ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

『平成の楼閣』(朝日新聞デジタル版)

2017-03-11 11:03:06 | ときのまにまに
2月27日から続いた朝日新聞デジタル版での「どうのようにして安倍一強は成立したのか」という特集。なかなか読み応えがある。これはまだ第1部であるが、続きも十分期待できる。
それで、記録のために私のブログにコピーしておきます。

衆参で単独過半数を持った自民党を支配し、官邸が霞が関を束ねて政策を主導。総裁任期延長でさらなる長期政権に道を開く――。激変する世界の中で、安倍首相による「1強」と日本の政治のいまについてシリーズで考えていきます。
第1部は「平成の楼閣」。楼閣とは、重層の建物で、政治的権威を示す建物をさす場合もあります。平成の政治改革を積み上げて「1強」が完成した意味合いを込めました。

第1部・平成の楼閣:1 首相、近づく在職1位(2017年2月27日)

官庁街に囲まれた東京・日比谷公園にある洋食の老舗・松本楼。1月24日夜、自民党の役員約20人が集まった。安倍晋三首相の通算在職日数が歴代6位になったことを祝う会合。あいさつに立った首相の口調は、なめらかだった。

「山口出身の総理は私以外に7人います。そのうち在職期間ベスト10人に入っているのが5人います」そして続けた。「長ければ良いってものではありませんが、一番長いのは、桂太郎です。こんなことは東北では言えませんが」

明治から大正にかけて3度も首相を務めた桂。長州・山口の出身で、通算在職日数2886日は歴代1位。戊辰戦争では官軍の一人として東北で戦った。安倍流の「お国自慢」で笑いに包まれた宴席は乾杯に移り、安倍首相は牛ヒレ肉のステーキを平らげた。
その姿を眺めながら、幾人かが同じ感慨を抱いた。「ずいぶん余裕なんだな」

その後も日米首脳会談ではトランプ氏との蜜月をアピールし、内閣支持率は安定。自らを直撃した学校法人「森友学園」への国有地売却問題でも「私や妻が関係したとなれば、首相も国会議員も辞める」と言い切るほどの自信をみせた。
3月5日の党大会で総裁任期の延長が決まり、安倍首相は来年の総裁選で3選をめざす立候補が可能になる。強力なライバルが見当たらず、党内では勝利が確実視されている。国政選挙で勝ち続けることが前提とはいえ、2019年11月に桂を抜き、21年9月まで通算10年、3500日超という憲政史上例のない超長期政権も射程に入る。

この「1強」はいかにして生まれ、この国に何をもたらしているのか。それを探るには、首相の権限を強めるための改革を積み上げた「平成の楼閣」に迫らなければならない。(山岸一生)

第1部・平成の楼閣:2 経産省で固めた側近(2017年2月28日)

「江田さん、よく大蔵省の名前を変えられましたね。どうやって財政と金融の分離をやったんですか。すごいですねえ」

2013年12月20日。安倍晋三首相は、当時の結いの党結成であいさつに来た江田憲司衆院議員の「橋本行革」の話に食いついた。「既得権益を打破して欲しい」。橋本内閣で首相秘書官を務めた江田氏はエールを送った。

国家予算を握る大蔵省は、中央省庁が並び立つ「霞が関」の中で、長きにわたり盟主と言われてきた。安倍首相の関心は、その名を「財務省」に変え、金融部門を分離した「橋本行革」。夕方の15分間、江田氏との間で、もっぱら互いの財務省に対する「不信感」を語り合い、盛り上がったという。
江田氏は96~98年、当時の通商産業省から橋本龍太郎首相の秘書官に出向。官邸の権限強化とともに省庁再編で大蔵省を財務省と金融庁に分割する際、激しく抵抗した当時の大蔵官僚と渡り合った。「それまで大蔵省は自分たちが一番正しいと思っていた。どの政権になっても、財務省との間合いが一番大事」と語る。

