ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

断想:父と子、そして母

2016-01-03 17:14:01 | 説教
断想:父と子、そして母 (降誕後第2主日のテキストによる)

<テキスト Lk2:41~52>
さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
<以上>

1. 12歳のとき
キリスト者であった両親はクリスマス・プレゼントに子供向きのイエスの生涯をそれぞれの年齢に応じて与えてくれた。その中でも、12歳の少年イエスが年老いた学者たちに囲まれ、賢そうな目を向けて会話をしてる情景は忘れられない。私にとってそれがイエス像の原形である。
大人になってもそのイメージはなかなか消えない。イエスは確かに賢かったのであろう。そのイメージは今でも私の頭の中にはある。しかし不思議なことにそのイメージはあまりにも私たちの現実からかけ離れすぎていて、決してあのようになりたいというモデルにはならない。むしろ、その姿はまるで微分・積分をスラスラと解いてしまう小学6年生みたいで、むしろ「おしゃま」でいやらしささえ感じる。そういう少年イエスよりも、腕白で親のいうことも聞かないで人混みの中ではぐれてしまって、途方に暮れている田舎の少年イエスの方がはるかに魅力的である。

2. 典型的ユダヤの少年像と優秀な少年というイメージ

なぜルカはこの記事を書いたのだろうか。この記事がここに挿入されることによって、イエスのイメージはどのような影響を受けるのだろうか。もし、この記事がなければ、私たちは神話的に彩られた誕生物語からいきなり「およそ30歳」(Lk3:23)のイエスに出会うことになる。その結果、神秘的な誕生をした幼児と人々の前に現れる宗教家イエスとの間には深い深い谷間が横たわり、私たちには「神秘的なイエス像」が強調されることになる。その意味ではルカが描く12歳の時のイエスのエピソードは、ナザレで両親のもとで「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれて」(40節)いるイエスと30歳になったイエスとをつなぐ高い吊り橋の中央部から谷底をのぞき込むようにして見える健全な少年イエスの姿である。そこには「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(52節)いるイエスの姿が垣間見える。このイエス像に比べると洗礼者ヨハネの場合は日常性からかけ離れた「荒れ野」(Lk1:80)で少年期を過ごし、そのままの姿で人々の前に現れた。いわば神秘に包まれた預言者である。

3. 平凡な少年

この箇所を読んでいて、「イエスが12歳になったときも」(42節)という言葉の「も」にふくらみを感じる。両親は毎年過ぎ越の祭の時エルサレムに旅をしていた。その習慣は「イエスが12歳になったときも」行われた。しかも、それは「祭の慣習に従って」の行為であったという。つまり、ここで強調されている点は、イエスは当時のユダヤ人の「慣習に従って」育てられていたということを意味している。そこには、何か「特別な少年」はいない。12歳の少年イエスは平凡な家庭において、平凡な両親によって育てられた一人の平凡なユダヤ人少年であった。全世界のすべての平凡な両親が求める「理想の少年」の姿が、40節と52節に繰り返されている。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」(40節)「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(52節)。

4. 「父の家」

さて、その平凡な少年の育ちにおいて12歳という年齢が注目される。ここで親と子との関係が変化する。少年は12歳のとき、「親に連れられて」という姿から「親から離れて」という生き方へと変化する。親はいつまでも子どもを自分の手に繋いでおこうとする。しかし子どもは健全であればあるほど成長すれば親から離れる。それが当たり前である。子どもは産み、育ててくれた両親から離れて「自分の父の家」を求める。それが「当たり前」(49節)である。「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」(50節)と言う。しかし分からなくてもいい。それは少年の心の中の問題である。

さて、このエピソードのカギとなる言葉は「父」である。母マリアは「神殿の境内で学者たちの真ん中に座」っているイエスに向かって「お父さんもわたしも心配して捜していた」と言う。それに対してイエスは「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」と答える。ここで用いられている「父の家にいる」という言葉は正確ではない。直訳すると「父のものの中にいる」である。物語の流れとしては「父の家にいる」と訳す方がスムースであるが、問題は場所としての「家」ではなく関係としての「父」である。この言葉を聞いたときの母マリアの驚きはどうであろう。父ヨセフも同様である。イエスにとって「父」とは何か。
マリアの「お父さんもわたしも」という言葉にはイエスに対する独占排他的匂いがする。イエスはわたしの子、わたしが腹を痛めて産んだ子と意識が強い。その意識が強ければ強いほどイエスの「父のものの中」という言葉は強烈である。しかし、この点でもわたしたちはイエスを特殊化してはならない。すべての親子関係にもこの関係は存在する。
ここでのイエスが口にした「父のもの」という言葉は、イエスがこの世での生涯の最後、十字架上で息を引き取る直前に語った「父よ、わたしに霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)に呼応する。この言葉を記録しているのはルカだけである。

旅を終え、ナザレに戻り、イエスは今までと同じように、「両親に仕えてお暮らしになった」(51節)。ここで「仕える」という言葉が用いられていることは注目に値するが、もうこれ以上は説明が不用であろう。ただ、一つ重要なことは「母はこれらのことをすべて心に納めていた」(51節)という言葉が光っている。母親の偉大さは自分の肉体の分身である子が自分を乗り越え、自分から離れ、自分の知らない世界に飛び立つのをじっと見つめることによって、その子のすべてを心の中に納める。納めることによって母親はその子よりもさらに大きい。母親の偉大さはこのことをすべて理解し把握するところにあるのではなく、未知の、理解を超えたこの世界を包み込むところにある。

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