ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

三木清『日本の現実』

2015-11-13 14:46:14 | 三木清関係
三木清『日本の現実』(1937年11月号『中央公論』)

1.
今度の支那事変は日本に新しい課題を負はせた。この課題はもちろん架空の理想ではなく、現実そのものの中から生れたものである。しかし課題は課題として現実に対立する意味を有している、あるいは現実が同時に課題の意味を有するということが歴史的と呼ばれる現実の本質である。現実は課題によって批判され、課題は現実によって批判される。歴史の過程はそれ自身において批判的である。我々は歴史の意識的な分子としてこのような批判を理論的に且つ実践的に遂行しなければならない。支那事変を契機に我々の前に与えられているのは確かに新しい現実であり、新しい課題である。しかしながら、その新しさを強調することによって、それが従来の歴史の発展から必然的に生じたものであるということを考えるのを忘れてはならない。我々の直面している事態をこの際特に冷静に観察することが必要であればあるほど、そのことを忘れてはならないのである。興奮にあってはただその新しさにのみ心を奪はれ易いから。

現在、日本の負わされている課題には種々のものがあるであろう。経済的課題もあれば、政治的課題もあり、文化的課題もある。いま我々が取り上げようとするのは特に日本の思想的課題であり、従ってまた日本の思想的現実である。しかも思想の問題は決して局部的な問題ではない。政治、経済、文化のすベてが思想の問題に関係するということは今日においては殆ど常識となっている。今度の事変にしても、一つの重要な点は思想の問題である。日本の対支行動の目的は事後における日支親善であり、東洋の平和であると言われる。目的は確かにこれ以外にあり得ない。問題は、そのような日支親善のイデオロギーは具体的にはいかなるものであるか、あるいはいかなる内容の思想を基礎にして東洋の平和を確立しようとするのであるか、ということである。我々はすでに数年前からこの問いを繰切返し問い続けて来た。我々を満足させ得るような答は果して与えられたであろうか、我々の感ぜざるを得なかった「思想の貧困」は果して救われたであろうか。しかもこの問題は単に日支両国間の関係にかかるのみでなく、日本の立場を世界に理解させる必要がいよいよ痛切であると言われる現在、それは国際関係の見地においても重要性を有している。日本の対支行動の善意は我が国民の誰もが黙解している。求められているのはこの「善意」の「思想的」基礎であり 「思想的」表現であるのである。

しかるに我々は今日なお、民族主義者と称せられる人の口からさえ、次のような言葉を聞く。曰く、「今回の事変が中国共産党を枢軸とする抗日人民戦線派の進出によって巻き起こされ、わが国が支那のこのような傾向を事前に阻止し得なかったことは、支那に於いて ・・・・・・ことを意味する。ソヴェートの思想は支那民衆を把握し、ここまでひきずることに成功したのであるが、・・・・・・文化工作はこれに対抗する・・・・・・いなかった。 否、・・・・・・支那民衆に対して思想的に・・・・・・持っていなかったとさえ言えるのである。・・・・・・支那に於いて、一部地方軍閥をその政治 ・・・・・・に置くという・・・・・・、直接支那大衆に働きかけ、・・・・・ していないのである。雪崩のようにわき起こった排日抗日思想に対して、日本はその取締りを支那政府に要求した以外、自らこれに対抗すべき思想政策、文化政策を・・・・・・かった。これこそ重大な問題ではないか。日支事変はソヴェートのボルセビズムと日本の皇道精神がアジア大陸に於いて覇権を争っているのだ、と説く論者がいるが、少なくとも事変前の第一段階に於いて、日本は思想戦に・・・・・・と言わねばならない。いわんや、反動主義者が考えているような・・・・・・・日本人にのみ通用して支那人や欧米人にはそのままでは理解しがたいような精神——が、国内的にはともかく、国際的舞台に於いて思想戦を演ずるに充分であると考えること自身が、すでに大いなる錯誤なのである。現在の支那に於いてソヴェートは思想を与え、欧米諸国は文化を与えた。これが支那民衆の間に彼等を××せしめる力となっているのである。・・・・・残念ながら支那民衆から支持を得るだけの思想も文化も与えてはいなかった。我々はこれを批判するに憶病であってはならない。日本は支那をめぐる思想戦に於いて先づ敗れたのだ」(門屋博氏『国民思想』10月号)。 同じ筆者は更に言う、「このことは、・・・・・・の上では甚だ優秀であるが、 ・・・・・・甚だ××であることを意味する。 思想戦、文化戦に於いて・・・・・ ところを、・・・・・・に於いて数句の中に回復しつつあるのだ。然し、思想戦が終結したのではない。武力戦の後に、更に広範な、更に鮮烈な思想戦が残されている」。このような意見はもちろん新しいものではない。それはすでに以前から心ある人々がしばしば言ってきたところである。我々はまた必ずしも筆者の意見に全部賛成するものではない。しかしながら筆者が日本の現実における思想の貧因について語る点には我々も全く同感である。言うまでもなく、日本の政府はこの数年来、思想の問題に対して決して無関心であったわけではない、むしろ熱心過ぎるくらい熱心であったのであり、そのために莫大な費用も投ぜられてきたのであった。しかもその今日においてなお、日本の思想的現実はこのような状態である。日本精神や日本文化の研究は奨励されてきたにかかわらず、思想の貧困の状態は何ら改善されていない。いま我々の信念を率直に述べるならば、日本を救い得る思想は支那をも救い得る、否、全世界を救い得る思想でなければならない。最初から「・・・・・・」という限定の付いた思想は・・・・・をも救い得ない。それが現在の日本の現実であり、世界の現実である。

