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ぶんやさんの記録

断想:顕現後第3主日(2019.1.27)

2019-01-25 08:35:45 | 説教
断想:顕現後第3主日(2019.1.27)

ガリラヤでの宣教  ルカ4:14~21

<テキスト>
14 イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
15 イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
19 主の恵みの年を告げるためである。」
20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた

<以上>

1.顕現後第3主日以降について
顕現後第1と第2主日とは顕現日といわばセットになっている。従って顕現後第3主日から、ルカ福音書の年らしく基本的には福音書はルカ福音書から取り上げられている。顕現後の主日が終わると福音書は聖霊降臨後の主日(特定~主日と呼ばれる)に継承される。

2.4:14~5:11の資料の問題
専門家の間では4:14~5:11の段落がルカの特殊資料によるもなのか、あるいはマルコ福音書を再構成したものなのか議論が分かれている(コンツェルマン『時の中心』56頁以下)。この問題は複雑な分析を含みかなり専門的な議論になるので省略し、ここでは一応マルコ福音書を土台にしていると見なしておく。
ただ一点、イエスが故郷ナザレを訪れた記事(ルカ4:16~30)の配置については確認しておかねばならないであろう。マルコではこの記事は6:1~6aにある。叙述の順序としてはガリラヤでの活動がかなり詳細に述べられ(マルコ1:14~5:43)、イエスに対する評判もある程度高まった状況においてイエスは故郷ナザレに「お帰りになった」(マルコ6:1)ということになる。ところがルカ福音書ではこの記事はイエスの公における活動の始めの部分に位置づけられている。なぜルカはそうしたのかという点を明らかにしないではルカの福音書を理解したことにならない。しかもルカ自身はイエスが故郷を訪れる前に「カファルナウムでいろいろなことをした」(ルカ4:23)ということを知っている。そういう事実を知った上で、あえて順序を変更している。ルカにとって正しい「順序」(1:3)とは必ずしも時間的前後関係というよりも意味的順序である。時間的前後関係には偶然性が伴うがルカにとって重要な順序は神の必然である。この問題については結論を保留し、先を急ごう。

3.ガリラヤ宣教の概括
イエスの宣教活動は故郷に近いガリラヤから始まった。ルカ福音書の資料となったマルコ福音書ではこのことを次のように記録している。
「ヨハネが逮捕されたと聞き、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝え始めました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:14~15、文屋による超超訳)。ルカと同じようにこれをマルコの記述を受けてマタイは次にように記す。
「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ』。そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(マタイ4:12~17)。
同じ資料を受けとっても著者によってこれだけ違いが出てくることは興味深い。マタイの文章はマタイの関心と性格とが明確に出ている。ここではルカが主役であるからマタイについては省略する。ルカは「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」(4:14~15)。マルコとルカとを比較して顕著な違いは、ルカは「ヨハネが捕らえられた後」という句が省かれている点である。ルカはイエスをヨハネの後継者とは見ていないということが明らかに示されている。ルカの第1の関心事は「イエスは霊の力に満ちていた」という一点に絞られている。イエスの行為も言葉もすべてイエスが「霊に満ちていた」ということの結果である。それが具体的には評判の良さとして現れる。ルカはマルコが記録しているイエスの言葉を省略し、むしろ宣教の方法を語る。イエスの宣教はユダヤ人にとっては「諸会堂での教え」として行われる。

