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原本ヨハネ福音書研究序説

2016-02-06 17:46:53 | 聖研
原本ヨハネ福音書研究序説

はじめに
ヨハネ福音書にはいろいろなややこしい問題があるが、それらの諸問題は徐々に取り上げるとして、まず最初に「ヨハネ福音書は何を語ろうとしているのか」という問題を取り上げる。

第1章 ヨハネ福音書は何を語ろうとしているのか

この問題についてヨハネ福音書自体は「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(Jh.20:31)と記している。この言葉は教会的編集者の言葉ではあるが、本書の執筆の目的を鮮明に宣言している。イエスが神の子キリストであること、つまりイエスはこの世を超絶した神的存在であることを語り、それを信じよと語っている。しかしこの課題は難しい。現実に目の前に立っている人間イエスをこの世を超絶した神的存在だということをいかにして示すことが出来るか。
その意味ではほぼ同時代に書かれたマルコ福音書が目指していたこととは対照的である。マルコはイエスの実際の事実、彼が何を言い、何をしたのか、その一つ一つの事実を可能な限り正確に読者に伝えようとした。その限りにおいてはマルコ福音書は一定の成果を果たしている。それに対しヨハネは実際に生きていたイエスの事実、イエスの生き方にはほとんど興味を示さず、ただ一点「イエスが神の子である」ということ、従って神とはイエスの父であるということを語る。つまりイエスは父なる神によってこの世界に派遣されたのだということ繰り返し語る。確かにキリスト教信仰にとってそれが核心ではあるが、それを理論的に語るということになるとほとんど絶望的に難しいことである。しかしそれを語るためには実際の出来事をいろいろ書かなければ、話にはならない。だから彼はマルコに倣って「福音書」を書いたのであるが、果たしてそれは成功したのであろうか。
さて、ここでいきなり大問題に突き当たる。つまり、そんなことが可能なのか。この世界から絶対的に超絶している神の子がこの世に生きたというようなことをどのようにして語り、証明するのか。答えははっきりしている。「無理な注文」である。ヨハネ福音書の著者はその無理なことにあえて挑戦し、結論としてそれは不可能であることを告白する。というより、人間として生きたイエスが神の子であるということを証明する「証拠」の提出を断念する。ヨハネ福音書の面白い所はそこにある。不可能を承知の上で、その不可能にあえて挑戦し、不可能であることを証明した。この辺の面白さが分からなければ、どこかの新興宗教の独断的な主張と何も変わらない。

第2章 イエスが神の子であるということ

イエスが神の子であるとは一体どういうことなのか。いろいろ議論があるが、ここでは単純に「キリスト」あるいは旧約聖書が語る「メシア」であるということとしておく。ユダヤ人たちは「神の元から遣わされるキリスト(つまり「救済者」)」の到来を待ち望んでいた。そのキリストが到来することについて、いろいろな予測がなされていた。またキリストが到来したら、この世界はどうなるのかということについても、いろいろな憶測がなされていた。それがいわゆる「メシア観」であり、聖書の「終末観」である。そしてそうなる前に何らかの予徴があると信じられていた。それが「徴」である。奇跡を特に「徴」という場合に、そういう背景がある。そしてヨハネ福音書はイエスによる奇跡を「徴」だとする。ただし、ここでは文脈をスムーズにするために「徴」という言葉と「奇跡」という言葉を自由に使い分けることとする。
ヨハネ福音書には「徴」という言葉が18回用いられている(新共同訳では17回)。それらの言葉を拾いあげてまとめると、当時のユダヤ人のメシア観が浮かび上がってくる(2:18,3:2,4:48,7:31,6:2,9:16, 10:41,11:47,12:18 )。その中でも10:41の言葉が面白い。「多くの人がイエスのもとに来て言った。『ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった」。この場面はイエスがユダヤ人たちから殺されそうになったので、ヨルダン川の対岸に逃げた。そこはヨハネが洗礼を授けていた因縁の場所である。そこにイエスを支持する大勢の者たちが訪れて「ヨハネはそれらしい徴を何もしなかったが、ヨハネがあなたについて言っていたことは本当だった」という。そして多くの者がその場所でイエスを信じたという。つまり徴を行うか否かということがキリストであるかどうかの基準で、ヨハネは徴を行わなかったからキリストではないが、ヨハネはイエスをキリストだと言っていたことは本当だったのだという。果たして、この言葉を聞いてイエスは喜んだのであろうか。おそらく、ここでもイエスが思っていたことは2:23~24であっただろう。ヨハネは徴を行うイエスを描きながら、徴による信仰に対して不信感を抱くイエスを描く。

