ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 06/05 集団的自衛権行使「違憲」

2015-06-07 06:15:25 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、整形外科。「ヨハネ福音書講釈」推敲。用語を「キリスト」「ギリシャ」に統一。公開方法が決まった。午後4時、知久が来訪。釣川堤防散策。夜、「京都人情捜査」最終回、「アイムホーム」を見て10時過ぎに就寝。安眠。5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、佐藤 静代さん、芳賀 道子さん、他23人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ 昨日は知君が来られて、穏やかな愉しい時間を過ごされたことでしょうか。
今日も、ご夫妻共々、お守りの内に充実したよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:36:14


文屋 善明
6月5日 6:32 ·
今日の名言:@Michael_Ende_jp
人間は自然と精神というふたつの領域の間に立っている。どちらにおいても人間は自由じゃない。美的なシュピールによって、人間はそもそもはじめて、自由とは何かを意識するようになる。(M・エンデ)
<一言>「美的なシュピール」、「遊びの世界」でしょうか。ゲームの世界で人間は自由を意識する。自由に天空を飛んだり、過去にいったり、未来にいったりできるのゲームの世界でだけ。エンデは自分が執筆中の小説の中にさえ入り込む。それが「自由」というものだ。

Luke Etsuzou Nomahさん、Daniel Corlさん、岡 輝美さん、他20人が「いいね!」と言っています。

播 稔 過去に行ったり、未来に行ったり出来るのは、両者とも神の領域ですからねー。

文屋 善明 いえ、ゲームの世界です。フィクションと言ってもいい。しかし、この視点があればこそ、そうではない現実が「不自由」だという感覚が出てくる。

播 稔 なるほど、ゲームの世界ですね。

文屋 善明 それがエンデの言う「美的なシュピール」だと思う。
posted at 06:28:11


文屋 善明
6月5日 7:59 ·
NHKこころ旅。沼田駅前から、群馬県の4日目、利根村平川小学校。平川を堰きとめて臨時にのプールにする。老神温泉までバスで輪行。牧水橋を渡り、片品川、利根中学の前を通り、坂を登り、小学校到着。

Luke Etsuzou Nomahさん、藤井 衞さん、岡 輝美さん、他10人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:06

「昨日のツイート 06/03 障害者福祉について」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/68c8f3bd3bd77b6a6806bcac7bb7631…
posted at 13:14:14


新しい写真3枚を追加しました。
6月5日 6:20 ·
お目覚めの花。「今朝は梅雨らしい朝ですね」「なぜかホッとしますね」「じめじめしてなくて、涼しい風のせいでしょうか」。
文屋 善明さんの写真

Luke Etsuzou Nomahさん、佐藤 静代さん、安永 玲子さん、他45人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 静謐な花の写真ですね(^_^)

若月 新一 おはようございます。


文屋 善明
6月5日 6:14 ·
2015日々の聖句 06月05日(金)
涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。(詩42:2)
イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)
私の黙想:
詩編の中での、名文句中の名文句、詩の解説は不要であろう。ただ「涸れた谷」とは何かということだけ。「涸れた」という珍しい漢字が用いられている。口語訳でもフランシスコ会訳でも、新改訳でも「涸れた」という言葉はない。むしろ「谷川」、あるいは「谷川の流れ」である。(新共同訳では「川」とか「流れ」がない)。岩波訳では「谷」という言葉もなく「川床のほとり」と表現されている。日本語の「涸れる」とは水が干上がっているという状態を示す。つまり「涸れた谷」とは本来川があるべき谷底に水が涸れて「川がなくなっている」様である。つまり、この鹿は喉が渇き水を求めて谷底まで行ったのに、その谷の川は干上がり、川がない。そこに行けば何とかなると思って希望を持って厳しい坂を下ったのに、そこに水がない。もはや谷から上る元気もない鹿なのだ。可哀想な鹿、悲劇的な鹿、わたしの魂は今、そういう鹿みたいなものだ、という。
さて、どちらがこの詩42の冒頭の句として相応しいのか。

Luke Etsuzou Nomahさん、丸山 順子さん、芳賀 道子さん、他27人が「いいね!」と言っています。
シェア1件

清水 行雄 おはようございます。詩編42を口語訳で読む限り、「涸れた谷」に水を求める鹿で、間違いないと思います。

文屋 善明 口語訳「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」。

清水 行雄 谷川に水はないかもしれないが、それでも水を慕い求める。そういうことではないですか?

