ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/29

2012-11-30 06:36:07 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日の午前中『海賊とよばれた男』を読了。宗像市赤間宿出身の石油業界の鬼才、出光興産の創業者、出光佐三の波瀾万丈の伝記。蒲池さんから電話。午後から年賀状の作成、外出。自動車の任意保険証が行方不明。夜は「相棒」を見て10時半に就寝。今朝は5時に起床。体調快調。チュン、チュン
posted at 05:20:12

#losungenj 11.29(thu)
あなたは死からわたしの魂を救い、わたしの足を救い、命の光の中に神の御前を歩かせてくださいます。(Ps56:14)
posted at 05:37:36
#losungenj 11.29(thu) 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(1Cor10:13)
posted at 05:37:56
#losungenj 私の黙想:
ユダヤ人は不条理な苦難に襲われると、先祖ダビデの経験を思い起こし、自分の経験と重ね合わせて耐え忍び、学ぶのだと思う。日本人にとってそういう人物は誰であろうかと考える。判官贔屓の義経か、幼少から人質にされた家康か。
今日の詩の中で9節の「あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」は心に残る。
posted at 05:44:21

今日の名言:RT @KarlMarxbot:
愛すべき徳とは?―素朴さ。
<一言>マルクスもこういうことを言ってるんだ。これって「褒め言葉」なのだろうか。皮肉か、批判か。大衆の素朴さが、結局現状を支えている力だというのか。素朴さとは素直さではないのか。さぁみんな、考えてくれ。
posted at 06:15:26

「昨日のツイート 11/28」をブログにアップしました。 http://t.co/x7JiPsNr
posted at 06:52:33

今日のこころ旅も、呉ポートピアから、阿品台、ゼット坂からから眺める景色。広島まで戻り廿日市駅まで輪行、阿品公園へ、「こころ旅の人だ」と子どもたちの声、紅葉の美しい公園だ。なるほどゼット の形をしている。
posted at 08:00:27

<FBより>
読んでみて、考えてみて。
「戦争のつくりかた」をつくったわたし・たちが、大事に思った文章が、こちらです。 終戦直後の昭和21年に書かれたものです。

***************
「戦争責任者の問題」  伊丹万作

戦争のあと、多くの人が「だまされていた」「知らなかった」といいました。
ほんとうにそうだったのでしょうか。
「だまされたかった」「知ろうとしなかった」のではなかったでしょうか。

おかしいと感じる人はいたのに、
流れを止めることができなかったのはなぜでしょう。

伊丹万作が58年前に遺したこの文章は、
いまのわたしたちの状況に警鐘を鳴らしている気がします。

自分自身が将来「だまされていた」といわないために、
わたしたちに出来ることはなんだろうと考えた中で生まれたのが、
「戦争のつくりかた」でした。

宜しければ、ぜひご一読ください。

http://www.ribbon-project.jp/New%20book/itami.html

(一部抜粋)   ・・全文お読みくださいね、ゼヒ。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上ほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

(中略)

また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

(『映画春秋』創刊号 昭和二十一年八月)『伊丹万作全集1』 筑間書房 p.205-214

清水 晴好 今朝のお花と矛盾するようですが・・・WWW  他の方と違った意見を持っている方も発言できる環境を整備する必要があるみたいですね。

文屋 善明 今朝の花の方はアイロニーですよ。特に衆議院解散の際の万歳を念頭にしています。

清水 晴好 そうは思いましたが・・・W

玉城 豊 松山の誇る映画監督伊丹十三のお父さんです。シェアさせてください。

<補遺>
今日は11月の最後の日。明日から師走。12月は2日の日曜日と、25日のクリスマスの2回礼拝奉仕がある。

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