■増税2度先送り
予算の配分を武器に、自民党と二人三脚で政権を切り盛りしてきた財務省はいま、増税を含む「財政再建」に重きを置いている。

安倍首相は江田氏との会話より3カ月前、消費税の8%引き上げを決断した。しかし、10%への再引き上げには政権内にも反対論が強かった。首相の持論は「強い日本は、安定した成長する経済に土台を置く」。財務省の抵抗を押し切り、その後、再引き上げを2度にわたって先送った。そこで首相側近として動いたのが、経産省出身の今井尚哉首相秘書官だった。

「2度目」の昨年5月。伊勢志摩サミット前に今井氏は「新興国の投資伸び率は、リーマン・ショック時より悪化」とするペーパーを作成し、消費増税先送りの流れを作った。財務省内では「今井と菅原(郁郎・経産事務次官)が首相をけしかけた」との恨み節が駆け巡った。

首相は1月に出版された大下英治氏のインタビューで、真っ先に今井氏に言及している。「総理大臣だからといっても、なんでも一人ではできない。今井秘書官の存在も大きい」

第1次安倍政権で経産省出向の首相秘書官だった今井氏を政権復帰後に筆頭の政務秘書官に起用。インタビューでは、政策企画担当の首相補佐官と内閣広報官を務める長谷川栄一氏、内閣副参事官でスピーチライターの佐伯耕三氏という、いずれも経産省出身の官邸スタッフをたたえている。

■原発推進鮮明に
アベノミクスの司令塔として内閣官房に置いた「日本経済再生総合事務局」も経産省出身者が中核を占める。その一方で安倍政権は、原発の再稼働を進め、昨年11月には、核拡散の懸念が残る中、核武装を続けるインドとも原子力協定を締結。成長戦略と位置づける原発輸出に道を開いた。原発の所管は、経産省だ。

「官邸機能の強化は官邸官僚の強化につながると警鐘を鳴らしていた。財務省は相撲で言えば横綱の地位を追われた一方、原発行政は焼け太りしている」。橋本政権の連立与党幹部だった田中秀征・元経済企画庁長官は、「1強」によって霞が関の盟主が、財務省から「経産省」へと交代したことを、こんな表現で指摘する。(南彰)

第1部・平成の楼閣:3 省庁の発信「消えた」(2017年3月1日)

首相官邸には中庭がある。広さ380平方メートル。2階から首相執務室のある5階を超えて開閉式の屋上まで、ぽっかりと広がる吹き抜け構造だ。

元民主党参院議員で、鳩山政権で官房副長官を務めた松井孝治・慶応大教授は、中庭に、かつての政治家と官僚の関係をみる。

「首相は各省の神輿に乗って、上手に操作をすればいいというのが、先人の知恵だった」

松井氏は1994年、通商産業省から官邸に出向。当時のスタッフは少なく、政策といえば省庁が積み上げたものをまとめるのが仕事。政治家のトップたる首相が座る官邸が、空洞のように感じられたという。
その後、官邸に権力を集中させ、政治家が物事を決めるシステムをめざす改革が続いたが、10年前は、まだ官僚に発信力があった。「大きな省を作るのではなく、規制と振興の分離をまず考えるべきだ」

第1次安倍政権だった2007年1月。現在は官房長官を務める菅義偉総務相が打ち出した「情報通信省」構想に、経済産業省の北畑隆生事務次官が記者会見で公然と反対したのだ。総務省と経産省にまたがる情報通信行政を一本化するこの構想は、安倍晋三首相の退陣で頓挫。北畑次官は08年7月まで次官を続けた。

■政治主導が加速

首相にも近い閣僚の方針に官僚が公然と反対する。そんな姿が完全に消えたのは、「政治主導」を掲げた09年の民主党政権誕生からだ。各省庁の事務次官が法案や政令、人事などの閣議案件を事前に調整する事務次官会議を廃止。事務次官など官僚の定例記者会見も取りやめた。各省庁の発信は、官僚ではなく、政治家が行うことを原則とした。
その後を継いだ安倍政権は、民主党政権のやり方を一部踏襲。事務次官による会議は復活したが、事前調整の場ではない。官僚の記者会見は容認したが、定例の記者会見を行っている事務次官は一人もいない。

