お早うございます。主の平和。結局昨日は朝食後、パジャマに着替えてほとんど一日中過ごした。カガミ『キリスト教史』を読む。ネットで遊ぶ。夕食後、「ぶっちゃげ寺、Qさま」を見て10時に就寝。5時半に起床。体温:36.3、血圧(153:79、83)、体調・快調、チュン、チュン。
26 Luke Etsuzou Nomahさん、藤木 冨士子さん、他24人
コメント
久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。
東山 富昭 おはよう😃ございます。今日は、雨☂️模様ですが、午前中に、外での用事をすませます。よろしく、お願いします。
萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。
村田 多鶴子 おはようございます~♪少し高めの血圧…、どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m
藤木 冨士子 おはようございます。
文屋 善明
2月14日 6:06 ·
お目覚めの花。「日曜日、教会の玄関を入ると、目の前にシクラメンの花が置かれていました。これを見てあまりの美しさに写真を1枚、2枚」「シクラメンの原産地はイエスが産まれた中近東と聞く。そう思うと急に親しくなった感じがします」「シクラメン、イエスと同じ原産地」。(写真は縮れた濃い紫色の変わりシクラメン)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外
34 小貫 ツマさん、細谷 民子さん、他32人
文屋 善明
2月14日 6:38 ·
2017 日々の聖句 2月14日(火)
あなたのみが主。天とその高き極みを、そのすべての軍勢を、地とその上にあるすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを、あなたは創造された。(ネヘミヤ9:6)
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。(ロマ11:36)
私の黙想:ユダヤ歴
仮庵祭がユダヤ暦7月(ティシュリ)の15日から1週間22日までもたれ、ある意味喜びの祭りの後一日間をおいて、全国民あげて断食し懺悔の祈りがなされる。ある意味、それがユダヤ教の核心的祭りである。今日の聖句はその式文の最初の冒頭部分でヤハウェとはどういう方なのかと言うことが宣言される。それに続いて延々とアブラハムの選び以来の歴史が読まれる。それが毎年繰り返される。自分たちの民族の歴史を振り返るとはこういうことである。その中心部分は18~19節の「彼らが牛の像を鋳て造り、エジプトから救ってくれた神だと称し、背信の大罪を犯したときも、まことに憐れみ深いあなたは、彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった」である。民衆の前で自分たちの歴史の誤りを赤裸々に告白し、にもかかわらず「荒れ野に見捨てられなかった」。見捨てられて当然であるが見捨てられなかった。6節の堂々たる神賛美と18~19節の懺悔との対比が重要である。
実は8章の仮庵祭はその荒れ野での経験を追体験する祭りである。だから、「荒れ野で見捨てられなかった」という言葉には迫力がある。
27 藤木 冨士子さん、森田 美芽さん、他25人
文屋 善明
2月14日 6:52 ·
今日の名言:@wisesaw
人生は一箱のマッチに似ている。(芥川龍之介)
<一言>こう言われても、今の若者には通じないかもしれない。「一箱のマッチ」、そこには爆弾が仕掛けられている。取り扱いを間違えると、大火の原因ともなるマッチ棒である。昔は、一日はマッチ棒をすることから始まったものである。ガスが家庭に入る前は、先ずマッチを擦って、竈に火を付けて一日が始まる。マッチがなければ大変なことになる。だから、どこに家庭にもマッチはあった。煙草をたしなむものはポケットの中にマッチをもって歩いたものである。やがて手軽なライターなるものが発明されたが、それでもそれは高価で普通はマッチを擦って煙草に火着けて吸ったものである。その頃のお互いのかけ声は「マッチ一本火事の元」誰でも一度や2度は口にしたものである。芥川はマッチの恐ろしさを知っている文学者である。人生とは一箱のマッチに似ている。そこにただ置いているときは誰も気付かないほど平凡である。しかし、なくてはならないものである。しかし、取り扱いを間違うと爆発し、大火の元になる。人生とはそういうものだという。芥川は一本のマッチ棒によって人生を燃やし尽くしてしまったのかもしれない。
29 Luke Etsuzou Nomahさん、福澤浩子さん、他27人
コメント
水草 修治 冬の夜やマッチ一本火事の元
村田 多鶴子 子供会の仲間たちと、それぞれに拍子木を持って、「マッチ一本火事下の元、火の用心~♪、~♪」と夜回りをしたのを思い出します。
