ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/21 ポツダム宣言を読もう!

2015-05-23 06:29:30 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ヨハネ福音書注解』現代語訳継続。「ユダの裏切り」。午後、家内を病院にエスコート。『法華経が好き』を読む。病院から北九州のグリーンパークに足を伸ばし、バラを見た。夜、「警視庁捜査一課9係」を見て10時半に就寝、5時半起床。体調・快調、チュン、チュン。

川染 三郎さん、堀 俊子さん、播 稔さん、他23人が「いいね!」と言っています。

錦織博義 おはようございます。わたしは、10時就寝、5時起床。6時から早天。

藤木 冨士子 おはようございます。

新島広治 おはようございます 爽やかな朝を迎え 嬉々感謝 今日も穏やかな一日を....・・・もっと見る
5月21日 6:33 · いいね!を取り消す · 1

村田 多鶴子 おはようございます~♪
お守りの内に、ご夫妻共々、穏やかな愉しい時間をお過ごしになられますようにm(__)m
5月21日 7:33 · いいね!を取り消す · 1

萩野 秀子 おはようございます。ステーションリーダー、チラシ配り、整形外科します。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:35:42


文屋 善明
5月21日 6:32 ·
今日の名言:@tetsugaku__bot
真の雄弁は雄弁を軽蔑し、真の道徳は道徳を軽蔑する。哲学を軽蔑することこそ、真に哲学することである。(パスカル)
<一言>だったら、神学を軽蔑することこそ、真の神学っていえるのかな?その場合の「軽蔑する」とはどういうことなのだろう。限界を知るということか?

岡 輝美さん、清水 晴好さん、早乙女 実さん、他20人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好
「パンセ」より

3 直観で判断することに慣れた人々は、推理をしなければならぬことがらにおいては、何事も理解しない、なぜならこの人々は、まず一目で入りこもうとし、原理を探すことには少しも慣れていない。反対にまた、別のある人々は、原理によって推理することには慣れているが、直観しなければならぬことがらにおいては、原理をそこに探すけれども一目で見ることはできないものだから、何事も理解しない。

4 真の雄弁は雄弁を軽視し、真の道徳は道徳を軽蔑する、すなわち判断の道徳は理知の道徳を軽蔑する、判断の道徳は規準を持たない。

 なぜというのに判断には直観が属している、ちょうど理知に学問が属しているように。繊細は判断のがわにあり、幾何学は理知のがわにある。

 哲学を軽蔑すること、それが真に哲学することである。

清水 晴好 「判断・直観」と「理知・学問」の対比みたいですにゃ。

文屋 善明 清水さん、ありがとうございます。この言葉どこにあったのかなと考えていました。

文屋 善明 徹底的に「理詰め」ですね。

清水 行雄 おはようございます。西洋の神学の伝統を知っているのと知らないのでは、この言葉の苛烈さはわからないと思っています(^_^)

清水 晴好 学んで得られる神学ではなく、主との交わりのうちで得る神学こそ生きている神学だということになるのでしょうか?

播 稔 「この軽蔑」は、まだまだそんなものではない、というぐらいのものでは。

植村 光郎 俗物の私は、短絡的に「今を越えよ」「現状に埋没するな」といううことと理解します?

Akira Ueda トマス・アクィナスは神学大全の叙述で、サクラメントの所にさしかかった時点で、そのような告白をしていますね。

文屋 善明 直感的認識と論理的認識。カントも論理的認識の限界において「ものそのもの」の認識は論理的には不能であることを論じた。

Satoshi Mizota モノがないのに語りうるのが、現実の言葉ですね。

播 稔 また難しいことをなげかけますねー。 モノない/語る得る/現実の言葉/。(ないものを語る???)

