ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート05/20 贖罪論なきキリスト教は可能か?

2015-05-22 06:29:46 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ヨハネ福音書注解』現代語訳継続。「イエスによる洗足」と「最後の晩餐」、洗礼と聖餐との結合。釣川堤防散策。夜、「なるほどレストラン」「戦う!書店ガール」を見た。戦う相手の正体が見えてきた。11時過ぎに就寝、5時半起床。体調・快調、チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、播 稔さん、佐藤 静代さん、他22人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 今日も、お守りの内に、ご夫妻共々穏やかなよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m
posted at 05:52:34


文屋 善明
5月20日 6:56 ·
今日の名言:@SNOOPYbot
これは学校へ行ったことのある子なら、だれでも悩まされてる問題です。答えを知ってるときはあてないで、知らないときばかりあてるのは、いったいなぜですか? (ペパーミントパティ)
<一言>だって、答えを知っている生徒に当てても答えは決まっていて面白くないじゃない。ユニークな答えが出て来て人類は成長するんですよ。

播 稔さん、川染 三郎さん、Takayuki Manabeさん、他19人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 シェアします。
5月20日 11:37 · いいね!

播 稔 ユニークが人類の成長を促すのはたしかです。
posted at 06:54:39


文屋 善明
5月20日 7:59 ·
NHKこころ旅。埼玉県2日目、所沢の荒幡富士で手紙を読む。鶴ヶ島中学の裏から見る田園風景。入間川を渡り、いい雰囲気の道だ。気持ちよさそう。おっぱいの形をした山。今朝はここまで。

村田 多鶴子さん、大坂 太郎さん、藤木 冨士子さん、他14人が「いいね!」と言っています。

杉浦 紀明 私にとっては身近な風景です。

文屋 善明 本当に良いところですね。

播 稔 おっぱい山。神戸にはかぶと山がありますが。
posted at 07:59:21

「昨日のツイート 05/18 空飛ぶ危険物・オスプレイ」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/ebf80d00298b1ab826953cc71ecfa13…
posted at 10:08:30


文屋 善明
5月20日 6:47 ·
お目覚めの花。「私ね、実はイライラしていたんですよ」「なんで」「だって、急に暖かくなって、わたしたちの季節が終わってしまうじゃないの」「やっとFBに出していただき、嬉しいわ」。
文屋 善明さんの写真

Luke Etsuzou Nomahさん、西川 芳昭さん、加藤 治さん、他45人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 ご近所のツツジは既に散ってしまって、少し寂しい思いをしていましたから、FB上ででも見られて嬉しいです~♪(^^♪

若月 新一 おはようございます。

文屋 善明 今はバラの季節。もうすぐ、さつき。

文屋 善明 この写真は5月5日に岡湊神社で撮ったものです。

堀 俊子 出してもらって嬉しいわ~ありがとう(*^_^*)

新島広治
おはようございます 春の香 これが本当の花言葉 !! Shalom


文屋 善明
5月20日 6:39 ·
2015日々の聖句 05月20日(水)
遠い海、地の果てに至るまで、すべてのものがあなたに依り頼みます。(詩65:6)
あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられています。(コロサイ1:23)
私の黙想:
今日の聖句、これ自体は美しい言葉であるが、口語訳と比べてみると、対比できないぐらい違い、同じ原文の翻訳とは思えない。ポイントとなる部分はこうなっている「地のもろもろのはてと、遠き海の望みであるあなた」、文語訳では、「きわめて遠きものの恃みとする汝は」、フランシスコ会訳では「あなたは地の果てと遠い海のより所」、新改訳では「あなたは、地のすべての果て果て」となっている。このようにして翻訳文を並べて見ると、問題点が明らかになってくる。この文章は「あなたに寄り頼みます」ではなく、「全世界が寄り頼んでいるあなた」で、「あなた」に対する修飾語という構造になっている。なぜ、全世界の果て果てまでもが「あなた」に寄り頼んでいるのかということが前半の部分で、「あなたがなさった不思議な業」であり、その不思議な業が実はわたしたちすべてに対する「答えだ」というのがこの詩のポイント。その意味ではフランシスコ会訳と新改訳とが正確に訳している。「あなたは正義によって不思議を行い、わたしたちに答えられます。わたしたちの救いの神よ、あなたは地の果てと遠い海のより所」。新改訳では、この「不思議を行い」の部分を「恐ろしい事柄をもって」と訳しているが、その違いは、なかなか微妙である。いずれにせよ、神の行為は不思議で恐ろしい事柄である。
この詩における、この節のポイントは、そこではなく、これが「神の答え」だということである。神の業を神の答えとして受け止める。では、その答えは何という「問い」に対する答えなのだろうか。果たして、わたしたちは(私は)、いや人類は、神に対する「問い」があるのだろうか。問いに先行する神の答え、答えから「問い」を問う。答えのある問い。その答えを拒否する人間。私の黙想はまだまだ続く。