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明さんが田中 遊梦さんの写真をシェアしました。
6月5日 6:49 ·
コメントの必要はないでしょう。
田中 遊梦さんの写真
田中 遊梦
本日6月4日の衆院憲法審査会、すごいよ!

集団的自衛権行使「違憲」=憲法学者3氏が表明
衆院憲法審査会は4日午前、憲法学者3氏を参考人として招き、立憲主義などをテーマに意見聴取と質疑を行った。

民主党委員から集団的自衛権の行使容認について見解を問われた3氏全員が「憲法違反だ」と明言。
http://www.shugiin.go.jp/…/itdb_kenpo…/html/kenpou/index.htm

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150604-00000061-jij-pol

実際には「違憲」とは言ってないはずなんで、どんなことを言っているのか気になり、YouTubeに載っている2つ(小林慶大名誉教授のがまだ上がっていない)を確認してみました。

早大教授の長谷部恭男氏と笹田栄司氏の意見は以下のような内容でした。

■長谷部恭男氏の意見:書き起こし(まとめ抜粋)
https://youtu.be/IJ3d7pjMMzI

立憲主義は「広い意味での立憲主義」と「狭い意味での立憲主義」がある。
「狭い意味での立憲主義」は近代立憲主義と云われ、人に寄って多様な相互に両立し得ない価値観・世界観があり、そのことを事実として認めない訳にはいかない。近代立憲主義はお互いを認めた上で、人間らしい平和な生活をできるようにするかを考えるべき。

社会全体の共通の利益に関わる公の領域に関しては、各人が抱いている世界観はひとまず脇に置いて、どのような世界観を抱いている人であっても人間らしい生活を享受するためには何が必要なのか?公平な負担となるのか?を決定していく必要がある。

日本の憲法は基本権を定めている。
自由な私の領域を確保する為の権利が保障されている。しかし、公の領域においては何が必要かを理性的に審議し決定する為に保障されているさまざまな権利もある。

【重要部分】
6:08
憲法は通常の法律に比べると変更する事が難しいようにできている。
6:20
民主主義の根幹に関わる規定、これは政治の世界において「選挙のたびに起こり得る多数派/少数派の変転や、たまたま政治家のトップである政治家の方がどのような考え方をするか、そういったものとは切り離されるべき…つまり、その社会の全てのメンバーが中長期的に守っていくべき基本原則だから」
7:02
また、「人間はとかく、感情や短期的な利害に囚われがちで、その為に中長期的に見た時には合理的とは言い難い、自分たちの利益に反する判断を下すことがまま、あります。ですから、国の原理を変えようと云う時は、本当にそれが、将来生まれてくる世代も含め、我々の利益に本当につながるのかを、国民全体を巻き込んで議論するべき。」
8:30
日本も第二次世界大戦終結までは、近代立憲主義に基づく国家とは言いがたい状態だった。しかし、現在では基本的人権の保障や民主的政治運営は受け入れられるべきものとされている。
9:42
近代立憲主義の理念に忠実であろうとする限り、例え憲法改正の手続きを経たとしても、この理念に反する憲法の改正を行うことは

許されない。つまり改正には限界がある。
10:00
ただ、近代立憲主義に理念に立憲する国々も各国固有の理念や制度を憲法によって保障していることがある。日本で言えば天皇制や徹底した平和主義がこれに当たります。

こうしたそれぞれの国の固有の理念や制度を、その時々の政治的多数派/少数派の移り変わりで動かすべきでないからこそ、憲法に書き込まれています。
10:32
【もっともこれら、国によって異なる理念や制度は、普遍的な近代立憲主義の理念と両立しうる範囲内にとどまっている必要があります。つまり、特定の人生観や右中間を押し付けるようなことは近代立憲主義の基では憲法に基づいても認められない。】

笹田栄司氏のはまだ見れていないが、従来の憲法解釈に関し「ガラス細工で、ぎりぎりのところで保ってきていた」とした上で、集団的自衛権行使については「違憲だ」と述べたそうです。