Satoshi Mizota イエスについて「ここに・いま・そのモノ」がいないのに、彼について語ることが出来ている。記号とそのモノを区別しないから、議論が宙を浮くんです。

Satoshi Mizota だから、「イエスはホントにいたんでしょうか?なにを根拠に?」と聞き続けているんです。

Satoshi Mizota 「イエスは実在しないし、聖書も完全なるフィクション」なら、キリスト教2000年が偽証の上に成り立っている、ということになってしまいます。

文屋 善明 イエスの存在が歴史学的に証明できないからといって、いきなり「実在しない」とか「完全なるフィクション」だと決定できません。言えることはただ実在については「証明できない」ということだけです。それ以上でも、それ以下でもない。

播 稔 キリスト教信者にとっては、そのようなことは思ってもみない人がほとんどでしょう。受胎告知は確かに首をひねるが。神だからこそ可能だったのか。この議論はここまででとどめてほしい。

播 稔 世の中には証明できないが、実在するものばかりです。宇宙のことをみても。アインシュタインの理論、証明までぐらつきはじめています。

Satoshi Mizota イエスの実在が証明できない、というのは全く賛成です。ただそこで止まったばあい、やはりかなりな危険があると考えています。教会がイエスの実在について、「イエスがた肉をまとった、と信頼した」歴史的経緯が無視される恐れがある。完全なる非決定論にも、教会は立ってないと考えてるんです。

Satoshi Mizota 受胎告知が「神話」だと「仮に」しても、あの物語はイエスが実在したという信念の表明であることは、あきらかです。

Satoshi Mizota >キリスト教信者にとっては、そのようなことは思ってもみない人がほとんどでしょう。

古代の異端たちのなかには、実在を怪しんでいた人たちも、いたと考えています。

文屋 善明 仮現説ですね。そこに居るイエスは幻で、実在ではない、という説。

Satoshi Mizota そう。

Satoshi Mizota かなり、大変な問題なんではないか、とかんがえます。

文屋 善明 この問題に対して正統派キリスト教が反論する根拠は、使徒たちの「証言」だけ、その証言も「イエスが死んだこと」「そして復活したこと」だけで、しかも「復活」については「聖書に書いてある通りに」という解釈であるという(1コリント15:4)。実に根拠のないことで、「信じるしかない」。何を信じる、使徒たちの証言。それから連綿と使徒たちの証言を信じた人たちの、またその人たちを信じた人たちのと続く。それしかない。

Satoshi Mizota いや、わたしなら、イエスの名の故に迫害された事実を指摘したいです。イエスの名は滅びなかったし、迫害に耐えて誠実に伝達されてきた、とかんがえます。新約が書かれる前からそうだった。

Satoshi Mizota 不誠実な伝達なら、実在しない可能性が格段に高まりますから。

文屋 善明 「イエスの名」まさに「ノミナル」。

Satoshi Mizota そのうえに使徒継承が、ようやく乗っかる。

Satoshi Mizota 名前の時間軸上の伝達は、重要な哲学的な課題でもあるんです。

文屋 善明 いいですか。それで私は聖霊派から使徒継承を遵守する聖公会に移ったんですよ。私が司祭であると言う根拠は、たった、それだけのことです。

Satoshi Mizota プロテスタントには、少し不利かなあと。。。

文屋 善明 少しどころか決定的に駄目でしょう。もしあり得るとしたら、ただ一つのキエルケゴールに習って、「実存的に」2000年の歴史を乗り越えて初代教会に直結するしかないでしょう。その意味で、「実存的に」ということを神学的用語では「聖霊によって」ということでしょう。

Satoshi Mizota あのね。喧嘩まで売ることはないの。。。


文屋 善明 これは「喧嘩を売っている」のではなくて、私の人生の意味の問題なのです。

Satoshi Mizota なるほど。聖公会が良いですよね。

文屋 善明 現実の聖公会が良いの、悪いのではなく、「理念としての聖公会」の問題なのです。

Satoshi Mizota 使徒継承がなければ、イエスは証されない、との立場。

文屋 善明 それは「交わりとしての教会の生命」の問題です。

Satoshi Mizota イエスはフィクションでもよかったじゃん、はまずいだろう、とは思います。他の歴史的存在も、おじゃんになりますから。

posted at 06:31:23


文屋 善明
5月21日 7:59 ·
NHKこころ旅。埼玉県、鶴ヶ島にて昼の2時頃、「春いなくなった、いきなり夏だ」。今日の心に残る風景は、東松山市のやきとり屋の赤提灯の風景。だから、午後から出発。風が強い。ローソンで休憩。第1やきとり屋発見。ホント、やきとり屋ばっかり。キレイなま東松山駅。やきとり屋街まである。

