ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

12月15日(土)のFB

2018-12-16 17:15:31 | ツイッター
12月15日(土)、今日は昨晩ほとんど睡れず、1日中起き上がれず、やっと点滴を朝夕2回受けました。夕の点滴では主治医だったので気分をいろいろ説明しましたら、よく考えて処方をしてくれました。お陰様で夜7時には熟睡に入り、夜中に1度起きましたが眠剤を1服飲むと再び熟すい、朝の6時まで睡れました。
コメント2件
24永島大資さん、Noriko Tama Corlさん、他22人

コメント
村田 多鶴子 熟睡出来てよかったです~♪(^^♪

文屋 善明 ハイ、睡れることは恵です。

Noriko Tama Corl よく眠ることができてよかったですね!!!!よかった、よかった!!!

文屋 善明
2018 日々の聖句 12月15日㈯
わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。(詩55:17)
あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。【ヨハネ16:23)
私の黙想:
昨日、届いた聖書協会共同訳では、「私は神に呼びかける。主は私を救ってくださる」。ついでに口語訳では、「しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます」。まず表面的な特徴は「わたし」が「私」に変わっていること。ついでのついでに文語訳では、「されど我はただ神を呼ばん、エホバ我を救ひ給ふべし」。
ここでは、どれが良いのか、どうかは論じない。ただ、冒頭に「しかし」という接続詞があるかどうかは、見逃せない。
類似の表現を拾うと「主を呼ぶ」「御名を呼ぶ」これらは、すべて神に祈ることを意味している。「主よ」と呼びかけたら、必ず主は助けてくださる。
私が神学生の頃、これを口癖のようになって、ただ「主よ、主よ」を機関銃のように繰り替えす人もいた。まるで機関車が走っているようで、共同の祈り会などで人が祈っている側でこれをやられるとたまったものではない。
「主よ」あるいは「神よ」は一口だけで十分である。
14永島大資さん、Noriko Tama Corlさん、他12人

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