ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 06/27

2016-06-29 06:43:36 | ツイッター
お早うございます。主の平和。八幡聖オーガスチン教会の礼拝に賛歌。帰宅後、昼寝1時間。ルカ10:1~20を読む。夜、「モンタージュ」(後半)を見る。軍艦島のシルエットが美しい。11時半に就寝、起床5時半。血圧(146,80:70)・体調・快調。チュン、チュン。

23Izumi Naraさん、佐々木 弘幸さん、他21人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはようございます。今週も、よろしく、お願いします。


文屋 善明
6月27日 6:09 ·
お目覚めの花。「新しい週が始まります」「今週はどんな週になるのだろう」「今朝は雨の予想が大外れ。太陽が眩しい」。
文屋 善明さんの写真

37増野 真美さん、福永 澄さん、他35人


文屋 善明
6月27日 6:39 ·
2016 日々の聖句 06月27日(月)
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。(ps.31:24)
「神は唯一である。ほかに神はない」とおっしゃったのは、本当です。そして、「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。(mk.12:32~33)
私の黙想:
「主の慈しみに生きる人」とは、どういう人であろう。例えば「主」を「親」に置き換えると「親の慈しみに生きる」とは、どういうことであろうか。その場合の「慈しみ」とは単純化したら「愛」ということになるだろう。親が子供を愛し、子供が親を愛する。何か「当然すぎる」感じがする。
口語訳によると、「すべての聖徒よ」と訳されている。かなり違うように思う。フランシスコ会訳では「すべて忠実な者よ」、新改訳は「すべて、主の聖徒たちよ」。岩波訳では順序を変えて「ヤハウェを愛せよ、すべて彼に忠実な者たち」。順序を変えただけでかなりニュアンスは変わる。ここでの神と人間との関係を具体的に述べているのが、それに続く言葉である。新共同訳では「主は信仰ある人を守り傲慢な者には厳しく報いられる」。口語訳は面白い。「主は真実な者を守られるが、おごりふるまう者にはしたたかに報いられる」。ここで一寸、面白いことをいうと、この「真実な者」とはヘブライ語では「アーメンな者」で、神さまは「アーメン(な者)」を守られる。日本ではキリスト者のことを「あいつアーメンだ」という言われ方をする。その時、この聖句を思い起こしたら良い。

17福永 澄さん、佐々木 弘幸さん、他15人
コメント

門叶 国泰 「ハシード」は詩30:4、86:2にも使われていますが、新共同訳は全て「主の慈しみに生きる」と訳しています。新改訳は、30:4は「聖徒」、86:2は「恐れる者」口語訳は30:4は「聖徒」、86:2は「敬う者」。訳者はそれぞれに苦心していますね。


文屋 善明
6月27日 6:47 ·
今日の名言:@kibaqowepob
人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。(アインシュタイン)
<一言>「普通であること」、それでいいじゃないか。急行や、特急や、超特急でなくてもいいじゃないか。各駅停車でゆっくりすごうそうよ。そうしたら、今まで見えなかったものが見えてくるだろう。

25Hajime Kawamukaiさん、川染 三郎さん、他23人
コメント

播 稔 常識が変わっているのでしょうね。

糸原 由美子 特急とかと比べての普通じゃなくて、ノーマルという意味ではないのですか?そういう意味では、私は普通じゃない方がいいです。

文屋 善明 成る程、そうかもしれない。ノーマルであることに「こだわらない」。特別でもいいじゃないか。その方が良いですね。

文屋 善明
6月27日 7:59 ·
NHKこころ旅。今週は秋田県。湯沢商工高校、雨の中を走る正平さん。横手公園、横手城。父に、「ありがとう」と言えなかった思いで。

12福永 澄さん、望月 克仁さん、他10人

文屋 善明
6月27日 8:59 ·
イミタチオ・クリスチ(168):
私たちの罪悪が浄められるのを来世に期侍するよりも、今のうちに罪を断ち切り、悪に打ち勝つ方がまさっている。実際、私たちは肉に対する不当な愛のゆえに、私たち自身を欺いている。24:6~7

