ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/01

2016-04-03 11:21:32 | ツイッター
お早うございます。主の平和。「ティベリアス湖畔におけるイエスの顕現」を考える。雨模様の中、みずがめの郷に桜を見に行く。見事な満開。帰って来て身体が冷えたのか気分が悪くなって5時から夕食を挟んで10時まで寝る。古館さんの最後の報ステを見た。何か歯切れの悪い挨拶だ。11時過ぎに就寝。6時に起床。血圧(137:81,79)・体調・快調。チュン、チュン。

24藤木 冨士子さん、佐藤 静代さん、他22人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配布をします。良き日となりますようにお祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪浜松は少し肌寒く感じる雨の朝です。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます。週末も、よろしく、お願いします。


文屋 善明
4月1日 6:20 ·
お目覚めの花。「復活後金曜日、あれから1週間目だ」「イエスが十字架を前にして弟子たちに語った『あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている』(Jh.16:32)という言葉をどう理解するか」。
文屋 善明さんの写真


文屋 善明
4月1日 6:38 ·
2016 日々の聖句 04月01日(金)
主よ、あなたをあがめます。(あなたは敵を喜ばせることなく)わたしを引き上げてくださいました。(Ps.30:2)
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。(2Cor.1:5)
私の黙想:
ローズンゲンでは括弧内が省略されている。この詩は神殿奉献の歌とされる。彼らにとって「神殿奉献」とは「敵」に対する勝利の徴のようである。昔の日本でいうと「天守閣」みたいなものか。敵に負けるということは神殿が破壊されること、敵に勝つということは神殿を奉献することという感覚か。
この詩にはいわゆる名文句が多い。たとえば、6節の「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。ユーモラスな名文句もある。10節の「わたしが死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげあなたのまことを告げ知らせるでしょうか」などは読んでいて思わず微笑んでしまう。

22鈴木 ゴリ 宣仁さん、藤木 冨士子さん、他20人


文屋 善明
4月1日 6:50 ·
今日の名言:@dannshi_bot
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。(立川談志)
<一言>さすが談志さん上手いこと言うなぁ。お互いに気を付けましょう。自信のある者は他人の悪口など言わない。

20藤木 冨士子さん、森田 美芽さん、他18人
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藤木 冨士子 そう考えると腹もたたない。


文屋 善明
4月1日 6:59 ·
「宗像市」は創立されたのが1981年4月1日で、今日は35年である。
市の公法によりますと、「昭和の大合併が進んでいた昭和29年、東郷町、赤間町、吉武村、河東村、南郷村の5町村と神興村の一部が合併し、旧宗像町が誕生しました。翌年には、神湊町、田島村、池野村、岬村の4町村が合併し、旧玄海町が誕生しました。
昭和52年には、旧宗像町の人口が5万人を突破し、昭和56年に旧宗像市が誕生しました。
その後、地方分権や少子高齢化の進展への対応などの社会全体の流れや、それぞれの市町村の特徴と資源を生かしたまちづくりを進めるため、平成15年に旧宗像市と旧玄海町が合併し、新しい宗像市が誕生しました。平成17年には旧大島村と合併し、現在の宗像市となっています」。
風光明媚で、山の幸、海の幸に恵まれ、とくに高齢者には優しいくて、とてもすみやすところです。

29藤木 冨士子さん、森田 美芽さん、他27人
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村田 多鶴子 最後の文章に安らぎを覚えます。日本中がそうであれば良いのですが…~♪(^^♪

三浦 三千春 あえて書きましょう。ほんまでっか~?