続いて 小林節氏の分です。

■小林節氏の意見:下記起こし(まとめ抜粋)
https://youtu.be/A2rAoulXH3E
現代において、立憲主義とは、権力者の思惟ではなく、法に従って権力が行使されるべき。
「人間の本質が神のごとき完璧なものではない」がまぎれもない事実認識でこれを前提とする立憲主義とは、選択の対象ではなく、「取る/取らない」を議論するものではない。

三権分立も重要で、内閣は立法権はない。
司法審査は具体的な事件でないかぎり裁判所は憲法問題を扱わない・・・戦争法案に関して訴えても無理。

平和主義の価値や人権の尊重とか、つまり人が人であることを尊重し合うことを否定し合う憲法は「価値的限界」にぶつかる。

【重要部分】
憲法を最高権力者の上に置いているが、権力者が開き直ったらどうすか?と云う問題にいつも直面する。
10:32
権力者がその地位にいられるか?それは選挙で過半数を取っているからなので、それを国民が気付いたら、選挙でその過半数を奪え返せば良い…民衆のレベルにふさわしい政府に戻る。

「押しつけ憲法論」に関して
この憲法論の押し問答は生産的でなく、戦後70年も経った今、「押し付けられた」「押し付けられていない」は意味がない。

恨み節を言い合うより、今どうするかを国としてのエネルギーを使ってほしい。

だから、この口惜しさを「改憲」に変えるのは間違いである。

大まかには上記のような事を言っていました。
よかったら2つの動画、見てください。


川染 三郎さん、玉城 豊さん、山上 博信さん、他48人が「いいね!」と言っています。

加藤 佑三 難しいけど、これが唯一・正しい考え方なんだろうか。なんかスカッとした。シェアします。

北村 良輔 憲法学者である限り、ぎりぎりの判断で違憲だということは否定できないことではないでしょうか。きっと、よっぽど意図をもった人で無い限りということですね。この地平線のように当たり前な感覚をマスコミや政治家、そして何より私たち自身が忘れていることに気づかされました。

文屋 善明 自民党が人選した憲法学者からここまで言われてもなお、「集団的自衛権行使」に踏み切ったらもう、「確信犯」でこれを支持した人、とくに閣僚は全員共犯者として歴史によって裁かれるであろう。それが嫌なら、一日も早く閣僚であることを辞任すべきである。

播 稔 合憲などと、バカを言えば、今後学生は聴講しなくなるであろう。

錦織博義 総辞職だねー

文屋 善明 総辞職では共犯関係がそのまま持続するので、一人ひとりが自主的に安倍首相に辞表を出すべきです。

諏訪 浩之 · 共通の友達: 中野 芳夫さん
ところが「合憲」だと思っている者が巷では少なからずいるようです~

文屋 善明 でしょうね。だから国会という場での専門家の意見が重要なんです。

播 稔 米中の緊張をたかめているのは、日本政府(それも一部の閣僚)ではないのか。


文屋 善明
6月5日 8:21 ·
「このように苦しむ神、死んで蘇る神は、室町時代末期の日本の民衆にとって、非常に親しいものであった。もちろん、日本人のすべてがそれを信じていたというのではない。当時の宗教としては、禅宗や浄土真宗や日蓮宗などが最も有力であった。しかし日本の民衆のなかに、苦しむ神、死んで蘇る神というごとき観念を理解し得る能力のあったことは、疑うべくもない。そういう民衆にとっては、キリストの十字架の物語は、決して理解し難いものではなかったであろう」。
和辻哲郎『埋もれた日本 ―キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況―』

AOZORA.GR.JP

Luke Etsuzou Nomahさん、佐藤 文俊さん、望月 克仁さん、他27人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
6月5日 13:28 ·
凄く面白い。政治討論とはこうでなくっちゃ。
以下、泥氏の発言です。
泥 憲和
【与党参考人が違憲の意見】
「くそー、いててて、腹が・・・・」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか、だと?バーロイ、ダイジョーブじゃないから痛いんだ」
「仰せのとおりです」
「なあにが憲法学者だ、せっかく国会に呼んでやったのに、“犬も歩けば棒に当たる”ってのはこのことだ」
「なんのことでしょう」
「犬のことわざも知らんのか、目上に逆らうって意味だよ」
「それをいうなら“飼い犬に手をかまれる”では」
「それだ。ちょっと間違ったな」
「“犬”しかあってませんが」
「うるさいよお前まで。お前はことわざ学者なのか」
「申し訳ございません」

