ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

2016年復活後の週の断想(月~土)

2016-04-02 15:43:53 | 説教
断想:復活後月曜日の福音書
マタイにおけるイエスの顕現物語
復活後月曜日の福音書はマタイ28:9~15である。マタイ福音書には11弟子に対するイエスのいわゆる顕現物語はない。強いて言うならば、16節以下の派遣記事だけである。このテキストは聖霊降臨後第1主日、いわゆる三位一体主日に読まれる。
それ以外では、マタイにおけるイエスの顕現物語がこの日に読まれるマタイ28:9~15だけである。その意味では非常に重要な記事であるにもかかわらず、この個所は主日の福音書には選ばれていない。その理由はいろいろ考えられるが、確定的なことは何も言えない。
ここには婦人たちが主の天使から「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』という言葉を聞いて、急いで走り帰る途中で突然、復活のイエスから「お早う」と声をかけられて、驚くという記事(9~10)と、番兵たちが「婦人たちが行き着かないうちに」と都に帰えり、報告した記事(11~15)とが記録されている。報告を聞いた「祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」という。
読み物としてはかなりドラマティックで面白いが、全体としては意図的な「作文」くさい。天使の言葉とイエスの言葉とがダブっており、こんなところでイエスが登場するなら、天使の言葉は不要となるし、「婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」というのも大袈裟すぎる。むしろここの物語の意図は、婦人たちが弟子たちのところに報告に帰るのと、番兵たちが都に帰り報告するのとの競争であろう。どちらの方が先に報告し対策を練るか。この番兵たちは天使が現れたとき、「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」(4節)であり、その時、婦人たちは「恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」(8節)。
イエスの復活という出来事についての権力者たちの「情報」が勝つか、婦人たちの報告により弟子たちの「信仰」が勝つか、という点に興味がある。非常にパターン化して言うならば、政治権力による「情報操作」と宗教的な「宣教活動」が勝つか。


断想:復活後火曜日の福音書
マグダラのマリアへの顕現
復活後火曜日の福音書はヨハネ20:11~18である。ヨハネ福音書における復活のイエスの顕現を考える場合、この物語を無視することは出来ない。ところが、日本聖公会の祈祷書ではこの物語は、普段の主日でも、復活節の主日でさえも取り上げられていない。取り上げられるのは、マグダラの聖マリアの日だけである。そのためにこのテキストは主日だけの信徒にはめったにお目にかかれない。
この物語の重要なポイントは、マタイ福音書の顕現物語では婦人たちがイエスの足に抱きついたという場面が、ここではイエスが、「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」と言って断る点であろう。このセリフによって復活のイエスの顕現という出来事が短期的な期限付きであることが示されている。復活のイエスの顕現とは、墓から(陰府から)、父のもと、つまり神の右の座への途中下車である。ルカはそれを復活日から昇天日までの40日間という(Act.1:3)。
復活のイエスが姿を現したのはたった40日間だけであった。しかも、それも「時々だ」。そしてヨハネ福音書では一貫して、イエスが「どこから来て」「どこへ行くのか」ということが問われている(Jh.3:8、7:35、8:14、13:36、14:4~5、16:15)。マグダラのマリアへの顕現の場で初めてイエスの行き先が宣言される。「あなた方の神である方のところへわたしは上る」。この場所こそが、イエスの本来あるべき場所であることが示されている(1:1)。イエスはそこから出てきて、そこに帰る存在である(Jh.6:62)。
このメッセージを11弟子ではなく、マグダラのマリアに語られマリアを通して弟子に伝えられた。
この物語には後日談がある。マルコ福音書の付録の部分で、「マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった」(Mk.16:10~11)という。ここに使徒ペトロを初めとする使徒集団に対する無言の批判がある。マリアの言葉を信じなかったのはトマスだけではなかった。