Luke Etsuzou Nomahさん、川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他20人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 黙想の続きをお待ちしています。

文屋 善明 まだ20代の頃、どういう文脈で、誰が言ったのかすっかり忘れてしまいましたが、「キリストはアンサーである」という言葉を聞き、それが忘れたまま、放置されていましたが、今朝はそれを思いまだしました。キリストは「答え」なんです。だから「問い」を持たない人たちには何の意味もないのです。では、どんな問いに対する答えなのか。私の「問い」は何なのか。ポール・ティリッヒは神学は「答え」であり、問いは「実存哲学」だという立場に立っています。北森嘉蔵は何かの本でキリストという光に照らされて、罪が明らかになるというようなことを言っていました。これも「答え」から「問い」が明らかにされる構造だと思います。というようなことを、延々と考えています。

門叶 国泰 今日の箇所の「ミブター」は動詞ではない。ローズンゲンも「du bist・・・」と注を付けている、ということが黙想のポイントですね。文屋先生は、それを「答え」という。問いを探して、今日も彷徨います、昨日野暮用で予約をキャンセルしたので、今日はジムに行って来ます。その前に同居人の運転手でスーパーへ。今日も頭は回転しませんが、健康です。

植村 光郎 ポール・ティリッヒを知りません。資料・本などを見てみたいと思います。お差支えなければご紹介ください。

文屋 善明 そちらではなくて、この節の前半にある「ふさわしい答え」(タアネア)のほうです。

文屋 善明 昔々のことですが、ポール・ティリッヒにおける宗教的象徴論で修士論文を書きました。この人はばるとやブルとマンと同世代のドイツの神学者で、後にヒトラーの弾圧を避けて渡米し、それ以後は主にアメリカで活躍しました。参考:
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/e06228c9a208d0f0e667c22f50abe721

