ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 07/15 新解釈「善と悪とを知る木の実」

2014-07-17 10:12:05 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。クルマンの『キリスト時』を読み始める。序論の一、「聖書的歴史」と歴史の部の冒頭の文章(本書の最も肝心な点)が理解困難で前に進めない。訳文が悪いのか、私の頭が悪いのか。結局そこは理解不能のまま前に進むことする。ジムに行って頭を冷やす。夜は「ペテロの葬列」「HERO」を見て10時半就寝、4時半起床。体調・快調、チュン、チュン。

野間 悦三さん、村瀬 汎昭さん、Satoshi Mizotaさん、他22人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 注:どうしても理解できない文章。
「キリスト教がよび起こしたところの、政治的および文化的諸変革の、歴史的意義を観察するにあたって、現代の歴史家は、ナザレのイエスの出現が歴史の決定的な転回点となったとみなされることのうちに、歴史的に理由のある主張を見出すことが不可能ではない」(4頁)。
一体この文章は何を言おうとしているのだろうか。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配り、次男の学校の三者面談に行きます。良き日となりますように。お祈りします。

Akira Ueda イエス研究のうちでも、イエスの存在自身の史実性を問題にしていた時期と、その存在の歴史的意義を問題にしていた時期があって、クルマンは時代的に、後者について慎重に擁護する姿勢を取らないといけない時期だったのでしょうか。

文屋 善明 イエスの史実性、つまりイエスという人物の存在が問題されたのは宗教史学派、つまりシュラエルマはー以前の話で、それ以後は史実については疑いはないが、イエスの意義が問題されたのでしょうね。ブルトマンはイエスという人物のDassを認めつつ、イエスが何を語り、何をしたのかということは不問に付し、イエス以後の宣教の言葉を問うていますね。クルマンもブルトマンとほぼ同じ立場に立ちつつ「歴史的意義」と問うところから始めています。それが「キリストの時」ですが、そのキリストの時という「聖書的歴史」(=救済史)を一般史的にどう理解するかということを問うているのであろうと思われます。つまり、キリスト以前(BC)とキリスト以後(AD)という「常識的な歴史観」の神学的根拠を問う。上記の言葉はそれは「不可能ではない」と言っているのだと解釈しています。しかし上記の文章からはそれは読み取れないような気がします。いまさらドイツ語原文に当たる気もしませんが。

Satoshi Mizota そこまで行くと、クリプキまでもうすぐですけどね。二千年位後になれば、シャーロック・ホームズが実在と信じられる可能性があるかどうか(これは条件さえ整えばあり得る)。

posted at 06:03:52

文屋 善明
今日の名言:RT @wareomouyueni:
あらゆる良書を読むことは、過去の最良の人物たちと会話することだ。(デカルト)
<一言>「本」というものは不思議なものだ。人間しか持っていない。本を通して人間は自分の世界を無限に広げることができる。時間的にも、空間的にも。また、本を通じて未知の人びとと出会うことができる。

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水草 修治 ほんとに不思議ですねえ。
posted at 06:31:45

文屋 善明
NHKこころ旅。今朝は小樽から。北海道は4回目、鰊御殿に集合。今日の心のふるさとは、小樽商科大学に至る「地獄坂」。当時の大学寮は、神、天上人、人間、奴隷の4階級。運河の横、観光客が大勢いる。私も「ここには来たことがある」。寿司屋通りの「大和屋」で昼食。地獄坂発見。

野間 悦三さん、村瀬 汎昭さん、健一 松浦さん、他10人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:15

「昨日のツイート 07/13 国際平和についての具体的で適確な戦略」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/42f09a6cf6eb9436a04778a10f3c65e…
posted at 09:24:26

文屋 善明
お目覚めの花。「私は野菜ではありません」「でも、美味しそう。じゃぁ、何ですか」「ははは、緑色の紫陽花です」。
文屋 善明さんの写真

野間 悦三さん、村瀬 汎昭さん、糸原 由美子さん、他45人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 わっ!! 緑色の紫陽花って、初めてです~♪(^o^)丿

文屋 善明 村田さんでも「初めて」!

村田 多鶴子 はい、初めてです~♪(^o^)丿

播 稔 本当に珍しい、新種でしょうか。

文屋 善明 「失敗作」が珍種となる。

文屋 善明
2014日々の聖句 07月15日(火)
神はソロモンに言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉の通りにする。(1列王記3:11~12)
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)

私の黙想:
これがソロモン王の就任の際の祈りである。これがソロモン王の「初心」である。この初心が人生の最期まで貫かれたら、王国は分裂しなかったかもしれない。しかし、初心を貫くことは非常に難しい。それが高い地位であればあるほど、難しい。と、本日はそこで止めておく。

野間 悦三さん、村瀬 汎昭さん、神本 恭子さん、他26人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。「目から鱗」が聖書から来ていると知って驚いたものですが、大岡裁きも聖書から来ているみたいですね^_^

文屋 善明 そうです。列王記上3章に出てくる話です。ソロモンの智慧を示すエピソードです。「眼から鱗」の方はパウロの改心の出来事に出てきます(使徒言行録9:18)。

清水 行雄 先生、ご教示ありがとうございました。

平野 宏 Amen!!