2.
支那事変は思想的に見て少くとも先づ一つのことを明瞭に教えている。即ち日本の特殊性のみを力説することに努めてきた従来の日本精神論はここに重大な限界に出会わねばならなくなって来たのである。そのような思想は日支親善、日支提携の基礎となり得るものでないからである。日本には日本精神があるように、支那には支那精神がある。両者を結び付け得るものは両者を超えたものでなければならない。日本精神は日本人である限り誰もが身につけて持っているものであり、失おうとしても失うことのできないものである。ある思想を取り入れることによってそれが失われたかのように見える場合においても、実は、それを失ったのでなく、かえってその思想が真に血肉化されていないことを示しているに過ざない。世界史的に見てファッシズムはイタリアにおいて現われたものであるが、それは単なる「イタリア精神」というようなものではなく、思想的用語としてもまたこのように呼ばれているのではない。コンミュニズムはもとより、国民主義を唱えるファッシズムにしても、世界的なものである。現代において「思想」とはこのような性質のものであり、その意味においては単なる日本精神・・・・・・でないとさえ言い得るのである。 日本精神を拡張すれば世界的になり得るという論者も多いのであるが「思想」の諭理的順序——その発生的順序はともかく——は逆であって、世界的妥当性を有する思想が建設され、そしてその中において日本を生かすというのでなければならない。今日必要とされるのはまさにかこのような論理的思想である。それが日本精神から出てこなければならないのであるにしても、そこには自己をも否定する飛躍的な発展がなければならない。まことに、大思想を有するものにして大国民といわれ得るのである。

あの「持てる国」と「持たざる国」という議論も現在なお行われており、・・・・・・客観的根拠をそこに求めようとする者も存在している。しかるに、その議論はだいいち日本的なものでないのみでなく、何を標準として持てる国と持たざる国とを区別するかも、仔細に考えるならば、容易に決定し難いことである。この標準が主観的なものに陥り易いところから、その議論はいわゆ優勝劣敗。・・・・・・という思想に変る危険を有するのみでなく、それは根本において自由主義思想を一歩も出ていない。それはせいぜい勢力均衡諭に終るのほかないであろう。しかも持たざる国は持てる強国に向ってその持てるところのものを直接に要求するのでなく、かえってそれらの強国 ......対して自己の持とうとする物を要求するのがつねであるから、その議論は植民地再分割論となる。植民地再分割論の是非はしばらくさておくにしても、何らの領土的野心も有せざる日本の対支行動の目標が支那を植民地化することであり得る筈がなく、むしろ欧米の帝国主義による支那の植民地化から支那を救うことが日本の目的であるとせられているのである。すベての民族が各々その生存を完うするということは理想であるに相違ないが、それは持てる国と持たざる国というような自由主義思想によって到達され得るものでないことは、自由主義が全面的に批判されている今日非常に明瞭である。またそのような議論は崇高な皇道精神とはすでに気質的に相容れ
ないものを有する筈である。そうであるならば、日本精神はいかなる理論体系によって世界的妥当性を要求し得るであろうか。

