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松村克己『日本基督教団成立の意義と課題』

2017-01-30 17:21:52 | 松村克己関係
松村克己『日本基督教団成立の意義と課題』(「思想」235号、1941.12月号)

日本におけるプロテスタント・キリスト教諸派のほとんど全部(日本聖公会および2,3の小教派を除く)の参加を得て日本基督教団の成立を見たのは本年6月24,25両日の創立総会の席上であったが、その後、各地方の教区会が8月から9月にかけて組織され、さらに府県別の支教区会が催され、次第にその組織を整えつつある。他方、教団規則の審議が文部当局との間に進められ教団認可の件が進められているように見える。この出来事は日本のキリスト教会にとって大きな事件であるのみならず、また広く日本文化史にとり、ことに今日の日本の歴史的情況にとって、このことが意味することは決して小さなことではないと考える。というわけで、多くの方々にこの出来事の意義について私の見解の一端を書きとどめ、関心を持って頂きたいと思う。

1.日本基督教団成立の経過
教会合同の問題は日本においても古い歴史を持っている。明治5年正月、最初に日本に建設されたプロテスタント基督教会は「横浜日本基督公会」と命名された。そこには、外国においてこそ存在理由をもつであろう教派の壁を伝統のない新しい処女地にまで持ち込むことの愚さを認識した初期の宣教師たちの無私にして聡明な洞察があった。しかるにやがて各地に設立されるキリスト教会はそれぞれに宣教師の本国における教派を受け継ぐことになって最初の意図は破られた。しかし日本における無教派主義への努力はまったく放棄されることなく、日本基督公会と日本長老基督教会とは明治10年に合同して「日本基督一致教会」を組織した。明治19年には英米監督教会の3ミッションは合同して「日本聖公会」を組織し、翌20年にはプロテスタント諸派のミッションに合同案を提議したが、これと前後して一致・組合両教会の間に合同の議が進み、ほとんど成立の一歩手前で瓦解したことがある(23年3月)。
その後、合同の難しさが自覚され容易に具体的な動きは現れなかったが合同への志向と希望とは全く消えることはなかった。昭和時代に入っても基督教連盟内には「教会合同問題委員会」が設けられて各派間に打診は続けられて最近に至った。これとは別に有志平信徒の間には合同促進運動が消長こそあれ側面から常にこれに呼応するかのようであった。
他方、昭和14年第74議会は多年の懸案であった宗教団体法案を可決し、同法の実施に伴いプロテスタント諸教派はその認可の可能性について文部当局の意向を打診、だいたい小教派は数個をもって一教団を組織し数個教団に対して教団認可を与えるべきだという意向が明らかになり、昨年春以来それぞれの教団規則について各教団と文部当局との間に折衝が続けられてきた。
ところが、昨年夏8月28日に突如として、昨年までの教団規則審議を卓上に置きプロテスタント諸教派合同への強い要望がそれぞれの教団責任者に伝えられた。この日は私たちの記憶に印象深い新体制発足の日であり、第1回新体制準備委員会が開催され、「近衛声明が」発表された日であった。
各教派首脳部は基督教連盟を媒介として互いに連絡を取り合い事態に善処すべき方策を議した。たまたま皇紀2600年の佳き日を迎えて10月17日の神嘗祭当日を期し、奉祝全国基督教信徒大会開催の企てが進められていた。この大会において「合同宣言」が発表されるならば大会の意義が一段の重くなるであろうという政府の意向が、しかも非常に強い要望として伝えられた。連盟加入の諸教派はそれぞれの大会ないしは総会において真剣な、時に悲壮な論議が展開された模様である。
さぞかしそれぞれの伝統と歴史と信仰の気風とを保持してきた教会にあってはこのような唐突な合同への道は理解への手がかりを見つけることさえ非常に難しかったに違いない。政府の要望は一応理解できたとしても、要するにそれは教会にとって外的な必然性でしかない。教会自身にとって合同の内的必然性はどこに求められるべきか。信仰告白ないしは信条、つまり信仰の基準を厳密に問題にする教派においてはそこに深刻な苦悩があった。他方、その性格と組織とにおいて趣を異にする教派にあっては合同はそれほど困難ではなかった。また小会派ないしは独立(自由)教会系の教会においてはこの度のことがなかったとしてもその存在を保ち得ないという情況においては全教会の合同は熱心に希望された。
