ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

1月13日のFB

2018-01-15 05:59:58 | ツイッター
お早うございます。主の平和。1月13日、土曜日。宗像市は気温1度、最高4度。今日は時々日差しが届いても雲が優勢。にわか雪の可能性は消えない。昨日よりはややまし。10時半就寝、6時起床。昨夜はトイレで3回起きた。隣室も静かで耳栓は不要だった。今朝の体温:36.5度、血圧(123:80、76)。血液粘度:0.40。血液酸素:96%。とにかく今は動物としての人間の最低限の機能を果たすことに集中すべきなのだろう。体調:快調。チュンチュン

35 中尾 ケトラ 香鶴子さん、Mabune Tatsuoさん、他33人

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

小貫 ツマ お早うございます。主の平和。

Mabune Tatsuo おはようございます。
今日も主を第一に歩めますように!
アーメン。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
とっても寒いです。浜松は晴れ、最高気温は6度、乾燥・低温の各注意報が出ています。
ご夫妻の上にお守りとお支えをお祈り致しております。

播 稔 96%なら 大丈夫です。

東山 富昭 こんばんは🌇。先生のことを、お祈りしています。私は、午後に、教会の人と一緒に、グループホームにいる母に会いに行きました。11日が、93歳になる母の誕生日だったので、誕生日カードを渡しました。元気でした。明日は、聖日礼拝です。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。

文屋 善明
昨日の日誌:
午前、採血、点滴。寝る。
午後、テレビを見ながら寝る。医師と話し合い、癌細胞の実態を学ぶ。
よる、NHKドキュメンタリー「西郷隆盛の相棒、大久保利通」(歴史秘話ヒストリア)、その後音楽番組、報ステを見て10時半就寝。

24 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他22人

Tomomi Spennemann-Oshima 明けましてお目で等ございます。どうかお体をお大事に。義兄は気力で癒されました。どうか、そのつもりでね。

文屋 善明
お目覚めの花。病院での土曜・日曜日は医師も看護師も少なく、静かだ。ただ、ひたすら、時の経過を待っている感じだ。人間の病気というものは結局、個人自身の内部にある癒やしの働きを信じて、その経過を待つことにあるらしい。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

40 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他38人
コメント

村田 多鶴子 此の時期にブーゲンビリアって珍しいですね~♪(^^♪

文屋 善明 温室の中です。

村田 多鶴子 そうなんですね~♪

文屋 善明
2018 日々の聖句 1月13日(土)
天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ55:9)
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(1コリント13:12)
私の黙想:
今日の聖句を読んだとき、私たちは何を考えたらいいのだろう。あまりにも当然すぎることを言われたときの、とまどいを感じる。
「天が地を高く超えている」、それは当たり前すぎることである。むしろ私たちが立っている「地」を高く越えているから「天」という。「天と地」を並べたら、それは上下関係(優劣)を示している。例えば、どの面も同じように見える正方形の荷物の中に入っているものが壊れないようにする場合に、上にあるべき面に「天」という字を書く。これを書いておけば、この荷物を持つ人、運ぶ人、私自身だって間違えることはない。これが「天」である。つまり「天と地」とは動かしてはならない上下関係の秩序を示す言葉である。
もちろん、ここでは「神と人間(私たち)との関係」を語っている。しかも、動かしてはならない秩序として語っている。
それをわざわざ言葉にして語る以上、ここで主題になっている事柄は天と地とに共通するものがあることを示している。ここで、取り上げられている「共通するもの」とは、「神の道」と「私たち(人間)の道」であり、「神の思い」と「私の思い」である。もちろんここでの「道」とはそれが本来あるべきあり方を示しているが、「神の道」とはあえて説明すると「神によって考えられている私たちがあるべき道」であり、「神のありよう」ではない。「神のありよう(道)」など、私たちには「考え」られるものではない。「思い」についても同様である。
だとするとこの聖句は私が現在、そして本質的に「どうあるべきか」ということについて、私が思う以上にはるかに厳密に、神が考えているということである。そうなると、私たちの最も賢明な姿勢は、「神に聞く」ということである。(溜息:ああ、しんど)

46 中尾 ケトラ 香鶴子さん、瀧本 直子さん、他44人

門叶 国泰 同意!人間があれこれ考えることではないのでしょう。

二上 英朗 慈雨に洗われる思いで拝読いたしました。

三浦 三千春 ゼンメイ節を堪能しました!
神はもっと厳密に考えていて下さる!ありがたいです!