いはゆる日本精神、・・・・・、等々がいかなるものであれ、現在、国際的には日本が世界・・・・・・国の一環に属すると見られていることは、好むと好まざるとにかかわらず、否定し得ないであろう。国内的には日本主義は・・・・・でないと主張されているにしても、それが国際的には・・・・・・であると考えられていることは蔽いがたいことであるのみでなく、そのイデオローグたちも日本精神の現代化に当たっては外国の・・・・・・していることは争えない事実である。そして今日の経済的、政治的、文化的段階において、ある一定の思想について問題になるのは、その国内的意味のみでなくて特にその国際的意味であり、そのいわば秘教的意味であるよりも科学的乃至哲学的意味である。ところで、もし仮に日本主義が・・・・・・・ならないとすれば、日本の対支行動の主なる目的の一つは支那の赤化を防止することにあることが言明されている場合、いはゆる・・・・・・も生じ易いことになるであろう。現在の国際情勢において、ソヴェートと世界の民主主義国との提携がしばしば行われていることを考えるならば、日本の政治の指導精神の意義を秘教的にでなくて科学的乃至哲学的に世界に通用する言葉をもって闡明する必要はこの方面からも生じているのである。このようにして思想の問題が日本の全現実に関わる重要な課題となっていることは明かである。これに対して日本の思想的現賞はいかなるものであろうか。

3.
上の状況に応じて従来の日本精神論は決定的な瞬間に立つに至ったように思われる。それはファッシズムであることを宣言するであろうか。それにとってその他いかなる飛躍的な發展が可能であろうか。このとき、支那事変の影響のもとに、「東洋思想」とか「東方文化」とかという問題が新たに日程に上り始めたのも決して偶然ではない。このようにして今や「日本的なもの」は「東洋的なもの」にまで拡大されようとしている。これは思想の見地から言えば確かに一歩前進を意味している。しかしすでに東洋的なものにまで拡大された思想は何故に世界的なものにまで拡大されてはならないのか。「日本の統一」の存在することは明瞭である。しかし同じように、「東洋の統一」は思想上において、文化上において存在するであろうか。もしこのような統一的な思想が存在するとすれば、それはいかなるものであろうか。東洋を統一する思想は少くとも現在の段階においては世界的な思想でなければならないのではないか。世界を救い得る思想で・・・・・・・東洋をも救い得ないということは真理ではないのであろうか。これらの問題について考察することが我々にとって必要になって来たのである。ここでは簡単にその点に触れておこう。

先づ日支親善の基礎として持ち出されるものに「・・・・同種」ということがある。それなのに、・・・・・・存しないことは改めて論ずるまでもない。それは一個の神話であり、神話としても何ら・・・・・有するものではない。日本人と支那人とは同種であるということは事実に反するのみでなく、同文であるということもまた真ではない。日本人は日本語の一半を支那の文字をもって書き表しているが、それは支那人が支那語の表徴として同じ文字を使う場合と使い方を異にしている。そして日本語の他の一半は支那語のままのあるいは支那語風のものを単語として用いてはいるが、このような用い方は明治時代になってから寧ろ多くなったと言われてをり、実際に日本語化した支那語であれば、カナで書いてもローマ字で書いても差支えないわけである。 両者が全く違った言語であるということが一部分の同文であるということよりも遥かに重要な事実である。しかもその難しい文字のために支那の文化の發達、特に大衆の間における教育の普及が妨げられたということは進歩的な支那人が気づいているのことであり、ローマ字運動のようなものを極めて活発に行われているのである。すでに歴史を有する支那におけるローマ字運動が成功する時が来るとすれば、日支同文などとは仮にも言い得ないことは明瞭である。