第3章 イエスを神の子と信じる根拠は何か

では、本物の信仰の根拠は何か。それが「証し」である。これは本書全体を通して繰り返されるメッセージである。証しを聞いて信じる。実は第1章冒頭の序詞が神の子イエスとイエスを証しする証人との関係を示す詩である。ここでは細かい議論は抜きに、ヨハネ福音書の成り立ちそのものをこの詩が示しているので、そのことを解説しながら詩そのものを味わいたい。
この詩の作者はヨハネ福音書の著者と同一人物か否か明白ではない。また、この詩の原型がどういうものなのかも明らかではない。もしこの詩がヨハネ自身の作でなかったとしてもヨハネ自身がこの詩をここに置いている以上、文責はヨハネ自身にある。それを一応「原詩」とすると、この原詩にヨハネ自身が注釈を書いている。元々は欄外なのか、ルブリックのようなものなのかも明白ではないが、文体そのものが散文であるので原詩と区別出来る。それが1:6~8である。次に、さらに後代になっていわゆる「教会的編集者」と呼ばれる人たちの加筆挿入が行われている。実は、このような編集的加工がヨハネ福音書全体に対して行われているというのが、田川氏の見解である。その作業を経て、私自身が確定したのが以下である。

第4章 原本ヨハネ福音書について

この福音書を書いたのは誰かということについては2世紀末以後、イエスの弟子、特に「イエスが愛した弟子」(Jh.13:23,19:26,20:2,21:7)ということで何の疑問もなかった。そして、その弟子はヨハネであるとされた。つまり「使徒ヨハネ説」である。これを最初に唱えたのは180年頃の正統主義神学者エイレナオスである。この説は近代聖書学によって一応は疑問視されたが、そのときでも、ヨハネ第2の手紙とヨハネ第3の手紙の発信者である「長老ヨハネ」とされ、それほど問題にはされなかった。ともあれ、長老ヨハネにせよ、「イエスが愛した弟子」にせよ、その人物像そのものが謎で、それを「使徒ヨハネ」と同じ人物だと考えても、それほど問題ではなかったのであろう。松村克己も一応この説に基づいて考えている。
著者を特定することは難しいとしても、本書の内容からある程度著者像を絞ることはできる。この著者はユダヤ教やユダヤ地方の地理等についてかなり詳しいので、おそらくユダヤ人キリスト者であろう。重要なポイントはペテロとその流れのキリスト教に対して批判的な立場に立っている。また裁判から処刑にいたる部分の描写がかなり細かい点を考慮すると、30年前後からあまり離れていない頃にこれを書けた人物であろう。そこで、この著者はマルコ福音書を知っていたのかどうかということが問題視されるが、これは明らかにマルコ福音書を知り、それを修正しようとする意図が見える。ところが他方、この福音書にはかなり後期の、つまり紀元1世の終わり頃の教会のサクラメントや教理の影響が見られるので、著作年代は1世紀の終わり前後とされてきた。
この福音書を読んですぐに気づくことであるが、この福音書は文章の流れがちぐはぐしてつながりが悪いことである。これはその著者の文章の特徴だと言ってしまえば、そうだとも言えるが、さらに詳細にギリシャ語およびそこに書かれている思想を分析すると、一人の編集者あるいは編集者グループによる著作の限界を超えていると思われる。
この点について、田川建三氏の労作、『新約聖書・訳と註』第5巻「ヨハネ福音書」(2013年6月)では、現在のヨハネ福音書はもともとあった『ヨハネ福音書』に後期の編集者がかなり手を入れ、再編集されたものであるとされる。その後期の編集者をその思想内容から「教会的編集者」と名づけ、詳細に原著者による部分と教会的編集者による部分とを分析している。このレベルになると素人の手に負えるようなことではないが、読んで、それを実際にテキストの当たってみるとかなり正確であると判断することはできる。田川氏によると教会的編集者が挿入した部分は下記のとおりである。当然これはあくまでも仮説であり、今後の研究によって更に改定される可能性は十分にある。

第5章 教会的編集者が書き加えた部分(カッコ内は確定しがたいが、かなりその確率があるテキスト)

