ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 02/04

2017-02-07 06:35:41 | ツイッター
お早うございます。主の平和。家内は整骨院へ。私は気になっていたレビ記をまるごと一気読み。不要部分を削除してダイジェスト版を作成。釣川を散策。夕食後、「三匹のおっさん」を見ながら、初めてiPadで原稿をブログにアップした。うまくいった。「ツナグ」を見たが途中でダウン。10時半に就寝。6時半に起床。体温:36.2、血圧(142:72、75)・体調・快調、チュン、チュン。

29 小貫 ツマさん、文屋 知明さん、他27人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

萩野 秀子 おはようございます。耳鼻科、次男の整形外科付き添いです。守られますようにお祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

糸原 由美子 ツナグの中で、きりんさんがホイヴェルスの詩の初めの部分を言ってましたね。最上のわざ・・・

文屋 善明
2月4日 6:54 ·

お目覚めの花。「マンションの廊下に豆が散らばっている光景、これは節分の翌朝だけの喜びだ」「高齢化してきたマンションにも子供たちの嬉しそうな声を思う」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然

40 北村 良輔さん、佐藤 静代さん、他38人
コメント

播 稔 以前は鳩がきて、あっという間にな無くなりましたが、鳩がこなくなって 今でもそのまま豆が散らばっています。

文屋 善明
2月4日 7:07 ·

もう時間切れだ。今朝のローズンゲン以降は時間がかかりそうだから、朝食後に回す。

14 文屋 知明さん、安井 郁夫さん、他12人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
2月4日 7:09 ·

5年前に夢うつつの中で考えたことらしい。
5年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2012年2月4日 ·
今朝、夢うつつの中で考えたことを衆人にさらそうと思う。
実は、何回読み返しても、マルコ8:14-21のイエスの言葉「まだ悟らないのか」の意味がよく分からなかった。従って「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」という言葉の意味も理解できなかった。ここでは一体何が問題なのか。
ヘロデ王はローマ皇帝に多額の貢ぎ物を贈り、その見返りとしてローマの権力を傘にして贅沢三昧な生活をしていた。民衆はその犠牲になって飢えていた。 民衆を満腹させることが王の責任である。しかし ヘロデ王は国民を騙し、食料は足らないと宣伝していた。その意味ではヘロデ王は王としての責任を放棄して、私腹を肥やすことにしか関心を示さない。ユダヤ人の指導者たちは民衆を顧みることなく彼らの言いなりになっていた。
イエスは5000人を満腹させ、4000人を満腹させ、民衆に食料はあり余っているという現実を明らかにした。食料は決して不足していたわけではない。食料は十分にある。民衆は「(権力者の)パン種」にある。民衆は騙されている。
現代でいうと、電力が「食料」に当たる。権力者は電力不足を訴える。これは嘘である。その嘘を暴く人間は生かしておけない。
というようなことを、考えた。

7 安井 郁夫さん、文屋 知明さん、他5人

文屋 善明
2月4日 8:14 ·

2017 日々の聖句 2月4日(土)
人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。(箴言29:24)
もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。(1ペトロ3:13~14)
私の黙想:
ヘブル来語の専門家に言わせると、「罠は人に恐怖を与える」という意味らしい。確かに、「罠」は見えないものである。見えたら「罠」にならない。その意味ではあるのか、ないのかも分からない。それが「罠」の本質である。しかし人間は「罠」があるかもしれないと言うことで恐怖を感じる。その恐怖の感覚は現実的だし確かである。そしてますます「罠」にはまる。そして場合によっては「存在しない『罠』にはまって、足が絡み倒れる。しかし、主は私たちを「高い所」に置かれる。そこでは「罠」のことは心配しないで済む。私たちが人間の世界に身を置いている限り、常に不安がある。しかし神の守りの中にある平安でおられる。神は必ず危ないときに「危ない」と知らせてくださる。だから安心できる。神は「罠」の在る所を知らせてくださる。だから私はそこを避けて通ることができる。今日の箴言は正にそのことを教えてくれる。

32 佐藤 静代さん、北村 良輔さん、他30人
コメント

門叶 国泰 納得、流石ですね。ない「罠」に怯えて80年、否、「守られていた」からか。

文屋 善明 お互いに「罠」に怯えながらも「守られて」80年です。

文屋 善明
2月4日 8:21 ·

今日の名言;犯罪というのは、いつでも国家の中での反国家的行為が冠されることばだ。同じ殺人でも国家の名においてなされるものは、犯罪とは呼ばれない。
死刑だって、戦場における殺人だってそうだ──それは、しばしば《正義》と名づけられることはあるが、決して犯罪とは呼ばれない。だが、国家の権威主義下の秩序を破って行われる殺人は、すべて犯罪だ。(寺山修司)
<一言>まさに「共謀罪」がそれだ。政府の謀は犯罪ではなく、反政府的行為の共謀は犯罪だという。