それでは東洋思想の統一というものは存在するか。専門学者の説に依れば、元来、東洋という語が一義的なものでなく、歴史においてその意義が変遷している。東洋という名称はもと支那から起ったものであって、明初または元末の頃、南海から船で交通する地方をその位置に従って区別し、東部にあるのを東洋、それより西の方にあるのを西洋と称したことに始まっている。即ち概して言えば、フィリッピン群島方面が東洋、それ以西の群島及び沿海地方、並びにそのさきのインド洋方面が西洋と呼ばれたらしいという。やがて西洋はヨーロッパをも含むことになったが東洋は後までも狭い範囲に限られ、ただ近頃になって元来方角違ひの日本が東洋と呼ばれる場合が生じた。日本紙を東洋紙、また日本人を悪口して東洋鬼と言ったように、東洋は日本の異称ともなった。西洋はもとより東洋にしても、支那から言えば、すベて蛮夷の地である故に、支那自身は東洋のうちに含めて考えられなかった。日本においては、慕末の頃、東洋という名称は支那をも含むものとして、文化的には寧ろ支那を中心とするものとして用いられた。この場合、支那人が南海から交通する諸藩の地を東洋と西洋とに二分したのとは違い、世界の文化国を二大別して考えたのであって、言葉の意味は全く変わっている。そのとき東洋のうちにはもちろん日本も含まれるが、それは日本が支那の儒教を受け入れていることから、西洋の技術的文化に対立させて、支那と日本とは同じ道徳的文化を有するものと見られたためであった。「当時の知識社会に属するものは、西洋の学芸を学んだものでも、その思想の根抵には儒学によって与えられた教養があったため、こういう考えが生じたのである。だからこれは、幕末時代・・・・・思想家が西洋の文化に対立するものを・・・・みづからのみには求めかね、彼等が××していた支那の文化、特に儒教、を味方とし、むしろそれに・・・・・しようとしたところから生じたものである、といっても甚しき過言ではない。少くとも、西洋に対抗するに当たっては、日本としてよりもいわゆる東洋としての方が心強かったのである。そうしてそこに、儒教の教養をうけたものの持っていた思想上の事大主義とでもいわるベきものがある。この意義での東洋という語が当時の日本人に於いて始めて意味のあったもの、日本人によって唱え出されたもの、であることは、こう考えると、おのづから明らかになる」(津田左右吉氏「文化史上に於ける東洋の特殊性」岩波講座『東洋思潮』)。ところで、日本における東洋という語のこのような用い方は明治以後においても継承せられた。しかし西洋に対する称呼としての東洋が支那と日本とのみを指すのでは範囲が狭すぎると感ぜられ、殊に日本の文化に対する佛教の意義が認められるようになって、インドが重要な一環として東洋という概念の中に含まれることになった。ただその場合においても、日本と支那とインドとを含む東洋が果して西洋のように一つの世界であり一つの文化を有するものであるかどうかは深く反省されず、非西洋ということを東洋という語で表したのに過ぎなかった。そして西洋の文化を逸早く取り入れることによって近隣の諸民族に先んじて近代的發展を遂げるに至った日本において、日本は東洋の先駆者であるとか盟主であるとかという思想も現われたが、その場合に於ける・・・・・・・ のものであることが多かったということに注意しなければならない。例えば、今日なほ唱えられている王道政治論などはそれであって、実行的には日本本位であるが、思想的には ・・・・・尊尚である。また最近我が国においてしきりに言われている「教学」思想のようものも、元来支那的なものであって、徳川時代の国学者が排斥したのはそのような教学思想であったのである。

4.
西洋が全体として一つの世界を形作っていることは一般に認められるところである。 それは先づローマ帝国において統一され、次にカトリック教会のもとに中世を通じて統一を続けて来た。その文化はギリシア・ローマの古典文化を基礎とし、キリスト教によって普く浸潤され、またルネサンス及び宗教改革を経て近世に至ってはそれ自身本質的に普遍的な科学の發達を生ぜしめた。東洋文化にはこのような統一認められるであろうか。津川左右昨博士はこの点について、東洋においては同様の統一は何等存在しないと述ベられている。