「だいいち学者がなんだってんだ、そんなに学者がエラいってんなら、ライオン学者はみんなライオンの調教ができるのか」
「ライオン学者というのはいないと思います」
「いない?ライオンを研究している学者はいないのか」
「それをいうなら動物学者かと」
「そうか。じゃあその、動物学者はどうなんだ、トラの調教ができるのか」
「できないとおもいます」
「そら見ろ。学者なんてのはその程度のもんなんだよ。動物が専門なのに動物の調教も出来ねえ。学者がエラいってんなら、結婚学者はアキエを調教して尻に敷いてみやがれってんだ」
「結婚学者というのもいませんね」
「いないのか。ではアキエを尻に敷けるのは誰だ」
「なにをおっしゃりたいので?」
「だから学者だよ、では国語学者はいるか」
「おります」
「いやがったか。それでは聞くが、国語学者はみんなフリガナなしに漢字が読めるとでもいうのか」
「・・・それは・・・読めるでしょうね」
「よ、読めるのか・・・。驚いたな」
「驚くようなことでもないと思いますけれどね」

「じゃあ国語学者はみんな料理ができるのか」
「みんなはできないと思いますが」
「そうだろう。ざまーみろ」
「お話の筋道がよくみえません」
「なんだと?ばかかお前は。じゃあ聞くが、いま審議しているのはなんだ、憲法か」
「いえ、安保法制です」
「だろ?憲法の審議じゃないのになんで憲法学者がしゃしゃり出てくるんだ。法律の話なのに憲法学者の意見を聞くってことはだな、いわば国語学者にスープの味見をさせるようなもんだ」
「まことにそのとおりです」

「あ、そうだ、意見を述べた三人だが、ネットで在日認定させろ」
「は?」
「お辞儀の仕方が朝鮮人臭いとか、水の飲み方が変だとか、なんでもいい。オレに逆らったらこんなことまで言われるんだと、ほかの学者に思い知らせろ」
「承知しました」
「あと、憲法学会の会長をすげ替えろ。法制局長を替えたりNHK会長を替えたりしてうまくやってきたじゃん、憲法学会の会長も替えてしまえ、それでうまくいく」
「検討させましょう」
「官房機密費はまだあるか」
「たっぷりございます」
「じゃあそれで学説を買え。憲法学会をひっくり返せ」
「ただちに」
「あと、そうだな・・・」
 バカな悪巧みが延々と続いております・・・・・・

SEALDs(ex-SASPL) on Twitter
“「何を言い出すのかと びっくりしたよ」「とんでもないよ こっちが呼んだ参考人まで「違憲」って言っちゃったんだから」「これは相当やばいね」 相当やばいらしい。”
TWITTER.COM|作成: SEALDS(EX-SASPL)

Luke Etsuzou Nomahさん、川染 三郎さん、播 稔さん、他34人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 ここまで来てもまだ、合憲ですという憲法学者がいたら、顔を見たい。菅官房長官も名前を挙げられないでしょう。名前を挙げたら、すぐに本人から「違う」という反論が出て来そうですからね。

三田 清次 これでもって「改憲」論議へ持っていこう!?
こんなムチャ振りも ”魂胆”としてあるのかも しれません( 一一)


Chieko Shinbuchi文屋 善明
6月5日 15:34 ·
文屋善明先生、Fbの友達リクエストをご承認下さり、まことにありがとうございます。また遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます.先生のfbのリンクを興味深く読ませて頂いておりますが、私には少し難しい時もあります。でもだんだんわかるようになるかな、と期待しています。お孫さんの家はまだ探しあてていませんが、そのうちにと思っています。これから色々教えてくださいますよう、お願い致します。
   
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あなたが「いいね!」と言っています。

文屋 善明 私はもう片足棺桶に突っ込んでいるようなもので、残っている力を振り絞っているだけです。

Chieko Shinbuchi とんでもありません。とてもそんなふうにはみえません。先生の毎日が、神様の祝福の内に、元気でおすごしになられますようお祈り致します。

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