ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 04/11

2017-04-13 14:03:19 | ツイッター
お早うございます。主の平和。孫息子が無事到着。朝食後、家内は整骨院へ。私は風邪気味で2時間ほど寝る(OTB)。昼食後、再び寝る。ベッドで読書、『唐牛伝』、ちょうど半分ほど読んだが、部分部分は面白が全体として焦点がぼやけている。読者が唐牛のことを知っているという前提のようだ。テレビから森友学園問題、昭恵夫人問題は消えた。もっぱら海外ニュースばかりだ。夕食後、池上さんのニュース、報ステを見て10時半に就寝。5時半起床。体温:36.3、血圧(144:76、79)、体調・異常なし、チュン、チュン

33 辻本 昌弘さん、石田 聖実さん、他31人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
孫息子さんを囲んでの愉しい時間を想像して~♪~♪♪~♪♪♪
今日も、お守りの内に愉しい佳い時間をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。

東山 富昭 おはよう😃ございます。今日は、雨です。主なる神と主イエス・キリストにあって、歩みます。

文屋 善明
4月11日 6:17 ·

お目覚めの花。全体として薄曇り、白に近いピンクの桜の中で、小さいながらも存在を主張しています。一寸棘がありますが可愛いもんです。(花の名前はなんだったけな、桜じゃなくて梅でなくて、杏でなくて・・・、釣川堤防にて)
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、木、屋外、自然

40 真塩 ナナ子さん、辻本 昌弘さん、他38人
コメント

村田 多鶴子 ボケの花でしょうか?

文屋 善明 そうだ、そうだ、ボケでした。それがなかなか出てこないで困りました。私もボケてきました。

大脇 友弘 そのオチを狙ってたなあ🤣

文屋 善明 ハハ、ばれたか。

文屋 善明 付き合い長いからね。

大脇 友弘 楽しまなくちゃ!

文屋 善明 でも、事実は「ボケ」の「ボケ」がなかなか出てこなかったので、調べるのが面倒で、「エイッ」とごまかしてしまいました。村田さん、ありがとうございました。

大脇 友弘 木瓜(ボケ)・・・実が瓜みたいですからね・・・。

文屋 善明 実があるんですか。知りませんでした。

大脇 友弘 https://search.yahoo.co.jp/image/search?fr=top_ga1_sa..

文屋 善明
4月11日 6:36 ·

2017 日々の聖句 4月11日(火)
(だが、)わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。(エゼキエル16:60)
この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。(使徒言行録2:39)
私の黙想:
ノアとの約束か、アブラハムとの約束か、モーセとの約束か、ダビデとの約束かはわからないが、ともかくイスラエルの民は神と契約を結んだ。民の側では常に約束は忘れられ「なかったかのように」なっていたときには「罰」として、約束は反故にされたように見えても、神の側の方では一貫しており破られたことはない。神の側では常に「永遠の契約」であった。これが民と神との基本的な関係であり、イスラエル(ユダヤ人)の歴史観である。
さて、今、この人たちは現状をどう見ているのであろう。この文章において、彼らのことを「この人たち」としか表現できない。今、エルサレムを支配しているイスラエル国は本当に「この人たち」なのか、疑わしいからである。むしろ、そこから追われているパレスチナ難民、あるいはシリア人たちこそが「この人たち」かも知れない。いや、そうに違いない。この契約については、いくら図々しくてもキリスト者が「この人たち」とは言えない。いや、初代教会の人たちは「自分たちこそ、そうだ」と信じていたようであるが。

17 久保和男さん、辻本 昌弘さん、他15人

文屋 善明
4月11日 6:42 ·

今日の名言:@C_G_Jung_jp
知性とは何か。それは人間の魂の機能であり、鏡などではなく、子どもがそれによって太陽を眩しがらせることを期待して、太陽に向ってかざすような鏡の小さな欠片であった。(カール・グスタフ・ユング、『自伝』)
<一言>あまりにも見事な表現なので思わず取り上げてしまいました。ユング大先生がそう仰るのですから、私などは「小さな欠片(かけら)」でさえありません。鏡の裏がはがれて鏡としての機能を失ったガラス片にすぎません。