4.故郷ナザレでの説教
既に触れたように、ルカ福音書ではこの出来事がイエスの公での活動の最初の場面とされている。
先ず16節から21節までのテキストを釈義しておく。ルカは16節でイエスが故郷の人々の前で説教をするに至った状況を簡単に説明する。ナザレはイエスが育った町だとする。これについてはルカ以外の誰も触れていない。むしろ重要な点は「いつものとおり」という言葉で、この言葉によってここがイエスの幼児時代からの信仰の原点、まさにイエスはここで育ったということをルカは主張している。その場に居合わせている人々はほとんどすべてイエスを幼児時代から知っている人たちであり、イエスも彼らをよく知っていた。久し振りに帰郷したイエスは聖書の朗読をさせられた。これは当時のユダヤ人会堂での習慣なのか、イエスへの特別な配慮なのかは不明である。
17節の「預言者イザヤの巻物が渡され」という言葉には少なくともイエスが選んだのではないということが意味されているのか。「お開きになると」という言葉も、また「次の箇所が目に留まった」という言葉も、ことさらに偶然性が主張されているように感じる。一般論として、歴史を理解するということはその事象が偶然性を含むということを理解することである。偶然性の奥に秘められた必然性、それが歴史を解釈するという意味である。
18節、19節はイザヤ書61:1~2の70人訳である。
20節は「いつものとおり」の所作であろう。
21節の「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」というイエスの言葉は、説教の出だしだと思われるが、その後の文章がすべて省略されている。従っておそらくこの言葉はイエスの説教そのものの内容を示しているものと思われる。本日のテキストはそこまでである。22節によると会衆の反応は悪くはなかった。
この言葉はマルコ福音書の「『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」(マルコ1:14~15)という言葉に対応する。マルコ福音書の言葉がそうであるように、ルカ福音書におけるこの言葉も、この場限りのイエスの説教というより、生涯にわたって繰り返されたイエスの説教であろう。その意味では11:20の「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」という言葉も、また17:21の「(神の国は)『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」という言葉もそのバリエイションであろう。

5.イザヤ書61章の背景と状況
ルカ4:18に引用されている言葉はイザヤ62:1~2で、いわゆる第3イザヤ(56章~66章)と呼ばれる文書に含まれている。第3イザヤ書は1人の預言者の文書というよりも、バビロン捕囚時代以後の時代に書かれた文書をまとめたいわば「預言集」(詩集)のようなもので、中でもとくに61章は貧しい者を解放するメシア(油注がれた者)が立てられるという希望の詩である。ここでの「わたし」とは誰であるか特定することはできないが、預言者イザヤの系列に属する無名の預言者(仮に「第3イザヤ」という)で、自分自身のことを意味していると思われる。ここでの背景を想像するとおそらく、バビロニヤから帰還した頃に活躍した預言者であろう。あるいはそういう設定の元に将来現れるであろう預言者のことを指し示しているのかも知れない。
50年近くに及ぶ捕囚から帰還した彼らの前にあったものは荒廃した祖国であり神殿であった。しかも彼らは先ず自分たちの住むところ、食べるものを確保することから始めなければならなかった。国を再建するということは生やさしいことではない。この当時のもう一人の預言者ハガイは「神殿は廃虚のままであるのに、お前たちはそれぞれ自分の家のために走り回っている」(ハガイ1:9)と言う。人々は自分たちのためにだけ奔走し、隣人のことが目に入らない。
そういう状況の中で預言者の課題は貧しさに打ちひしがれ、希望を失いがちな人々を励まし、民族のエネルギーを鼓舞することにあった。それが神殿の建設という事業へと人々を向かわせる動機であったと思われる。今考えると失業対策であったのかもしれない。
イザヤの預言の中で彼が民族再建の目標として掲げたことが「ヨベルの年=主の恵みの年」(レビ25章)の実現ということであった。しかし現実の歴史はイザヤの期待通りには展開しなかった。イザヤ以後の預言者たちはイザヤの預言を受け継ぎ終末論的な希望となった。つまりイザヤの預言は先延ばしにされ終末論の原型を形作った。