文屋 善明さんが田中 隆夫さんのリンクをシェアしました。
これはすべての日本人、特に現在の政治状況を憂いている人には読んでもらいたいので、シェアさせて頂きます。非常に長い文章ですが、読むだけの価値は十分にあります。今すぐに読めない人はコピーして、後で読んでください。

内田樹の研究室

http://blog.tatsuru.com/
街場の憂国会議/晶文社 高橋源一郎、平川克美、小田嶋隆、中島岳志、中野晃一、孫崎享、想田和弘、鷲田清一との共著。...

玉城 豊さん、播 稔さん、涌井 幸子さん、他8人が「いいね!」と言っています。

Kinue Itou 集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定の矛盾点について分かりやすく纏めていると思います。今回の閣議決定については明らかに違憲であり、訴訟を起こせるのではないか、と考えていましたが、民事や刑事事件にならないと訴訟が難しいということが、これらの説明でよくわかりました。立場の異なる先生方がこれだけ一致できる、という点で、より広範な人びとと連帯して運動できると希望を持てました。

文屋 善明さんが関西学院大学 / Kwansei Gakuin Universityさんの近況をシェアしました。
関学馬術部、やるやん。関西制覇の次は全国制覇だ。頑張れ。

【KGニュース】馬術部が初の快挙!2大会で関西制覇

 関学大馬術部が7月6日、三木ホースランドパークで開催された第39回関西学生複合馬術大会及び第57回関西学生賞典総合馬術大会で、史上初の両大会での団体総合優勝を達成しました。
総合馬術大会では、クロスカントリー競技で林伸哉(経済学部4年生)×月桜組と小林祐也(法学部4年生)×月雅組が減点0の好走。前日に行われた馬場馬術競技と障害飛越競技を合わせた団体総合成績で総減点222.7を記録し、2006年以来8年ぶりの団体総合優勝を達成しました。
 複合馬術大会でも安定した強さを発揮。団体総合成績で合計得点52.5をたたき出し、2位との点差を20点以上離しました。
 両大会ともに優勝し、初の快挙を成し遂げました。

関学スポーツHP
http://univ.nikkansports.com/press/kwangaku/

馬術部HP
http://kg-equestrian.jimdo.com/
関西学院大学 / Kwansei Gakuin Universityさんの写真

あなたとYutaka Tanabeさん、村瀬 汎昭さん、播 稔さん、他17人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 一寸待ってください!慶応には私の孫がいます!とは言うものの、先々月、馬事公苑で馬上ならぬ車上で裂傷(公傷)を負って暫く乗っていないようですが。

文屋 善明 困りましたね。慶應馬術部に関学馬術部の実力を見せようと思いましたのに。ちなみに、関学馬術部には私の関係者は居ません。純粋に母校愛からの応援です。

野間光顕 学生時代、馬術場の横の新グラウンドでラグビーしてました。
よくお馬さんともすれ違いましたが、その大きさが怖かったですw

文屋 善明さんが山口 雅美さんの近況をシェアしました。
一つ賢くなりました。

だしソムリエ@福岡

最近話題の、だしの自販機、とよばれるもの。でもこれは、だしではありません!つゆです。大変わかりにくい。

だしソムリエ協会では、だしの素材100パーセントで抽出した液体、それが、だし。

良くだしパックなどでも、無添加とあっても、アミノ酸や、酸化防止剤など入っていれば、協会では、それは出し風調味料、と
なります。
その商品が悪いと言ってるのではないのです。食育の観点からも区別をする必要がある、ということ。
この自販機にも、万能調味料、と書いてあるのに、薄めるとだしになる、とかいてある。おかしいですよね?調味料は薄めても
調味料、だしに化ける事はない。

白だし、と言う商品が多数でてますが、あれも、だし、ではない、つゆ、です。食に興味が無い人は、それが、だし、と信じて
しまうのです。

野間 悦三さん、玉城 豊さん、村瀬 汎昭さん、他22人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
自慢じゃありませんが、私は危険な男です。私の言うことなど無視してください。以下の文章を読むのはあなた自身で、その結果については、自己責任にしてください。