文屋 善明 ほっまでっせ。町中元気な高齢者で溢れています。公園も沢山あって、のんびりします。

牛島 幹夫 35年前、市制施行の時に宗像在住の小学生でした。当時は、宗像郡全体が合併して市になってほしいというような話もあったように記憶しています。なんの時間だったのでしょうか、宗像大社の宮司さんがきて宗像の歴史を話してくれたのを思い出します。もっとも、話の内容は全く覚えていませんが。

藤木 冨士子 私のすむ町もそうなってほしいです。まだまだです。

文屋 善明
4月1日 7:59 ·
NHKこころ旅。まだ三宅にいます。溶岩が一杯。伊豆諸島、大久保浜(海水浴場)、カラコロと鳴る丸い石。メガネ岩、大路池までバスで輪行。彦7そば屋で食事、かも定食、三宅島って広いなぁ。

13小貫 ツマさん、久保和男さん、他11人


文屋 善明さんが写真12件を追加しました。
4月1日 8:11 ·
海の中道公園のチューリップが大好評、で気をよくして、第2弾、個別編です。チューリップは上から目線では面白さがないので、撮るのに苦労しました。
文屋 善明さんの写真

38加藤 治さん、久保和男さん、他36人
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安井 郁夫 · 共通の友達: 小笠原 浩一さん、他4人
昔、伯父が取引先の至而からオランダ直送の球根もらっていたので、そのお裾分けで毎年初めての花を楽しみに植えてました。


文屋 善明
4月1日 8:50 ·
今日の「折々のことば」。こんなこと言う人ってどんな人だろうかと調べてみると、僧侶で芸術家でコミュニティ・オーガナイザー。この人自身が奇人」ではないがかなり「変な人」だ。きっと、この言葉はこの人と付き合っている人たちを代表して言っている「コトバ」であろう。私もかなり「変人」なので、何かピンとくる。今日から4月だ。4月の初めにこの言葉だから今年度もかなり楽しめそうだ。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=999389196805208&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

22久保和男さん、安部 勉さん、他20人
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糸原 由美子 ワタシはフツ―のひとより変な人が好きです。ワタシもフツーのひとではないと気づいています!

文屋 善明 それはワタシに対する愛の告白ですか。

糸原 由美子 変人の皆様へ!愛してます!です。

文屋 善明 全ての変人から愛される人間になることを願っています。


文屋 善明さんが写真17件を追加しました。
4月1日 9:19 ·
昨日、雨模様の中、みずがめの郷公園に出かけ桜を見てきました。傘を差しながらの撮影でしたが、見事でした。最後の2枚は3月22日撮影の同じ風景です。あの日は晴れていました。

52中井 珠惠さん、加藤 治さん、他50人
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加藤 佑三 残念、晴れていたらもっと綺麗だったでしょうね。

佐藤 静代 雨の桜もすてきですよね。私は大好きです。

藤木 冨士子 こちらも雨でした。肌寒かった。

加藤 佑三 日本人は異常な「桜」好きですね。「梅」も「モクレン」など、他にも一杯春に咲く花があるのに。歴史がある、日本の文化、神が宿っている、等と言って「猫も杓子も桜・桜」状態。これもマスコミにより洗脳されているのか。