岸本 望さん、Luke Etsuzou Nomahさん、川染 三郎さん、他13人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:24

「昨日のツイート 05/19 京都エコーのチャンネル」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/afdad102c0b52bde41749d190df41bf…
posted at 08:27:29


文屋 善明
5月21日 6:21 ·
お目覚めの花。「どうだい、美味しいかい」「美味しいね、たまらんよ、とくに赤いバラはいいね」。
文屋 善明さんの写真

加藤 治さん、芳賀 道子さん、真塩 ナナ子さん、他37人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 花より-○○○―


文屋 善明
5月21日 6:10 ·
2015日々の聖句 05月21日(木)
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(詩32:8)
マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。(ルカ10:39)
私の黙想:
この詩の構造は1~7節までの「あなた(神)」と「わたし(詩人)」が、8~9節では逆になり、10~11節では詩人が第3者に呼びかける言葉になる。従って今日の聖句は神の詩人へのセリフである。7節までの部分でヤハウェと詩人とは「罪」を挟んで向かい合っている。そのときの「神の手」、毎日毎日、昼も夜も「重くのしかかっている」(4節)。とうとう我慢が出来ず、詩人は神に罪を告白する。この時の開放感は何ものにも代えられない喜びであった。それで8節、罪から解放された後からは、毎日毎日、昼も夜も、「神の目がわたしに注がれている」。「神の手」から「神の目」への変化、これがこの詩にポイントであろう。毎日毎日、朝、目が醒めると、神の目がわたしにその日になすべきことを勧めてくれる。わたしはただ神の声を聞き、それに従いさえすれば、日々を楽しく過ごすことが出来る。
究極、信仰者として生きるということは、こういうことであろう。

西村 逸郎さん、真塩 ナナ子さん、川染 三郎さん、他24人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
5月21日 7:06 ·
面白い試みですね。これがこれからの大学の方向だと思います。

大阪大学超域イノベーション博士課程プログラム Cross-Boundary Innovation Program
「超えることでしか生まれない」を生み出す「超域イノベーション」博士人材の養成を目指します。
CBI.OSAKA-U.AC.JP

http://www.cbi.osaka-u.ac.jp/

播 稔さん、松井 理直さん、植村 光郎さん、他10人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
茂木健一郎さんも、このプログラムに興味を持っています。
以下茂木さんのFBより
大阪大学の超域に注目せよ!
ぼくは一時期日本の大学の批判(というか、建設的な提案笑)をしていたが、最近やめてしまった。一つには、英語化や、グローバル化さえすればいい、というような軽薄な風潮に、「それ、本質じゃないんだけど」と呆れてしまったことと、そもそも組織レベルの話はアラすぎるという理由による。
教育って難しくて、組織変えたら個人が育つというものではなくて、育む因子を冷静に考えなければならない。ダーウィンやアインシュタインが大量に排出される大学などあり得ないのであって、才能の開花が、どのような条件で、どのように生まれるかを見極める必要がある。それは、非常に繊細かつ複雑だ
ところで、昨年から、大阪大学の超域(大学院の複数の専攻をまたがった、いわば大学院の上にかけられた大学院)http://www.cbi.osaka-u.ac.jp/  の授業を、哲学者の檜垣立哉さんのお誘いでやっているんだけど、昨日はものすごく手応えを感じたし、感動してしまった。
超域のクラスは小さくて、20人くらいだけど、そこに、データマイニングや、看護学、ドゥルーズ、生化学、機械工学、ロボット、社会政策など、いろいろな専攻の学生が集っていて、留学生もいて、それで彼らと人工知能やイノベーションの議論をしたんだけど、「これが大学だよ!」と思った。
議論って、まず、個々人が自分の考えることを率直に表明しないと成立しないし、「私もそう思います」みたいな付和雷同じゃなくて、とにかく異なる視点を提供しないと交響曲にならないし、多様性も確保できないんだけど、昨日の議論はテンポもよく、多角的で、実にきもちがよかった。
日本の大学の課題のひとつは、「専門性」に凝り固まりがちなことで、超域のように、それぞれの専攻で学びつつ、異なる専攻の学生が集ってインテンシヴに議論できるというのはひとつの解決だと思う。同じ顔ぶれでずっとやるというのが、お互いの特性がわかって議論が深まるので、とても良い。
面白かったのは、後半、こちらが何も言わないうちに、量子計算から計算可能性、決定論的カオス、確率の基礎、そして意識へと議論が深まっていったことで、昔も今も、気の利いた学生が惹きつけられるセクシーな問題への嗅覚は、時代の流行と関係なく変わっていないんだな、とうれしかった。
大阪大学の超域のような試みが、他の大学でどれくらい行われているかは知らないけれども、間違いなく一つの成功事例だと思うので、文部科学省、そして他大学のみなさんは、超域の仕組みを研究した方がいいと思います。大学で長年教えていて、昨日くらい手応えを感じた日は、ありませんでした。