断想:復活後水曜日の福音書
エマオの途上にて
復活後水曜日の福音書はルカ24:13~35である。エマオの途上でのイエスの顕現物語が述べられている。この物語がルカにおける最初のイエスの顕現である。このテキストは復活節第3主日で取り上げられているので、主要なテーマについては、そちらの方で考えるとして、ここでは少し斜めの視線で考える。
それはこの二人の弟子たちとは誰なのかという点である。本文で二人の一人は「クレオパ」(Lk.24:18)でその名前は12弟子のリストにはない。おそらく、彼ら二人は12弟子ではなかったと思われる。ある意味のその気軽さから危険が迫るエルサレムを脱出したのであろう。
彼らはイエスの処刑とその後の復活の状況をかなり正確に知っており、婦人たちの墓場での経験も聞いているらしい。従って12弟子ではないにせよ、かなり近い関係にあったと思われる。彼らは婦人たちの報告を聞き、ここにいては危ないと感じて逃げ出したのであろう。この話はエマオというおそらく彼えらの出身地への道中での出来事である。そこに突然見知らぬ旅人と同行することになった。彼らはほんの数日前までイエスを間近に見ていたのに、この旅人がイエスであることに気が付いていない。それほど十字架刑前後のイエスの姿は様変わりしていたのであろう。
ともあれ、いろいろなことを経過して、宿の食堂で一緒に食事をしていたとき、旅人が賛美の祈りを唱えパンを裂いて手渡すその所作を見て、彼がイエスであるということに気付く。そして何か言おうとするその瞬間、彼らは不思議な経験をする。「(イエスの)姿が見えなくなった」。彼らが気付くのとイエスの姿が見えなくなるのとどちらが先か分からない。まさに「アッ」という瞬間である。
イエスが彼らの道中に加わったときから食事の席まで、この一連の出来事を通して「不思議なこと」は一つもない。ただ、「(イエスの)姿が消えた」ということだけが不思議なことであった。ここは重要なポイントである。イエスの姿が消えたときに、彼らの心の中で化学変化のように大きな変化が起こった。それは道中イエスが聖書の話をしたとき「心が燃えた」ことを思い起こす。そして彼がイエスであることを確信する。復活のイエスに出会ったという経験をした二人は、もはや恐怖心がなくなったのか、エルサレムにとって返し、「11人とその仲間が集まっているところで、報告をした」という。その時、彼らは「本当に主は復活してシモンに現れた」と語りあっていた。二人がイエスと会っているほとんど同時刻にイエスはシモン(ペトロ)にも現れたということになる。この時間差は面白い。せっかくの彼らの報告の意味は半減したということになる。何か情報の誤魔化しがあるようだ。

断想:復活後木曜日の福音書
復活のイエスが魚を食べた
復活後木曜日の福音書は、前日に続いてルカ24:36~48である。弟子たちへのイエス顕現の物語としては、最も総括的で、完成度の高い物語になっている。主日礼拝ではB年の復活節第3主日のテキストに選ばれている。A年がこの直前の個所、復活後水曜日の福音書、C年はヨハネ21:1~14で、復活後金曜日の福音書である。つまり復活後の水曜日から金曜日までの福音書と復活節第3主日の3年間の福音書とが重なっている。
ここでは突然弟子たちの前に姿を現したイエスは弟子たちから「亡霊を見ているようだ」と言われて、亡霊でないことを強調する。手や足を見せたり、焼いた魚を食べて見せたりして、イエスの復活とは「身体の復活」であることを強調している。それに加えて、聖書を引用して説教した上、弟子たちを宣教へと呼びかけている。ポイントがいろいろありすぎるぐらいである。
復活信仰という場合、その核心部分に「身体の復活」ということがある。普通、イエスの復活を信じているというキリスト者たちにイエスの復活とは何かと問うならば、だいたいは「霊的復活論」、「精神的復活論」が主張される。「論」というほどしっかりした主張ではないにせよ、一般的には精神的な事柄として「死んだような私が福音に接して生きる者とされた」というような「証し」が復活信仰の土台になっている。
ところが今日の福音書が語る復活の話はそれとは違う。身体の復活である。生物学的・物理的復活である。復活したイエスを「触れる」、復活したイエスが魚を「食べる」出来事である。ここまで来ると、私たちはもうお手上げである。信じられない。あるいは馬鹿馬鹿しい話である。
こういう形でイエスの復活を語るということは、その当時の人たちにとっても信じられない出来事であったに違いない。古代人たちにとっては死人が復活するということは現代人ほど不思議なことではなかったと言う議論があるが、そんなことはない。この点に関しては彼らと私たちとの間にそれ程の世界観の違いなどない。私たちが信じられないことは、彼らにとっても信じられないことなのである。にもかかわらず、彼らはイエスの復活を考える場合に「体のよみがえり」にこだわった。いなむしろ「体のよみがえり」でないならば、それは「復活」ではない、と彼らは考えた。何故、このことに彼らはこだわったのだろうか。
この問題は簡単には解けない。

