ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

2月3日(月)のFB

2018-12-04 14:03:15 | ツイッター
12月3日(月)、主の平和。お早うございます。じわじわと基礎体力が弱っていると感じる今日この頃、朝は徐々に起床を遅めている。今日は往診があり採血する。
体温:37.0、血圧:124/82、心拍:81、血液酸素:96%。
体調・快調、それなりに、チュンチュン。
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32永島大資さん、Minae Moriwakiさん、他30人

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村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻とご親族の皆さんがお守りの内に佳い一日をお過ごしになられますようにm(__)m

小貫 ツマ お早うございます。先生の聖書の解説、感謝して読ませていただいています。体力は衰えても知力はますますさえて来られる先生のお姿に励まされる思いです。

Noriko Tama Corl 文屋先生、こんにちは。<(_ _)>。体力の恢復が与えられますように。今日のこれからが充実して、聖霊の力に満たされますように。お祈り申し上げております。<(_ _)>。主の平和!<(_ _)>♡♰


文屋善明
お目覚めの花の代わりに、我が家の「アドベント・カレンダー」です。日本ではお正月が1年の最大の祝日で、子どもたちは「もう幾つ寝るとお正月♫」と歌いますが、西欧での最大の祝日はクリスマスで、「もう幾つ♫♫」の代わりに「アドベント・カレンダー」家の目立つところに飾り、毎日一つずつ窓を開けたり、人形を動かしたりします。
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52京都上桂伝道所さん、Kei Kurosawaさん、他50人

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Minae Moriwaki

Kumikowailani Kato ステキですね💕

文屋 善明
2018 日々の聖句 12月3日㈪
主は、弱い者を塵の中から立ち上がらせ(、貧しい者を芥の中から高く上げ、高貴な者と共に座に着かせ、栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は、主のもの主は世界をそれらの上に据えられ)た。(サムエル上2:8)
羊飼いは、見失った羊を見つけたら、喜んでその羊を担いで行った。(ルカ15:5)
私の黙想:
今日の聖句は「主は、弱い者を塵の中から立ち上がらせた」という部分だけである。この聖句は、サムエルの母ハンナがサムエルを与えられ、サムエルが少年になったとき、ヤハウェとの約束に従って、サムエルを神殿に預けた。その時ハンナが歌った感謝の祈りという設定である。
ハンナはサムエルが与えられる以前の状態を「塵の中」といい、「芥の中」という。パウロはフィリピ書でキリスト者になる以前に最も価値あるものと思っていたものを、「キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに」比べると「塵あくた」(3:8)のように思われるという。塵と芥を組み合わせると「塵芥」となりほぼ同じ意味で「ゴミとかクズ」を意味する。つまり「不要物」「廃棄物」である。ハンナは私はサムエルが与えられる以前は、「ゴミ箱に捨てられていた者」に等しかった。
このハンナの賛美を原型にして、ルカ福音書における「マリアの賛歌」(1:47~55)が生まれたという。
これらの歌の背後にある「聖書的な意味」は多くのところで論じられているので省略するが、この歌の裏にある意味を考えると、ここには大変な女性観が横たわっている。勿論、聖書はそれを否定する意味で用いているのではあるが、女性は子供を産んでやっと一人前の女性として扱われるという女性観がそこにはある。何という非人間性、残酷さであろうか。しかし、今もその価値観を持っている人間が国会議員の中にいるということには驚かされる。ああ、マリアさんはイエス様を産んで良かったね、ハンナさんはサムエルさんを産んで良かったね、では済まされない。
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22Minae Moriwakiさん、宮田 真也さん、他20人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
昨日 8:53 ·
5年前のローズンゲンだ。
5年前
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文屋 善明
日々の聖句2013 12月03日(火)
わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。(出エジプト6:7)
神は、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、すべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。(エフェソ1:22~23)
私の黙想:
「あなたたちを民とし、わたしはあなたたちの神となる」 という思想は、旧約聖書に無数にあり、新約聖書の最後の書、ヨハネ黙示録の最後の部分は21章から22章にある「新しい天と新しい地」との描写の中には、「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(21:3~4)という言葉が見られる。つまり「人間が神の民となり、神が人間の神となる」という神人関係が旧約聖書・新約聖書を貫く理想の姿である。しかも、それは人間側からの行為ではなく、全面的に神からの「仕掛け」による。逆に言うと聖書はこの理想が人間側の行為によって破壊され続けた物語という読み方も可能である。人間とは「神の顔を避ける存在」(創世記3:8)、「神から逃避する者」(ヨナ1:3)であり、神は人間に「どこにいるのか」(創世記3:9)と問いかけ、「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回る」(ルカ15:4)神であると語る。

8京都上桂伝道所さん、永島大資さん、他6人

文屋 善明
どうせ、こういうことだろうと思っていました。その証拠が出て来た。

https://blogos.com/article/332685/?fbclid=IwAR2foT5nN-bR98dRH7L34qeOAkcFcUzG_irNnEcmiR81h9-_VQaYwoa7mEA

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米国の沖縄選挙工作を示す極秘メモ発覚に沈黙するメディア
またもや驚くべき極秘文書が米国側の公表で明らかになった。きのう10月18日、ワシントン発時事が報じ、それを毎日新聞が引用して報じた。すなわち、米ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館は、16日...
28京都上桂伝道所さん、Noriko Tama Corlさん、他26人

文屋 善明さんが投稿をシェアしました。
生きるということ

大脇 友弘
「生命は」

吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻あぶの姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための虻あぶだったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない

7京都上桂伝道所さん、Noriko Tama Corlさん、他5人

文屋 善明
【素粒子】朝日夕刊。12.3 
とりあえず一時休戦の米中貿易紛争。今の覇権国と取って代わらんとする国と。
火種は消えようもないけれど。
8京都上桂伝道所さん、Noriko Tama Corlさん、他6人

文屋 善明
ありのままのフクシマ、チョット古いが事態はそのまま。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0413/toc_180413_8285390126.html?fbclid=IwAR1dDU4yfxJNMPn9DaEPTV1tOdNnjie1FjEP3RB4iqQYGwQ93Xxgt6psZ5U

NEWS.BIGLOBE.NE.JP
【原発】福島の政治家がついに決死の大暴露! 「政府は現実をことごとく隠す」「復興は原発セールスのため」「動植物の奇形も増加」(インタビュー)|BIGLOBEニュース
東日本大震災から7年――。安倍首相は去年(2017…
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21京都上桂伝道所さん、永島大資さん、他19人

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髙橋 和廣 Shared.Thank You.

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