ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

2008年復活前主日講釈「真実は必ず明らかになる」

2014-04-13 16:23:55 | 説教
S08L06(L)
2008年 復活前主日
<講釈> 真実は必ず明らかになる マタイ27:1-54

1. 復活前主日の福音書
毎年復活前主日の福音書は、その年の福音書の受難の出来事が読まれる。何れの福音書もいわゆる受難物語は非常に長い。礼拝の中で、これを読むとき、あまりの長さに読んでいる者は卒倒しそうになるほどで、教会によってはこの主日だけは数人で分けて読んだり、ある教会では説教の代わりに黙想をするとのことである。これはわたしの主観的な解釈であるが、バッハやその他の音楽家がマタイ福音書とかルカ福音書の受難曲を作曲しているが、これはこの日の礼拝を退屈にしないための工夫ではなかろうかと思っている。
ともかく今年はマタイ福音書の年で、これを全部「解説」しても説教にはならないので、本日はちょっとひねって、聖餐式の式文では、読んでもいいし、読まなくてもいいとされる、62節から66節までの部分を取り上げることとする。この部分を取り上げる理由は、この重要な記事をマタイだけが取り上げているからで、当然ながらイエスの言葉を集めた語録集、いわゆるQ資料にもない。はっきり言って、この記事はマタイだけが述べていることで、ほかの資料による確認はできない。

2. 復活の「物的証拠」としての空虚な墓
さてイエスの復活についていろいろ議論があるが、ほとんど唯一の「物証」ということになると、変な話しであるが、空虚な墓ということがあげられている。わたしは神学生の頃、復活の論証ということで、その根拠としてイエスの遺体が墓の中になかったということがあげられるということを聞いたとき、復活という意味論的には非常の濃縮された出来事と空虚な墓という空虚さとのギャップに途惑いを感じたものである。ともかくイエスの復活ということを論じる際に「空虚な墓」というサインは非常に重要である。しかし最初期の使徒的文書であるパウロの書簡等において復活についてその事実性に関しては単純に信じるべき事柄として使徒たちの証言だけを論じ、その証拠ともいうべきことについては語ろうともしない。福音書においてもマタイ以外では、墓には遺体がなかったということだけを一つの「事実」として語っているだけである。ところがマタイ福音書だけは鮮明にイエスの復活の「物的証拠」として空虚な墓について論じている。

3. マタイの論じ方
マタイはマルコの受難物語の大枠に従って十字架処刑から埋葬までをほぼそのまま語り、最後の部分だけを2人のマリアが墓の方向を見つめている場面に変えている。一体、彼女たちは何を眺めていたのだろうか。その後マルコはすぐに復活の朝につなぐが、マタイはその間に「墓に番兵を置く」(27:62-66)エピソードを挿入する。そして復活の日の朝の出来事は「番兵の報告」(28:11-15)で終わる。つまりマタイ福音書における「復活物語」は、「番兵」に関する記事のサンドイッチの中身になっている。これはマタイ福音書だけの特別な配列である。
その結果、マタイ福音書では空虚な墓の「番兵たち」が復活の出来事の重要な証言者とされる。その上で、非常に興味深い変更を加える。マルコ福音書では、空虚な墓を見て「震え上がり、正気を失っていた」のは婦人たちであり、そのために彼女たちは弟子たちへの非常に重要な伝言をしなかったという。ところがマタイ福音書では「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」(28:4)のは番兵たちであり、彼女たちは非常に冷静で、「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」(28:8)とされる。これはかなり重要な変更である。

4. 番兵を置くこと
さてイエスの十字架処刑の明くる日、祭司長たちがピラトの邸を訪れ、墓に見張りを置くことを頼みに行く。その時ピラトはユダヤ人たちに「あなたたちには番兵がいるはずだ」という。おそらくこの「番兵」というのはローマの「(総督の)兵士」(27:27)ではなく、ユダヤ人社会に属する「番兵」であろう。従って彼らは墓に異変があったときピラトにではなく祭司長たちのもとに報告している(28:11)。
処刑の明くる日とは要するに現代風にいえば土曜日のことで「安息日」に当たる。安息日に祭司長やファリサイ派の人々が異邦人の邸に出入りするのは不自然なので(ヨハネ18:28)、マタイはわざわざ「準備の日の翌日」(62節)という奇妙な表現をとっている。しかしイエスの復活が「三日後」という伝承に従うと、この出来事をこの日に定めないと物語が成り立たないので、やむを得ずこういう表現になったのであろう。
マタイにとってイエスの復活という出来事は「教会内部の信仰的事件」に限定したくない。これはもちろんマタイだけの問題意識ではなく、教会成立の初期の頃のすべての信徒の思いであったのだろう。その思いはペンテコステの日のペトロの説教に読み取れる。「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」(使徒言行録2:23-24)。
しかし、このことについて客観的に論証することは非常に難しく、ただ、「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(使徒言行録2:32)という言葉を繰り返すだけであった。そこで、教会側から出て来た論証は「空虚な墓」であった。

