ、この世を去ることはその世に旅立つことである。イエスがその生涯を通して私たちに示されたものは、その世界のことであり、その世界との関わりの中で現在の私たちの苦難も喜びに変わり、貧しさも豊かさに転換し、絶望の向こうに希望が見えてくる。しかし、この世しか見えない者、この世を完結したものとみなす人々、この世での損得を絶対視する者にとっては、たとえこの世でどの様な富を蓄積したとしても、また名声を獲得したとしても、この世の消滅と共に、全てが消滅してしまう。
さて、私たちはこのルカのメッセージをどう受け止めるのか。イエスの十字架の死は全く無駄な死であったのか。死によってイエスの生は完全に消滅してしまったのか。人間は死んだらそれでおしまいか。それがまさに大斎節の私たちの課題である。十字架の向こうに復活の主イエスを見る、これが大斎節のテーマである。
4.最後に
これ程重要な変貌山の出来事をヨハネ福音書が何故取り上げていないのか。ヨハネ福音書の「神学」から見ると、最もヨハネらしい出来事だと思う。よく考えてみると、変貌山で見せたイエスの「本性」をヨハネ福音書は始から終わりまで一貫して語っているのだと思う。

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