ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 12/21

2016-12-23 08:33:07 | ツイッター
お早うございます。主の平和。家内は整骨院へ。私は整形外科へ。昼食後、昼寝30分。『正典論』続読。キリスト教用語豆事典補遺を書く。クリスマス・キャロルについて書く。脹ら脛が痛いので散歩は休み。多部未華子・高橋一生競演の「わたしに運命の恋なんてありえないと思っていた」を見る。現代の若者の恋愛事情が生き生きと描かれていた面白かった。11時に就寝。5時半に起床。今朝のPCの立ち上がりが悪い。体温:36.3、血圧(139:72、73)・体調・快調、チュン、チュン。

33 藤木 冨士子さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他31人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪脹脛の痛みは緩和されましたでしょうか? 早くスッキリと治りますように!
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明 まだ、ダメです。でも、歩けるだけでも恵みです。

村田 多鶴子 どうぞ、お大事になさってくださいませ。

東山 富昭 おはよう☀ございます。晴れています。家の売却について、動きがありそうです。週末も、よろしく、お願いします。

若月 新一 おはようございます。


文屋 善明
12月21日 6:16 ·

お目覚めの花。「我が家に来て5年近く、まだ元気です」「3人兄弟花、末っ子が凛々しく立っています」。(こういうシクラメンも良いでしょう)。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然

31 藤木 冨士子さん、中野 芳夫さん、他29人
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村田 多鶴子 美しく咲いた花はとても綺麗ですが、開花直前の蕾にはそれに優るとも劣らない魅力がありますね~♪(^^♪


文屋 善明
12月21日 6:48 ·

2016 日々の聖句 12月21日(水)
災いだ、賄賂を取って悪人を弁護し、正しい人の正しさを退ける勇者は。(イザヤ5:22,23)
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。(マタイ7:2)
私の黙想:
社会は下から腐敗するのではなく、上から腐敗する。これはどこの社会にも当て嵌まる鉄則である。現在の日本は上からの腐敗が烈しく進行中。「悪人を弁護し」だからと言って弁護士のことではない。裁判官のことである。裁判官が賄賂を取る、悪人に有利は判決を下す。「正しい人の正しさを退ける」が、初めの二つよりも最も悪の度合いが深い。この部分口語訳では「義人からその義を奪う」と訳している。「義人からその義を奪う」のは裁判官だけではない。国家権力としてのケイサツだけでもない。マスコミもそれに加担するが、具体的にそれを実行するのは大衆である。このようにして、上の方からの腐敗は下の方にまで及ぶ。人びとは何が正義で、何が悪か分からなくなる。大衆が目覚めるほかはない。
韓国における反大統領運動、まだ分からない部分はあるが、社会の上層部の腐敗に対する一般大衆の反撥は凄まじい。上層部の腐敗に対してはこういう形でしか、対処できないのであろう。隣国の問題に他国が口出しをすることはできないが、問題は我が国である。沖縄問題である。オスプレイ問題である。上層部の腐敗は明らかであるし、司法もそれに加担している。マスコミも自分たちの利害にしか関心はなさそうである。彼らはここで常に「勇者(勝ち組)」の側に立とうとする。これに対する下からの反撥は「数」によるしかない。

34 藤木 冨士子さん、松井 理直さん、他32人
コメント

水草 修治 先生がおっしゃるように、これは裁判官の行為ですから、新共同訳の「弁護し」はいかがなものでしょう。新改訳は「正しいと宣言し」とか、口語訳の「義とし」、文語訳「義となし」のほうが正解だと思います。新改訳は裁判官による宣告というニュアンスをもっとも明瞭にしていますね。


文屋 善明
12月21日 7:04 ·

今日の名言:@KanzoUchimura
正義は破れて興り、不義は勝って亡ぶ。(内村鑑三)
<一言>何と言ったら良いのか。短いけれど、そのものズバリだ。要するにこの矛盾、これが現実なのだ。今は、不義が勝っている。だから、国は亡びる。

28 藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他26人


文屋 善明
12月21日 8:17 ·

イミタチオ・クリスチ(343):
イエスを発見した人は、宝の山を発見したようなものだ。確かに、これ以上に善いものはない。イエスを失った人は、莫大な財産を失ったようなものだ。全世界を天秤に掛けても損失が大きい。2:8:12~13