先づ支那とインドとでは、風土が違い、民族が違い、生活の状態が違い、その文化はそれぞれ独立に發達し、それぞれ独立の性質を具えている。それは2つの地域を隔離する山地と高原と、並びにそこに居住する種々の未開民族とが両者の交通を困難にしたのと、支那もインドもそれぞれ広大にして豊沃なる平野を有する農業国であり、いづれも自己の世界において自己の生活を営むことができ、互に他に依頼する必要がなかったのとの故である。ある時代から後には両者の間にかすかなつながりが生じ、佛教などはもちろんインドから支那え伝えられたものであるが、しかしインドの方では支那から何物をも受け入れていないということが注意されねばならない。佛教は信仰として学問としても伝えられ、その儀礼や僧団の規律や組織なども学ばれたが、しかし支那に入ったのは佛教に限られ、インドの民族的宗教として重要なブラマ教あるいはインド教は伝えられず、ただそのうち佛教化されて佛教の中に摂取された部分のみが、佛教として伝えられたに過ぎない。その佛教の与えた感化も局限されていて、民衆の生活に対する影響は微弱であり、また佛教が入って来たために支郡における道徳や政治に関する思想が変化したようなことはない。それは、ヨーロッパがキリスト教化され、ヨーロッパ人の思想がキリスト教の上に立てられたというのとは、その趣を全く異にしている。支那において佛教がいつのまにか衰えて来たということは、それが民衆の生活の内的要求には深い関係がなかったことを示すものにほかならない。このようにしてインドと支那とを含めた東洋の歴史というものは成立せず、東洋文化というものも××しないと考えられるのである。すでにこの2っを包括するものとして一つの東洋文化というものが××しない以上、更に日本を加えた意味においての東洋文化というものも××しない筈である。それでは日本と支那とだけは一つの文化世界を形成するであろうか。津田博士はこの問いに対しても否定的に答えられている。日本と支那とでは、民衆が違い、風土が違い、生活も風俗も慣習も社会組織も政治形態も殆ど共通のものがない。もとより日本は古くから・・・・・・ 文化を学び、これを××することに努めて来た。支那の工芸、文字、学問は日本に入り、政治上の制度さえも移植せられたことがある。支那化された佛教が伝えられたことは言うまでもない。しかし、このようにして支那の文物を直接に享受したのは主として貴族階級であって、民衆の生活には関与するところが少く、また日本と支那との交通は民衆と民衆との接触ではなかった。支那から移植されたものは時を経るに従って日本人の生活に適合するように変化され、貴族階級において日本化された
ものが次第に民衆の間に広がって行くと共に一層日本化されて、もはやその淵源が支那にあることすら明かには知られないようになった。そしてそれが民衆の生活の変化として現はれて来た。こうなると、支那文化の日本化は単にそれだけのことではなくて、それによって日本の文化が新しく創造されたことを意味する。そしてそこに全体としての日本の民族生活の歴史的發展がある。しかもこの歴史的發展は支那とは無関係に進行して来たのであって、日本と支那とはそれぞれ別の世界であった。日本の歴史は日本だけで独自に展開せられたのである。支那を学んだ律令の制度を漸次破壊していった国民の活動、その活動の一つの現はれである平安朝の貴族文化の發達とその崩壊、同じ時代における武人階級の成立、その行動の組織化としての幕府による新しい政治形態の形成、貴族文化の武士化民衆化、戦国時代の出現、その戦乱の状態の固定化としての近世における封建制度の大成、その制度の下における平民文化の發達、あるいはまた封建制度の自己破壊によって生じた武家の政権の覆滅、このような日本の歴史の展開は支那の歴史の動きとは何らの交渉も有しないものである。学問や芸術の方面だけを取り出して見ても同じであって、日本の学問史芸術史は支那のそれらとは全く別個に展開せられた。例えば、宋学とか宋元画とかのように、
支那のある時代の学問や芸術がある時間を隔ててから日本において学ばれるようになったことはあるが、それらの学間や芸術の形成せられた当時の支那の文化の動きは同時代における日本の文化とは全く交渉のないものであり、また日本においてそれらが学ばれるようになったということも、支那の学問史芸術史にとって何の意味もないことであった。要するに日本と支那とを包括するあるいは両者に共通な学問界や芸術界は成立してをらず、従ってそれらは一つの歴史を有しなかったのである。日本の歴史の展開が日本だけで行われた独自のものであるとすれば、その歴史によって養はれた日本の文化が日本に独自のものであることは言うまでもない。