6.イエスの説教
その日、イエスは「お育ちになったナザレ」の会堂の礼拝において聖書を朗読した。朗読された箇所はイザヤ書61章1~2節である。ここまでは普通のことである。ところが朗読し終わった時、イエスは「この聖書の箇所が今日実現した」と宣言された。これは異様なことである。ここがイエスがイエスであるところであろう。普通ではない。普通、人々はこの箇所を読んだとき、「このことが実現するように祈りましょう」という説教で終わる。
イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言された。イエスの時代の人々にとってイザヤの預言は現実には実現しない終末の希望になっていた。「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人を自由にする」という「主の恵みの年」が来るのは終末においてである。終末論における解放とは「この世からの解放」となる。逆に言うと、この世では解放されないという絶望となる。終末論の危険性は、この世への絶望である。この世に絶望している人は、この世に対して責任を負おうとしない。テロリストという心理はここに根ざしている。この世で死んでも、あの世で生きるという。
まさに、このような意識こそ、預言者イザヤが相手にした人々である。荒廃した国土を前に、人々は絶望した。彼らの先祖イスラエルがバビロニアから帰還したときも同じである。彼らに必要なものは絶望的な状況から逃げ出すという意味での解放ではなく、「絶望からの解放」である。状況に対する責任の回復である。
イエスは、「このイザヤの預言は、今、ここに実現している」と宣言する。「あなた方が耳したとき」という言葉が「今、ここで」という実存性を強調している。イザヤとその時代の人々が立っていた「あの状況」そのものに私たちは「今、ここで」立っている。いや立たねばならない。立てる。今、この言葉を聞いた瞬間、私たちはイザヤが掲げた希望の上に立っている。
ルカにとって「今日」という言葉は重要である。ルカにとってイエスの口から発せられる「今日」とはイエスの時代を意味する。イエスが「霊」に満たされてガリラヤに帰ってきたその時から、イエスが十字架上で死ぬまでの期間がイエスにとっての「今日」(4:21、5:26、13:32,33、19:5,9、22:34,61、23:43)である。ルカ23:46の「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉はイエスの時の終わりを意味する。この「霊」が改めて弟子たちに注がれたのが使徒言行録第2章の聖霊降臨という出来事にほかならない。
イエスのこの説教を人々はどう聞いたのだろうか。このことを話すことは悲しい。確かにイエスの宣言に人々は驚いた。確かに、それは驚くに値する。しかし人々はイエスの言葉を真剣には受け止めなかった。むしろ青二才の言葉として馬鹿にして聞き流してしまった。それだけではない。イエスの言葉を一種の危険思想として、圧殺しようとした。

7.<追記>説教についての反省
イエスのこの説教に教会でなされるべき説教の原形がある。説教とは解説でもなく、宗教儀礼の説明でもなく、聖書解釈でもない。「宣言」である。聖書のテキストを読んで、ただ一言「この言葉が今、ここで実現している」。これだけで完全な説教である。これがなかなかできない。
昨年末の降誕日の断想で、私はカール・バルトの説教集『降誕』(新教出版社)を読んだ。テキストはルカ2:12。説教題は「隠された姿」。いきなり説教者は語り始める。
<聖書本文が意図するところによると、ベツレヘムの羊飼いが「布(おむつ)」にくるまって、飼い葉桶の中に寝かさしてある幼な子を見るであろう」ということは、この幼な子が救い主であって、いと高きところの神と地にある人間との間に平和を結び、人間に、究極的に現実的に、勧告と、指示と、希望とを与えたもう主キリストであるということの、「しるし」の役をなしているのである。なんとすばらしいことではないか。おむつの飼い葉桶。これはまさに排斥・貧困・困窮・窮乏を意味するものである。「それがしるしである」とは。こんなところに誰が、いと高き神と地にある人が一つになるという奇跡を、求めるであろうか。>
バルトのクリスマス説教はこのような調子で終始する。クリスマス説教だけではない。バルトの説教とはそういう説教である。バルトの説教はイエスの説教と共通するものがある。これがまさに教会における説教である。私もそういう説教ができる人間になりたい。いかに私たちの説教が貧弱であるか。無駄な言葉が多すぎるか。説明ばかりで宣言が一つもない。大いに反省するところである。

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