25 藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他23人
コメント

Mizota Michael Satoshi イエスは借金みたいなもんですねえ。借金も財産のうちだ、と諦めるしかない。。。

文屋 善明 宝の山を発見したら、借金してでもそれを買い求めるであろう。

Mizota Michael Satoshi で、後は複利で借金が広がっていき、強制徴収されると。早く世の終わりが来てくれえ。。。

文屋 善明 大丈夫、ヨベルの年は近い。

Mizota Michael Satoshi 一日が千年に感じます。。。


文屋 善明
12月21日 9:57 ·

「昨日のFB 12/19」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

9 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他7人


文屋 善明
12月21日 13:42 ·

ここまで言われても、日本のマスコミは何の反応もなしですか。

遂にイギリスのエコノミスト誌も安倍首相の報道規制を批判!日本のマスコミが安倍首相に土下座をしている風刺画も!|情報速報ドットコム
「政治経済」に関するページです。遂にイギリスのエコノミスト誌も安倍首相の報道規制を批判!日本のマスコミが安倍首相に土下座をしている風刺画も! のページ
SAIGAIJYOUHOU.COM|作成: ヤマダ
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6553.html

29 藤木 冨士子さん、松井 守さん、他27人
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コメント

文屋 善明 普通、日本人なら外国の新聞雑誌で、自分たちの首相やマスコミがこれだけぼろくそにいわれたら、反論したくなるし、怒るでしょう。ところが、私にはその反論や怒りが出て来ないどころか、もっと言えと野次りたくなります。これは、実は、非常におかしな現象です。

加藤 佑三 反応するとしっぺ返しが怖いから?

安井 郁夫 日本は外圧に弱いので、もっと言ってもらった方が。


文屋 善明
12月21日 15:19 ·

教会用語豆辞典(補遺1)
(21) クリスマスの由来
何故、12月25日がクリスマスなのかということについては、古来、いろいろ想像されているが、はっきりしたことはわからない。そもそも、初期のキリスト教会においてイエスの誕生については関心は薄く、4つの福音書でもマタイとルカだけが触れている程度で、恐らくそれは紀元70年以降のことで、ほとんど神話的な描写である。まして、日付については確かな証言はない。それらの中で、最もスッキリしている説は、273年、ときのローマの皇帝アウレリアヌス(在位:270年~275年)は太陽神崇拝を国教とし、12月25日をその誕生日と定めたということに由来すると思われる。
それに対抗して、313年にコンスタンティヌス帝によって公認されたキリスト教は、325年のニケア会議でこの日を「義の太陽」であるキリストの誕生日と定めたらしい。そしてローマ教会がこの日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降。379年から東方教会もこれに従うようになった。
(22) クリスマス・ツリー
起源はドイツのライン川の上流地方から始まったものと思われる。どういう理由で始まったのかは確かではないが、いずれにせよ、その地方に住んでいた人たちの風習によるものであろう。その中で、興味深い説明は、その地方のお祭りなどで上演される演劇に由来し、創世記の「生命の木」伝説に関連しているらしい。
最古の記録は11世紀の宗教劇で、そこではモミの木にリンゴをつけてエデンの園を表し、樹形の三角形が信仰・希望・愛を象徴したという説明がなされている。呪術的動機からくるとしてピューリタニズムの系譜に連なる教派では飾らない。基本的には聖公会では聖堂内にクリスマス・ツリーを飾らない。クリスマス・ツリーもサンタクロース同様、アメリカで流行し、19世紀半ばから世界に広がったと思われる。
(23) 主イエス命名の日(1月1日)
ルカ福音書によると、イエスは誕生から8日目に割礼を受け、「イエスと名付けられた」(ルカ2:21) とされている。ユダヤの社会では、割礼により正式にユダヤ人として受け入れられるのであり、これでイエスが人性を取りということが完了した。
降誕日特祷
全能の神よ、あなたは独りのみ子に人性を取らせ、この時、清いおとめから生まれさせてくださいました。どうかその恵みによって、再び生まれ、神の子とされたわたしたちを、常に聖霊によって新しくしてください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。
主イエス命名日特祷
全能の神よ、あなたはみ子に割礼を受けさせ、わたしたちの救いのしるしとして、イエスと名付けられました。どうかこのみ名によってみ民に力と平安を与え、その尊いみ名をすべての国に宣べ伝えさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。
(24) 降誕後の主日
今年は12月25日と1月1日とが日曜日であるので、降誕後第1主日の出番はないが、たとえば、降誕日が12月24日の場合、その翌日が降誕後第1主日に当たり、1月2日が降誕後第2主日にあたることになる。現行の祈祷書ではこれらもそれぞれ主日として日課・特祷等が定められている。ところが古い祈祷書では降誕後第1主日については日課は定められているが、特祷については降誕日の特祷とまったく同じである。降誕後第2主日には特祷も日課も定められていない。
新しい祈祷書では降誕後第1主日も、降誕後第2主日も、それぞれ、特祷、日課が定められている。
特に注目したいのは降誕後第2主日で、カトリック教会では「聖家族の日」とされ、祝日である。日本聖公会では「聖家族の日」とはしていないが、日課、特祷等は明らかに「聖家族の日」を意識している。
降誕後第1主日の特祷
全能の神よ、あなたは驚くべきみ業によりわたしたちをみかたちに似せて造られ、さらに驚くべきみ業により、み子イエス・キリストによって、その似姿を回復してくださいました。どうか、主が人性を取って、わたしたちのうちに来られたように、わたしたちも主の神性にあずからせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。
降誕後第2主日の特祷
天の父よ、恵みに満ちたみ子は、ナザレにおいてこの世の家庭生活をともにされました。どうかみ助けによって、わたしたちが愛と服従で結ばれた聖なる家族として生活し、ついに天に備えられた住まいに至ることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。
(25) 顕現日(1月6日)
顕現日は英語ではEpiphanyで、要するにイエスが「現れた」という意味である。カトリック教会では「公現日」という。この日はもともと東方地中海沿岸では冬至の日に当たり、異教の救いの神の誕生日として祝われていたが、それをその地方の教会では救い主イエスの出現日とされた。つまり東方教会ではこの日がクリスマスであった。これが後に西方教会のクリスマスと調整されて降誕日・顕現日として祝われるにようになったとされる。降誕日から顕現日までを降誕節と言う。先ず祝日があって、その後で意味付けをされたと言える。その意味付けが世界へのイエスの出現ということで、この日に3人の博士の物語が付けられた。
特祷
星の導きによって、独りのみ子を東の博士たちに現された神よ、どうかすべての国人を導き、いま信仰によってあなたを知り、後の世にはあなたの栄光を親しく仰ぎ見させてください。主イエス・キリストによってお願いいたします
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32 藤木 冨士子さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他30人
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辻本 昌弘 「初期のキリスト教会においてはイエスの誕生についての関心は薄く」というのが、よく分からないのです。そのような時代だったのかな?と想像したりします。また、なぜ、誕生日に関心を持たなかったのか、不思議です。現代の教会では、信徒の誕生日は「記念日」として週報にも載せています。それ以外にも、様々な記念日を覚えて祈っています。

