ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 02/09

2017-02-11 17:01:05 | ツイッター
お早うございます。主の平和。家内は整骨院へ。私は読書。『バカダークファンタジー』、士師記部分が面白い。午後から士師記を読む。俳句の勉強。体調がよろしくないので散歩は休み。家内は真面目に散歩。雨が降ってきた。夕食後、「相棒」、報ステを見て10時半に就寝。6時に起床。体温:36.4、血圧(140:81、75)・体調・快調、チュン、チュン。

37 安井 郁夫さん、佐藤 静代さん、他35人
コメント

村田 多鶴子 おはようございます~♪とても寒い朝です。どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

播 稔 「相棒」2回に分けられると、期待感はあるが スッキリしない。1時間30分ぐらいで何とかならないか。

文屋 善明
2月9日 6:14 ·

お目覚めの花。「梅の魅力は枝振りにある。だから梅はやはり盆栽に限る」「その点、桜は圧倒的な花の咲き方と散り方にある。だから桜は集団がいい」。
画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、花、家、空、草、屋外、自然

31 大野 泰男さん、岡 輝美さん、他29人

文屋 善明
2月9日 6:46 ·

2017 日々の聖句 2月9日(木)
わたしたちの救いの神よ、あなたの恐るべき御業が、わたしたちへのふさわしい答えでありますように。(詩65:6)
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7:8)
私の黙想:
今日の聖句、何かもたもたしている。その原因はいろいろありそうだが、先ず「ふさわしい答え」。人間は神に対して試験官ではない。その「答え」に対して「ふさわしい」とか「ふさわしくない」という立場にはない。日本語での「こたえ」には「答え」と「応え」とがある。ここではアンサーではなくレスポンスである。人間は神のレスポンスを待っている。ここでは「あなたの恐るべき御業」が、私たちの求めに対するレスポンスだという。口語訳は微妙に「恐るべき業により救いをもって答えられる」と訳している。フランシスコ会訳では「あなたは正義によって不思議を行い、私たちに答えられます」。要するに、どの訳も、「義」と「御業」との関係に苦労しているようである。「恐るべき御業」がすべて「正義」とは限らないが、ここではその「恐るべき御業」が神の「正義」を示すものとして私たちの前に現れている、ということがいいたいのであろう。鬼のような形相が神の正義の印として私たちの現状に対する神のレスポンスである。親に睨みつけられている子供のようなものである。そう読むと1節の謎のような言葉も分かるような気がする。「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげる」。神の前に立って何も言えない。何も言えないのに神の前に立つ。立つこと自体が神への信頼になる。

21 安井 郁夫さん、中尾香鶴子さん、他19人
コメント

門叶 国泰 「もたもた」していますね。

齋藤篤 今日の言葉は難しかったです。それでこの時間になってしまいました。

文屋 善明
2月9日 6:55 ·

今日の名言:@F_W_N_jp
汝らは我を崇拝する。だが、汝らの崇拝がいつの日にか覆ったとしたら、どうだろう?倒れかかってくる立像に打ち砕かれないよう、用心せよ!(フリードリヒ・ニーチェ、『ツァラトゥストラ』)
<一言>ニーチェの謎のような言葉。簡単なことだ。キリスト教批判である。人間の信仰なんていつか覆ることがある。それはキリスト教でも他の宗教と同じことだ。覆ったときが問題だ。キリスト教という立像が、倒れてくるとき、その下敷きにならないように気を付けろ。

21 安井 郁夫さん、森田 美芽さん、他19人

文屋 善明
2月9日 6:57 ·

イミタチオ・クリスチ(392)
今やイエスの天国を慕う者は少なくない。しかし彼の十字架を負おうとする者は少ない。彼の慰めを求める者は多い。しかし彼の苦しみを分かち合おうとする者はもっと少ない。2:11:1~2
註:今日から「第11章 イエスと共にいること」。由木訳では「イエスの十字架を愛する者の少ないこと」となっている。

17 安井 郁夫さん、小貫 ツマさん、他15人

文屋 善明
2月9日 8:36 ·

「昨日のFB 02/07」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10 久保和男さん、植村 光郎さん、他8人