このように東洋文化の統一は存在しないとせられる津田博士の説には傾聴すべきところが多いであろう。日本の文化と支那の文化とを同一視してそれを東洋文化と称するのは、日本人の生活そのものを直視しないからであり、支那に対する理解が不足しているからであると博士は言われている。儒教の日本化とか佛教の日本化とかということも、博士は極めて局限された意味においてのみ認められている。我々はこの専門学者の言を信じ且っ尊重すべきである。世間で漠然と考えているような、日本とインドとはもとより、日本と支那との文化的もしくは思想的統一の××しないことは確かである。津田博士が民衆の生活を中心として歴史を見てゆかれる態度にも学ぶべきところが多いであろう。実際、今後のこととしても、日本と支那との間に真の文化的結合が生じ得るためには、両国の民衆と民衆とが接触することが大切である。いづれにせよ、それが日支親善の基調でなければならない。ただ文化の問題を考える場合、博士の方法は民間信仰や民間の慣習などにあまりにに重きをおかれ過ぎる傾向がある、従来の歴史においてはある一定の時代の文化とはその時代の・・・・・・文化のことであるとして理解しなければならないところがあり、そうでないと文化の直線的な連続的な独立性の方面のみが強調されて、その円環的な環境的な影響の方面が軽視されるとい一面性を免れ難いであろう。このように見るとき、支那文化やインドの佛教が日本文化に与えた影響はそれほど低く評価することができなくなる。津田博士はまたその場合、同じ時代の文化の直接の交通ということにあまり重きをおかれ過ぎているように思う。そして支那の文化が、それの形成された時代から隔った後においてであるにしても、日本に影響を及ぼしたということがあったとすれば、支那思想と日本思想との間に何か一致するものがあると考えられないであろうか。自分にその何らの素質もない他のものを受け入れることはできない。また両者が異るとかいうことは両者に共通のものがあるということを妨げるものではない。西洋文化の統一と言っても、フランス文化とドイツ文化とがそれぞれ特色を有することを否定するものではなかろう。ただ漫然と東洋の文化的統一を考えることに対して津田博士の批評にはまことに鋭いものがあり、尊重すベき説ではあるが、それを承認しながらなお東洋思想に共通な特色は存しないかという問題が提出され得るように見える。

5.
ところでインド思想の支那思想に対する影響は一方的であり、更に支那思想の日本思想に対する影響は一方的であるとすれば、いはゆる東洋思想を求めようとする場合、それは差し当たりインドから支那に入り、支那を通じてまた日本にも来たものに求められねばならないようである。このようなものは言うまでもなく佛教である。インドの佛教が支那や日本に普及し得たというのは、日本や支那にも佛教を受け入れ得る思想的素質があったからであると考えられるであろう。このようにして東洋思想として挙げられるのは、佛教において最も理論的に展開された「無」の思想である。この無の思想は単にインド的なものでなく、まさに東洋的なものであり、その理論化においては支那がすぐれ、その実践化におい ては日本がすぐれていたとせられるのである。儒教などに比して佛教が日本の民衆の生活の中ヘ遥かに深く入り込み得たことは津田博士も認められている。しかしながらこのように佛教が支那や日本に伝播し得たのは、それが「世界的宗教の性質を有し」そのうちには「人類一般の宗教的要求に応ずるもの超民族的世界的要素があったからであり、インド的特色があったためでは無い」(津田左右吉氏)。 そうであるとすれば、 佛教を東洋的ということすらある意味においてはすでに不適当であろう。西洋文化を形成するに与って力のあったキリスト教も西洋人によって「東方からの光」と呼ばれたのであるが、キリスト教自身は東洋的でなく、また単に西洋的でもなく、まさに世界的宗教である。佛教はインド、支那、日本の三国においてそれぞれ特色を有するが、それがこのようにインド的でも、支那的でも、日本的でもあり得たのはかえってそれが世界的である故である。