辻本 昌弘 自死を決意した芥川龍之介は、枕頭で「聖書」を読んでいました。聖書のどの箇所を読んでいたのかは、憶測の域を出ません。しかし、その「聖書」を取り上げて、引き続き読み続けたのが「太宰治」である、と言われています。「聖書一巻によりて、日本の文学史は、かつてなきほどの鮮明さをもって、二分されている」というのが、太宰治の言葉です。、
文屋 善明 私の見立てでは、洗礼を受けなかった文学者のうち芥川が最もイエスに肉薄していたと思う。太宰も聖書をよく読んでいたように思うが、読む方向が間違ってたように思う。彼は律法として読んでいたと、佐古純一郎は言う。
辻本 昌弘 愛の共同体である、教会での交わりが無かった、と指摘する学者もいます。ちなみに、太宰は内村鑑三の弟子である塚本虎二が発行していた「聖書知識」の定期購読者でした。「教会の雰囲気は嫌いです」との言葉が作品の中にもあります。
Mizota Michael Satoshi 芥川は『続西方の人』が絶筆ですから、たぶん福音書です。
辻本 昌弘 そのように考えている研究者の論文はよく見かけました。
辻本 昌弘 ドナルド・キーン氏に至っては、芥川も太宰も、自己の文学的世界を装飾するために聖書の言葉を引用したとのことです。これは、私自身の考えでは、あながち間違ってはいないと思っています。信仰の世界は「南無キリスト」すべてを捨てて、キリストに従う「絶対帰依」がもとめられるではないでしょうか?芥川も太宰も、大切だったのは、自己の文学的世界であって、それを捨ててまで信仰の世界に入ろうとしたとは思えないのです。彼らはともに自死でした。
播 稔 マッチ1本家事のもと。確かに最近きかないなー。
文屋 善明
2月14日 6:55 ·
イミタチオ・クリスチ(397)
たといイエスが慰めをお与えにならないとしても、私たちは常にイエスをあがめ、イエスに感謝する。もう、すでに決定的な恵みを頂いているのだから。2:11:11
24 藤木 冨士子さん、川染 三郎さん、他22人
文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
2月14日 7:04 ·
5年前のローズンゲン。あの頃の方が鋭かったかな。
5年前
この日の思い出を見る
文屋 善明
2012年2月14日 ·
losungenj 2012.02.14(tue)
主はモーセに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」(Deu4:10)
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。(2Tim2:15)
私の黙想:
今日の聖句は説教の本質を示している。説教の中心メッセージは「神の畏れを語ること」。神の声を聞くということ、それ自体が神の畏敬の経験である。「神はあなたを(私を)ご存知である」ということの驚異と畏敬。神から「園の木の間に」(創2:8)身を隠す私。
13 藤木 冨士子さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他11人
コメント
Mizota Michael Satoshi 時間がたてば丸くなるもんです。
文屋 善明
2月14日 8:13 ·
バレンタインココアどこかとカカオ聞き 善明
(写真は、頂いた各種チョコレート類)
自動代替テキストはありません。
36 藤木 冨士子さん、山本 友美さん、他34人
コメント
櫻井啓子 よ!モテ男!!!
井形裕子 · 共通の友達: 岡 輝美さん、他1人
私も同じもの買いました。おいしいのかなあ
加藤 佑三 ウワ-、沢山あって、良いなあ!!。人徳のある人は違う、羨ましい。
文屋 善明
2月14日 11:04 ·
「昨日のFB 02/11」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
13 細谷 民子さん、藤木 冨士子さん、他11人
文屋 善明
2月14日 11:31 ·
「昨日のFB 02/12」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
11 藤木 冨士子さん、川染 三郎さん、他9人
文屋 善明
2月14日 15:19 ·
古い友人から、チョコレートと共に、次のような新聞切り抜きが贈られてきました。とても貴重な記録なので、ご本人の了解を得て、ここに公開いたします。この記事は読売新聞(2016年12月1日付け)の記事のようです。
銚子市西小川町の日本キリスト教団銚子教会(米澤講治牧師)には、「幻」や「不朽」と名高い国産初のリードオルガン「西川オルガン」が、時代を越えた今も礼拝堂に豊かな音色を響かせている。
「足踏みオルガン」や「風琴」の名でも知られるリードオルガンは、19世紀にフランスで実用化、日本には明治時代に伝わった。...
