ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/18 美味しんぼ 第604話 福島の真実23

2014-05-20 10:09:01 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。朝、耳鼻科で、いろいろ検査と治療。痛みは治まった。昼食後、約1時間半昼寝。マルコにおける譬話論を読む。やはり田川建三の論述は説得的だ。初期教会におけるマルコの位置づけを考え直す必要があるだろう。夜、泉ピン子の百貨店シリーズを見て11時に就寝。5時半起床。体調快調、チュン、チュン。

清水 晴好さん、野間 悦三さん、くわ なぎささん、他17人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。礼拝、弟の100か日の法事に行きます。今日は神戸祭りです。祝されますように。お祈りします。
posted at 05:26:47

文屋 善明
今日の名言:RT @VEbot1:
あなたがいるだけで世界は意味を持つし、生きている意味があると思わせる人生こそ最高だ。(V.E.フランクル)
<一言>全てが奪われ、残るものは「私の心」だけという極度の苦難の中で得られた人生観。生きているだけで意味がある。

清水 晴好さん、溝田 悟士さん、野間 悦三さん、他20人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:14:00


「今週のローズンゲン 2014/05/11~05/17」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/6d774311b1b347a32a5f8913948c10e…
posted at 06:26:52


「昨日のツイート 05/16 辺見庸「国策を問う ――沖縄と東北の40年」」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/48eec70b44e10571ed6438be526f4be…
posted at 06:57:32

文屋 善明
お目覚めの花。「今日は主日だ」「復活節第5主日」「ドイツのカレンダーでは『歌え』の主日とされている」「歌おう、心の底から、大声で神をほめ讃えよう」。
文屋 善明さんの写真

加藤 治さん、清水 晴好さん、磯村 正夫さん、他30人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
2014日々の聖句 05月18日(日)
わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり、嘆きもあなたには隠されていません。(詩38:10)
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。(ヤコブ5:13)
私の黙想:
手元にある邦語訳ではほとんどが単に「主よ」であるが新共同訳と岩波訳は「わたしの主よ」と訳している。この言葉はいわゆる聖4文字、ヤハウェではなくアドナイであるのでそれと区別して「わたしの主よ」と訳しているのであろう。因みに冒頭の「主よ」はヤハウェである。16節では「主よ(ヤハウェ)、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ(アドナイ)、わたしの神よ、ご自身でわたしに答えてください」と「ヤハウェ」と「アドナイ」とが並べて用いられている。22節、23節でも同じ。神に対して「わたしのアドナイ」と呼びかけるときには特別な親しみ(近親感)が込められている。この詩においては「わたし」あるいは「わたしの」という言葉が目立つ。この詩人にとって神は「ヤハウェ」であり同時に「アドナイ」である。この言葉の使い分けが見事な詩である。ここに、この詩人の信仰の真髄が表現されている。今日は主日、教会に集って信仰の友と共にヤハウェをほめ歌い、それぞれ心の奥において「わたしの主よ(アドナイ)」と唱えたい。

清水 晴好さん、野間 悦三さん、くわ なぎささん、他20人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。気持ちのよい5月の朝ですね。

文屋 善明 お早うございます。宗像でも美しい朝です。

門叶 国泰 今朝も、またまた! 既に、聖四文字が「ヤハウエ」ではなく「アドナイ」と呼ばれていた、と考えることはできませんでしょうか?