10月17日の大会は参加者2万と言われているが、宣言文の内容に関しては開会直前まで分裂の危機を孕んだまま苦悩は続けられた。まさしく全教派を包含するものでなければ意味を失うからである。このようにして、「我等は日本における全基督教会合同の完成を期す」との宣言がなされたのあった。
この宣言に基づき基督教連盟の斡旋により各教派から教会合同準備委員会が挙げられ、10月17日から翌3月25、26日に至るまで総委員会は8回、分科委員会は(1)信条、(2)機構、(3)教職、(4)財務、に分かれて約100回に及ぶ議を練った。その結果が創立委員の手に委ねられて前記創立総会にと至ったのである。

2.日本基督教団の性格
ここに成立したものは「合同教団」であって「合同教会」ではない。このことの認識は根本的な重要性を持っている。教団成立の意義とその課題への考察は、先ずこの事実の認識の上に立たねばならないからである。理由の第1は、この教団は信仰告白ないしは信条を持っていない。宗教団体法の規定する「教義の大要」はこれを規則の中に掲げている。しかしこれは信条の代わにはならない。がんらい基督教会はそのよって立つ信仰の告白としての信条を欠くことは出来ない。準備委員会最大の難関はここにあった。そのために第7回総委員会は立ち往生の後、ついにこれを放棄せざるを得なくなった。その結果、従来の各教派は「当分の間」それぞれの伝統と歴史と信仰の特色とに従ってそれぞれの信条と組織と礼拝とを保持すべきことを決定した。最初30数個の教派は次第に統合を遂げて11個となり、これを「部」と称し、各部の自治と会議制とを根底として一人の統理者をもつ単一教団の組織が成立した。いわゆるブロック制といわれるものであるが、これは本質において教会同盟に外ならず、ただ法の要求し規定するところに従って単一教団の形式を備えたというに留まる。このことは教団規則の附則にいわゆる「経過規定」として10数カ条にわたる条文によって確定された、これ理由の第2である。教団内における「部」の存在は政府の側においても教会の側においても等しく問題の焦点となるものであって、これをどう解釈するかということに全てが懸かっていると見ることさえ出来る。

3.日本基督教団成立の意義
成立の意義はその課題と相関的にのみ把握される。いかなる課題をそこに見、これをいかに捉え、いかに解こうとするかというところに、逆にその成立の意義が自ら決まってくるとさえ言える。
新教団の成立を全世界においても他に実例を見ることができない画期的な出来事としてこれを喜ぶ見方がある。プロテスタント(新教という呼称は厳密ではない)諸教派の合同ということは確かに未だ世界のどこにおいても成功してはいない課題である。しかし私たちは今、そういう意味での合同が成ったとして喜び、課題を解決できたとして誇るわけにはいかない。それは名に酔って害を知らず、もしくはこれを蔽うとするのそしりを免れない。このような皮相的楽観的評価に対する反面には同じく事態の一面だけしか見ていない悲観的な評価がある。それは、この教団が専ら外的政治的圧力の元に迫られて何ら教会自身の内的自発的必然性なしに成立したとしてこれを自己の本質に対する不忠、妥協、根拠の放棄または後退と見るからである。また実際的見地から伝道の妨げ、伝道者の束縛、多忙化の理由を挙げてこれを憂うる者がいる。
新教団の成立という事実は、日本のプロテスタント諸教会が今日の日本の政治的情況の下に外から呼びかけられて——甚だ強い呼びかけではあったが——自発的にせよ嫌々ながらにせよ、それに応じて一歩を踏み出したという応答の姿勢に外ならない。事実はそれ以上でもそれ以下でもない。それ以外のことについては私たちはこれを課題として受け取らねばならない。教団は今やまさしく課題そのものである。このことを明白に把握するためには、国家の要求の理解と教会の本質の理解との両面から考察されることが必要であろう。

4.国家的要求の理解