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画像に含まれている可能性があるもの:テキスト
43 芳賀 道子さん、早乙女 実さん、他41人
コメント
萩原 友子 私の母教会にも西川オルガンあります。パイプも入れましたが、昔ながらのオルガンの音色はとても良いものでした。
Izumi Nara まあ、すてきですね。私のリードの西川は大正8年製です。100歳まであと少しですね。
川田信子 明治生まれの父は、私が小さい時🏡で、ストッパーのいっぱい付いた、リードオルガンを引いて、賛美してました。
文屋 善明
2月14日 16:25 · 福岡県 宗像市 ·
オルガンは百年経ると名器なり 仙明
34 楠 真理子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他32人
コメント
Izumi Nara 手入れが大変です。そして、確かな方にしていただかないと
久保和男 明治42年物、西川オルガン調律していただき、教会に寄贈していただきました。
文屋 善明
2月14日 16:26 ·
年月が駄目にするもの磨くもの 仙明
25 楠 真理子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他23人
コメント
藤木 冨士子 磨くのは人格と言いたいですね。ほんまかいなといわれてもしようがないけど。お肌とかはダメになるとしか言えません(涙)
播 稔 人格なれば光ける。
文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
2月14日 18:50 ·
こういうのは80歳の男としては自慢した方がいいのかな。甘いものだけではいけませんということで、辛いものとセットで、頂きました。もう後、数年しか自慢できる機会もありませんので・・・・ははは、まだまだ元気です。
自動代替テキストはありません。
74 北村 良輔さん、福澤浩子さん、他72人
コメント
辻本 昌弘 何とかは世に憚る、それでいきましょう。先生は、直言居士という印象が今も残っています。
大脇 友弘 大漁ですね🤗
播 稔 まだお元気に生きておられますが。
26 Luke Etsuzou Nomahさん、藤木 冨士子さん、他24人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。
東山 富昭 おはよう😃ございます。今日は、雨☂️模様ですが、午前中に、外での用事をすませます。よろしく、お願いします。
萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。
村田 多鶴子 おはようございます~♪少し高めの血圧…、どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m
藤木 冨士子 おはようございます。
文屋 善明
2月14日 6:06 ·
お目覚めの花。「日曜日、教会の玄関を入ると、目の前にシクラメンの花が置かれていました。これを見てあまりの美しさに写真を1枚、2枚」「シクラメンの原産地はイエスが産まれた中近東と聞く。そう思うと急に親しくなった感じがします」「シクラメン、イエスと同じ原産地」。(写真は縮れた濃い紫色の変わりシクラメン)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外
34 小貫 ツマさん、細谷 民子さん、他32人
文屋 善明
2月14日 6:38 ·
2017 日々の聖句 2月14日(火)
あなたのみが主。天とその高き極みを、そのすべての軍勢を、地とその上にあるすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを、あなたは創造された。(ネヘミヤ9:6)
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。(ロマ11:36)
私の黙想:ユダヤ歴
仮庵祭がユダヤ暦7月(ティシュリ)の15日から1週間22日までもたれ、ある意味喜びの祭りの後一日間をおいて、全国民あげて断食し懺悔の祈りがなされる。ある意味、それがユダヤ教の核心的祭りである。今日の聖句はその式文の最初の冒頭部分でヤハウェとはどういう方なのかと言うことが宣言される。それに続いて延々とアブラハムの選び以来の歴史が読まれる。それが毎年繰り返される。自分たちの民族の歴史を振り返るとはこういうことである。その中心部分は18~19節の「彼らが牛の像を鋳て造り、エジプトから救ってくれた神だと称し、背信の大罪を犯したときも、まことに憐れみ深いあなたは、彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった」である。民衆の前で自分たちの歴史の誤りを赤裸々に告白し、にもかかわらず「荒れ野に見捨てられなかった」。見捨てられて当然であるが見捨てられなかった。6節の堂々たる神賛美と18~19節の懺悔との対比が重要である。
実は8章の仮庵祭はその荒れ野での経験を追体験する祭りである。だから、「荒れ野で見捨てられなかった」という言葉には迫力がある。
27 藤木 冨士子さん、森田 美芽さん、他25人
