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ぶんやさんの記録

読書記録:竹下節子『キリスト教の真実』

2017-11-03 10:08:09 | 雑文
竹下節子『キリスト教の真実~西洋近代をもたらした宗教思想』(ちくま新書)を読了。

何カ所か「目から鱗」という経験をする。私はキリスト教徒の2代目半で、生まれたときから教会に出入りし、自宅が教会になった者である。つまりキリスト教の環境にどっぷりという私でさえ、この本を読んであまりにも知らなすぎることが多いことに驚く。「政教分離」という最も基本的な制度さえ、いかに表面的にしか捉えていなかったのか恥ずかしくなる。著者は自身のブログで本書についての「著者コメント」を書いておられ、そこで次のように述べている。
<ところが、民主主義下の政党が宗教理念を掲げること自体は、世界では別に珍しいことではない。日本のように、軍国主義の基盤となった国家神道から、敗戦によって、天皇が「神」から一転して「人」になり、無神論的な過激な政教分離の「民主主義」になった国のほうが特殊だ。国王を殺したフランス革命でさえ、ナポレオンの時代にはカトリック教会と和親条約を結んだし、神の国の建設を目指して植民者が開拓したアメリカのような国では大統領が盛んに「神」を口にしてはばからない。ドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」の党首だし、イギリスのエリザベス女王は英国国教会の首長である。>
著者は本書でこうなっている歴史的事情を詳細に論じている。民主主義とか自由・平等という概念にしてもその背景にあるキリスト教との関係によって各国間の理解は多様である。この点について、著者はまた、こうも言う。
<彼らが狡猾なのは、それだけ異質なくせに、非キリスト教世界や非欧米世界に向けては、まるで申し合わせたように同じ口調で「民主主義」や「自由・平等」などを唱えるところだ。これでは、「圏外」の人にはなかなか実態を見抜けないし、「使い分け」のリテラシーも身につかない。特に、たとえばアングロ・サクソンの情報源に頼っていれば、無神論系やラテン系の民主主義のニュアンスをつかむことは難しいし、「欧米」内談合の機微をうかがうのも楽ではない。>
ともかく、非常に刺激的な書である。

竹下節子『キリスト教の真実』を読み始める。ユダヤ教の普遍とヘレニズムの普遍との関係を問い直す。(2013.3.16)

竹下節子『キリスト教の真実』を続読。キリスト教の特徴は民俗学的には「返礼なき贈与の義務化」であり、哲学的には「普遍的犠牲愛」である。これがその後に展開するキイポイント。

『キリスト教の真実』を続読。「暗黒の中世」は決して暗黒ではない。むしろ諸民族(文化)が激しく交流し、ギリシャ語、アラビア語、ラテン語間における翻訳という作業が活発になされ、修道院、聖職者たちが大活躍した時代であった。

『キリスト教の真実』を続読。宗教改革と政教分離という概念。とくにアメリカの政教分離の特徴。ますます面白い。

『キリスト教の真実』を続読。日本における政教分離の思想、自由の観念を巡って。神なき自由とは。

『キリスト教の真実』を続読。フランスにおけるライシテ(政教分離)の実態。神と民主主義。「政治的に自由な個人」の目覚め。フランスにおける公教育。旧植民地からの人口流入による「信仰の自由」の問題。等々、きれい事では済まされない宗教と政治の関係。

『キリスト教の真実』を続読。レオ13世による資本と労働についての教勅。ウィクリフ、フス、カルヴァン等宗教改革者たちによる金(利息)についての思想の近代化への胎動。

『キリスト教の真実』を続読。カトリックの合理主義とプロテスタントの合理主義の違い。ルソー、カントの思想の影響をどう受けとめるか。

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