しかし今日の佛教は日支提携の基礎となり得るであろうか。佛教は現在の支那においてはすでに衰微してしまっている。日本は世界最大の仏教国であると言われるが、その日本においてすら現在、佛教は知識階級からはもとより大衆からも見はなされつつあるのである。近年わが国において叫ばれた「宗教復興」のようなものも、実は、類似宗教の台頭、邪教の發生以外のものではなかった。そして佛教家は自己の力によってそれらを退治したのでなく、かえってただ官憲の力のみがそれらを弾圧し得たのである。このような状態にある佛教に、まして支那において、親善提携の原動力となることを期待し得るであろうか。佛教もただ武力と官憲との行くところに縦いてゆくのみではないか。そのうヘ、今日の佛教は実は「・・・・」に化してしまって、その本質たる世界性を放棄して怪しまないという状態にあることを注意しなければならない。更に不思議なことには、キリスト教は個人主義であるに対して佛教は国家主義であるなどと説く者さえあるのである。西洋の立派なキリスト教国の中にも現在、全体主義や国家主義を唱えているファツシズム国の存在することを知らないのであるか。佛教の無の思想にして初めて国家主義を含み得ると言う者もあるがこのようなものはかえって無は無として何とでも都合よく時世に応じて結び付き得るという弱点を現はしているとさえ見られることができるであろう。

「アジアは一なり」というのは岡倉天心の『東洋の理想』の冒頭に掲げられた句である。天心の傑作は『茶の本』であると思うが、その中で茶と道教及び禅道——共に無の思想を代表している——との密接な関係を論じ「先ず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方支那精神の個人的傾向を表はしていて、儒教という姿で現はれている北方支那の社会的思想とは対比的に相違があるといことである」と書いている。老子教に関する歴史的穿鑿はしばらくさておいて(例えば長谷川如是閑氏 『老子』参照)、それが後の時代において禅と共に 「個人的傾向」を現はしていることは事実であろう。支那における末宋学勃興の歴史的意義は禅の個人的傾向を「社会的思想」によって超克しようとしたところにあると見られることもできる。無の思想が個人的でなかったとは言い得ないことは確かである。少くとも今日、世間一般に理解されている限り、それは一定の社会思想や政治思想を明示するものではなく、 従ってそれのみでは社会や政治に関する指導原埋となり得るものではない。ところでアジアは一なり」という天心の言葉は、その歴史的真実はともかく、一つの神話を現はしたものである。我々はこの神話が全く無意味なものであったとは考えない。現に天心のこの有名な言葉は、インドの志士の間に流布されて、その独立連動のモットーにされたのであるが、丁度そのことから知られ得るように、この神話はいはゆる白人帝国主義から東洋の民族を独立させようとした時代のものとして意義があったのである。それが日本人の口から出たとすれば、そのとき日本は世界の後進国として西洋に負けないようにし且つ東洋の先達とならねばならないという意識を表現したものであると理解し得るであろう。それなのに今日においては、日本はもはや何ら後進国でなく、かえって世界の大強国の一つである。

そして支那からは、欧米と同じく日本も帝国主義国と見られている場合、日本が「アジアは一なり」というモットーをもって臨もうとすれば、支那人はいかに受取るであろうか。日本の対支行動の目的が支那を「欧米依存」の迷夢から覚醒させることにあるとすれば、それは具体的には・・・・・・・せしめることでなければならないであろう。日本自身に何ら帝国主義的思惑の存しないことは政府の累次の声明によって明かである。それでは資本主義の弊害を是正して日本と支那との「共存共栄」を計り得る思想はいかなるものであろうか。このような思想がいかなるものであるにしても、それは単に日支間の関係が求めているのみでなく、日本自身がまた国内において、そして全世界の民衆が等しく求めている思想、即ち世界的思想であるということだけは明瞭である。このような思想を日本は単なる「善意」としてのみでなく、「思想として、支那人にはもとより世界のすべての人に理解され得る体系として有しなければならない。