前述のように教会合同の問題が新体制の一翼として政府の政治日程に上ったことは明白である。新体制は高度国防国家建設のための国内新秩序の問題として国民生活のあらゆる分野にわたり、いわゆる全体主義国家の要求として提示されたものである。その要求はいわゆる全体主義的要望として単に国民生活の外的組織、法的整備のみをもって満足せず、さらに立ち入って国民の内面的道徳性への要求も含んでいる。すなわち国家の要求するところが外的機械的に実現されるのではなく深く国民の自覚に基づき、その精神性の深みから自発的な服従と理解と協力の意志を持って実行されることが期待されている。いわゆる精神総動員が叫ばれる理由である。国民のこのような内面性からの国家への帰属と自己奉献なしには国家は真に全体主義国家であることは出来ない。今日国家の存立はその強い政治性の要望に示されていると共に、これを支え担うものとしては国民各自の国民的自覚とその道徳性とに待たれねばならない。今日の国家はこの矛盾と危機とを内に持ちつつ苦悩する。教会人は国民としてこの矛盾をどれだけ自らの問題として感じまたこの苦悩に預かっているのであろうか。問題はここから出発する。
上のような今日の国家の要求の持つ性格、全体主義国家の形態はいわゆる非常時における一時的現象に過ぎないものあって、非常時が平常時に移ると共に消滅するものであろうか。それとも、ここには国家そのものの発展における新段階としての歴史的必然性が認められるであろうか。もし前者が正しいのであれば、国家権力が政治的支配の域を超え国民の個人的内面性にまでの支配を主張し、一時的政治的情況の変化を理由として民族的特殊性を超えた普遍的人間性ないしは世界性における永遠的な事柄、宗教や道徳への干渉ということは不当要求であり、この要求に従うことは宗教家にとってはかえって一方には国家としての自己壊滅の道を辿らしめると共に、他方自らのよって立つ真理を怯懦(キョウダ、いくじなし)の故に裏切る者と見られるであろう。反対論の思想的根拠はおおむねここにあるようである。
しかし今日の国家の現実はいわばその「裸の実存」を争いつつあるのである。国家はもはや単に法的存在ではなく従って客体的に云々される対象ではなく、一の個体的生命として民族自体であり、国民の一人ひとりの実存の根底を事実において扼している(握りしめている)主体的基体と成っている。国民は民族の一員としてこの基体に連なり自ら基体化することなしには歴史的な行為の主体とはなることが出来ない。国家のものとなることなしには国家を担うことはことが出来ない。
このような情況の認識は身体的な感覚・直感による外はない。それは対象的な認識ではなく行為的な認識でなければならない。今日における新しい国家観の要望・国家観の変遷はその根底において既に新しい人間観・世界観の変遷を要望し、また事実そこから由来していると考えられる。この世界史的な転換が今、政治の領域において最も顕著な姿で立ち現れ、やがて明けようとする新しい時代の曙を告げているのではないだろうか。
それはまさしく「時の徴」である。教会人は果たしてこれを徴として十分に読み取ったであろうか。国家の要求を不当となし、もしくはこれを拒否すべきであるとする意見の根底には古い歴史観・古い人間観への暗黙の承認が横たわっていないか。かつそれが福音の本質・基督教信仰の本義に照らしてその間に果たして矛盾対立するところの有る無しについて十分な反省が行われているのであろうか。ここに古い世界観・人間観というのはプロテスタントキリスト教の成立からその発展過程を通じて時代の底流をなし近代意識の根源として当然かつ自明として承認されてきたものを指している。一言にしていえば、自然における人間を人間存在の根本形式として見て、自然に対する人間の独立性において人間の自由を自覚した意識である。自然からの自由は同時に神からの自由として把えられ、かくして見出された人間は自我に外ならず、自我を人間の本質規定と見る個人(孤立)人間の人間観であり、そこから人格の自由と自立という原則に立って世界を自己の中に包み、あらゆるものを自己実現の手段となす世界観である。それの実践的な態度がいわゆる自由主義・個人主義に外ならない。今日の情況は先ず政治的領域においてこれを止揚することが要求されている——単なる否定ではない——。教会人は国家的要求をそのものとして正しく理解しようとしなくてはならない。