新解釈「善と悪とを知る木の実」
「(エデンの)園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えさせられた」(創世記2:9)。
あの時、エヴァは本当に善悪の知識の木の実を食べたのであろうか。確かに一寸だけおそるおそる齧ったものと思われる。なぜなら、夫アダムに食べることを勧めている。齧るという行為と食べるという行為とは違う。確かにエヴァは齧ってみて、一つのことを発見した。それでも「死ななかった」ということである。それまでエヴァもアダムも、食べたら死ぬと思い込んでいたと思われる。ところが齧っても死なないということを発見した。いわば「安全食品」だと思ったのであろう。だからアダムにも薦めた。アダムもおそるおそる齧ったのであろう。
その結果、「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知った」(7節)が同時に死なないということも知った。その時の味は木の実の味というよりも神の言葉に逆らっても死なないという発見であったと思われる。それは凄いことであった。神から独立した自分たちの姿であった。それは幼児が初めて母親に逆らって経験する「我」の目覚めであった。
そこに神が登場する。すると、もう一つのことを発見した。神から独立した「我」、神に対する隠し事、「自分たちだけの秘密」ができてしまった。そうすると今までのように神との関係がスムーズではなくなる。他人行儀である。裸の自分を神の前に晒せない。だから、隠れた。それを一応キリスト教神学の伝統に従って「罪の意識」としよう。
ところが創世記の物語は最も肝心な「善と悪を知る」という結果について何も語らない。アダムとエヴァはいわゆる禁断の実を食べて「善と悪とを知った」のだろうか。
ここからは私の妄想的な解釈である。彼らは禁断の実を中途半端にしか齧らなかった。つまり食べていない。本格的に食べるより前に、罪の快感を味わってしまった。罪は快感を伴う。しかし神が人間に対して隠そうと思っていたのは「善と悪との基準」である。それを知られてしまったら、神が神であるということも主張できなくなってしまう。つまり人間は完全に神から離れ、神なしでも生きられるものとなる。
だが幸いなことに、人間は「善と悪とを知る木の実」を齧っただけで、つまり中途半端にしか食べなかったので、未だに「善と悪との基準」を知ることができない。これだけはどうしても、神に任せるしかない。
まぁ、そう考えたら、私たちの神学的営みというものは結局、中途半端なものであることも理解できる。

野間 悦三さん、藤岡 秀興さん、村瀬 汎昭さん、他51人が「いいね!」と言っています。

児島 良一 そう言う解釈も面白いです。(^^)

門叶 国泰 うっかり随いていくと泥沼に嵌りそうですね。そう言えばある牧師曰く、「神学とはああでもない、こうでもない、と考えること」と。

二上 英朗 マーク・トウエインの「イブの日記」(旺文社」もおも白いですよ。

石田 聖実 即死ではないけど、彼らの罪よって死が入ったとされていますね。
ドラマの毒殺シーンでは毒入りワインを飲んだ途端に死にますが、嘘だそうです。

Akira Ueda この線でやる場合は、木の実の中に善悪を知る実体的な成分や効果が入っているというわけではない、手を伸ばすという行為や行為へといたる意志そのものに…、という風に展開することが可能かと思います。

小栗 龍男 中学時代に、初めて見たこの箇所。神が死ぬこと言っていたのに、何で?直ぐに死な無いかが解りませんでした。いまは、そうなのかな!?と仮説 想像しています、

文屋 善明 この新解釈の眼点は、罪の意識はあるのに、善悪の基準を持たない人間の「中途半端さ」です。あの時、しっかり、禁断の実を食べておれば、善悪の基準を手に入れることができたのにというアウグスチヌス以来の問題に切り込んだつもりです。ははは。

清水 行雄 人倫道徳としての善悪は、人の判断でしょうが、善悪の判断は、神をまたないと、人には下せないという理解でよろしいですか?^_^

文屋 善明 そうです。「法的善悪」は人間が定めることができますが、それは時代的、文化的限界内のことです。

清水 行雄 善悪を人が判断できるようになったら、神はすることがなくなるというのは、先生らしいユーモアですね(^o^)

文屋 善明 真理はユーモアの中で語られる。

清水 行雄 おおらかな神だったら、ここは人間諸君で善悪について、よく考え直してくれたまえ、と言うところでしょうか?^_^

文屋 善明 神話の解釈というものは、伝えられたテキストに制限を受けています。その意味では自由な発想ではないのです。私の「新解釈」もあくまでも創世記のテキスト内での解釈です。それは、過去と現在との対話の中で生まれてくるものでなければなりません。

清水 行雄 ちょっと脱線が過ぎました。申し訳ありません。

文屋 善明 いやそういうものですよ。神話の解釈というものは非常に厳密な解釈学に基づく必要があります。

Satoshi Mizota 何でついでに命の木の実からも取って食べて、さっさと神々になっておかなかったのだろうか、といつも読みながら思ってしまいますね。

文屋 善明 「遠い過去」のことをいろいろ悔やんでも、もう遅い。夕食を食べそこねた息子のようなものです。明日の朝食が待っている。

Satoshi Mizota 何をおっしゃる。黙示録では天使たちが追い払われ、もうひとつの「禁断の木の実」が食べられることになるとありますぞ。

文屋 善明 神様もはじめは人間を信頼して目の前に「命の木」と「善悪を知る木」とを置かれたが、信用出来ないということがわかると、エデンの園から追い出し、しかも天使によって人間が近寄ることができないように守られた。

文屋 善明 黙示録は、創造物語の「続き」ではなく、「一つの解釈」でしょう。

Satoshi Mizota 解釈は無制限に可能ですが、妥当な解釈の枠内に入りますね。要素に対する反射的な規則性も見て取れますし。

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