全然、話は異なるが、使徒信経のことを考える。あまり多くの人は気にしないで使徒信経を唱えているが、ここには一つの謎がある。キリストに関する部分で「主は、・・・死んで葬られ、よみに降り、三日目に死人のうちからよみがえり、・・・・」と唱える。ところが次ぎに聖霊に関する部分で、「・・・・・聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、・・・・」と唱える。つまり、後の部分は「私たちの」復活に関する信仰告白で、そこでは明瞭に「体のよみがえり」と唱える。イエスの復活と私たちの復活との関係はどうなっているのだろうか。これらを切り離して論じている限り、「体のよみがえり」の謎は解けない。この二つの点を結ぶ中間項にパウロによる「初穂論」(1Cor.15:20)があることは明瞭であろう。パウロはこれを回転軸として「復活の身体」論へと展開される。

断想:復活後金曜日の福音書
ガリラヤ湖のイエス
復活後金曜日の福音書は、ヨハネ21:1~14である。ヨハネ21章はヨハネ福音書にかなり後の時代に付加された付録のような部分であるが、だからといって、その価値が下がるわけではない。このテキストはC年の復活節第3主日に読まれる。
マルコ福音書における復活のイエスは、メッセンジャーを通して「ガリラヤで会おう」(Mk.16:7)と言い、マタイはそれを踏襲している(Mt.28:7,10)。ルカは彼独自の主張によりエルサレムにこだわり場所を明記しないが、その変形として「まだ、ガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」(Lk.24:6)という言葉を付加している。しかしイエスがご在世当時、復活したら「ガリラヤで会おう」という約束をした形跡は見られない。しかしルカを別にしてこの「ガリラヤ」へのこだわりは何か。
弟子たちへのイエスの顕現は実際どこで起こったのか、共観福音書では謎である。その意味ではヨハネ21章のこの出来事は最もリアルに近いように思う。私の個人的な趣味としては、いくつかの復活物語の中でこのエピソードが最も好きである。弟子たちに対するイエスの顕現とはこんな具合だったのだろうと想像する。
彼らはイエスと共に燃えるような3年間を過ごした。しかし最後はあっけなかった。いろいろな悔いが残る。そう簡単にはイエスと出会う以前の生活に戻ることは出来ない。そんな中で、自他共に認めるリーダー格のペトロは、このままではダメだと感じたのか、「わたしは漁に行く」と声をかける。「一緒に行こうよ」ではない。「私は行く」である。その声に反応したのが、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子、ヨハネとヤコブ、その他に二人ほどであった。
ティベリアス湖畔(ガリラヤ湖)を背景にしたこの物語は非常に美しい。のどかな風が吹いている感じさえする。浜辺に立つ一人の見知らぬ男が「何か食べるものはあるか」と声をかける。この意味は「魚は捕れたか」という意味であろう。彼らにとって、この時は漁の結果などどうでもよかった。ともかく、船に乗ってガリラヤ湖の風に当たることが目的であった。だから、平気で「ありません」と応える。その見知らぬ男は「それじゃ船の右側に網を打ってみろ」という。広いガリラヤ湖の上で、小舟の右側も左側もないもんだ。左でダメなら右でもダメ。それが常識というものだ。でも、このほとんど無意味な会話にはほのぼのとして雰囲気がある。