門叶 国泰 岩波が「わが主よ」と訳しているとは知りませんでした。感謝! となると、また考えさせられます。

文屋 善明
さて、今日の主日は近くの聖ザビエル聖堂のミサに出席してきました。昼食後、暫く昼寝をして、散髪に出かけ、やっとデスクの前に座りました。
文屋 善明さんの写真

安田 正人さん、佐藤 清一さん、加藤 治さん、他31人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
一昨日アマゾンに注文した田中利典先生の『修験道入門』(集英社新書)が届いていました。実は、かなり以前、日本聖公会京都教区の教役者修養会で吉野・金峯山寺でこの先生の修験道についてのお話を伺って以来、修験道という思想に非常に魅力を感じています。とくに、田中先生の説く修験道はわかりやすく、話を伺っているだけで楽しくなります。勿論、わたしは修験者のような激しい修業をするわけでも、また自ら修験者になる気持ちもありませんが、そこには仏教や神道が成立する以前の、いわば自然の中から宗教というものが生まれてくる「原点」ともいうべきものがそこにあるように思います。
写真: 一昨日アマゾンに注文した田中利典先生の『修験道入門』(集英社新書)が届いていました。実は、かなり以前、日本聖公会京都教区の教役者修養会で吉野・金峯山寺でこの先生の修験道についてのお話を伺って以来、修験道という思想に非常に魅力を感じています。とくに、田中先生の説く修験道はわかりやすく、話を伺っているだけで楽しくなります。勿論、わたしは修験者のような激しい修業をするわけでも、また自ら修験者になる気持ちもありませんが、そこには仏教や神道が成立する以前の、いわば自然の中から宗教というものが生まれてくる「原点」ともいうべきものがそこにあるように思います。

高橋 昌博さん、藤井 衞さん、林 巌雄さん、他28人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 以前に「変貌山での出来事」と関連して、わたしは修験道についてこんなことを書いている。
<驚くべき経験、恐らく宗教経験をしたペトロはうろたえて、というよりもその経験に感激して、ここに仮小屋(記念碑)を三つ建てたい、と申し出る。これは「神顕現(権現)」を経験した人なら誰でも考えそうなことである。つまり、この驚くべき経験を永久に残したいという思いは特別ではない。この建物とは、自らの宗教体験を記念し、固定化し、永続化するための建物である。「聖堂」と言ってもよい。マルコは「分からない人間」が願い、しようとすることとして「聖堂建築」をあげているのは興味深い。
吉野の大峰山に金峰山寺に蔵王堂という立派なお寺がある。修験道の大本山である。ここは役行者(小角「おづぬ」と読む)が山に籠もり厳しい修行の末、金剛蔵王の出現(権現)という神秘的な体験をし、超能力を得たといわれる場所である。この蔵王堂はいわばその神秘的体験のモニュメントであり、その体験の中で桜の木が重要な役割をしたということから、吉野山では桜の木が神木として重宝にされる、という。こういう伝説は宗教では特別なことではない。従って、もしここでのペトロの提案が実現してたとしたら、ペトロ教という一つの宗教が生まれたかも知れない。>(2006年2月20日の大斎節前主日講釈「変容」より)
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/2312ad16179f5ad2f7412ab7ad066601

<講釈>変容 - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>
blog.goo.ne.jp
2006年 大斎節前主日 (2006.2.26) <講釈>変容   マルコ9:2-9 1. 変容の出来事の意味 まず始めに、簡単にあらすじを確認しておく。前の出来事の 六日の後、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れて、高い山に登られた。彼ら3人より少し前を歩...

小栗 龍男 この時の心境はよく理解できます。イラクの砂漠の中で体験強い臨在体験後、翌日又その場に行き 記念の石を拾い集めて祈り感謝しながら積み上げました。

田中 利典 文屋先生、あの日本聖公会の研修においでになっていたのですか?もう随分前のことで恥ずかしい限りです(^-^;お買い上げ恐れ入ります。

文屋 善明 先生のご著書は3冊目です。

田中 利典 文屋先生、恐縮です。

文屋 善明さんが中西 和久さんのリンクをシェアしました。
無断転載です。自己責任によって読んでください。読んだ上、シェアすると罪に問われるかもしれません。覚悟してください。

美味しんぼ 第604話 福島の真実23 無断転載します | 南国食堂 地球屋

http://sasebchikyuya.jugem.jp/?eid=2848

矢野 寛子さん、くわ なぎささん、玉城 豊さん、他22人が「いいね!」と言っています。

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