文屋 善明 ここではっきり明記しているように、早めに見積もってもマタイ、ルカ福音書が書かれたのは紀元70年以後のことで、それまでのキリスト教文書にはイエスの誕生のことは触れられていません。その意味で、その頃までイエスの生涯に関する関心は、教えと十字架・復活で誕生については関心がなかったと思われます。そのマタイにしてもルカにしても、誕生物語は神話的(伝説的)でリアリティを感じません。

眞野 玄範 キリスト教は復活信仰ですからね。でも私は誕生物語はとても神学的な含蓄に富んでいて面白いと思っていますけれど。

文屋 善明 誕生物語がないキリスト教を想像したら直ぐに感じるように、骨と皮のみすぼらしいキリスト教になったことでしょう。その意味で、誕生物語そのものは大切な伝承だと思っています。ただ、そこに異常に関心を寄せて「インマヌエル」の神学などと言い始めたら、要警戒です。

文屋 善明 もう一言、誕生物語は当時台頭し始めたグノーシスへの反論という意味もあったように思います。

眞野 玄範 私は今年読んでいて考えさせられたのですが、「インマヌエル」という言葉は、弟子たちが復活の主に出会って、そこで初めて言った言葉ではないかと。パウロの手紙に保存されているように、ごく初期の教会は「復活によって神の子と定められた」と告白していたわけですし。

文屋 善明 降臨節第4主日の「断想」でも書きましたように、「インマヌエル」という言葉は旧約聖書に3個所、新約聖書で1個所しか出てきません。しかもマタイでは、旧約のイザヤ書の引用ですから、実質的には1回か2回ということになります。

眞野 玄範 マタイの福音書の最後の文は、インマヌエルと意識的に対応させているのだろうと思いますけれど。

文屋 善明 なる程、そうですね。そのままですね。呼応していますね。ということは、イエスの全存在、誕生から死と復活とを通して世の終わりまで「インマヌエル」。この単語は用いられていませんが。