正しい理解を欠く限り、国家の要求は実際のそれよりも不当に拡大されて受け取られる。国家のが行う全体主義的要求は国民への道徳的内向性にまで向けられているが、これは宗教的信仰への干渉ではない。疑心暗鬼は正しい認識と理解とを欠くところに生じ、事態そのものにとって極めて不幸な事態といわねばならない。信仰は国家の関与せざるところであり、憲法第28条は依然として存立する。しかしいわゆる信教の自由とは宗教の自由ではない。内面的信仰の外面化、その具体化は既に道徳的な領域への移行を意味し、ここではもはや無制約的な自由は主張されてはならない。
宗教はその存立の根底において超越的絶対者に支えられながら、それ自体の存在においては既に国家の支配下にある。もし誤って宗教家がその宗教自身の国家内存在の絶対的自由を主張し、国家の支配の領域内において不可侵の領域を自己のために確保しようとするならば、国家は今日教会と、国民に対して、その全体主義的要求の点において同じ平面において争わねばならない。教会の自由と絶対性の要求は地上的歴史的なものであるよりももっと深く超越的永遠的なものであり人間の魂の深奥に関わる筈である。それは他に向かってなされる主張ではなく自己に向けてなされるべき要求でなければならない。教会の主張し保持すべき自由と絶対性とは神のそれであり、人はその下に服すべき責務を負う。もし、それ教会人が真にこの嶮しき神の現実の下に身を置くならば、今日国家権力の要求として私たちの前に立つ民族のノモス(法律・習慣)のうちに、神の私たちに対する要求を感受し、畏れとおののきとをもってこれに応えるべき責務を感じないであろうか。
しかし又他方において、不幸にして誤って為政者が国家の名において国民に対しその宗教的信仰を問題にしこれに干渉しこれを統制しようとの挙に出るとするならば、それは国民に対する国家の要求が真に具体的に実現されれるべき生命の通路を断つことになる。私たちは明治初年の庶政一新の際における神道国教の原則を実現しようとした宗教政策の遂行が結果した混乱状態を想起するだけで十分であろう。国民に対してその全体性を要求することができる国家の絶対的要求もまた、その絶対性を人間の地上的実存に関わる限りのものとして知ると共に、他のより高次のあるいはより深い根底から出てくる人間性への要求があることも知らねばならない。この両者が国民各自の内面性において互いに結合され、神への愛と祖国への愛とが隣人への愛に、——言い換えると信仰と法とが倫理に——媒介され統一されて生きられるところにのみ、国家もまたその本来の要求において生きることができる。
国家の要求についての正しい理解を欠くことから出てくる第2の誤謬は、国家の要求を単に政治的としてのみ受け取り政治的に接触する場面においてのみこれを受け入れれば十分だとそする見解である。教会がもしこういう態度で政府との折衝に当たるとすれば、それは教会人自ら自己の本質と主張とを裏切るものといういうべきであろうし、国家も又そのような態度を是認し得ないであろう。今日国家は「裸の実存」を争いつつあるといった。教会は果たして裸となっているだろうか。究極の場所、ギリギリの場所、もはやその他には自らどうしようもない絶体絶命の場において行為するということが誠実ということの一つの徴である。
たとえ上に述べたような事情を度外視するとしてもなお、信仰者にとって考慮されるべき重要な問題がある。それはあらゆる行為・倫理の根本的な問題はすべて信仰においてなされねばならないという原則である(ロマ14:23参照)。信仰においてということは単に内面性を主張し、外的必然性を拒否することではない。外からの呼びかけ、偶然的な要求をすべて自己の内面的な信仰の問題として必然化して受け取ること、外を内にしてそこから純粋無私な行為として出て行くことが考えられないであろうか。外的な政治的要求はいかなる意味においても神よりのものとして受け取ることができないとしたら、そこに主張されている信仰ないしは信仰の立場というものがすでに問題がある。信仰とは言うまでもなく対象的に固定され得るものではなく、常に神の現実の下に立つ人間の在り方、彼に出会う全ての日常の経験においてそこに神の言葉を聞き、その意志の下に自らを服従させようとすること、あらゆる事件を通して神への信仰の服従を自らの具体的なこの世の行為において証し、告白しようとすることに外ならないからである。
