ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/17

2012-10-18 06:34:24 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『初期ユダヤ教の実像』を読了。『エチオピア語のエノク書』を読み始める。明らかに以前読んだ形跡があるが全然記憶にない。創世記6章のネフィリム神話について述べている部分など非常に面白い。松山大耕氏より「仏教は救済を保証しないほとんど唯一の宗教だ」という返事があった。キリスト教における救済論について考える。9時半に就寝。5時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:26:11

文屋 知明 前後の文脈は把握してないが、「仏教は救済を保証しないほとんど唯一の宗教だ」と言う「返事(?)」は理解できない!

文屋 善明 「昨日のツイート」に前後の文脈が報告されています。

#losungenj 10.17(wed)
主よ、私の唇を開いてください、この口はあなたの賛美を歌います。(Ps51:17)
すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、小さな者も、大きな者も、わたしたちの神をたたえよ。(Rev19:5)
posted at 05:47:05
#losungenj 私の黙想:
色々な生き物の口を見ていると、それぞれ面白い。外部にあるエサを胎内に入れるという働きはだいたい共通しているが、その他にも呼吸をしたり、歯をむき出して恐喝したり、武器になって相手を殺したり。人間の口は心の思いを相手に伝えたり、罵ったり、嘘を言ったりする。でも、最も重要で美しい働きは神をほめ讃えることだ。
posted at 06:04:44

文屋 知明 音楽家から言えば「口が神を賛美する美しい働き」のための「思い(心・精神)」を与えられることが幸いなことなのですね!

文屋 善明 ここではそういう哲学的なことではなく、単に人間の口に「歌を歌う」という機能があるということだけを述べているのであり、もちろん、そのような機能を与えてくださったのは神だという含意はあります。同時に同じ口で「汚い歌を歌う」ことも出来ます。そんなことを言うと、すぐに言語障害の人はどうかなどと言う反論が来そうですが、神は必ずその人にも、その人でなければできない神を賛美する道を与えてくださっていると思います。

文屋 知明 「口」を媒介にして「賛美する思い」を表わしているのでは・・、「私の唇を開いてください」には、そのそうな「思い」を与えてくださいということを表わしているように思います。これは「音楽家」の立場で、「思い」が無ければ、「音楽」が生まれない。

文屋 善明 今日の私の黙想は「口」の働きに集中しています。その他のことはどうぞご自由に各自で黙想してください。黙想とは解釈ではなく、あくまでも自由に想うことです。

今日の名言:RT @wisesaw:
行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、 よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し。( 鴨 長明「方丈記」)
<一言>何となくジーンと来る、それが(で)いい。「No」と言いたい気持ちも、いつしか流れ去る。
posted at 06:13:50

文屋 知明 しかし、イエスの言葉は「普遍・不変」と信じましょうか、司祭様。

文屋 善明 イエスの言葉も私と一緒にプカプカ。

「昨日のツイート 10/16」をブログにアップしました。 http://t.co/bQ2QKxvD
posted at 06:53:28

FB<閑暇閑話025> 徒然草第175段 2012.10.17
今日の徒然草は、酒好き人間には一寸耳が痛い話です。これも私の意見ではなく、兼好先生が言っていることなので、参考までにご紹介しておきましょう。途中「箸休め」に私の言葉を<~~>して入れています。
第175段です。(吾妻利秋訳に一寸だけ手を加えました。)
世間には、理解に苦しむことが多い。何かある度に、「まずは一杯」と、無理に酒を飲ませて喜ぶ風習は、どういう事か理解できない。飲まされる側は、嫌そうにしかめ面をし、人目を見計らって盃の中身を捨てて逃げる予定だ。それを捕まえて引き止め、むやみに飲ませると、育ちの良い人でも、たちまち乱暴者に変身して暴れ出す。健康な人でも、目の前で瀕死の重体になり、前後不覚に倒れる。これが祝いの席だったら大惨事だ。翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。生きた心地もせず、記憶は断片的に無い。大切な予定も全てキャンセルし、生活にも支障をきたす。こんなに非道い目に遭わせるのは、思いやりが無く、無礼でもある。辛い目に遭わされた本人も、恨みと妬みでいっぱいだろう。もし、これが余所の国の風習で、人づてに聞いたとしたら、異文化の不気味さに驚くに違いない。
<まぁ、ここまでは少々誇張はありますが、部分部分で心当たりがないことはないでしょう。問題は次の段落です。かなり(昔の)ヨッバライの姿が強烈に描かれています。あまりにも恥ずかしい部分は世間体(国際的)もありますので省略しています。>
他人事だとしても、酔っぱらいは見ていて嫌になる。用心深く、真面目そうな人でも、酔えば、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り散らす。カツラを乱し、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。普段の本人からは想像できない醜態だ。それから、自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば失笑も辞さない話を長々と演説し、仕舞いには泣き出す始末である。部下たちは罵倒し合い、小競り合いを始め出す。恐ろしさに呆然となる。酔えば恥を晒し、迷惑をかける。挙げ句の果てには、窓から落ちたり、車やプラットフォームから転げ落ちて大怪我をする。乗り物に乗らない人は、大通りを千鳥足で歩き、塀や門の下に吐瀉物を撒き散らす。
確かに、この世の酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、ただ単に悪酔いしているだけだ。酒は脳味噌を溶かし、気化したアルコールは業火となる。邪悪な心が広がって、法を犯し、死後には地獄に堕ちる。
<さて、吉田兼好先生も酒はお嫌いではなかったようです。>
以上、酒を飲むと、ろくな事がないのだが、やっぱり酒を捨てるのは、もったいない。月見酒、雪見酒、花見酒。思う存分語り合って盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。何もすることがない日に、友が現れ一席を設けるのも楽しみの一つだ。馴れ馴れしくできない人が簾の向こうから、果物と一緒にお酒を優雅に振る舞ってくれたとしたら感激物だ。
冬の狭い場所で、火を囲み差し向かいで熱燗をやるのも一興だ。旅先で「何かつまむ物があったら」と言いながら飲むのも、さっぱりしている。無礼講で、「もっと飲みなさい。お酒が減っていませんね」と言ってくれるのは、ありがたい。気になる人が酒好きで飲み明かせるのは、楽しい。
ともあれ、酒飲みに罪はない。ヘベレケに酔っぱらって野営した朝、家主が引き戸を開けると、寝ぼけ眼で飛び起きる。髪を乱したまま、着衣を正す間もなく逃げる。裾をまくった後ろ姿や、細い足のスネ毛など、見ていて楽しく、いかにも酔っぱらいだ。

ここ数週間悩み、海外のエイジェントと何回メールを交換したことだろう。A-Bibleのダウンロードとインストール、結局解決がつかず最後の手段として西宮の孫息子に電話で相談。なんとまぁ、僅か5分足らずで完全修復。分かっているって、すごいもんだ。
posted at 20:50:22

<補遺>昨日は昼間に一度だけ痰と鼻水の発作に襲われたけれど(原因不明)、ハナノアで鼻の洗浄、イソジンでうがいのダブルパンチで報復、何とか治まった。面白いもので、薬を止めると身体のだるさはなくなるが、時々発作に襲われる。どっちを選ぶか、それは私の問題。


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