文屋 善明 恐縮です。苦し紛れの黙想でした。

播 稔 そのとおりです。 神に聞くほかないでしょう、しかしそれも難しいことではないでしょうか。

三浦 三千春 神はもっと厳密に考えていて下さる!ありがたいです!

文屋 善明
今日の名言:@tetugakubot100
不幸にして私は、自分の顔を見たことがない。私はそれを気安げに、私の前にぶら下げているのである。私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によってである。(ジャン・ポール・サルトル)
<一言>もちろん鏡の前に立てば自分の顔を見ることができるが、それが本当に自分の顔か、保障してくれない。最近のスマホでは「自撮り」が出来るが、見るたびに「これは俺の顔ではない」と思う。

28 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他26人

徳善 義和 映る(写る)顔は左右逆ですからね!

村田 多鶴子 マイクを通して聞こえる自分の声を初めて聞いた時にも、「これは自分の声ではない」と思ったことを思い出します。

三浦 三千春 >私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によって 表情のことを言っているのかしらん?

文屋 善明 いいとこ突いてきますね。強いて解釈すれば、あなたの友人たちの顔を見れば、あなたがどういう人間か分かるだろう。要するに、日本的にいえば、「類は類を呼ぶ」ということのフランス的表現だろうと思う。鏡に映し出されている顔があなたの顔ではなく、あなたの生き方があなたの顔だということ。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
1月13日 9:05 ·
4年前のローズンゲンです。今こそ、有効なテキストである。
4年前
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文屋 善明
2014日々の聖句 01月13日(月)
恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。(ダニエル10:19)
パウロの手紙:あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。(ロマ1:11~12)
私の黙想:
口語訳では「大いに愛せられる人よ、恐れるには及ばない。安心しなさい。心を強くし、勇気を出しなさい」、フランシスコ会訳では「恐れるな、愛されている者よ。お前に平安があるように。今、強くなり、しっかりせよ」。「平和を取り戻し」は文脈を乱す。要するに「平静になれ」ということ。
世界の指導者がペルシャのキュロス王からアレキサンダー大王に代わろうとする歴史の大転換の中でダニエルだけに与えられた幻。キュロス王の庇護の元にあるダニエル(とユダや民族)にとって一日一日が不安な日々であったであろう。ダニエルが身を寄せているペルシャの指導者たちがヤハウエに抵抗している(10:13)と言う。ダニエルの足元がぐらぐら揺れている。今からの世界の覇者はペルシャか、ギリシャか。まさにユダヤ人にとって存亡の危機である。そういう状況において、「人の子のような姿の者」(16節)、「主のようなお方」(17節)、「人のような姿」(18節)の者が現れ、ダニエルに「愛されている者よ」と呼びかける。この呼びかけには「私が愛する者よ」という意味が込められている。今、信じるべき者は誰か。今、愛するべき者は誰か。決断するのは「今、でしょう」。

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23 清水 行雄さん、藤岡 秀興さん、他21人

11 磯野 眞紀子さん、福澤浩子さん、他9人

文屋 善明
文屋家一族のものにぜひ読んでおいて欲しいブログが出て来た。私の両親の結婚についてのエピソードである。

ぶんやんち(8) 結婚 - ぶんやさんち

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20 磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他18人
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文屋 知明 アニキさま、シェアしました。コメントも記載しました。

文屋 善明
「1月12日のFB」をブログにアップしました。

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12 磯野 眞紀子さん、岩城 真紀子さん、他10人

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