ともあれ、彼らは見知らぬ男の指示通り、船の右側に網を打つ。すると、不思議なことに網を引き上げるのが困難なほど魚が捕れる。偶然だと言えば偶然で片付けることが出来る。しかし彼らは偶然だとは思わなかった。「彼は誰だ」。その時、ヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ。その声を聞くやペトロは慌てて湖に飛び込んだ。その場面で笑ってしまうのは「裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」という。私たちの感覚からいうと上着を脱いで飛び込むと思うが、まぁそれは大した問題ではない。それよりもペトロが湖に飛び込んだりゆうが分からない。少しでも早くイエスの所に行きたかったというわけでもなさそうだ。そのことについて著者は何も語らない。だから読者としては勝手に想像するしかない。おそらく、ペトロはまともにイエスの顔を見ることが出来なかったのかも知れない。思い返せば、ペトロがイエスの弟子かと問われたとき、「知らない」といってイエスを否定して以後、まともに顔を合わせていない。むしろイエスを見捨てて逃げ去り、もとの古巣に戻っている。すました顔で、何事もなかったように、「お元気ですか」などと挨拶するような場面でもない。まさに穴があったらそこに潜り込みたい心境だと思われる。それが上着を着て湖に飛び込むという行動になったのかも知れない。陸に上がってもすぐにはイエスの所に行っていないようだ。むしろイエスから「今とった魚を何匹か持ってきなさい」という他の弟子たちに対する声を聞いてから、ペトロは船に乗り込んで、網を引き上げるのを手伝っている。端から見ていて実におかしい。他の弟子たちもイエスに向かって「あなたはどなたですか」と訊ねる者もいない。むしろ、その気まずい沈黙を破るように「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と声をかける。
このような状況が以前にもあったような気がある。サマリアの村での出来事だ(Jh.4:27~34)。あの時は、昼食で食事の準備をしたのは弟子たちで、弟子たちがイエスに、よそよそしく「ラビ、食事をどうぞ」と声をかけている。その時、イエスは「わたしにはあなた方の知らない食べ物がある」という謎のような言葉で断っている。あの時と同じ状況、むしろあれの「裏返し」のような雰囲気である。ともあれ、ここではイエスが準備した食べ物に弟子たちが獲ってきた魚を交えて、それを囲んで食事をした。今日のテキストはそこまで。


断想:復活後土曜日の福音書
四福音書成立以後の諸史料

復活後土曜日の福音書は、マルコ16:9~15,20である。マルコ福音書がもともと、8節で終わっていたのか、それとも9節以下が何らかの理由で紛失されたのかが問われるところであるが、それこそ、それは「ナイナイねだり」に類する疑問であろう。それにしてもマルコ福音書の終わり方はいかにも唐突であることは否めない。それに、マルコ福音書には復活のイエスの顕現物語がないということが、問題にされたらしい。その結果、いろいろな試みがなされたことであろう。それがマルコ福音書の付録としての「短い結び」と「長い結び」とがある原因であろう。「短い結び」は新共同訳では「結び二」である。いかにも取って付けたような結びになっている。婦人たちは「手短に伝えた」という。これではいかにも「手短すぎる」と思って付け加えられたのが「長い結び」である。こちらの方もほとんどネタバレで、9~11節はヨハネ20:11~18、12~13節はルカ24:13~35、14~18節は主にマタイ28:16~20、19~20節はルカ24:50~53を少々加工して並べただけである。重要なことはその加工部分にこの加筆に時代的影響を受けていることであろう。

先ず、本論に入る前に、もう一点、マグダラのマリアについて「七つの霊を追い出していただいた婦人」と記されていることについて。マグダラのマリアについてこういうのはルカ8:2による。これはここでだけしか述べられていないので確証は出来ない。そうかも知れないが、そうでないかも知れない。ただ、次の点については、ハッキリと否定しておかねばならない。それはルカ福音書のこの記述のすぐ前に「罪深い女」のことが記されている。ルカ福音書ではこの女性のことについてそれ以外のことは何も記されていない。この出来事、つまりイエスの足に接吻し、涙を流し、高価な香油を注ぐという出来事について、ヨハネ福音書はラザロの姉たちマルタとマリアのマリアであるとしている。この「罪深い女」をマグダラのマリアであるとするキリスト教会の伝統的な解釈はまったく根拠がない。七つの悪霊と罪深い女、姦淫の罪と短絡的に結び付けるのは、あまりにも無責任である。