こうした流れが、徐々に官邸1強につながったことを、歴代政権の首相秘書官は感じ取っている。警察官僚として小泉官邸にいた小野次郎氏は「力のある官僚は、役所のルートを通すより、強い政治家に提言したほうがいいというマインドが生まれた」とみる。衆院の小選挙区制導入で、「強い政治家」とは、解散権を持つ首相に他ならない。麻生官邸で首相の日程調整を切り盛りした総務省出身の岡本全勝氏は、各省庁の発信と報道機関の取り上げ方に注目。「役所が発信しなくなった。新聞の1面に個別の省庁が発表した記事が載ることは、統計資料を除いてほとんどない」と分析する。
旧大蔵省出身の宮沢洋一氏は、宮沢政権で首相秘書官、安倍政権で経済産業相を務めた。各省の政策決定は「官僚が事前に官房長官なり総理に説明して、感触を確かめながら進めることが多くなった」と認める。官邸は空洞どころか、今やあらゆる政策決定の中心にいるというのだ。

■責任はどこまで
首相、そして政治家が主導する政治は「1強」体制で確立した。その一方で、権限と裏腹であるはずの結果責任をどこまで負うのか。例えば、文部科学省の天下り問題では、前川喜平・前事務次官だけが引責辞任した。安倍首相はもちろん、松野博一文科相の進退問題にさえなっていない。政権内に問題が生じた時の責任の取り方については、十分な整理がついていない。(二階堂勇)

第1部・平成の楼閣:4 最高裁人事、慣例崩す(2017年3月2日)

第2次安倍政権発足後、しばらくした頃。首相官邸で、杉田和博・内閣官房副長官が、最高裁の人事担当者に向き合って言った。「1枚ではなくて、2枚持ってきてほしい」
退官する最高裁裁判官の後任人事案。最高裁担当者が示したのが候補者1人だけだったことについて、杉田氏がその示し方に注文を付けた。杉田氏は事務の副長官で、こうした調整を行う官僚のトップだ。
このとき、退官が決まっていたのは、地裁や高裁の裁判官を務めた職業裁判官。最高裁は出身別に枠があり、「職業裁判官枠」の判事の後任は、最高裁が推薦した1人を内閣がそのまま認めることがそれまでの「慣例」だった。これを覆す杉田氏の判断について、官邸幹部は「1人だけ出してきたものを内閣の決定として『ハイ』と認める従来がおかしかった。内閣が決める制度になっているんだから」と解説する。
憲法79条は、最高裁判事について、「内閣でこれを任命する」と定める。裁判所法で定めた任命資格をクリアしている候補であれば、憲法上、内閣は誰でも選ぶことができるが、2002年に公表した「最高裁裁判官の任命について」というペーパーでは、最高裁に最適任候補の意見を聞くことを慣例としていた。

■日弁連推薦を袖
このような最高裁判事をめぐる「慣例」が、安倍政権が長期化するにつれて徐々に変わりつつあることを示す出来事もあった。今年1月13日、内閣は弁護士出身の大橋正春判事の事実上の後任に、同じく弁護士出身の山口厚氏を任命した。「弁護士枠」を維持した形ではあるが、山口氏は日本弁護士連合会が最高裁を通じて示した推薦リスト7人には入っていなかった。
その6日後。日弁連の理事会で、この人事が話題に上った。中本和洋会長は「政府からこれまでより広く候補者を募りたいとの意向が示された」「長い間の慣例が破られたことは残念だ」と語った。
それまで最高裁判事の「弁護士枠」は、日弁連が示した5人程度のリストから選ばれており、最高裁で人事を担当していた経験者も今回の人事について「明らかに異例だ」と語る。一方、別の官邸幹部は「責任を取るのは内閣。内閣が多くの人から選ぶのは自然だ」と意に介していないようだ。