辻本 昌弘 文屋 善明 さん。「誕生物語は当時台頭し始めたグノーシスへの反論」という意味もあったそうですが、だとすれば、マタイとルカで何故こうも物語の内容が違っているのか疑問です。それと同時に、イエスの降誕の真相は、本来、捉えることができないものであり、降誕の事実はあっても、詳細についてはもともと当時の人々の意識には「語り伝える」意志がなかった。もしくは、その必要すら感じなかった、ということでしょうか?系図や暦を大事にしていた人々がなぜか?と。イエスがこの世に来たりいたもうた時、この人が救い主であると見抜いていた人はいなかったということでしょうか?

文屋 善明 その通りです。人間として生まれたという事実が重要で、その詳細はある意味でどうでもよかった。受肉という事実、ヨハネも序詞のロゴス論の中で受肉を強調している。


文屋 善明さんがTahseeNationさんの動画をシェアしました。
12月21日 19:07 ·

癒される〜

https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya

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その他視覚設定[再生&スクロール]モードで見るフルスクリーン表示
再生21,344,984回
TahseeNationさんが動画「EMOTICONS IN REAL LIFE」を追加しました。いいね!
5月29日 ·
Emoticons are not just only emoticons! They are real 😍
Check this video out..

Like this page to get entertained 😌

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11 小貫 ツマさん、藤井 衞さん、他9人


文屋 善明
12月21日 21:28 ·

原爆投下を命じたトルーマン、こんなことも言っている。全ての日本人はこれを忘れてはならない。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、眼鏡、テキスト
木村 篤哉
12月21日 10:49 ·
非一般ニュースはアカウント凍結 ‏@kininaru2014111 · 13 時間前

これを読めば、今の状況が理解できるはずだ。 pic.twitter.com/Iw3QIIzaNs

https://www.facebook.com/photo.php?
fbid=910808942388949&set=a.482714781865036.1073741827.100003795568049&type=3&theater
36 山城順さん、松井 守さん、他34人
コメント

鈴木 規夫 このトルーマンの言葉、言いそうなことではありますが、どこにその出典あるのでしょう? 原文も含めて確認したいのですが、ご教示お願いします。このマイケルグリーンを配したツイートの主ではなく、原出典が知りたいのです。

文屋 善明 私もシェアしたものなので、出典は分かりません。

文屋 善明 ここに、もう少し丁寧に述べられています。 http://yuruneto.com/truman/

「3S政策」の生みの親、日本に原爆投下を命令したトルーマン米大統領の…
YURUNETO.COM

鈴木 規夫 ありがとうございます。フリーメーソンという話になると、そもそも岩倉使節団からして、そのネットワークで欧米視察して来たわけなのでありますが.......でも「3S政策」というのがキーワードであるとすると、もう少し探れそうですね。

文屋 善明 そう思います。

鈴木 規夫 上のサイトはもともと最初に引かれたものを引用したもののようですね。どうもトルーマンというより安岡正篤たちが引き摺っていた戦前からのユダヤ陰謀論の流れで登場して来ているようです。トルーマンはメイソンだったでしょうけれど、それがどこかで合体して日本の陰謀論サークルに流れているようですが、そのそもそもの創作者が誰なのかも気になるところです。
トルーマンの文書としてあるとすれば、こちらのサイトにあるかもしれませんが、検索かけても引っかかりません........
https://www.trumanlibrary.org/
Harry S. Truman Library and Museum
Truman Presidential Library & Museum hosts documents, photographs, virtual exhibits, audio files, oral histories, digital archives, kids page, educational information about President Harry S. Truman, and his Presidency.
TRUMANLIBRARY.ORG
いいね! · 返信 · プレビューを削除 · 2 · 12月21日 22:26

Mizota Michael Satoshi それをいろいろ探していました。明日から入院ですから、また後日。

鈴木 規夫 Mizota Michael Satoshi お大事に。

文屋 善明 この言葉は、トルーマン個人の言葉と言うよりも、アメリカ人一般の日本人に対する言葉であると理解すべきであろう。それは今も変わっていない。

服部 弘一郎 当時のアメリカ人の意識はこんなものだったかもしれませんね。アメリカ人が今も日本人を同じように考えているとはさすがに思いませんが、中東地域やアフリカなどの途上国や異文化圏に対して似たような思いを抱いていることは想像に難くないです。