5. 番兵のこと
さて、ここで重要な役割を果たすことになった番兵たちは、何時イエスの弟子たちが墓を襲撃してくるか分からないので、恐らく一晩中交代して寝ずの番をしていたのだろう。夜も明け始める頃、2人の婦人が墓に近づいてきた。番兵たちは緊張した。彼女たちの後ろから大勢の弟子たちが続いてくるのか。その時である。轟音と共に墓の入り口に置いてあった大きな石が転がった。地震のためなのか、石が転がったので地震のように感じたのかはっきりしない。しかし、ただそれだけのことで番兵たちは腰を抜かし、「死人のようになってしまった」(28:4)。恐らく気絶したのであろう。なんの番兵の役割も果たせなかった。天使が天から降ってきて転がった石の上に座って、彼女たちを眺め、話しかけてきた。「墓の中に入ってあの方のご遺体を捜してご覧。そこには遺体はないから」。そこで一つの疑問。イエスの遺体は石が転がる前、彼女たちが墓に来る前には既にそこになかったのであろうか。それならば石が転がったのは「墓の中は空っぽだ」ということを彼女たちに見せるためだったのか。ともかく夢から覚めたように番兵たちは、大急ぎで祭司長たちのもとに報告に行く。どれだけのことが報告できたか疑問であるが、彼らにとってはともかく彼女たちの口から情報が流れる前に祭司長たちに報告しなければならないと思ったらしい。

6. ユダヤ人社会におけるイエスの評判
ともかく、「神はこのイエスを復活させられた」という使徒たちの宣教は、驚くべき早さでユダヤ人社会に浸透していった。その背景には生前のイエスの幅広い活動も無視できない。イエスを知っていた人々にとっては十字架刑によって処刑されたイエスが復活したということは、十分理解可能なことであり、喜ばしい知らせであったものと思われる。それはユダヤ人社会の指導層の連中には脅威的なことであったものと思われる。そのことが、27:63,64の言葉に明白に示されている。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります」。一応この言葉は復活の前日という設定にはなっているが、実際にはこの言葉はキリスト教の驚異的な進展ということを背景にした言葉であろう。ここでイエスのことを「惑わすあの者」という言い方をしているが、この表現の中に、イエスについてのユダヤ人社会における一般的な評判というものが反映されている。ここで用いられている「惑わす者(プラノス)」という言葉はかなり強烈な意味であり、使用例を見ると主に宗教的な意味あいが強く、「いかさま宗教家」というようなニュアンスがある。イエスは生前から「いかさま宗教家」であり多くの人々をたぶらかしてきたが、今度は彼の弟子たちが「惑わす者」となっている。イエスの遺体を隠しておいて「主は復活した」などと吹聴し、人々をたぶらかしている。その状況はイエスの生前よりももっと悪くなっている。という理由で祭司長たちがローマの兵士に「多額の金」を与えたということが事実かどうかということは、確かめようがないが、ともかくキリスト教の中心テーマである復活信仰を叩きつぶす情報を流したのだろう。彼らにとってそれは「正義」であった。

7. 真実は一つ
さて確かに埋葬した遺体が消えたという事実を見て、それをどう説明するのか。現代のミステリードラマでは名探偵金田一耕助が登場してすらすらと難問を解決するであろう。どう考えても「復活した」という説明と「弟子たちが盗んだ」という説明とを比べれば、明らかに後者の方が納得がいく。ブッシュ大統領が必死になってイラクにおいて大量破壊兵器を捜したよりも、もっと真剣に祭司長たちはイエスの遺体を捜したことであろう。しかし発見できなかった。金と人とを際限もなく使って大騒ぎすればするほど、キリスト教の立場は有利になっていった。そのうち空虚な墓を見て、あまりの恐ろしさに「死人のようになった」経験をした番兵たちや、あるいは「多額の金」を貰って偽証をした兵士たちから、真実の情報が静かに漏れ出す。それが回り回ってマタイの手に届く。キリスト教側ではこの問題について、あまりまともに取り上げなかったようである。ただマタイだけがこの問題を放置できなかった。要するにマタイはキリスト教側の人間としてはユダヤ教側と非常に近い関係にあったことを意味しているように思われる。

8. イスラエルとユダヤ
マタイ福音書において「ユダヤ人」という言葉は全部で5回用いられているが、ここ以前の個所では外国人がユダヤ人について一般的に用いている言葉として使われているのであるが(2:2、27:11,29,37)、ここではじめてマタイ自身の言葉として「ユダヤ人(定冠詞抜き)」という言葉を特別な意味を込めて用いている。むしろ、ここまでのところでは、マタイは自国民を語るときに「ユダヤ人」という言葉より「イスラエル人」という言葉を好んで用いている。「イスラエル人」とは神に選ばれた民を意味するが、イエスを神の御子と信じないイスラエル人はもはや真の意味での神の民ではなく、「ユダヤ人」である。この場合の「ユダヤ人」とは「イエスの弟子集団」と対立する人々を意味する。この「ユダヤ人の間に広まっている情報」を信じる者は「ユダヤ人」であり、イエスの復活を信じる者が真の意味の「神の民・イスラエル」である。これがマタイ福音書における締めくくりのメッセージである。マタイは人々に「我々の証言を信じるか」、それとも「彼らの説明を信じるのか」と迫る。 (2008.3.16)

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