■「すり寄り」懸念
最高裁人事を巡っては、かつて佐藤栄作首相の意向で、本命と目される候補を選ばなかったことを佐藤氏自身が日記に記している。労働訴訟などの最高裁判断に自民党が不満を募らせていた1969年のことだ。「政治介入」がその後もあったかどうかは判然としない。
しかし、「日本の最高裁判所」の編著書がある市川正人・立命館大法科大学院教授(憲法学)は、今回の弁護士枠の人事の経緯に驚きを隠さない。「慣例は、政治権力による露骨な人事介入に対する防波堤の役割を果たしてきた面がある。今後、最高裁が過度にすり寄ってしまわないかが心配だ」。慣例にとらわれず、憲法上認められた権限で人事権を行使する安倍政権の姿勢に対する戸惑いだ。
日弁連は安倍政権が進めた特定秘密保護法や安全保障関連法への反対声明を出してきた。元最高裁判事の一人は「日弁連が今後、安保法に反対する人を判事に推薦しにくくなるのではないか」と指摘する。

自民党総裁の任期延長で安倍晋三首相が3選されることになれば、19年3月までに、最高裁裁判官15人全てを安倍内閣が任命することになる。(藤原慎一、南彰)

第1部・平成の楼閣:5 「矜持」見えぬ立法府(2017年3月3日)

2014年2月、高知市で「葬儀」があった。追悼されたのは「国会」。壇上には国会議事堂の「遺影」が掲げられ、約250人の参列者が花を手向けた。前年の臨時国会で、与党が採決を強行して成立した特定秘密保護法への抗議の意味を込めた企画。国会職員や民主党議員として40年以上過ごした平野貞夫元参院議員らが催した。
この法律は、安全保障に関わる情報を漏らした公務員や民間人に厳罰を科す。平野氏は「国政調査権を侵す法律を国会がすんなり通した。民主党も問題提起する質問をせず、議長も何も言わなかった。こんな国会はおしまいだと思った」と述懐する。
実際、法律の運用をチェックする国会の情報監視審査会は「秘密」の壁に直面している。政府が特定秘密に指定した情報の管理簿に記された概要があまりにもあいまいで、昨年3月、審査会は改善を求めた。
しかし政府は「日本が何を調べているか、手の内を明かすことになる」などと説明を拒む。秘密指定が適切かどうかさえ、国会は十分な判断ができる状況ではない。自民の審査会委員の大塚高司衆院議員さえも「政治家に言えば秘密が漏れる、と信頼されていない。大事な法律だと思って通したが、役所の壁が高くてもどかしい」と話す。

■採決強行しても
衆参で自公が過半数を握り、「安倍1強」と言われるようになった13年以降。この秘密保護法をはじめ、集団的自衛権行使を容認する安全保障法制、環太平洋経済連携協定(TPP)承認、カジノ解禁法が次々と採決強行や強気の国会運営によって成立した。
政権が国会を強硬路線で進められた明確な理由が一つある。内閣支持率が4~5割台で安定し、一時的に3割台に落ちてもその後、持ち直しているからだ。朝日新聞の世論調査でTPP承認の衆院通過直後は3ポイント上がり、カジノ解禁法の採決直後も1ポイント減にとどまった。第1次安倍政権が、改正教育基本法や年金特例法で採決強行を連発して支持率を落とし、07年参院選の大敗につながった軌跡とはまったく異なる。
野党の抵抗に対する評価も変わった。民進党の柚木道義衆院議員は、第1次安倍政権のころから一貫して採決の強行時にプラカードを掲げて抗議する役回りを担っているが、有権者の反応が冷たくなったという。「今は『審議拒否は税金泥棒』みたいな批判を受ける」