文屋 善明
4月1日 9:21 ·
断想:復活後金曜日の福音書
ガリラヤ湖のイエス
復活後金曜日の福音書は、ヨハネ21:1~14である。ヨハネ21章はヨハネ福音書にかなり後の時代に付加された付録のような部分であるが、だからといって、その価値が下がるわけではない。このテキストはC年の復活節第3主日に読まれる。
マルコ福音書における復活のイエスは、メッセンジャーを通して「ガリラヤで会おう」(Mk.16:7)と言い、マタイはそれを踏襲している(Mt.28:7,10)。ルカは彼独自の主張によりエルサレムにこだわり場所を明記しないが、その変形として「まだ、ガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」(Lk.24:6)という言葉を付加している。しかしイエスがご在世当時、復活したら「ガリラヤで会おう」という約束をした形跡は見られない。しかしルカを別にしてこの「ガリラヤ」へのこだわりは何か。
弟子たちへのイエスの顕現は実際どこで起こったのか、共観福音書では謎である。その意味ではヨハネ21章のこの出来事は最もリアルに近いように思う。私の個人的な趣味としては、いくつかの復活物語の中でこのエピソードが最も好きである。弟子たちに対するイエスの顕現とはこんな具合だったのだろうと想像する。
彼らはイエスと共に燃えるような3年間を過ごした。しかし最後はあっけなかった。いろいろな悔いが残る。そう簡単にはイエスと出会う以前の生活に戻ることは出来ない。そんな中で、自他共に認めるリーダー格のペトロは、このままではダメだと感じたのか、「わたしは漁に行く」と声をかける。「一緒に行こうよ」ではない。「私は行く」である。その声に反応したのが、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子、ヨハネとヤコブ、その他に二人ほどであった。
ティベリアス湖畔(ガリラヤ湖)を背景にしたこの物語は非常に美しい。のどかな風が吹いている感じさえする。浜辺に立つ一人の見知らぬ男が「何か食べるものはあるか」と声をかける。この意味は「魚は捕れたか」という意味であろう。彼らにとって、この時は漁の結果などどうでもよかった。ともかく、船に乗ってガリラヤ湖の風に当たることが目的であった。だから、平気で「ありません」と応える。その見知らぬ男は「それじゃ船の右側に網を打ってみろ」という。広いガリラヤ湖の上で、小舟の右側も左側もないもんだ。左でダメなら右でもダメ。それが常識というものだ。でも、このほとんど無意味な会話にはほのぼのとして雰囲気がある。
ともあれ、彼らは見知らぬ男の指示通り、船の右側に網を打つ。すると、不思議なことに網を引き上げるのが困難なほど魚が捕れる。偶然だと言えば偶然で片付けることが出来る。しかし彼らは偶然だとは思わなかった。「彼は誰だ」。その時、ヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ。その声を聞くやペトロは慌てて湖に飛び込んだ。その場面で笑ってしまうのは「裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」という。私たちの感覚からいうと上着を脱いで飛び込むと思うが、まぁそれは大した問題ではない。それよりもペトロが湖に飛び込んだりゆうが分からない。少しでも早くイエスの所に行きたかったというわけでもなさそうだ。そのことについて著者は何も語らない。だから読者としては勝手に想像するしかない。おそらく、ペトロはまともにイエスの顔を見ることが出来なかったのかも知れない。思い返せば、ペトロがイエスの弟子かと問われたとき、「知らない」といってイエスを否定して以後、まともに顔を合わせていない。むしろイエスを見捨てて逃げ去り、もとの古巣に戻っている。すました顔で、何事もなかったように、「お元気ですか」などと挨拶するような場面でもない。まさに穴があったらそこに潜り込みたい心境だと思われる。それが上着を着て湖に飛び込むという行動になったのかも知れない。陸に上がってもすぐにはイエスの所に行っていないようだ。むしろイエスから「今とった魚を何匹か持ってきなさい」という他の弟子たちに対する声を聞いてから、ペトロは船に乗り込んで、網を引き上げるのを手伝っている。端から見ていて実におかしい。他の弟子たちもイエスに向かって「あなたはどなたですか」と訊ねる者もいない。むしろ、その気まずい沈黙を破るように「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と声をかける。
このような状況が以前にもあったような気がある。サマリアの村での出来事だ(Jh.4:27~34)。あの時は、昼食で食事の準備をしたのは弟子たちで、弟子たちがイエスに、よそよそしく「ラビ、食事をどうぞ」と声をかけている。その時、イエスは「わたしにはあなた方の知らない食べ物がある」という謎のような言葉で断っている。あの時と同じ状況、むしろあれの「裏返し」のような雰囲気である。ともあれ、ここではイエスが準備した食べ物に弟子たちが獲ってきた魚を交えて、それを囲んで食事をした。今日のテキストはそこまで。

17小貫 ツマさん、久保和男さん、他15人


文屋 善明
4月1日 13:40 ·
「昨日のツイート 03/30」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11川染 三郎さん、久保和男さん、他9人
コメント

藤木 冨士子 car ボチャはいけてました。


文屋 善明
4月1日 14:02 ·
イミタチオ・クリスチ(80):
重荷のない人なんて、どこにも居ない。また、全てのことで満足している人なんていう人もいない。だから、私たちはいろいろな試練や逆境の中で、お互に助け合わねばならないのだ。16:12b

20川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他18人
コメント

Mitsuaki Noma 色んな状況の中で、今の私に最も響いた言葉です。ありがとうございます。涙

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