文屋 善明
2月9日 9:29 ·

「士師記17章以下の部分について」
カガミキョウスケの『聖書入門』をまだ読んでいる。あまり面白くて前に進むのが惜しいほどで、新共同訳と並べて読んでいる。士師記は特に面白い。これはカガミの『聖書入門』以外では読めないであろう。強烈だ。一度読めばもう離れられなくなる。特にサムソン物語、全く新しい。といっても、新共同訳と同じことを言っているのになぁ。実はそれよりももっと面白いのが士師記17章以下(21章まで)の部分で、私はこんなところ読んだのかなぁと思うほど新鮮な驚き。真面目なクリスチャンが読んだら目を回して卒倒してしまうかもしれない。それで、聖書に本当にそんなことが書いてあるのかと、真面目に真剣に読み直した。おお!そのままじゃないか。ここでは著作権の関係でそれをコピーしないが、そのさわりの部分を新共同訳で引用するとこうなっている。場面は、レビ人とその側女と若者の3人旅人がとある親切な老人の家に招かれたところから始まる。
<<彼らがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸をたたいて、家の主人である老人にこう言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」
家の主人は彼らのところに出て行って言った。「兄弟たちよ、それはいけない。悪いことをしないでください。この人がわたしの家に入った後で、そのような非道なふるまいは許されない。
ここに処女であるわたしの娘と、あの人の側女がいる。この二人を連れ出すから、辱め、思いどおりにするがよい。だがあの人には非道なふるまいをしてはならない。」
しかし、人々は彼に耳を貸そうとしなかった。男が側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出すと、彼らは彼女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく彼女を放した。
朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。
彼女の主人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、
「起きなさい。出かけよう」と言った。しかし、答えはなかった。彼は彼女をろばに乗せ、自分の郷里に向かって旅立った。>>(士師記19:22~28)
全く酷い場面である。要するに老人はレビ人と若者を守るために自分の娘とレビ人の側女とを町のならず者たちに差し出すという場面である。ここをカガミは明瞭に「彼女は一晩中輪姦されて朝方に死亡する」と書く。この部分、逐語霊感説の大御所、米田豊先生は、こう解説する。「本章は実に見るも汚らわしき醜悪の記録である。本章ほどイスラエルに恐るべき罪行我詩を記したところはおそらく他にあるまい。レビ人ともある者が畜妾、その妾の姦淫、ギベア人の淫乱なる有様、・・・・」(『旧約聖書講解』)。さすがに米田先生もあきれたようで、17章以下の部分について、こう述べておられる。「士師記は歴史的にはサムソンの死をもって終わり、残りの5章は本書の時代における国民内部の道徳的状態を記す」と述べておられる。古典的逐語霊感説の先生が「資料批判的な言葉」を発しておられるのはここぐらいである。本音としてはこの部分を聖書から外したいと思っておられたのかもしれない。
物語はこの後さらに驚くべき展開をするが、それは省略する。

42 清水 正彦さん、松井 理直さん、他40人
コメント

播 稔 わたしは この部分は嫌いだ 本当にあったのだろう。現代の戦争でもある。

亀山 宏 pastoralの生活をしているところでは,あるようですね.旧約だけでなく.

文屋 善明 それは「獣姦」でしょう。

亀山 宏 まあそうですね.読むに耐えないとはいえ,文化人類学的?にはどうなんでしょう.何か意味があるのでしょうか.こうした記事を読むたびに聞きたくなります.

文屋 善明 それに対する答えはともかく、聖書の中にこういう記事があるということが問題提起です。あの時代、社会の乱れを述べるのに、これが最も手っ取り早かったのでしょうね。

亀山 宏 直したいことですね.確かに.

文屋 善明 米田先生が削除したい気持ちは十分に理解できますね。しかし、逐語霊感という立場から削除は不能で、やむを得ず論じているのでしょうね。教会の聖書研究会などでは取り上げる必要はありません。レビ記についても書きましたが、読む必要のない聖書もあるということです。

三浦 三千春 人間の罪の本性を知るために読むのでしょう。

文屋 善明 これ、人間の本性ですか。

三浦 三千春 ここから説教する必要はないにしても。

松井 理直 神の言葉を聞く耳を持っているという中で、人間の本性がこのように作られるとは思いませんが、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っている状態では、人はこうなってしまうということはあり得るのかも、とは思います。自分の目には正しい...ここが真に恐ろしいところですね。

文屋 善明 聖書の中には、こういう記事もあるのだ。だから「聖書通読」は無意味であるだけでなく、「毒」を含んでいるのだ。

服部 弘一郎 大好きな箇所です。

文屋 善明 プロですね。私も好きになりそう。

Mizota Michael Satoshi 創世記にも似た交換条件が出て来ます。

服部 弘一郎 僕が聖書の面白さに目覚めたのは、じつはこのエピソードなんです。聖書はご立派な聖人君子や教訓話が書かれているだけでなく、どうしようもなく理不尽な暴力や、箸にも棒にもかからない愚かな人間たちが存在することも書かれています。

サムソンもひどいんですが、彼の場合はまだ教訓話っぽいんですよね。乱暴狼藉の限りを尽くす、ピカレスクの面白さがあります。でもその後に出てくる、祭祀と側女の話は救いがありません。もう無茶苦茶です。...もっと見る

Mizota Michael Satoshi うーん。映画評論の一種ってみたいなんでは理解できるけど、本当にそれだけでいいのかってのは疑問ですけどね。

文屋 善明 正直に言って、この度初めてこのテキストを知りました。

Mizota Michael Satoshi 引用しているあとの箇所はかなり厳しいからカットされたんですか?