しかしながら外的な政治的情況ないしはその要求を通して、教会がそこに神の声を聞き、それを通して新しい信仰の服従として一つの行為に出る場合、これが単に外からの強圧に対する妥協とは根本的に異なるものでありながら、その分岐点は現実においては極めて微妙なものである。それは論議によって決定されるべき問題ではなく、信仰者各自の祈りと他者への信頼に賭ける信仰の決断という外ないであろう。一般的にいうならば、信仰における決断とは終末論的な希望なくしては難しい事柄である。究極における神への深い信頼——他に対する信頼の源泉——と終局における神の議の実現の確信、そこから今、ここにおける己の行為がただその究極のものを目指して己をこれに賭けることによって、己を神に捧げる信仰の告白として罪の赦しへの祈りと共に行為の決断がなされ、それによって信仰者の行為は真に無私にして神に動かされた行為、現実に歴史を作り行く真に歴史的な行為となることができるのではあるまいか。

5.教会の本質の理解
教会合同の問題は教会の本質への真面目な反省と神学的追求とを欠くならばほとんど無意味に近いと言わねばならない。原始キリスト教会の当初からの確信に従えば教会はキリストの身体として一つであるもの、信徒はその枝として一つの霊によって内面的に生かされ結合されたものである。「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、父なる神は一つ」(エフェソ4:4)という信仰告白がそこに生まれる。教会の分離は「キリストを分かつもの」(1コリント1:13)として堅くパウロが諫めたところである。このようにしてパウロによって建設された異邦の諸教会はすべてエルサレムの教会を母とする一つの教会であるという固い意識上に立ち、パウロはそのために並々ならぬ苦心を払ったのである。エルサレム、アンティオキア、エフェソ、ロマ、コリント、アレキサンドリア等々と教会は各地に建設され、それぞれの特色を持ったが、教会の公同性(Catholicity)という原則は揺らぐことなく教会は正しく公同教会(ecclesia catholica)と呼ばれた。教会が東西に分裂してもこの意識と原則とは変わることなくロマ、ギリシャ両教会はともにこの名を踏襲している。いわゆる教派(Denomination)の成立はプロテスタント諸教会の発展途上の現象である。たとえ真理と信仰の自由のためにという旗幟(きし)は掲げられたにせよ、そこには既に時代の思潮である個人主義、自由主義の影響は蔽いがたい。今日もし教派の存在をもってプロテスタントキリスト教の欠くことの出来ない本質であるとし、さらに政教分離という近世国家の原則ないしは会議制をもってプロテスタントキリスト教の死活問題だとし、それらの観点から今、当面している問題の方向に反対しようとする者がいるなら、それは福音の本質的生命とその歴史的形成とを混同する者といわねばならない。教派の並存はプロテスタントキリスト教にとって歴史的必然性があるとはいえ、それをもって直ちに本質的必然性とすることはできない。思うにプロテスタンティズムの本質規定に属する「抗議」ということは他に対するそれではなく、常に自己自身に対するプロテストでなくてはならない。従ってロマ・カトリック教会に対するプロテストも一なる教会自身における固定化・人間化に対するプロテストであり、その運動は自己主張にあるのではなく原始キリスト教への復帰、遡源運動にあると考えられなくてはならない。神の言葉の権威とは対象的に把握されるべきものではなく、事実そのものの中に内的に人を捉えるものであるはずである。教会合同の問題はこのようにして常に歴史的存在としてのプロテスタント教会にとっては危機を意味する。プロテスタント教会はその志向においては正しいとされ得るとしても、その存在において自らの義を主張することはできない。それは悪い意味でのカトリック教会化の道に外ならないからである。