文屋 善明
5月21日 8:02 ·
この際、安倍首相と一緒に読みましょう。

安倍首相が「読んでいない」ポツダム宣言 現代語訳だとこうなる
5月20日に行われた党首討論で、共産党の志位和夫委員長は安倍晋三首相に、ポツダム宣言に関する認識を質問した。
WWW.HUFFINGTONPOST.JP

http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/20/potsdam_n_7341178.html?ir=Japan&utm_hp_ref=japan

玉城 豊さん、Satoshi Mizotaさん、天野 真由美さん、他42人が「いいね!」と言っています。
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中野 芳夫 「自虐史観」からの脱却を企てている安倍首相は、どうせ「戦勝国が勝手に宣言しているだけだ」と思っているのでしょうね( `°罒°)ムキー

文屋 善明 おじいちゃんから、「あんなもん読むな」とでもいわれているのかな。だから、堂々と平気で「読んでいない」と自慢できたのかな。

中野 芳夫 おじいちゃんが戦犯にされかかったのがよほど悔しいのでしょう(笑)

柴田 敏彦 · 共通の友達: 水草 修治さん、他6人
第11項「日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。-略」 気になる点が多々あるが、これも。

植村 光郎 安倍首相は、前大戦の戦争犯罪の真の訴追者は連合国ではなくこの国の人々であったことを理解しなければなりません。

入口 紀男 日本は、ポツダム宣言を受諾し、かつサンフランシスコ講和条約に署名したことがすべてですね。それによって主権を取り戻しました。

文屋 善明 「ポツダム宣言」などと訳するから、どこかの信仰告白みたいに思ってしまうのであって、これは明らかに大日本帝国に対する「最後通牒」でしょう。「これ以上まだ戦争を続けるなら、日本を壊滅させるよ、さぁどうする」。だから「ポツダム宣言の受諾」なんていうと、その宣言にわたしたちも同意しますというようなイメージになってしまうでしょう。そんな綺麗事ではなく、両手を挙げて「降参します!」ということでしょう。それが「無条件降伏」という意味なんですよね。もう参りました、勘弁して下さい。というときに「条件」なんかつけることが出来ませんよね。

高橋 幸作 · 共通の友達: 二上 英朗さん、他3人
憲法も読んだ方がいいよ♪


文屋 善明
5月21日 11:41 ·
私たちの自慢の孫娘です。
文屋 善明さんの写真

濱 和弘さん、石松 周さん、小柳定治郎さん、他75人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 今どきの「留学」は私たちの時代とは異なり、どうやら「ホームシック」という言葉は死語になったようです。残り3ヶ月、帰国するの「嫌や」とか。


中島 献二 この街角の絵を見たことがあるような気がします。とても良い感じですね~

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