植村 光郎 ありがとうございます。


文屋 善明
5月20日 9:43 ·
朝日新聞2015年5月20日、(70年目の首相)第2面特集
「満州国」岸元首相の原点 産業開発進め、国家統制を主導
以下、本文
 首相の安倍晋三(60)がまだ1回生議員だった1995年10月初旬のことだ。中国・長春を訪れ、祖父・岸信介(きしのぶすけ)が「満州国」政府の最高幹部の一人として働いていた建物を見学した。
 「この人、一番悪い人」
 ガイド役の中国人男性が展示してあった岸の写真についてそう説明した。同行していた同期の荒井広幸(57)が安倍を指さし、「この人、その孫」と応じると、ガイドは慌てて「でも、いいこともした」と取り繕った。
 それから20年。記者は3月下旬、「満洲帝国史」などの著書がある東海大名誉教授の太田尚樹(74)の案内で、長春を訪れた。80年ほど前は満州国の首都・新京だった。
 いまは吉林大学基礎医学院として使われている建物が、かつては満州国政府の最高機関、国務院だった。
 「岸はここで執務していました」と太田。
 ギリシャ神殿に似た正面玄関の巨大な円柱、左右対称の横長の造り。日本の国会議事堂とそっくりだ。建物自体は国会議事堂、屋根は北京の紫禁城をモデルに、「『日満』合作を意識した建物」(太田)という。中に入ると、重厚な大理石の階段が出迎えた。
 国務院が完成したのは1936年。同じ年、やり手の商工官僚だった39歳の岸は、関東軍の熱烈な要請を受けて満州に赴任した。岸の持論である「国家が産業を管理する」という国家統制論に、関東軍は新国家建設を託したのだ。岸は産業部次長と総務庁次長を兼務し、総務長官に次ぐ、満州国政府の事実上のナンバー2となった。
 国務院から約2キロ離れたところに、天守閣のような建物がある。いまは中国共産党吉林省委員会が入るが、当時は満州国の実権を握る関東軍司令部だった。岸はここで参謀長の東条英機と親交を深めた。
 太田は語る。
 「岸は満州で、国家運営という得難い経験と、東条ら満州人脈を構築した。将来の首相・岸信介の素地が作られた」
 岸の最大の功績は、自らも策定に深く関わった「産業開発5カ年計画」(37~41年度)の実行にある。
 太田によると、「5カ年計画」の最終年度の41年度、生産高は飛躍的に増えた。銑鉄(せんてつ)2・2倍▽鋼材2・6倍▽石炭1・8倍▽銅5・2倍▽アルミニウム16・7倍――。計画期間中の37年に日中戦争、41年に太平洋戦争が始まる。太田は「満州国は戦中、日本の軍需産業に多大な貢献をした」と言う。
 「満州国は私の描いた作品だ」。岸は3年間の滞在を終え、日本に帰国する際、こう述べた。岸にとって、自身の満州国経営は「侵略」とはほど遠い。むしろ戦後の中国にプラスに働いた、と考える。70年に発行された「満洲国史」にこんな一文を寄せた。
 「眠れる無限の宝庫を開いて物質的にも欧米諸国に対抗できる態勢を整えるため、多くの日本青年が玄海(玄界灘)を渡った。残した数々の施設、制度、技術、人材は、きょうの中国経済の中に生きておる」
 ■中国「日本の戦争支援のため」
 「忘れられない歴史 岸信介の偽満州国歴史資料を発見」
 2014年7月7日、国営の中国中央テレビ(CCTV)のニュース番組。ちょうど77年前のこの日に始まった日中戦争を扱った特集の中で、満州国の首都・新京(現長春)の電話帳が見つかり、「総務司長 岸信介」の名前があった、という特ダネを報じた。
 CCTVのホームページで閲覧できる映像には、岸の住所も映っていた。
 電話帳にある「東朝陽胡同」という通りは、岸が勤務した旧国務院から1キロほど離れた閑静な住宅街にあった。しかし、岸の邸宅は見つからなかった。近くに住む60代の男性に尋ねると、「昔、このあたりの住宅には全部、日本人が住んでいた。でも10年以上前に古い建物は壊されたよ」と言った。
 中国では近年、満州国政府の最高首脳の一人だった岸への関心が高まっている。だが肯定的な評価ではない。番組のアナウンサーは岸を「初期の中国侵略戦争の急先鋒(きゅうせんぽう)」と紹介した。
 満州国誕生のきっかけとなった満州事変。私たちはその現場となった奉天(現瀋陽)へと向かう。
 瀋陽駅から7キロほど離れた郊外。鉄条網で仕切られた土手の上の線路を、高速鉄道「和諧号」が走り抜けていく。
 太田は言う。「この場所で、関東軍が爆破事件を起こした。ここから満州事変は始まったんです」
 関東軍は1931年9月18日、南満州鉄道の線路を爆破。中国軍の犯行とでっち上げ、中国東北部全土に戦闘を拡大させた。翌32年3月、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を担ぎ、一方的に満州国の建国を宣言した。
 満州国は建国理念に「五族協和」を掲げた。五族(漢・満州・モンゴル・朝鮮・日本人)で仲良くしよう、という意味だが、現実には国籍法すら制定されていない。長春出身で吉林師範大学大学院教授の李素テイ(63)は「建国理念とは異なり、あくまでも指導民族は日本人だった。この地域に住む人たちに、自分たちは『満州国人』だという自覚はなかった」と語る。
 中国近現代史史料学会副会長の王建学(65)は「岸さんは、表面的には中国東北部の経済を発展させたのは事実だろう。だが、私たちのためにやったわけではない。あくまでも日本の資源不足を補い、侵略戦争を支援するためだった」と語る。(長春=石井潤一郎)
 ■安倍談話、焦点の歴史観
 岸は戦後、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監される。東京裁判は、満州事変も日本の「侵略」として裁いた。だが、岸にとってみれば、これは戦勝国の一方的な偏見だ。米国による経済封鎖などの国際情勢のもと、資源不足の日本が追い詰められたがゆえの「自存自衛」の戦争にほかならない。岸は獄中でこう記す。
 「大東亜戦争を以(もっ)て日本の侵略戦争と云(い)ふは許すべからざるところなり」
 では孫の安倍はどうか。
 2013年4月の参院予算委員会。侵略を認めた村山談話について問われると、安倍は「侵略の定義は学問的に定まっていないと言っていいだろうと思うし、国と国の関係においてどちら側から見るかで違う」と疑問を呈した。
 「侵略の定義は学問的に定まらず」。安倍はこうした言い方で自分の本心を踏み込んで語ろうとはしない。代わりに、「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」という主張を繰り返す。
 ただし、安倍がもともと、安倍談話を出そうと考えたきっかけは、村山談話の歴史認識を問題視したからだ。月刊誌「正論」(09年2月号)で「自民党が野党に転落するまで、どの首相も侵略という言葉を使っていない」「村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない」と語っている。
 今夏にまとめる安倍談話について、安倍は「(村山談話を)政権としては全体として受け継いでいく」と語るものの、具体的に侵略というキーワードを引き継ぐかどうかは不透明だ。
 安倍談話に関する懇談会の座長代理、国際大学学長の北岡伸一(67)が「安倍さんに『日本は侵略した』と言って欲しい」と語ったという報道に対し、保守論壇から反論の声があがった。埼玉大名誉教授の長谷川三千子(69)は産経新聞の「正論」欄で、「歴史を見る目歪(ゆが)める『北岡発言』」というタイトルの論文を発表した。
 長谷川は12年の自民党総裁選で、民間人の有識者として安倍の再選を応援した。長谷川は論文で「『侵略』という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていない」と釘を刺した。
 今夏に出される戦後70年談話で、安倍の歴史観が問われる。 =敬称略
 (園田耕司、関根慎一)
 ◇第1部「系譜」編を21日に4面で始めます。1回目は巣鴨プリズンでの岸元首相を描きます。
◆キーワード
<岸信介(1896~1987)> 山口県出身。東京帝国大法学部卒業後、農商務省(のちに商工省)に入省。1936年に満州に渡り、満州国国務院実業部総務司長に就任。41年に東条英機内閣で商工相(のちに国務相兼軍需次官)として入閣した。
 戦後、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監。不起訴となり、48年に釈放された。55年の保守合同で自民党幹事長、57年に首相に就任した。60年に日米安全保障条約の改定を実現したものの、デモ隊の東大生が死亡するなどした混乱の責任を取り、退陣した。長女の夫が安倍晋太郎元外相。
 <満州国> 1932年3月、日本が満州事変をきっかけに中国東北部につくった傀儡(かいらい)国家。清朝最後の皇帝・溥儀を担いで、実権は日本が握った。米国との関係が悪化するなか、資源を確保する狙いもあった。国際連盟は満州国を承認せず、日本はこれに反発し、翌年脱退。国際社会からの孤立を招いた。中国は国家としての存在を認めず、「偽満州国」と呼ぶ。
文屋 善明さんの写真

