ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/02

2012-11-03 06:35:51 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は『キリスト教の揺籃期』続読。1世紀末から2世紀初めにかけてのキリスト教はユダヤ教から完全に分離した。注目すべき文書はヘブル書。旧約聖書に対する自由な解釈。午後からインフルエンザの予防注射、前日に録画した村上弘明主演の「刑事の証明」を見る。電気絨毯をオン。10時半に就寝。5時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:24:00

#losungenj 11.02(fri)
主の救いを黙して待てば、幸いを得る。(Lam3:26)
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。(Luk21:19)
posted at 05:40:07
#losungenj 私の黙想:
哀歌第3章の主題は、何故正しい者が世間からイジメられるのか。この人生における根本的な疑問に対する答えは自分自身で考えて出てくるものではない。いろいろ原因を考えても心当たりはなく、出てくる答えはすべて中途半端なものである。その時に対する答えは神から来るしかない。神だけが私の正しさを知り、苦しみの理由を教えてくれる。だから、「黙して待て」。
posted at 06:03:57

望月 克仁 アーメン

水草 修治 新改訳では哀歌3:26は「 主の救いを黙って待つのは良い。」です。

文屋 善明 友人、門叶さんによると、待つという動詞の前に接続詞「ヴェ(and)」が付いているとのこと。この接続詞によって「黙まる」と「待つ」とがそれぞれ意味を持ちつつ、それらが合わされている。従ってたこの沈黙はただの沈黙ではなく、「待つ」という非常に積極的な姿勢を含む「沈黙」という意味であろうと思います。

水草 修治 ヴェ・ドゥマームのヴェにそういうニュアンスが。なるほど。ですが、新共同訳の「幸いを得る」という訳は、どうかな、と疑問です。ここでは、「・・・は良い(トーブ)」が正解だと思いますが。

文屋 善明 私も「幸いを得る」は意訳しすぎだと思います。「黙って待ってろ」「黙って待つがいい」。日本の諺の「果報は寝て待て」とは違うと思います。寝て待つのではなく、起きて待つ。この場合、「トーブ」は軽く、それでいいというニュアンスでしょう。

今日の名言:RT @meigennavi:
アイデアというものは、それを一心に求めてさえいれば必ず生まれてくる。(チャップリン)
<一言>これは一種の神秘の世界。「ああでもない、こーでもない」とその周辺をウロウロと考え回っていると、不思議にふっとわき上がってくる。それを大急ぎで捕まえる。このアイデアには後ろ髪がないので、後から追いかけても捕まらない。前で待ち構えているしかない。
posted at 06:26:37

「昨日のツイート 11/01」をブログにアップしました。 http://t.co/nhX4S7Zz
posted at 06:57:54

今日のこころ旅 は、高松の港から小豆島苗羽村(のうまむら)へ。綺麗な船で小豆島に渡る。約1時間。大きな島だ。オリーブ、醤油、醤油工場で利き醤油、金両醤油におしゃべり、急な登り坂。海の見えるところを探す。
posted at 08:01:01

文屋 善明 こころ旅のポストはテレビを見ながらiPadで外付けのキイボードを用いて入力しています。まだブラインドタッチになれず、変換方法も慣れていないので誤字・脱字が多くて済みません。

水草 修治 こころ旅って、テレビ番組なんですね。はじめて知りました。
小豆島には子どもの頃、家族でキャンプに行きました。テントを張っていたら、夜中に潮位が上がって、隣の少し低い場所のテントが浸水して大騒ぎしていました。瀬戸内はおだやかな海です。
ああ、それから、二十四の瞳の舞台でしたね。

朝から家内は博多へ買い物に。家内を駅まで送り、ついでに散髪屋に寄って帰宅。さぁ、これから勉強です。
posted at 10:06:17

<補遺>
昨日は朝からインターネットの接続が悪く、苦労した。辛抱たまらず、午後から俊樹と緊急に連絡を取り、指示通りに室内ランの電源を切って5分ほどたってまた繋いだら直おった。


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