文屋 善明 ハイ、そうです。それにありそうもありませんので。

文屋 善明
2月9日 10:45 ·

食うべきか食わざるべきか肉の日だ 善明
・・・・質問:肉の日は季語になるのかならないか。

30 山上 博信さん、嶋津 雅彦さん、他28人
コメント

二上 英朗 受難節はまだですか。

文屋 善明 まだです。大斎始日は今年は3月1日です。

播 稔 2月9日 季語にはならぬと思います。しかし他には2/9を表すことは出来ない。

加藤 治 これ 俳句のつもり?

文屋 善明 そのつもりです。

Mizota Michael Satoshi 聖餐そのものではないかとか。

文屋 善明
2月9日 10:54 ·

唐揚げで有名な中津では、肉の日を覚えて鶏供養をするとか。それなら、この日は一切鶏肉を食べないのが意味があると思うが、逆に特別大セールとか。何かおかしくないだろうか。

41 松下 光雄さん、川染 三郎さん、他39人
コメント

播 稔 名古屋の鰻の名店では、うなぎ の日はおやすみ。

播 稔 名古屋の鰻の有名店では 土用の鰻の日は 閉店しています。

藤木 冨士子 盛大に食べて、盛大に供養?(笑)

文屋 善明 人間本位、いや、金儲け本位の考え方。要するに、宗教を金儲けのために利用している。それでも笑っておれますか?

藤木 冨士子 日本人のほとんどの人には信仰心無いから。

Mizota Michael Satoshi 無宗教かつ無神論ですからどうにもならんです。。。

藤木 冨士子 やっぱり笑ってる場合やないですね。

三浦 三千春 食べて供養

Mizota Michael Satoshi 踏み絵を平気でやる人たちだから、殺生戒なんかどうでもええわけです。

Mizota Michael Satoshi 「食べて供養」ってのはいいんではないかと思いますけどね。でも「供養」って言わんでもええかと。。。

Mizota Michael Satoshi クリスマスの料理の鶏肉にわざわざ「聖なる犠牲」とか付けるようなものだし。。。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
2月9日 13:24 ·

2年前の今日のローズンゲンはヨブ記でした。
2年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2015年2月9日 ·
2015日々の聖句 02月09日(月)
あなた自ら保証人となってください。ほかの誰がわたしの味方をしてくれましょう。(ヨブ17:3)
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。(ロマ8:34)
私の黙想:
私には保証人がいないという状況。なんという悲劇であろう。私の存在そのものを認めるものがいない。私の存在の否定、私は現にここに居るのに、誰もそれを認めない。徹底的な孤独。「利益のために友を裏切れば子孫の目がつぶれる」という格言は「わたしのことだと人は言う」(5~6節)。私の悲劇は私の代で終わらす、子孫にまで及ぶという。
「あなた自ら保証人となってください」という言葉をフランシスコ会訳は「あなたの傍らに、わたしを保証するものを置いてください」、新改訳は「どうか、私を保証するものをあなたのそばに置いてください」と訳している。まあ、どちらに訳してもヨブ自身の苦悩が安らぐわけではないが、ヨブと神との関係が直接的か間接的かの違いはある。もう一つ、「味方をしてくれるもの」について、口語訳では「保証してくれる者」、フランシスコ会訳では「わたしと手を打つ者」、新改訳では「誓ってくれる者」と訳している。ユニークなのは岩波訳で「わたしと手を打つ者」という訳語である。つまり、これらの訳では、ヨブは神と私との間に立って私の立場を弁護してくれる者、仲保者を求めている。私の回りにいるものはすべて私の「敵」であり、私は保証人なしで審判者である神の前に立っている。
この深刻な願いがヨブ記における救いの言葉、ヨブ記における最高、最大のメッセージへと結実する。ここでは私の愛唱する文語訳で引用しておく。「われ知る。我を贖う者は活く。後の日に彼かならず地の上に立たん。我が皮、この身の朽ち果てん後、われ肉を離れて神を見ん」(19:25~26)。なんというすごい言葉であろう。これがヨブ記における「贖う者(仲保者)の思想」であり、新約への道しるべである。