19 小貫 ツマさん、川染 三郎さん、他17人

文屋 善明
2月4日 8:28 ·

イミタチオ・クリスチ(387)
教会の中で高い地位に就くような人は、神によって人格が鍛えられているので、高ぶるというようなことはあり得ないことだ。高位聖職者たちは全ての才能を神から与えられたものと認め、自己の栄誉を求めない。ただ、人々から聖人として尊敬されることを願い、日々に励んでいる筈だ。 2:10:21~22

31 佐藤 彰子さん、岩村 義雄さん、他29人
コメント

清水 晴好 そうあって欲しい。

文屋 善明 皮肉です。

荒又 敏徳 うーん、自己の栄誉を求めない、のと、聖人として尊敬されたい、のとどう釣り合いが取れるのか。高位聖職者も野心があるのは変わりないと思います。

荒又 敏徳 人に褒められたら最後、天の父の報いは受けられないとイエス様は言っていますね。

文屋 善明 ちなみに、この文章を由木訳では次のようになっています。「神のうちに堅実に建てられていたので、彼等はどんなときにも高ぶることはできなかった。彼等は自分の受けた祝福をことごとく神に帰し、互いに誉れを求めず、ただ神から来る栄誉のみを望む。また、全てのことにまさって神が彼ら自身とその全聖徒たちとにあがめられることを願い、そのため常に励むのである(ヨハネ5:44)」。
これは私の意見ではなく、イミタチオ・クリステが言っていることです。

荒又 敏徳 キリストに倣いて、トマス・アケンピスもまた、人であって神ではない、建徳的であろうとしたということでしょう。ありがとうございました。

荒又 敏徳 スレッド記事に絡んだので何ですが、人間味があって良いと思います。

文屋 善明 良い点につけ、悪い点につけ、現在のキリスト教の個人倫理の源流の一つとして押さえておこうと思っています。

荒又 敏徳 いいえ、古典的名著です。が、僕の本棚からなくなって久しいです。パソコンの青空文庫にないかな。

文屋 善明 ないでしょうね。ただ、岩波文庫版ならあると思います。こちらの方は、もう少しキリスト教への距離感があります。翻訳としては興味がありますが、なにしろ由木先生は私の先輩ですから。不義理はできません。

Mizota Michael Satoshi 教会から離れれば離れるほど自分と神しかいないので、それはそれで十分に傲慢になるのだなあと、最近は自省をしております。

文屋 善明
2月4日 8:31 ·

節分や豆が散らばる寒い朝 善明

25 佐藤 彰子さん、久保和男さん、他23人

文屋 善明
2月4日 8:31 ·

楽しげや散らばる豆に暖まる 善明

26 岩村 義雄さん、久保和男さん、他24人
コメント

播 稔 散らばる豆 が見えるようです。

中尾香鶴子 は

中尾香鶴子 俳句、頑張っておられますね‼

文屋 善明 いつまで続くやら。

文屋 善明さん ( 福岡県 宗像市)。
2月4日 10:44 ·

昨日は、読書をしながらマーマレード作り。美味しいのができあがりました。やはり愛媛の伊予柑で作るマーマレードは格別です。これはどなたにも差し上げません。何故、美味しすぎるからです。
画像に含まれている可能性があるもの:食べ物

52 中野 芳夫さん、平野 宏さん、他50人
コメント

齋藤篤 パンを持っていきなり押し掛けてママレードをつけさせてもらうと言うのは?