ところで他の方面から見るならば、「アジアは一なり」ということはまさに.現代において実現されつつある。 しかもそれは 「世界は一なり」ということを通じて実現されつつあるのであるということに注目しなければならない。 即ち津田博士の言われる通り、東洋の統一は「西洋に源を発した現代文化、その特色からいうと科学文化とも称すベきものを領略する」ことによって次第に実現されつつあるのである。この主張において我々は津田博士の識見に全く敬服する。先づ日本については「昔の日本人が書物の上の知識やいくらかの工芸によって支那の文物を学んだのみであって、日本人の生活が支那化したのでは無かったのと違い、今日では生活そのものが、その地盤である経済組織社会組織と共に、一般に現代化せられたのである。(この差異は日本における現代文化の性質を知るについて極めて重要であるにかかわらず、世間ではともすればそれに注意しない。)だから今日の日本の文化はこの現代文化の日本に於ける現はれである。その日本での現れであるところに、日本の風土や歴史によって生ずる特殊化はあるけれども、そうしてまたこの現代化が割合に短日月の間に行wれたがために、過去の因襲と奇異なる抱合が生じたり民族生活の深部に徹しなかったりするような欠陥はあるけれども、今日に於いては現代文化、即ちいわゆる西洋文化は、日本の文化に対立するものでは無く、それに内在するものであり日本の文化そのものであることに、疑いは無い。そうしてその意味に於いて日本といわゆる西洋とは文化的に一つの世界を形成しているのであり、日本人の文化的活動は世界史上の活動なのである。」同様のことは支那においても、もちろんその間にかなり大きな懸隔はあるにしても、起りつつあり、進みつつあるのであって、それによって日本と支那とは一つの文化的世界を形成し得るに至りつつあるのである。多数の留学生が支那から日本へ来て学ばうとしたのも、このような日本における現代文化にほかならない。・・・・・・目的は、日本にとって必然的であったように・・・・・必然的であるところの、この現代化、この世界化と××するものであることができない。二千年も昔の、しかも支那で形成された政治思想のようなものを現在持ち出すことに多くの意味があるであらうか。××自身のうちに勃然として起っている現代化ヘの傾向を抑止することは、支那にとっても日本にとっても有利なことではない。もし万一、・・・・・復古的になってゆき、・・・・・現代化を進めてゆくということがあるとすれば、やがて・・・・・・代へねばならなくなるであろう。

東洋の統一というものが考えられるにしても、それも世界の統一の内部においてのみ考えられ得ることである。この統一のために日本や支那が各々の個性を全く失ってしまうことになるのではない。このようなことはあり得ないことである。従来の東洋における統一的思想が無の思想であるとしても——この統一の現実基礎としてマルクス主義者はいはゆるアジア的生産方法なるものを挙げるかも知れない——、それが現在において力を有するものであるためには、それは先づ世界化されねばならず、特に科学的文化と結び付かなければならない。我々は決して伝統の価値を軽視するものではないが、それが科学、このつねに世界的普遍性を有するものを発達せしめ得なかったところに東洋思想の重大な制限があることは疑い得ない。また我々はもとより単純に西洋思想を取り入れよと言い得る状態にあるのではない。いはゆる西洋思想のうちにも今日種々の対立があるのである。

このように要するに、日本の現実、東洋の現実は世界の現実である。・・・・・・今日においては世界の思想となり得るものでなければ日本思想でも東洋思想でもあり得ない。過去の東洋思想をいくら拡大しても世界的に且つ現代的になり得るものではない。そこには静止と運動との間におけるような、ただ飛躍によってのみ達せられ得る差異がある。日本と支那との間に「東洋の統一」が民族的にも言語的にも存在しないという事実を憂うるに足らない。世界文化の統一の中においては、日本と支那とがそれぞれの特殊性を発揮するということが、いはゆる東洋の統一よりも大切なことである。

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