文屋 善明
2月14日 6:52 ·
今日の名言:@wisesaw
人生は一箱のマッチに似ている。(芥川龍之介)
<一言>こう言われても、今の若者には通じないかもしれない。「一箱のマッチ」、そこには爆弾が仕掛けられている。取り扱いを間違えると、大火の原因ともなるマッチ棒である。昔は、一日はマッチ棒をすることから始まったものである。ガスが家庭に入る前は、先ずマッチを擦って、竈に火を付けて一日が始まる。マッチがなければ大変なことになる。だから、どこに家庭にもマッチはあった。煙草をたしなむものはポケットの中にマッチをもって歩いたものである。やがて手軽なライターなるものが発明されたが、それでもそれは高価で普通はマッチを擦って煙草に火着けて吸ったものである。その頃のお互いのかけ声は「マッチ一本火事の元」誰でも一度や2度は口にしたものである。芥川はマッチの恐ろしさを知っている文学者である。人生とは一箱のマッチに似ている。そこにただ置いているときは誰も気付かないほど平凡である。しかし、なくてはならないものである。しかし、取り扱いを間違うと爆発し、大火の元になる。人生とはそういうものだという。芥川は一本のマッチ棒によって人生を燃やし尽くしてしまったのかもしれない。
29 Luke Etsuzou Nomahさん、福澤浩子さん、他27人
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水草 修治 冬の夜やマッチ一本火事の元
村田 多鶴子 子供会の仲間たちと、それぞれに拍子木を持って、「マッチ一本火事下の元、火の用心~♪、~♪」と夜回りをしたのを思い出します。
辻本 昌弘 自死を決意した芥川龍之介は、枕頭で「聖書」を読んでいました。聖書のどの箇所を読んでいたのかは、憶測の域を出ません。しかし、その「聖書」を取り上げて、引き続き読み続けたのが「太宰治」である、と言われています。「聖書一巻によりて、日本の文学史は、かつてなきほどの鮮明さをもって、二分されている」というのが、太宰治の言葉です。、
文屋 善明 私の見立てでは、洗礼を受けなかった文学者のうち芥川が最もイエスに肉薄していたと思う。太宰も聖書をよく読んでいたように思うが、読む方向が間違ってたように思う。彼は律法として読んでいたと、佐古純一郎は言う。
辻本 昌弘 愛の共同体である、教会での交わりが無かった、と指摘する学者もいます。ちなみに、太宰は内村鑑三の弟子である塚本虎二が発行していた「聖書知識」の定期購読者でした。「教会の雰囲気は嫌いです」との言葉が作品の中にもあります。
Mizota Michael Satoshi 芥川は『続西方の人』が絶筆ですから、たぶん福音書です。
辻本 昌弘 そのように考えている研究者の論文はよく見かけました。
辻本 昌弘 ドナルド・キーン氏に至っては、芥川も太宰も、自己の文学的世界を装飾するために聖書の言葉を引用したとのことです。これは、私自身の考えでは、あながち間違ってはいないと思っています。信仰の世界は「南無キリスト」すべてを捨てて、キリストに従う「絶対帰依」がもとめられるではないでしょうか?芥川も太宰も、大切だったのは、自己の文学的世界であって、それを捨ててまで信仰の世界に入ろうとしたとは思えないのです。彼らはともに自死でした。
播 稔 マッチ1本家事のもと。確かに最近きかないなー。
文屋 善明
2月14日 6:55 ·
イミタチオ・クリスチ(397)
たといイエスが慰めをお与えにならないとしても、私たちは常にイエスをあがめ、イエスに感謝する。もう、すでに決定的な恵みを頂いているのだから。2:11:11
24 藤木 冨士子さん、川染 三郎さん、他22人
文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
2月14日 7:04 ·
5年前のローズンゲン。あの頃の方が鋭かったかな。
5年前
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文屋 善明
2012年2月14日 ·
losungenj 2012.02.14(tue)
主はモーセに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」(Deu4:10)
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。(2Tim2:15)
私の黙想:
今日の聖句は説教の本質を示している。説教の中心メッセージは「神の畏れを語ること」。神の声を聞くということ、それ自体が神の畏敬の経験である。「神はあなたを(私を)ご存知である」ということの驚異と畏敬。神から「園の木の間に」(創2:8)身を隠す私。
13 藤木 冨士子さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他11人
コメント
Mizota Michael Satoshi 時間がたてば丸くなるもんです。
文屋 善明
2月14日 8:13 ·
バレンタインココアどこかとカカオ聞き 善明
(写真は、頂いた各種チョコレート類)
自動代替テキストはありません。
36 藤木 冨士子さん、山本 友美さん、他34人
コメント
櫻井啓子 よ!モテ男!!!
