ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

「爆笑問題の哲学ということ」を読む

2007-12-28 11:41:52 | 雑文
爆笑問題のニッポンの教養というシリーズがある。元々はNHKのテレビ番組を、編集して出版したものらしいが、わたしは見たことがない。その中の一つが哲学を扱ったのが「哲学ということ」である。哲学者野谷茂樹教授と漫才師爆笑問題の二人の対論が報告されている。野谷教授は東大教授でウィトゲンシュタイン研究の第1人者と言われている。
この対論は「『心って何?』と聞かれたら何と答えますか」という質問から始まる。爆笑問題特有のギャグを交えながら、「心とは何か」という議論を展開しながら、実は本当のテーマである「哲学とは何か」ということを追求するという、ちょっと変化球ぎみの趣向になっている。
これはわたしだけの私的問題かも知れないが、テレビで見ているときには、太田君の表情や、仕草から、これは「混ぜっ返しだ」とか、これは「本気だ」とかわかるので面白いが、活字になってしまうと、その辺の情報が不足するため、爆笑問題のテンポの速いヤリトリにはなかなかついて行けない。わたしの経験からすると、まずざーっと目を通してから、もう一度初めから読み直すと、対論の展開がよくわかり、それなりに面白い。
どうやら、野谷教授はすべての存在するものは「言葉」によって表現されるが、そこに「言葉」でつかまらないものがあり、それが「その他」としての心であると考えているようである。それを読みながら、わたしなりに理解すると、心とは「白いキャンバスのようなもの」、あるいはすべてのものがその上に存在する「地(じ)」である。西田哲学ではそれを「場」と言った。
そのような議論を展開しながら、議論の出発点は「心とは何か」ではなく、「心とは何かと問われたら、どう答えるか」ということで、このあたりに「ウィトゲンシュタインの哲学」が成立するということらしい。少し、皮肉な言い方をすると、「哲学」を「学問」と思うから間違いが起こるのであって、「哲学」と呼ばれている人間の営みは「茶道」とか「華道」や「武道」のように「道」なのであって、言うならば「考える道」であり、「哲道」と言った方がふさわしい。はっきり言ってしまえば、「学問」というより「趣味、道楽」の世界である。従って、問題が提起され、それについて考えることそのことが楽しい「哲道」であって、「答え」が出てしまったら、まず「ファイナルアンサー」が出ることはないのだが、出たとしたら、問題はすべてなくなり、日常性(=元のところ)に戻ることを意味する。

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