19 久保和男さん、佐藤 静代さん、他17人

今日の名言:@C_G_Jung_jp
知性とは何か。それは人間の魂の機能であり、鏡などではなく、子どもがそれによって太陽を眩しがらせることを期待して、太陽に向ってかざすような鏡の小さな欠片であった。(カール・グスタフ・ユング、『自伝』)
<一言>あまりにも見事な表現なので思わず取り上げてしまいました。ユング大先生がそう仰るのですから、私などは「小さな欠片(かけら)」でさえありません。鏡の裏がはがれて鏡としての機能を失ったガラス片にすぎません。

文屋 善明
4月11日 6:51 ·

現代文イミタチオ・クリスチ
第16章 私の心を燃やして下さい
修道者:
主なる神よ、私がもっている良いものはすべてあなたから与えられたものです。なのに、私はあなたに、これ以上何を願えばいいのでしょうか。私は貧相な虫けらにすぎません。だから、口を開けば、つまらなさがよりいっそうばれてしまいます。私には誇るべきことは何一つありません。
主よ、そのことだけは覚えておいてください。あなたは絶対に清く、正しく、全てにおいて良いことで満ちておられます。しかし、あなたは厳しい方で、罪人にはお目を止められません。
主なる神よ、私を忘れないでください。あなたのみ業が無駄にならないように。あなたから見離されたら、私はこの世において生きることもできません。だから私から目を離さないでください。あなたのご配慮を速やかに実行してください。あなたのご配慮がなくなると、私の魂は干涸らび、土の塊のようになってしまいます。
主よ、私があなたのみ旨を行なうことができますように。御前を正しく、へりくだって歩くことができますように。全知全能の神よ、あなたは私が生まれる前から、私のことをすべてご存じです。 (2:16:1~10)

18 久保和男さん、大野 泰男さん、他16人

文屋 善明
4月11日 6:54 ·

ニーチェ・短歌
(43)友人は察知が上手く沈黙し秘密を厳守する者がいい
(『ツァラトラストラ 上』(第1部(14)「友人について」) P.119
(44)たくさんの短い愚行が愛であり長い愚行が結婚である
(『ツァラトゥストラ 上』第1部(21)「自由な死について」第22節) p.127

16 松沢 直樹さん、久保和男さん、他14人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
4月11日 7:58 ·

5年前のローズンゲンです。私の秘密が書いてあります。
5年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2012年4月11日 · 福岡県 宗像市 ·
losungenj 2012.04.11(wed)
神は、わたしの労苦と悩みを目に留められた。(Gen31:42)
パウロの言葉:わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。 (1Cor15:58)
私の黙想:
神が「目を留められた」ら、もう大丈夫。ここに至るまでが大変だった。神が目を留められたら神の民の歴史の潮の目は変わる。出エジプト記2:25「神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」。私はこの言葉が大好きだ。これが祈りの手応え。この変化は世の権力者には見えない。


6 橘 智さん、辻本 昌弘さん、他4人

文屋 善明
4月11日 8:48 ·

「昨日のFB 04/09」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 久保和男さん、川染 三郎さん、他9人