教会が複数で存在することが直ちにキリストを分かつこととして罪なのではない。教派として自己の主張のみを正しいとすることによって他を排撃し無視する教派根性が罪なのである。初代教会の場合に見るように、一なる教会は複数で存在する諸教会の中にあって信仰の告白としてのみ存在し、それに基づいて諸教会の一致への努力が常に繰り返されねばならない。それは究極において神の奇跡的な恩恵の力に寄り頼むことによって人間的な努力が絶えず続けられているということを意味する。教会合同の問題は人間的な協議を尽くし、それによって成立することを期待することが出来るような事柄ではない。歴史の事実も今日の情況もむしろそのことが不可能であるということさえ痛感する種々の悲観的な事実に満ちている。しかし私たちは至難であることを理由に、これを放棄するしたり、あるいはその事実を認めてしまうわけにはいかない。一なる教会は主なるキリストの要求また神の意志であり、教会の本質的な告白であるだけではなく、そのことの成就は神の約束でもあるのである(ヨハネ10:16)。このような終末論的希望と信仰なしに合同問題を論議することはバベルの塔の愚か(創世記11:4)を繰り返すことでなければ不信と怠惰のそしりを免れることはできないであろう。
今回の問題は政治的要求として外から教会に課せられた問題である。しかし外的動機は上記のような内的反省とそこから生まれ出る根本的な動機にまで信仰によって内面化され且つ必然化されねばならない。ここに至って教会は始めて裸の自己自身を見出す。プロテスタント教会は今や人間的な不可能事の前に、神の言葉とその要求の故に自己の存在を賭しての信仰の決断に出で立たねばならない。この危機を回避して教会はその信仰を告白すべき場所をもたない。今や表面的な伝道の効果や方策についての議論や伝道者の働きの自由等々よりも更に深く教会自身とその中なる各自の「裸の実存」が問われているのである。互いに他を裁くことや批判のための批判ではなく痛烈な自己批判が始まる。教会自身が審判されつつある、自己が重荷である。自己自身を十字架として負い(マルコ8:34)、さらに他の荷を負うて(ロマ15:1)、神の言葉の真理の下に服することの外には、このような情況において教会はその信仰を告白する道を持たないであろう。

6.日本基督教団の課題
互いのよき理解と協力の下に具体的な努力として進められるべき教会の歩みは、上述の場所から出発しなければならない。当面の問題は経過規定の廃棄に向かっての努力である。教団における「部」の存在をもって半永久的と解し、この規定があることによって自派の独立的地位はほぼ保証され、法的束縛を比較的僅少な範囲に止めうるとの見解を今でもなお持っている者がいるとすれば、それは非常に不幸な明日を予定するものであって、今日の現実的認識を欠くとのそしりを免れないであろう。また、真に自己の寄って立っている教会ないしは福音への反省と洞察とを欠く教派根性を丸出しにしていることで、当事者の主観的な確信にもかかわらず遠からずして客観的な解体の運命を免れないであろう。否、既にそのような主張そのものが教団を解体の危機に臨ましめつつある。
法の専門家の意見によれば、「当分の間」という字句は法律的には何等の意味を持たないという。だとすれば、常識的に解する外はなく、これを99カ年と解することは曲解もしくは欺瞞的解釈としてその誠実さを疑う以外に何の効果もない。しかしまた他方において、この経過規定を無用として即時または2〜3年を限度として単一完全合同を実現するべきだという意見は一見正しく見えるが、実は事態そのものを真実に見る明を欠き、同時に自己の責任を度外視する放埒・無責任な言葉と言わねばならない。衰えたりとも言えども、宗教が宗教である根拠は宗教内部に秘められている超越的な生命の力であり、教会ないし教団は便宜的・趣味的な利益社会的な結合ではなく、深く個人の内面性およびその生活の事実と結合している存在である。宗教における生産的伝統と組織とは、政治的結社ないしは労働組合のように一挙に改変できるものではない。一定限度における外的組織の改変と共に内的な生命的融合の進展が進められ、それに支えられて新しい組織は強固にされなければならない。もし、外的組織の改変を行うことによって、一定の限度を超え機械的に敢行されるならば、内的生命を窒息させるか、または予期できない爆発現象によって不幸な事態を引き起こすか、のいずれかを予想しなければならない。
教団当事者は政府の意志を十分に理解してその対応を信頼し、無益で有害な根拠のない憶測をやめる。同時にまた政府も教団の実情と宗教の本質への理解を深め、教団が国家の要求に従うことが出来るように相互の協力が重要である。個人的な見解としては教団は先ず10年を限度として「部」の撤廃を目指し——それは教団が本則の中に信条を掲げることによって教会としての実質を示すことでもある——、そのために先ず為すべき方策としては次の2点が肝要であろう。