■批判し合うのみ

「1強」主導の国会は、採決だけではない。昨年9月の臨時国会で、自民党衆院議員の4割を占める当選1、2回生ら若手が安倍首相の所信表明演説中にスタンディングオベーションで応えた。萩生田光一官房副長官の「演説をもり立ててほしい」との依頼が、自民党国会対策委員会を通じて伝わった結果だ。その萩生田氏は、野党の国会対応を「田舎のプロレス」と揶揄(やゆ)し、その後謝罪し、発言を撤回。山本有二農林水産相の「強行採決」発言もあり、与野党は批判の応酬に明け暮れた。
大島理森衆院議長がこの臨時国会の反省を求めて宿題を出した「国会審議の充実策」。自民と公明は「いたずらに日程闘争を繰り返さないよう、与野党ともに丁寧な協議に努める」と野党の責任を問うた。
民進も「一義的には与党の強権的な国会運営および政府関係者による不適切な言動に原因があった」と指摘。互いを批判し合う構図はそのままに、いずれもA4紙1枚に10行程度の記述に終わった。大島氏がいう「立法府の矜持」は、1強国会からは見えてこない。(田嶋慶彦)

第1部・平成の楼閣:6 2大政党、根づく日は(2017年3月4日)

民進党が12日の党大会で決める今年の活動方針案に、こんな表記がある。「強大で横暴な安倍政権と対決し、政治の流れを変えていく」「安倍政権の強大化に歯止めをかける」
衆参で圧倒的多数を握る「安倍1強」を意識した内容だが、一方で政権の「再交代」をめざすような直接的な表現は見当たらない。
政治改革で1996年の衆院選から導入した小選挙区制は、政権交代可能なシステムをめざした制度だった。09年で民主党に、12年に自民党に交代し、その意味では機能した。
しかし、民主から名を変えて再出発した民進が自民にとって代わる機運はみえてこない。支持率は1ケタ台で自民の5分の1だ。対する自民の国会勢力は前回衆院選後も膨張を続ける。民主と協力してきた新党大地の鈴木宗男代表は、昨年の国政選挙から自民との協力に転じ、長女・貴子氏も自民会派に入った。かつて自民を飛び出した平沼赳夫氏、園田博之氏も復党し、日本のこころも自民と統一会派を組んだ。
世代交代が進み、もともと自民議員で今も民進に残るのは、岡田克也前代表と増子輝彦参院議員だけになった。90年代もいったん離れた議員が徐々に自民に回帰する現象はあった。岡田氏は「野党より与党の方が良いと言う人はいつの世でも出てくることだ」というが、自民膨張の理由はそれだけではなさそうだ。

■労組に自民接近
2月13日、自民の茂木敏充政調会長は党本部で、全国化学労働組合総連合(化学総連)の幹部と会談した。昨年5月末に民進の支持母体である連合を離脱し、約4万6千人の組合員を抱える化学総連。茂木氏は安倍政権が取り組む「働き方改革」について話した。化学総連の広報担当は「意見交換をした」と説明。このところ目立つ政権と労働組合の接触の一コマになった。
安倍政権は「同一労働・同一賃金」など、民主や民進、労組が当初主張してきた政策を次々と採り入れつつある。民主で政調会長を務めた松本剛明氏は「自民の守備範囲が広すぎて、自民以外というポジションがなかなかない」と語る。
自身は15年に民主を離党し、昨年からは自民会派に入った。「2大政党は対立でなく競争すべきなのに、メジャーとマイナーの対決になっている。対立を続ける限り、自民がやらない課題を見いだすしかない。その究極が共産との連携だ」という。
昨夏の参院選で民進は共産と連携。32ある1人区の11選挙区で野党候補が勝った。31選挙区で擁立を見送った共産票の上積みによる共闘が、一定の成果を収めたことは間違いない。

■腰定まらぬ民進
その一方で見逃せないのは、勝利した選挙区は、保守地盤を背景に持つ候補者が目立ったということだ。青森の田名部匡代氏は父・匡省氏が元自民議員。福島で勝利した元自民議員の増子氏は「野党共闘だけでは勝てない。保守層への食い込みが重要だ」と語る。
90年代以降の「非自民政権」の主役の多くが細川護熙、羽田孜、鳩山由紀夫の各氏ら元自民出身議員だった。その立役者で、今は野党結集を訴える小沢一郎氏も昨年、自らの党名を自由党に変更した理由を「保守の人たちの支援を得られる政党名。自民党以外の保守の票を取らなければ政権は取れない」と説明した。
新潟や東京の知事選で自民推薦候補が敗れたように、「1強」にも死角はある。「脱原発」や「都政改革」といった有権者の共感を得るテーマで争点化に成功すれば、自民支持層が大きく動くこともある。それが政権をかけた衆院選で通用するのか。所属議員の大半が共産との政権構想に否定的で、原発だけみても腰が定まらない民進が、抱える悩みは深い。(関根慎一)