文屋 善明 そういう場合は、市販のマーマレードで誤魔化す。

齋藤篤 どこかの落語の話みたいじゃ。

播 稔 愛媛の伊予柑が一番なのでしょうね。

文屋 善明
2月4日 11:14 ·

「今週のローズンゲン 2017/01/29~02/04」

BLOG.GOO.NE.JP

12 中野 芳夫さん、Izumi Naraさん、他10人

文屋 善明
2月4日 11:40 ·

「昨日のFB 02/02」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

17 中野 芳夫さん、佐藤 彰子さん、他15人

文屋 善明
2月4日 12:03 ·

その通りだと思う。この「思う」は「信じる」に通じる。健康や幸せを妨げる奴、ほら、そこらにうじゃうじゃいるでしょう。それが「オニ」やで。やっぱりオニには出て行ってもらおう。
自動代替テキストはありません。
服部 弘一郎さんがWordPressで記事を公開しました。
2月4日 8:24 ·
WordPress
·
節分の豆まきでは「鬼は外、福は内」とかけ声をかけるが、この「鬼」というのは一体何者なんだろうか?  日本の鬼はどうやら日本独自の妖怪のようで、もともと「おに」と呼ばれている存在に漢字の「鬼」の字をあてたものらしい。  中国の鬼(き)というのは、死者の霊や超自然的な神霊のこと。死者の霊という意味では、日本の幽霊に近い。 「断じて行えば鬼神も之を避く」(史記) 「疑心暗鬼を生ず」(列子)  これらは超自然的な神霊や幽霊のことだろうし、日本でも一般的にそのように受け止められていると思う。  日本語の「おに」ももともとは「穏(おぬ)」と同じルーツの言葉で、目には見えない超自然的な存在を意味していたらしい。そういう意味では中国の「超自然的な神霊」にも通じ合い、「おに=鬼」という文字をあてたのだろう。  恐ろしい形相で頭に角がある赤鬼や青鬼は、どうやら仏教の影響で日本に定着したものらしい。地獄の亡者たちを責めさいなむ獄卒たちの姿がさまざまな絵巻などに描かれ、それが鬼の姿になったようだ。  日本でも古い時代の鬼、例えば大江山の酒呑童子や羅生門の鬼などは、赤鬼や青鬼とはまた別の系統にある半神半人の超自然的な存在のようだ。  要するに日本では「鬼」というのが、中国由来の神霊、目に見えぬ超自然的な力の象徴から、肉体を持った暴力的な存在、目に見える妖怪まで、結構ごちゃまぜになっている。  では節分の豆まきに出てくる「鬼」は何なのか?  これは季節の分かれ目に現れる「邪気」のような存在で、これが擬人化されたのが節分の鬼であるらしい。  節分の鬼は民話の中に出てくる物の怪や妖怪ではなく、冬から春へと季節が変化していく中で起きる、人間の肉体的・精神的な変調や、社会的な環境変化の象徴なのだろう。  まあ「季節の変わり目には体調に気を付けて」という話ですかね。そう考えると、節分の豆まきも単なる民間習俗だとバカにはできないと思ったりして……。

https://eigajournal.wordpress.com/…/%e9%ac%bc%e3%81%a8%e3%8…

コメント

Mizota Michael Satoshi こう考えると『姦淫の女に石を投げる』の再解釈として、『恵方巻に豆を投げる』というのもありかと。『罪のないものが豆を投げなさい』とか。

文屋 善明
2月4日 16:16 ·
WordPress
·

巻き寿司が悪いのではなく、それを大々的に売り出したコンビニが悪い。

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56 Luke Etsuzou Nomahさん、Nozomi Moriwakeさん、他54人
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播 稔 大阪の寿司屋の売りこみのための「惠方巻」。

櫻井啓子 聖おにいさんで、集まった七福神が「これ、切って食べるのよね?」というネタが。笑

Mitsuaki Noma 同感です。こんなアホみたいにコンビニが乱立している国は、日本だけですよね。
本当に環境のことを考えるなら、コンビニを今の半分にする法案とか出さないとダメだと思います。

文屋 善明 寿司屋で売っているレベルではお客の顔を見て巻いているので問題ではありませんが、それをコンビニで扱い始めると、大量生産大量販売の論理により、意味が変形してしまう。そこが問題です。

Mizota Michael Satoshi 食品ロスが出たかどうかはきちんと確認したいですね。どこかにデータが転がっていないか。。。

荒又 敏徳 節分は豆まきで十分です。

文屋 善明
2月4日 19:29 ·
WordPress
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映画評論家服部弘一郎さんのブログからもう一つ。こちらの方は私の専門領域に近い。私はほとんど同意見です。

鬼とは何者なのか?
 節分の豆まきでは「鬼は外、福は内」とかけ声をかけるが、この「鬼」というのは一体何者なんだろうか?  日本の鬼…
EIGAJOURNAL.WORDPRESS.COM

9 中野 芳夫さん、清水 晴好さん、他7人
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糸原 由美子 桃太郎に退治された鬼は外国人という説もありますね。ところで大江山の鬼退治以来鬼たちはワタナベサンとサカタサンを警戒しているため、両家では豆をまかなくていいらしいですよ。

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