Luke Etsuzou Nomahさん、石松 周さん、糸原 由美子さん、他24人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 この国をミスリードした人の孫が・・・・。そして、1932~1937年の朝日新聞の論調、現在臆面もなくこのような記事を、二者の厚顔に呆れます。

文屋 善明 私は満州生まれ、満州育ち(10歳まで)なので、岸という政治家にはそれなりに関心があり、いろいろ調べていますが、どうしても理解出来ない謎は、巣鴨プリズンから不起訴になって出獄したということです。その点について触れられているものはほとんどありません。

播 稔 B級戦犯は悲惨だった「私は貝になりたい」はそのほんの一部。裁判もなくげんちで殺されています。

山本 隆久 岸さんは、中国でアヘンで大儲けをして、その闇金で、首相になった人だと私は聞いております。

山本 隆久 岩波ブックレットに「日中アヘン戦争」とかいうのがあり、その終わりの方に、「ある有名な政治家」として言われている方だそうです。

文屋 善明 勿論、岸さんが個人的に大儲けしたという事ではなく、大日本帝国の関東軍の幹部たちと一部いわゆる「大陸ゴロ」、満州の闇社会に君臨し、阿片王と呼ばれた甘粕正彦たちがグルになってやったことで、それが満州経営の信金となったといわれています。岸さんはここでも直接手を染めたわけではなく、その上澄みで巨大な富を得たと言われています。それが戦後自由党の政治資金となったのだといわれ、そこにも暗い闇があります。