1章 10b~13、14b~18
3章 11~21(多くの句)、31~36
4章 22
5章 14、28~29、39c、(45~47)
6章 (28~29、36)、37~40、44~46、51~58
7章 (38~39)
8章 51
11章 49~52
12章 37~41、48~50
13章 10~11、18~20、28~29、32~35
14章 3、12~25、28
15章から17章まで全文
18章 9、14、32
19章 3b~24、34~37
20章 9、17、19~23、24~27(うち多くの部分)、30~31

その上で、田川氏はこうも言う。「これらの教会的編集者の付加部分を全部取り除いて、元来の著者の文と思われる文章だけを読んでごらんになるといい。古代世界に、初期キリスト教の急速に宗教化、教会的正統主義化、ドグマかが進んでいく状況の中で、このように批判的に同区そう的な著者が存在した、という事実に嬉しさを覚えることであろう」。私はそれを試み、原著者によるものと思われる『原本ヨハネ福音書』を書き出し、シナリオ仕立てにしてみた。もとより、これは学術書に類するものではなく「読み物」に類するものであるが、出来る限り正確であることには努めたつもりである。
教会的編集者による15章から17章はかなりはっきりとした一つの文書になっているし、21章は教会的編集者よりもさらに後の時代の補遺であると思われる。7章53節から8章11節までは原著者でもなく教会的編集者にもよらない出典不明の一種のエピソードだと思われる。これらについては別の機会に改めて論じたいと思う。
ただ1点、教会的編集者の思想はヨハネの手紙の著者と共通するものが多く、おそらく同じグループによるものと思われる。松村克己は『ヨハネ福音書講釈』を執筆する前に『交わりの宗教』を著しておられその副題が「ヨハネの手紙講釈」で、これは京都大学哲学科キリスト教学の助教授から、つまり宗教哲学から神学に移行するときの記念碑的作品で、いわばこれが先生の神学的立場となっている。従って、この視点からヨハネ福音書を読んでおられるので、それはそれとして非常に興味深いものがある。

第6章 原本ヨハネ福音書の構造

巻1 プロローグ
 (1) 序詞「ロゴス讃歌」(1:1~5,9~10a,14a)
 (2) 著者の註 (1:6~8)
 (3) 初めの7日間 (1:19~2:12)

巻2 霊によって生まれ、霊において礼拝する
 (1) 初めての神殿詣で(2:13~25)
 (2) ニコデモとの会話 (3:1~21)
 (3) 著者の言葉 (3:15~21)
 (4) 洗礼者ヨハネの証言 (3:22~36)
 (5) 洗礼についての一寸したコメント (4:1~2)
(6) サマリアの婦人との会話 (4:1~42)
 (7) イエスと弟子たち (4:27~34)
 (8) 教会の宣教 (4:35~38)
 (9) サマリアの人々 (4:39~42)
 (10) 王の役人の息子の癒し (4:43~54)

巻3 神の子の徴と証言
 (1) パンの奇跡と水上歩行 (6:1~29)
 (2) カファルナウムの会堂にて (6:30~59)
 (3) 弟子たちの反応 (6:60~71)
 (4) ベテスダの池のほとりにて (5:1~18)
 (5) イエスの弁論 (5:19~44)
 (6) ユダヤ人たちの反応 (7:15~24)
 (7) イエスの点と線 (7:1)

巻4 生きた水
 (1) イエスの兄弟たちの提案 (7:2~9)
 (2) 仮庵の祭にて (7:10~13,25~36)
 (3) 祭の最終日に (7:25~52)
 (4) 討論(8:12~59)

巻5 良い羊飼い
 (1) 生まれつきの盲人を癒す (9:1~41,10:19~29)
 (2) イエスの説教「良い羊飼い」(10:1~18,30~42)

巻6 イエスの時、神の時
 (1) ラザロの甦り (11:1~48,53~57)
 (2) ナルドの香油 (12:1~11)  
 (3) エルサレム入城 (12:12~19)
 (5) ギリシャ人の来訪 (12:20~36)
 (6) 前半部のまとめ (12:42~47)

巻7 最後の晩餐
 (1) 洗足 (13:1~20)
 (2) 最後の教え (13:21~38,14:1~31)

巻8 十字架と復活
 (1) 逮捕 (18:1~12)
 (2) ユダヤ人共同体における尋問 (18:13~27)
 (3) 総督邸における裁判 (18:28~19:16)
 (4) 処刑・埋葬 (19:17~42)
 (5) 復活物語 (20:1~29)

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