文屋 善明
4月11日 11:11 ·

非常に重要な報道なので、1頁と2頁とを合わせて、以下にコピーしました。ぜひ、お読みください。現在の官邸がいかに天皇の意志を無視し、押さえ込んでいるのかが、はっきりします。最終的には官邸側の「伝家の宝刀」宮内庁人事にまで手を突っ込んで天皇のご意向を押さえ込んでいます。
<以下、本文>
(平成と天皇)プロローグ・退位をめぐる攻防:上 
退位、陛下の揺るがぬ信念(2017年4月11日)
記者会見で今井敬座長は、一代限りとした理由として「譲位はもともと非常に問題」「皇統の継続に非常に問題があることを理解して欲しい」と語った。宮内庁関係者によると、この言葉に、納得がいかない表情を浮かべた人物がいた。天皇陛下だった。
陛下の退位の意向は、象徴天皇の理想像を完遂させる思いからだ。即位以降、象徴のありようを模索し、ハンセン病療養施設や被災地の訪問を重ねるなど、国民に寄り添う姿勢を貫いてきた。体力の衰えによりその活動ができなくなるなら、次の世代に譲るべきだという信念があった。
歴代の歩みで、譲位した天皇は58人。「譲位は歴史的にも驚くようなことではない」と周囲に語り、鎌倉幕府と戦った後鳥羽上皇など一時期をのぞけば、譲位があったからこそ平和に代替わりできたとの歴史認識も繰り返し口にしたという。
陛下が有識者会議の検討に口を挟むことはなかったが、この間の宮内庁の対応に、陛下の思いに沿おうとする姿勢がうかがえた。
例えば2016年11月、西村泰彦次長は会見で「公務を大幅に減らすのは難しい」と述べ、陛下が大切にしてきた公務が縮小されないよう有識者会議に釘を刺した。
陛下の強い意思は、16年7月13日夜にNHKが「生前退位」の意向と最初に報じたときにも表れる。放送後、宮内庁の山本信一郎次長(当時)は、報道陣に「報道されたような事実は一切ない。事実無根」と火消しにまわったが、静養先の葉山御用邸(神奈川県葉山町)でそのやり取りの報告を受けた天皇陛下は、こう語ったという。
「事実無根? 無根ではないですよね」(註:これは天皇のお言葉)
歴史上、初めて即位時から憲法で象徴と定められた明仁天皇。高齢となり、全身全霊で務めを果たせなくなったとして退位する見通しとなった。およそ30年の平成という時代に、陛下が追い求めた象徴天皇像はどんなものなのか。政府や国民はどう受け止め、皇室は今後どうなるのか。「平成と天皇」シリーズで随時考えたい。プロローグでは陛下の退位への思いをたどり、首相官邸や宮内庁での攻防を検証する。
2015年秋、宮内庁から陛下の意向伝達「退位」、回避を探った。
天皇陛下の退位をめぐり、宮内庁と首相官邸が初めて正面から向き合ったのは、2015年秋のことだった。
「12月23日の陛下の誕生日会見で、お気持ちを表明していただこうと思っています」。この頃、宮内庁の風岡典之長官(当時)が、首相官邸の杉田和博官房副長官に陛下が退位の意向を持っていることを伝えた。
「何とか、お待ちいただけないか」。寝耳に水だった杉田氏は、とっさにそう反応した。一度でも退位を認めれば、皇位継承のあり方が根底から崩れかねない。難色を示した背景にはそんな思いがあった。
戦後間もない1947年に制定された皇室典範は、天皇の逝去によってのみ皇位が継承されると定める。明治時代に定まった「終身在位」の原則は、退位が時に政争の具ともなった歴史を鑑みた制度で、象徴天皇制となった新憲法下でも受け継がれた。政府内では、皇位継承順位が誰の意思も介在せず自動的に決まることが、皇室安定の基盤だという捉え方が強かった。
天皇誕生日に合わせたお気持ち表明は官邸の慎重姿勢もあって見送られた。だが、退位を望む陛下の意向は強く、官邸も何らかの対策は必要だと考えていた。杉田氏と風岡氏は、公務の負担軽減に向けた検討を水面下で進めることでいったん折り合った。
「摂政の要件を緩和することで、退位の意向を押しとどめられないか」。官邸幹部らはまず、摂政を設けて陛下の負担を減らし、情勢を見極めようとした。
ただ、いまの皇室典範が定める摂政は、天皇が意思表示などをできなくなった場合に限り、国事行為の代行を想定する。いくら要件を緩和しても、象徴天皇としての公的行為が難しくなりつつあるいまの陛下に用いるのは考えにくかった。政府関係者は「摂政の要件緩和は、退位を回避するための案だった」と語る。
官邸には、「退位の意向」が表沙汰になり、政治課題となることを避けたい事情もあった。