文屋 善明 勿論です。まさか今でも「猿」とは思っていないでしょうが「奴隷」とは思っているでしょうね。

Mizota Michael Satoshi 今でも猿ですよ。。。

文屋 善明 猿からは「搾り取る」ことはできないが、奴隷は搾り取れる。

Mizota Michael Satoshi 猿を干物にして食べる種族もいるくらいですからね。。。

岡野 保信 · 共通の友達: 眞野 玄範さん、他7人
トルゥーマンがKKKのメンバーだったと言うことは、多くの人が知っています。白人〜アングロサクソン中心主義でしょう。どこにでも、白人に尻尾を振る人はいるものです。

中島 正二 · 共通の友達: Hajime Kawamukaiさん、他2人
サッカーの試合が終わったばかりのフーリガンみたいな状態での発想なのかもしれません。日本人も勝っていたら何を言っていたやらわかりませんよ。

文屋 善明 その通り、戦時中でも「鬼畜米英」ですからね。でも、日本人は忘れやすい人種だから、仲良くなれば直ぐに変わってしまうが、アメリカ人は変わらない。

鈴木 規夫 やはり、この3s政策なるものは、「ユダヤ陰謀」論の一環のようですね。その由来ももっと掘り下げておきたいところですが、トルーマン云々は安岡正篤が敗戦後に付け足して広まったものというのが実のところで、いわゆる「陰謀論者」の創作であるようです。とまれ、事実をよく確認しながら論拠を持って偏見をただし、立脚点ときちんとした上で正当性を主張した方が、相手と同じ穴の狢にならずに行けるのではないかとも思います。
戦前からユダヤ陰謀論としてあったことは以下で確認できます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062760/2?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション - 日本陸軍史研究メッケル少佐
*アクセスキーの場合は、表中に「*」をつけています。   Windows IEでは「ALT」+アクセスキー、Windows FireFoxでは「ALT」+「SHIFT」+アクセスキーのように押して利用します。
DL.NDL.GO.JP

文屋 善明 ありがとうございます。フリーメイソン、安岡正篤ときたら、役者が揃っていますね。しかし、何故こんな「情報」をトルーマンもアメリカ人も黙って流していたのでしょうね。

鈴木 規夫 権力者自身が操る陰謀論の巧みなところは、そうしたある意味では正当な認識も陰謀論者の歪んだ認識として処理させて、リベラルな人士が理性的な分析や判断をさらに行なっていくことを妨げることになるという.........実に厄介です。
また、当時現に事実そういう根深い人種差別の存在の上に立脚していた政権であったからかもしれませんね、アメリカ自身が。ご存知のように何しろアメリカはさらに公民権運動で内戦状態になるほどの制度化された差別状態でしたから、それがトランプで揺り戻されて再制度化されていけば、日本人やアジア・アフリカ人、ムスリムへのこうした偏見と連動して、再びアメリカ国内での内戦必至になるかもしれません、困ったことに。
でも、安岡はもともとそのような3S政策を持ち出して、占領政策の憲法を始め進歩的な部分もすべてなかったことにして、歪んだ「日本民族」再生を考えたのでしょうけれど、いつのまにかそれを支持する勢力の人たちは、ミイラ取りがミイラになったように、安倍政権に端的に表現されている日本の支配層自身が「奴隷でいることの快感」の麻薬漬け担っているみたいで絶望的ですね。

Juro Nakao · 共通の友達: 鈴木 規夫さん
場外から失礼。こうした盛り上がりを見ているとSNSの投稿には少し距離を置かなくてはと感じてしまいます。出所を正確に、それからコンテクストを踏まえた解釈を!

鈴木 規夫 そう考えて、出所を明確にする試みをしているような次第です......すると別のコンテクストが登場してきたという具合......はい。

文屋 善明 結局、SNSとは、不確かな情報を発信することによって、批判されたり、修正したり、新しい情報を得たりして、自分の考えをまとめていくところに醍醐味があるように思います。

鈴木 規夫 そうですね。そしていろいろ辿っていくと思わぬ発見があったりするので面白いのであって、受動的なだけではなくどこに能動性の契機を見るのかによっても大きく様相が広がるところであるように思えます。

文屋 善明 だから、SNSで流れてくる情報はそれはそれとして信頼しすぎないように、初めっから、切り捨てないで、のめり込まないように、距離感を持って付き合うことが大切。

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