12 安井 郁夫さん、中野 芳夫さん、他10人

文屋 善明
2月9日 13:42 ·

天木直人さんのメールマガジン2017.2.9が面白い。
タイトルは「訪米を出発直前に見送った世耕経産大臣の敵前逃亡 」もうこれだけで、全てが分かるであろう。彼は、安倍首相の懐刀、策士、広報担当者である。
<以下、要点抜粋>
世耕経産大臣には今回の訪米の結果が見えているのであろう。もう、泥船に乗って沈没したくないという露骨な表現であろう。
こうフジテレビの政治記者は解説した。
これほど今度の安倍訪米の核心をついたものはない。
いくら麻生、岸田、世耕大臣が正論を述べて日本の国益を守ろうとしても、肝心の安倍首相がゴルフに誘われてすべての要求を飲まされるのだから、結末は見えている。
菅官房長官がきのうの記者会見で突然言い出した。その言い訳がふるっている。カウンターパートであるロス商務長官の議会承認がまだだからだという。
それは口実だ。ロスが商務省官になるのは間違いない。これは明らかに敵前逃亡だ。そして逃げたのは世耕大臣ではない。世耕大臣の世話をする経産官僚だ。アメリカに随行させられて敵地で無理難題の交渉をさせられてはたまらない。
麻生、岸田外相も逃げたいところだが、逃げられない。なにしろ麻生大臣は、トランプ大統領から、ついて来いと命じられたからだ。
岸田外相と外務官僚は、日米安保を確認しないといけないからだ。

20 東山 富昭さん、播 稔さん、他18人

文屋 善明
2月9日 15:18 ·

保存のために

Mizota Michael Satoshiさんがグループ「典礼学研究プロジェクト/キリスト教社会工学研究機構」でリンクをシェアしました。
2月9日 14:01 ·
遠藤先生は「身の丈に合わせた」というけど、それが「正統的な理解」だと思います。まあ古代も同じだったと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=xA3SQlb9vmI

こころの時代 「母なる神への旅~遠藤周作“沈黙”から50年~」 ※著作権音楽削除済
YOUTUBE.COM

文屋 善明
2月9日 17:41 ·

注文していた本が届きました。『聖書入門』と平行して読む予定。「ヤクザ」って要するにNGOのことでしょう。昔は「法人」っていうのがなかったから、非政府団体ということで宗教団体もヤクザ団体も同じようなもので、むしろヤクザ団体の方が社会的には地位が上だったのかもしれませんね。その意味ではキリスト教のNGOの一種で、仁義なき抗争史ににピッタリだと思いませんか。
自動代替テキストはありません。

40 佐藤 彰子さん、播 稔さん、他38人
コメント

河原 忍 私は同じ著者の「かわいい☆キリスト教のほん」を書いましたが、文体が苦手でした。

橘 智 私の仕事の世界では「893」の方々は「反社会的勢力」と呼称されます。
私が初めてこの言葉を聞いた時「俺のこと?」と思いました。
ときとして、キリスト教会(キリスト教徒)—キリスト教だけではありませんが—は反社会的勢力になりますので、そう思いました。
まさに今話題沸騰中の「沈黙」時代のキリシタンは「反社会的勢力」ですものね。
当時のルター派もまた「反社会的勢力」でしたので、私はまさにその末裔であろうかと。

文屋 善明
2月9日 18:53 ·

今日の「折々のことば」。遅くなりました。大学が大衆化され、高等教育の場になって以来、失われたもの。それは研究の場としての職人的師弟関係。教授と学生との関係はあっても「師」と「弟子」との人格的格闘が無くなった。良いにつけ、悪いにつけ、先ず「師」として尊敬し、その思想と方法論を受け継ぐということが無くなったので、本当の意味での「師を(否定的にせよ、肯定的にせよ)乗り越える」ということが無くなってしまったように思う。私は今でもそこにとどまり、こだわっているのに。そして不思議なことに今、現在恩師が格闘していた状況に類似した時代になっている。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1257578594319599&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

37 清水 行雄さん、佐藤 彰子さん、他35人
コメント

櫻井啓子 ふふふ、お客様は神様な学生様に、大学の先生の授業評価アンケートが行われる時代になってしまいましたからね…。本来は学問のギルドな筈だったのでしょうが。
こうなると、子どもたちを日本の大学にシャカリキになって行かせる気も失せます、はい。

Satoshi Tanaka 他はいざ知らず。学生と日々激論する日々を送る、そのような研究室は、まだまだ、頑張って存在しています。日本の大学も、まだまだ、歯を食いしばって十分踏ん張っていますから。

文屋 善明 それを伺って嬉しいです。

Satoshi Tanaka 何くそ魂です。

文屋 善明
2月9日 22:08 · 福岡県 宗像市 ·

春時雨首脳会談雲の中 善明

22 佐藤 彰子さん、文屋 順さん、他20人
コメント

齋藤篤 俳句でありながら川柳の側面も持った一句ですね!

文屋 善明
2月9日 22:10 · 福岡県 宗像市 ·

春一番大荒れ国会PKO 善明

27 村田 多鶴子さん、木下 海龍さん、他25人
コメント

Mitsuaki Noma こんな答弁しかできない法務大臣で、共謀罪を通そうとしてたんですね。
国会も国民も舐められてますよ…💢

播 稔 法律の基本も判らない法務大臣、こんなことがあるのか!

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