16年夏には参院選が控えていた。安倍晋三首相は悲願の憲法改正に向け、衆院に続き参院でも改憲原案の国会発議ができる「3分の2勢力」の獲得を目指していた。この時点では衆参ダブル選挙も選択肢としていた首相に、新たに「退位」を抱える余裕はなかった。「退位の是非が選挙の争点になることは避けたかった」。官邸幹部は、そう振り返る。
2016年夏、NHKの報道が先行、主導権確保へ、一気に動いた。
参院選で自民党が圧勝した3日後の昨年7月13日夜、NHKが「天皇陛下、退位の意向」と報じた。官邸幹部たちはメディアに対し、「退位の意向」を一様に否定。菅義偉官房長官は翌14日の記者会見で、「(意向は)全く承知していない」と言い切った。
「陛下の考えを忖度して情報を流した」(首相周辺)。官邸内では宮内庁に対する不信感が広がった。参院選後に先送りしていた退位をめぐる議論が、報道により表面化したためだ。菅氏や杉田氏らが、8月以降に何らかの形で陛下のお気持ちを公表することを検討していた矢先でもあった。
それでも、首相らは退位を恒久的な制度とすることには慎重だった。退位の意向が報じられた後、周辺に「典範の改正には持っていきたくない」と漏らした。皇室典範を改正し、今後すべての天皇に退位を認めるような抜本改革をすれば、政権の支持基盤である保守層の反発は避けられない。さらに、典範の改正論議が憲法問題に波及すれば、そこに膨大な時間と労力を要するのは確実で、参院選の勝利で前進した憲法改正の道筋は描きにくくなる。
ほどなく、「法の番人」とも言われる内閣法制局が助け舟を出した。「一代限りの特例法ならば、退位は可能」。こんな見解を内々に官邸に伝えてきたのだ。将来にわたり適用できる退位の要件は定めず、いまの陛下の事情を考慮して特例的に退位を認める。官邸の基本方針は、この段階で固まった。
一方、退位に賛成する圧倒的な世論を官邸は警戒していた。当時、報道各社の世論調査では8~9割が退位を支持。「世論が『陛下の意向通りにやらないとおかしい』となりかねない。じっくりと冷静に議論を進める必要がある」。7月末、首相側近は周囲にそう語っていた。
8月8日、陛下のビデオメッセージが公表された。「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないか」。約11分間のお言葉には、退位の意向が強くにじんでいた。摂政にも言及し、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と語り、事実上否定した。
「天皇陛下が『ご発言されたこと』を、重く受け止めております」
首相はお気持ち表明の直後、記者団にそう語った。陛下のお気持ちを受けて退位を検討するのではなく、陛下の現状に対する国民の共感を踏まえ、法整備に動く。首相発言にはすでに、特例法を前提にした理屈が込められていた。
官邸はこれを機に、一気に巻き返しに出た。宮内庁の幹部人事に手を入れ、9月23日の閣議で風岡長官を退任させ、次長の山本信一郎氏を後任に据えた。山本氏の後任次長には官邸中枢から、杉田氏とのパイプが太い内閣危機管理監の西村泰彦氏を送り込んだ。官邸スタッフは「菅氏の肝いり人事」と説明。官邸から宮内庁ににらみを利かせる狙いがあった。
さらに、退位をめぐるもう一つの仕掛けも公表された。政府は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設け、10月から有識者に退位をめぐる議論を進めてもらうことにした。「会議を通じ、典範改正がいかに難しいかを示したい」。政府関係者はそう語った。議論の主導権は官邸が握っていた。
<以上>
<以下私見>
新憲法下における「象徴天皇制」について、すべての日本人の中で誰がもっとも、考え抜いた「専門家」は誰か。それは現在の天皇以外にはいない。天皇は昭和天皇が生涯の途中で憲法が変わり、天皇の位置づけが変わったときの経緯をもっとも身近なところで見てきて、昭和天皇の悩みをもよく知った居られる。この点について現在の天皇以上の歴史的証人は存在しない。また、ご自身がその「象徴天皇」に即位して以来、「象徴天皇」とは何か、どうあるべきなのかを考え抜き、さらに天皇制の歴史もご自分自身のこととして考えてこられた「専門家中の専門家」である。この「専門性」から考えたら「有識者」も素人である。なぜ、この専門家の意見を聞かないのか。それこそ、天皇の政治的利用ではないか。私は天皇のあり方等についてはいわゆる「政治問題」ではないと考える。だから、もっと素直に天皇のご意見を伺おうではないか。その意味では、官邸は天皇の「臣下」にすぎないではないか。
画像に含まれている可能性があるもの:1人