第1点は、各「部」の間に有機的な連絡連携交流が形成され実現されるような努力が、中央の委員会レベルにおいてだけでなく、むしろ各地域における、市や町レベルの各教会間において実質的に遂行され一致の実が挙げられなければならない。
第2点は、各「部」の間の思想的交流を盛んにして、神学的論議を活発にしなくてはならない。これは信条の成立にとって直接的な必要事であるだけでなく、キリスト教自身が日本の国土に深く根を降ろすために慎重且つ果敢に遂行されるべき現下の緊急事である。日本基督教団が真にその名が示すように「日本における」一なるキリスト教団であるためには、その目標として、「国民教会」の理念が掲げられねばならないと考える。国民教会の建設という課題は歴史的実践の課題であると共に、深く思想的課題でもある。単に教会という神学的な立場での問題であるだけではなく、日本国民としての信徒の実存的道徳的な課題でもある。教会という一文化的形態・歴史的形成を通して間接的に日本の歴史と文化とを結び付ける。同時に教会の成員である各個人がその信仰をそれぞれの文化活動の領域、歴史的実践の職場における国民としての活動に生命的に浸透させる。これらのことを通して、キリスト教が日本の歴史的形成に直接的に結びつく。それによって教会は国民のものとなると共に国民が教会のものとなる道が開かれ、且つそのことが期待される得るに至る。そのような生活における工夫と労苦とは他方に思想的な戦いを伴って始めて完成されることができる。
従来教派を超えて神学的な論議が真剣に交わされた例をあまり知らない。それぞれの教派は孤立し思想的に完結した領域を形作っていなかったか。さらには一人一党、一神学校の中ですら思想の交流ということがどれだけ行われていたかは疑問である。もっともこの弊害は大学においても等しく言われうるかも知れないが、具体的実践的な課題を目前に控える今、今こそ神学者は日本におけるキリスト教の真理の追究とその実現のために己を忘れて挺身する情熱を持つべきではあるまいか。互いに激しく撃ち合いつつ血みどろな論戦が展開される必要がある。人間的な弱点と固執と偏狭とが叩き落とされて、神の真理自体の力と輝きと主張の前に謙虚に首を垂れて、これに全てが服するに至るまで。互いに激しく戦い合う共通の戦いの場の外にはもはや身を引く場所を持たなおという点で、今回の合同教団は不完全且つ過渡的な形態でありながら十分に意義を持つことができる。一応「部」の存在は許されながら各人は一なる制服をつけて行動するのだからである。
10年を限度として「部」の解消を一応成立させることができたとしても、これで教団の完全な合同が実現されたということにはならない。日本基督教団の課題は従来の各教派間の完全な合同の実現ということで終わらない。「日本における」完全な合同は同時に新しいものの誕生である。各「部」の間の感情・気風・組織等々が一応の融合を遂げ一つの「日本のキリスト教会」として積極的な性格を持ちうるまでは少なく見積もっても一世代30年を要するであろう。それは今日の責任的地位にある人々が第一線から退き、今日育ちつつある人々がこれに代わるに要する期間である。そしてその事はただ自然に任せておいて行われ得ることではない。今、既に始まっているべき自覚的な努力であり、その努力を通してのみ達成される希望である。
ここに特に顧慮されるべき一事は教会個人主義ともいうべき態度の是正である。これは教会員の指導・訓練における根本的な問題である。自己の属する一教会に忠実であり、これを盛んにすることにのみ目が注がれ力が集中される。こういう態度を是とする考え方が今や問題である。それは個人の職業における勤勉が直ちに神への奉仕であり、個人の立場での利益追求がそのまま社会の調和を生み、その発展に貢献しうるとする近世市民社会の倫理観の反映と言えないであろうか。自己の持ち場への熱心と責任感が悪いのではない。それが正しい知識に裏付けられることが要求されているのである。それが職域奉仕の要求するところであらねばならない。会議制なるものについても根本的な反省が必要であると考える。教派根性なるものも実に教会個人主義が現れてきた結果に外ならない。国民教会建設の課題は各個教会の地位の自覚に始まる。教団内のそれは国家ないし国民協同体内のそれと相即する。そこに会員に対する倫理的指導も従来とは異なるものが生まれてくるはずである。