井形裕子 · 共通の友達: 岡 輝美さん、他1人
私も同じもの買いました。おいしいのかなあ
加藤 佑三 ウワ-、沢山あって、良いなあ!!。人徳のある人は違う、羨ましい。
文屋 善明
2月14日 11:04 ·
「昨日のFB 02/11」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
13 細谷 民子さん、藤木 冨士子さん、他11人
文屋 善明
2月14日 11:31 ·
「昨日のFB 02/12」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
11 藤木 冨士子さん、川染 三郎さん、他9人
文屋 善明
2月14日 15:19 ·
古い友人から、チョコレートと共に、次のような新聞切り抜きが贈られてきました。とても貴重な記録なので、ご本人の了解を得て、ここに公開いたします。この記事は読売新聞(2016年12月1日付け)の記事のようです。
銚子市西小川町の日本キリスト教団銚子教会(米澤講治牧師)には、「幻」や「不朽」と名高い国産初のリードオルガン「西川オルガン」が、時代を越えた今も礼拝堂に豊かな音色を響かせている。
「足踏みオルガン」や「風琴」の名でも知られるリードオルガンは、19世紀にフランスで実用化、日本には明治時代に伝わった。...
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43 芳賀 道子さん、早乙女 実さん、他41人
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萩原 友子 私の母教会にも西川オルガンあります。パイプも入れましたが、昔ながらのオルガンの音色はとても良いものでした。
Izumi Nara まあ、すてきですね。私のリードの西川は大正8年製です。100歳まであと少しですね。
川田信子 明治生まれの父は、私が小さい時🏡で、ストッパーのいっぱい付いた、リードオルガンを引いて、賛美してました。
文屋 善明
2月14日 16:25 · 福岡県 宗像市 ·
オルガンは百年経ると名器なり 仙明
34 楠 真理子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他32人
コメント
Izumi Nara 手入れが大変です。そして、確かな方にしていただかないと
久保和男 明治42年物、西川オルガン調律していただき、教会に寄贈していただきました。
文屋 善明
2月14日 16:26 ·
年月が駄目にするもの磨くもの 仙明
25 楠 真理子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他23人
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藤木 冨士子 磨くのは人格と言いたいですね。ほんまかいなといわれてもしようがないけど。お肌とかはダメになるとしか言えません(涙)
播 稔 人格なれば光ける。
文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
2月14日 18:50 ·
こういうのは80歳の男としては自慢した方がいいのかな。甘いものだけではいけませんということで、辛いものとセットで、頂きました。もう後、数年しか自慢できる機会もありませんので・・・・ははは、まだまだ元気です。
自動代替テキストはありません。
74 北村 良輔さん、福澤浩子さん、他72人
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辻本 昌弘 何とかは世に憚る、それでいきましょう。先生は、直言居士という印象が今も残っています。
大脇 友弘 大漁ですね🤗
播 稔 まだお元気に生きておられますが。