文屋 善明
5月20日 11:03 ·
非常に示唆に富むいい講演ですね。関学神学部は高橋氏を講師として招いた以上、この問題を真摯に受け止めて、「わたしたちの神学」を深めて頂きたい。

贖罪論なきキリスト教は可能か?  関西学院大学で高橋哲哉氏が講演
関西学院大学神学部などの主催で14日、「犠牲の論理とキリスト教への問い」と題する、東大大学院総合文化研究科教授の高橋哲哉氏の講演会が行われた。哲学者でフランス現代思想が専門の高橋氏はこの日、キリスト教に対する鋭く真摯な問いを投げ掛けた。
CHRISTIANTODAY.CO.JP

http://www.christiantoday.co.jp/articles/16082/20150518/takahashi-tetuya.htm

西川 芳昭さん、安田 信夫さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他23人が「いいね!」と言っています。
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文屋 善明 古代ユダヤ教における「贖罪」という習慣を廃棄することは簡単であるし、いわば当然のことであるが、問題はイエスにおける「自己犠牲」という思想を、どうするのということにある。高橋氏のこの講演では、それに対しても否定的であるように思う。キリスト教の神学者はそれにどのように対応するのか。

服部 弘一郎 「死の意味づけ」はどんな時代、どんな文化の中でも行われているので、そこには人間にとって普遍的な何かがあるのでしょう。それは古代にもあったし、現代にもあるわけです。

それを「やめる」ことは人間の本性に背くことになるので無理だと思いますが、それを人間が背負っている根源的な特徴として批判的に見つめることは必要でしょうね。

Akira Ueda 贖罪としての十字架はイエスにおいて完結した、というのが宗教改革的には模範解答ですが、多分その背景に、イエスの歴史的に特殊な役割があると思います。多分高橋氏は、歴史の特殊性ということに意味を見いだせないのではないでしょうか。これは哲学そのものの弱点だと思います。会場ではどういう反論が出たのか、興味があります。

文屋 善明 「イエスの歴史的に特殊な役割」とはあの時代のあの社会における意味付けということでしょうか。

Akira Ueda
バルト風にいえば、あの時あの場所で起こった事柄が、今ここで意味を持つ、ということです。哲学的に表現するなら、特殊が普遍性を持つ、となりますが、なぜあの特殊が普遍性を持つのかといえばキリスト教的には「十字架」というシンボルです。「シンボル」という言葉を使うと怒る人がいるくらいにその十字架に重みがあるということです。
高橋氏は、「贖罪としての十字架が2000年前に完結しているので、それ以降の殉教に贖罪としての意味を与えることをキリスト教は排除しているのだ」、という応答がフロアーからあることは当然想定しているはずです。予想される高橋氏の答えは「それは思想としての贖罪が2000年前においても現在においてもあるということではないか」となりますが、「一人が万人を救済する贖罪というのはユダヤ教になかった思想なので、思想が先で、それに基づいて現象が起きたという構図は成り立たない」と答えられます。そこから先どういうやりとりになるかはよくわかりません。

堀 俊明 信仰はあってあるものだけで良いと感じます。

渡辺 俊彦 · 共通の友達: 錦織博義さん、他10人
哲学視点の限界だと思いました。また、イエス様の十字架で流された血と人間の殉教で流した血を同レベルで扱うことはいかがなものか、と思いました。また、この主張にどのような神学的批判がなされたか知りたいと思います。


アルバム「響灘グリーンパークのバラフェア」に写真87件を追加しました。
5月20日 20:06 ·
さる、17日の日曜日、あまりの人出で入られなかったグリーンパークのバラフェアに出かけました。
文屋 善明さんの写真

野口 富隆さん、世良田 湧侍さん、松井 守さん、他25人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 どのバラも素敵です。
一口にバラと言っても、随分いろいろな種類があるものだと驚きながら観させて頂きました。
こんなにも沢山の写真を撮られた文屋先生のエネルギーに脱帽です。

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