イエスの復活と顕現物語は教会の成立当初からキリスト教信仰の根幹にかかわる出来事とされ、いろいろな解釈がなされたであろうことは十分に推測できる。その一つの例として、2世紀後半頃の作とされる「外典・ペテロ福音書」を紹介する。この写本は1886年から翌年にかけてエジプトで発見されたものである。おそらく8~9世紀のものとされる。

外典・ペテロ福音書(『聖書外典・偽典』6、教文館)

第12章
50 さて、主の日の朝早く、主の女弟子マグダラのマリアが——彼女は、ユダヤ人たちが怒りに燃えていたため、彼らを恐れ、婦人たちが死者のため、自分の愛する人々に対して行なうことになっていることを(埋葬の際)主の墓でしなかった——51 自分といっしょに友人たちを連れて、彼が安置されていた墓にやってきた。51 彼らはユダヤ人が自分たちを見ないだろうかと恐れ、そして言っていた。「あのかたが十字架につけられたあの日には、泣いたり、(胸を)打ったりすることができませんでしたが、せめて今、あのかたのお墓でそれをしましょう。53 けれども、はいってあのかたのおそばにすわり、なすべきことを行なえるよう、いったいだれがわたしたちのために、お墓の入口に置くかれている石を転がしてくださるでしょう。54 石は大きく、わたしたちはだれかが自分たちを見ないかと恐れているのですから。もしできなければ、あのかたの記念として持ってきたものをせめて入口にでも納めて、自分の家に帰り着くまで(の道すがら)、泣いて(胸を)打ちましょう」と。

第13章
55 彼女らが行くと、墓所の開かれているのがわかった。そこで、彼らが近づいてそこにかがんでみると、墓所のまん中に、ひとりの美しい若者が光り輝く衣服を着てすわっているのが、そこに見えた。彼は言った。56 「なんのために来たのですか。だれを探しているのです。十字架にかけられたあのかたではないでしょうね。彼は復活して去ってゆきました。信じないのなら、かがんで、彼のいた場所に、彼がいないことをごらんなさい。彼は復活しました。そして、(ご自分が)送られてきたその(もとの)ところヘ去っていったのです」と。57 その時、婦人たちはこわくなって逃げ去った。

第14章
58 さて、 除酵祭の最後の日のことだった。祭りが終わって、多くの人々が自分の家に帰ろうと、 出てゆくところだった。 59 ところで、 われわれ、主の12人の弟子たちは泣き悲しんでいた。 そして、おのおのは起こったことの故に悲しみつつ、自分の家に帰っていった。60 さて、わたしシモン・ペテロとわたしの兄弟アンデレは、自分たちの網を取って海へ出て行った。そしてアルパヨの子レビがわたしたちといっしょにいた。この人を主は(かつて)・・・・・<史料はここで切れている>
※ハルナックはマルコ2:14の記事が挿入されるのであろうと予想している。

この史料を読むといろいろなことが想像される。それについては専門家に任せよう。

私はマルコ福音書の「結び」はこれよりは多少早い段階であろうが、同系統のものだと思う。ただ、マグダラのマリアの件であれ、エマオの途上の件であれ、共通する面白い点は、彼女、彼らの報告を聞いて、「弟子たちは信じなかった」と明記している点である。彼らは信じなかったのである。ヨハネでは彼女の報告を聞いて弟子たちは「信じた」とも「信じなかった」とも明記されていない。エマオの途上での主の顕現についても、その報告とは別に、その報告の前に「本当に主は復活してシモンに現れた」と言っている。14節以下の記述では「11人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを信じなかったからである」という。マタイでこの部分を読むと「しかし、疑う者もいた」(Mt.28:17b)とまるで人ごとのように記されている。人ごとではない。11弟子たちは全員、彼女および彼らの言葉を信じていなかったのである。外典・ペテロ福音書14:59~60によると、彼らはおのおの泣き悲しみつつ「自分の家に帰っていった」のであり、そこで漁に出かけているのである。
正規の福音書の記録とはかなり違う。2世紀の教会では使徒団の権威も固まり、教会の内部でも聖職者と一般信徒との身分差も明確になっていたが、その足元では、このような史料が出回っていたのである。

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