信仰者にとって信仰の問題は国家の問題よりもより根源的なものであり、従って信仰は法の上に立ち法の支配下に立つべきではないとの確信は欠くことが出来ないであろう。しかしこの確信は抽象的に主張され、自己の独立を国家に対して擁護し確保しようとするのではなく、この確信を国家の要求と密接且つ具体的に折衝させつつ、これを人々に納得させるような努力、工夫が大切である。それは信仰を信仰として問題とする立場から信仰を倫理を通して証しするという立場への移行を意味する。そしてそれが正に本来のキリスト教の立場であった筈である。直接的な信仰の主張は証しとはならない。証しとはすべて徴(Zeichen)という意義・性格をもつ。神に向かって為される信仰の告白はこの世においては徴を立てるという仕方でしか為され得ない。法が単なる政治的な意義を担うのみではなく、今日では同時に道徳的なまた歴史的な意義を持つ「民族の法」をその背後に宿しているとき、信仰者にとって神の支配の現実がそこに感得されるということがないであろうか。信仰者にとって霊の支配とその現実とは、今日特に倫理的な問題として深く内から迫っているのではあるまいか。

日本基督教団の成立を意義づける目標を国民教会の建設という課題に置くとするならば、この教団に参加していない残るプロテスタント教会およびカトリック教会がなおこの観点から顧慮されなくてはならない。日本聖公会が中途から合同の議より脱退したことについては特異な神学的主張がその理由になっている。その正否はともかく、聖公会は本来教会の合同性を主張するものであり、歴史の過程において一派を形成したとは言え、その教派存立の意義は教会が初期の単一合同性を回復すべき曙にはカトリック教会とプロテスタント教会とを結び、両者を橋架けするBridge-churchとなるところにあるとする。私たちはその底意を問題とすることなしに、この主張に敬意を表すと共に聖公会が今後この主張に忠実な行動をとられることを切望せざるを得ない。正しく、国民教会の理想はプロテスタントだけではなくロマ及びギリシャのカトリック教会をも含む単一教会の成立を夢見る。それはあまりにも歴史の事実を無視した空想と見えるかも知れない。しかし福音の本質、キリスト教信仰の本義は人間的可能の問題を超えてこの点を指示する。もっとも私たちはそれが従来の教会形態の意味における合同教会であるとは考えていない。しかしなお日本におけるキリスト教会は一つでなければならないと主張するのである。また、そのことはその教会が直ちにその内にそれぞれの特色ある教会の活動の並存を否定するものではない。もし大胆に言うことを許されるならば、私自身はプロテスタント信仰の真理性を確信しつつ、歴史的形成としてのプロテスタント諸教会およびカトリック教会を超えて真に福音の本義にふさわしい新たなる教会形成を正に「日本のキリスト教会」としてそうありたい(庶幾)と願っていることである。言い換えると、日本において形成されるべき単一合同教会は国民教会の理念に導かれつつ、キリスト教史の中に新しいキリスト教の類型を創造するということである。
この目標を目指して新しい教団はカトリック教会との実際的連絡連携・神学的思想的交流についても深き苦慮と努力とを致すべきものと考える。さらに、今日、日本におけるキリスト教の一翼として殊に知識階級の中に一派を形成する無教会主義と呼ばれるものが存在する。内村鑑三の主張に始まり、その弟子たちによって今日なお一つの勢力であることを否定できない。これはキリスト教理解における左翼として、右翼であるカトリック教会と対立し、プロテスタント諸教会をも教会としては正にカトリックと同じ路線を走るものとして否定し、自らを真のプロテスタント主義の徹底と見る。彼らは教会に属せずまた普通の意味での教会を否定するが故に当面の問題とは直接に関係を持っていないとはいえ、私たちの究極の目標からは等しくカトリック教会への顧慮と共に度外視してはならないと考える。(16.10.28)




























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