第1部・平成の楼閣:7 二つの潮流、首相支持(2017年3月5日)

自民党の二階俊博幹事長が、1月23日の衆院代表質問で最も力を込めたのが「国土強靱化」だった。「強くしなやかな国づくりは、安倍政権の最重要課題だと認識している」
防災事業への投資を経済成長や地方振興につなげる二階氏の持論で、公共事業費は安倍政権から増加に転じた。安倍晋三首相も「オール・ジャパンで国土強靱化を強力に進めてまいる」と答弁で応じた。

■二階氏と安倍首相。
もともとは、自民党結党以来の大きな二つの潮流で別の流れに属していた。「私は角栄さんの人柄に揺るぎない信頼感を今も持ち続けている」そう語る二階氏は、1983年に初当選。田中角栄元首相に師事した最後の世代だ。「列島改造論」を引っさげ、社会の安定と地方や弱者への再分配を重視。現在の二階派はこの系譜ではないが、国土強靱化は、いわば田中流自民政治の「平成版」といえる。
田中元首相が支えた佐藤栄作元首相と共に、高度経済成長を牽引した池田勇人元首相を源流にした「宏池会」は今年60周年。軽武装・経済優先という戦後日本の基本政策を決めた吉田茂元首相以来、連なる系譜として、自民では長く「保守本流」と言われてきた。
これに対し、安倍首相の出身派閥である細田派は、首相の祖父で日米安保改定に政権を賭けた岸信介元首相が源流だ。憲法改正を掲げ、「国のかたち」にこだわる。長く政権から遠ざかっていたが、2000年以降は、森、小泉、安倍、福田の4人の首相を輩出。田中派や宏池会の系譜が分裂を繰り返し、相対的に弱ったのとは対照的に、今や主流の地位を確立した。

■「失敗から学ぶ」
安倍首相は、二つの潮流の支持をまとめ、自らが属さなかった潮流の側からも分厚い支持を受ける。田中直系である二階氏は、幹事長就任直後に安倍首相の任期延長をぶち上げた。2月20日には「総理が進める外交は非の打ちどころがない。支持にちゅうちょはない」と来年の総裁3選支持を早々に打ち出した。
麻生太郎副総理らは、分裂した宏池会系派閥の再結集を模索。これも安倍首相への対抗手段では決してなく、あくまで「ポスト安倍」の備え。岸田文雄外相も「安倍総理の時代が終わった後、私にできることがあれば考えてみたい」と述べ、首相と戦う気はない。
わずか1年で倒れた第1次政権と何が違うのか。当時、官房副長官として首相を支えた下村博文氏は「お友達内閣と言われたように、なんか意気込んでやっているという冷めた目で見られていた。その失敗から学んだ」と振り返る。

■脅かす存在なし
人事では、閣僚や党役員に派閥の会長クラスを配置。内閣改造でもその骨格を維持した。「成長と分配の好循環を回す」として、かつての保守本流のような経済政策を前面に出して選挙を戦い、そこで得た議席の力で、特定秘密保護法や集団的自衛権の行使を認める安全保障法制の整備といった「地金」の政策を進めた。当然、批判があるが、党内は許容した。

国政選挙4連勝で生まれた「安倍チルドレン」が党所属国会議員の4割を超え、1次政権のころ参院自民で力を持っていた青木幹雄氏ら実力者の多くが引退。自らを脅かす存在は、党内には見当たらない。自民の二つの潮流が一つに重なり合う「平成の楼閣」で、安倍首相は一人二役の主演を続けている。(山岸一生)

     ◇

 第1部はこれで終わります。第2部は権力による支配に焦点をあて、「1強」の実相に迫ります。二階氏と安倍首相。

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