31 久保和男さん、川染 三郎さん、他29人

文屋 善明
4月11日 16:09 ·

ローマ教皇の権威への疑問
私がどうしても理解できないことは、使徒ペトロが初代ローマ教皇になったという点である。パウロがローマに行ったということについては使徒言行録にも記録があり、否定できないでしょうが、使徒ペトロが、いつ、どういう形でローマに行ったのかわからない。というより、それはほとんどあり得ないだろうと推測する。
初期の教会の中心はあくまでもエルサレム教会(「母なる教会」)であり、そこの実権はイエスの弟とされるヤコブが握っており、晩年の使徒ペトロはエルサレム教会の形式的代表者であり、そこで殉教したのではないだろうか。
この世の政治権力の中心はローマにあり、その意味ではローマにある教会はキリスト教の宣教活動としては拠点的な意味があったであろうが、それ以上ではない。あくまでも西の端の地方教会にすぎない。
当時のキリスト教世界は、エルサレム教会を中心にしてエフェソ、コリント、コロサイ、フィリピ等のそれぞれ半分独立した形で分散しており、それぞれがいわば「主教(エピスコポ)」によって指導されていたであろう。そういう状況が2〜3世紀ほど続き、ローマ帝国がキリスト教を公認し、ローマ帝国の宗教という地位を確立して以後、一挙にローマ教会が「キリスト教世界の中心的機能」を持ち始めたのであろうが、各地の教会はそれぞれ独立性を保ってたものと思われる。
その意味では、ニケア会議の結果、諸地方の教会がそれぞれ独立したままでローマ教会の指導性を承認したものと思われる。
しかし、その段階でもローマ教皇の「唯一性」が確立されたわけではなく、むしろ神学的な中心はアレキサンドリア辺りの東方教会にあったものと思われる。いわゆる「ギリシャ語のキリスト教」である。
従って、11世紀の東西教会の分裂も東方教会はローマから分離したというようなことではなかったのはないだろうか。
この一連の歴史のスケッチにおいて「ペテロの座」の成立の根拠は非常に薄弱である。

29 望月 克仁さん、佐藤 彰子さん、他27人
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コメント

Mizota Michael Satoshi おっとこれは面白い。私も同じことを考えてましたんで。。。ペトロは二人以上いたら解決します。名前もいくつも変わってるんでそこらへんは自由自在に。。。

文屋 善明 「使徒ペトロ」は、日本における歌舞伎世界のように、一種の芸名で「初代ペトロ」「3代目」「5代目」とかそれはあり得るでしょうが、そうなると、西と東とで「ペトロの座」の争奪戦があって、金の力で西が勝ったとか。

文屋 善明 この問題については、私はあくまでも素人なので、プロの方のご意見に従います。

清水 行雄 信仰抜きに、純粋に世界史の知識の話としても、興味深い話です。ありがとうございます。

Mizota Michael Satoshi え、ペトロってクレネ人では?

文屋 善明 どさくさに紛れて、もう一つわからないこと。カトリック教会っていつからカトリック教会と言い始めたのでしょうね。ご承知にように、これはこれはカトリケー、つまり普遍的、現代的にいうと「グローバル」、これは明らかにギリシャ語系の教会の「オーソドクシー」つまり、伝承ということを大切にしているということで、「オーソドクシー」は時間の流れ、「カトリケー」は広さの概念、どちらが咲きかわかりませんが明らかに相互に意識している、「本店争い」みたいなもの。この辺の歴史的な経過がわかりません。

Mizota Michael Satoshi え、正教もカトリケーだと言ってますし。。。

文屋 善明 「グリーク・オーソドクシー」で、この「正教」の正とは正統なという意味でしょう。

Mizota Michael Satoshi その場合は正統性ですね。日本語の「正統」が当たる。正しい系統という意味で。それなら聖公会は明らかにカトリックなんだけど、同時にオーソドックスともいわなきゃならなかった。。。別にローマからの枝はどうでもよろしくて、ふるくは東方から伸びてきた枝なんだから。

文屋 善明 単純に誤変換でした。直しました。

Mizota Michael Satoshi 「正当」ってむしろカトリックの訳語としていいかも。。。

Mizota Michael Satoshi 「カトリック」かつ「オーソドックス」かつ「エピスコパル」かつ「ヒストリカル」ってところでしょうか。「かつ」を「または」にすると、一気にプロテスタントになります。

Mizota Michael Satoshi 主教按手の要件ってありませんでしたっけ?三人以上でないとなんとかとか、、、、

Mizota Michael Satoshi よく考えると内容がもったいない。私の部屋にシェアさせていただきます。

文屋 善明
4月11日 20:42 ·

あ〜あ、外務省の公式文書(パンフレット)に「政府要人」だって。それでも、私人か。いや、あれは私の知らんところで外務省とかないとがやったこと。と言ったら、夫婦関係が疑われる。困ったなぁ、ねぇ、世耕くん、なんとかならんかね。

田中 隆夫
4月11日 20:04 ·
tomoko isobe(脱被曝に一票)‏ @sobtomk
ほんとだ。すごいなあ。
外務省のHPの資料に、日本政府要人として安倍昭恵夫人が紹介されているよ。★Amorphous‏ @venusparadox
安倍総理終わりました。
これ大切、 …。

18 大脇 友弘さん、越山 香菜子さん、他16人

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