17福永 澄さん、Izumi Naraさん、他15人

文屋 善明
6月27日 8:56 ·
「昨日のFB 06/25」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

5Izumi Naraさん、植村 光郎さん、他3人

文屋 善明
6月27日 8:37 ·
今日の「折々のことば」。「がんばる」と「がんばらない」。人間の生き方として面白い対比である。これについて宗教学者・ひろ さちや氏が面白いことを言っている。
「頑張るということは、実は自己中心的になるということです。「頑張る」という言葉の語源は、「我を張る」です。自分を押し通す、それが頑張るということです。競争し、自分の利益を優先させることが頑張ることなのです。
私が子どもの頃は「あの人、頑張ってはるなぁ」というのは、軽蔑の意味を込めて言われたものです。「もっとおとなしく温和になればいいのに」という意味でした。それがいつの間にか「頑張る」が美辞になってしまいました。おかしいですね」(「週間東洋経済」http://toyokeizai.net/articles/-/5583)。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1054363311307796&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

38増野 真美さん、福永 澄さん、他36人
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コメント

Mitsuaki Noma 今、沖縄にいる自分にとって、心に沁みる言葉です。
なんくるないさ〜(^^)/”

川染 三郎 病気の方を見舞う時、言ってはならないのは「頑張って」です。

播 稔 NOMA様:どうしようもないこともありますからねー。

草薙 恵美子 · 共通の友達: 門叶 国泰さん、他6人
不登校の状態にある生徒に対しても、使ってはならない言葉です。

文屋 善明
6月27日 18:42 ·
@niftyニュース
·
大学、それだけではなく日本の教育について、考え直さなければならないのでしょうか。

大学の小学校化が深刻…授業でbe動詞や単純な割り算、大学も定員割れ激増で必死:@niftyニュース
近年、大学教育現場では小中学校レベルの勉強内容の復習が平然と行われているということが問題視されている。 たとえば昨年2月、関東にある大学に対し、文部科学省…
NEWS.NIFTY.COM

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/bizjournal-24296/1.htm

34播 稔さん、福永 澄さん、他32人

服部 弘一郎 中等教育を充実させないと日本は滅びると思います。

文屋 善明 そうですね、要は中高ですね。そこが崩れている。

服部 弘一郎 中学も高校も、一定の学力水準に達しない生徒はどんどん留年させるべきなんです。あるいはフランスのバカロレアのように、高等学校卒業程度認定試験の合格者以外には大学受験資格を与えないようにしてもいい。

大学生の数を水増ししても、日本の教育水準が上がったことにはなりません。

加藤 佑三 どんなに立派な教育システムを作っても(いや作れる人もいなくなっているが)、祖父母や両親や先生方のレベルが低下しているのでは。自然の流れには逆らえず、記憶力・観察力・洞察力等が必要では無くても、普通に生活出来る時代なんですから。

門叶 国泰 1年ほど前に、一念発起して高校数学を復習したことがあります。この問題は対象・程度の差はあるものの解が難しい課題ですね。私が今頃になってドイツ語を始めたのも、大学の教室に置き忘れてきた教科書を取りに戻りたい、との思いです。何でもかんでもスマホで解を見つけて会話自体を遮る!ことがごく平然と起きている(ようです)。

文屋 善明 「今の若者は」(これは私と門叶さんとの隠語です)、教室に置き忘れてきたことも忘れているでしょうね。それよりも、「棄ててきた」と思っているようです。

門叶 国泰 私自身、sein動詞も微積も分からずにここまで来てしまった。だからどうした?だからどうする? 程度・対象はそれぞれとして、全部自分の問題ですね。

磯道義典 六十年前、米人の子弟の家庭教師をやっていた友達もそんなこと言っていた。大学に行く必要ない人たちだ。芸術やるとか別の道に進むべきだ。

播 稔 創造力を鍛える教育を強化したら。

松沢 直樹 大学生の10人に3人は分数の足し算ができません。
昨年、慶應大学で講義を持ちましたが、難関大学と言われる大学ですら、明らかに学力が低下しているのが目に見えて、驚きました。

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