ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/31

2014-09-02 06:27:25 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。1世紀のユダヤ教の歴史を整理。イエスに取ってのユダヤ教とマタイのそれとは違う。練習30分。海の中道公園散策。夕食後「Nスペ、巨大災害」、「芙蓉の人」を見て11時に就寝。今朝方、孫娘のツイートを見て電話で通話。スタバでネット接続。ドイツでの初日を楽しんでいる様子。ホッとする。5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、濱 和弘さん、早乙女 実さん、他20人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪ドイツ(からの)通信が、とても豊かで示唆に富んでいて、その上、刺激的な先生のスレッドに、更に豊かな彩りを添えてくれることになるのでしょうとワクワクしております~(^_-)-☆
主日礼拝が祝されます様に!守られて終日体調・快調、チュン、チュンでお過ごしになられます様お祈り致しますm(__)m
posted at 05:07:53

文屋 善明
今日の名言:RT @terayama_p_bot:
一人の少年が 海にふれたいと思った。だが、彼がふれることのできたのは、ただの塩水にすぎなかった。(寺山修司)
<一言>さすがに詩人の言葉、私は「その少年は『海』に触れているのに、それに気が付いていない」と解します。よくある話です。

Luke Etsuzou Nomahさん、真塩 ナナ子さん、播 稔さん、他23人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:16:06

「昨日のツイート 08/29」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/9c3a37ac3b014f36dacfcb2360ae50a…
posted at 06:34:32

「今週のローズンゲン 2014/08/24~08/30」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/68c2f72e60c0707604ccd6989baebb0…
posted at 10:30:01

文屋 善明
孫娘からのドイツ便り第1便。1枚目は「ドイツにいます」(ネットから)、2枚目は「大学のある街」、3枚目は「これを街で見つけて思わず買ってしまった」。
文屋 善明さんの写真

Luke Etsuzou Nomahさん、若月 新一さん、松下 光雄さん、他29人が「いいね!」と言っています。
水草 修治 お孫さんは海賊なんですか。
8月31日 8:54 · いいね!

文屋 善明 この写真はネットから拾ったらしいです。

Kinue Itou お孫さんはドイツのどちらにいらっしゃるのですか?

文屋 善明 バイエルン州のニュルンベルグの近くのエアランゲンという町です。

Kinue Itou 私も母親の祖国なのでドイツには何度か行きましたが、エアランゲンは行ったことはないですね。写真で拝見する限り素敵なところですね。ちなみに私の母親はマンハイム出身です。

Remi Suzuki 娘もチュービンゲンから帰ります。

文屋 善明
お目覚めの花。「今日は8月31日、聖霊降臨後第12主日」、「心を神に」「主に心を捧げます」「主なる神に感謝しましょう」「感謝と賛美はわたしたちの努めです」。「そっと差し出された一輪の花に、主のご祝福を感じます。主に感謝」。
写真: お目覚めの花。「今日は8月31日、聖霊降臨後第12主日」、「心を神に」「主に心を捧げます」「主なる神に感謝しましょう」「感謝と賛美はわたしたちの努めです」。「そっと差し出された一輪の花に、主のご祝福を感じます。主に感謝」。

Luke Etsuzou Nomahさん、細谷 民子さん、Richard Bakerさん、他35人が「いいね!」と言っています。

加藤 治 感謝と賛美。そは正当にして、なすべきことなり。

文屋 善明 やはり文語祈祷書の方がいいですね。

文屋 善明
2014日々の聖句 08月31日(日)
順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ。人が未来について無知であるようにと神はこの両者を併せ造られた、と。(コヘレト7:14)
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ロマ8:28)

私の黙想:
今日の聖句、口語訳とはかなり違う。「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである」。フランシスコ会訳と新改訳では「考えよ」のところを「反省せよ」となっている。「こう考えよ」というのと「反省せよ」というのとではかなり異なる。岩波訳は斬新である。「(災いを)見つめよ」。
さて、どう考えたらいいのだろう。前の文章は新共同訳に軍配を送るが、後の文章が分かりにくい。その点ではフランシスコ会訳の「あれも、これも神のなさることである。それは、将来、何が起こるか、人には見通せないからである」。文章は分かりやすいが、この文章だと「反省せよ」という言葉としっくり行かない。いろいろ比較した結論として、後半の文章については新改訳が明解である。「これもあれも神のなさること。それは後のことを人にわからせないためである」。
つまり人間には一瞬先のことも闇である。もし、5分後に起こることがわかったらどれほど助かるか分からない。しかし考えてみると(反省してみると)、分からないから、いいのである。突き詰めると、将来のことが分からないから、将来に対して「無責任」であれる。(もちろん、準備不足という責任はあるが)。じゃあ、その準備とは何か。人間には将来のことはわからないということを徹底的に自覚することにほかならない。分からないからこそ「最悪の場合」を想定しなければならないのであるが、それも不確定である。結局、コヘレトの言う通り、神は過去も、現在も、未来も全ての「順境」も「逆境」も「神のなさること」と言わざるを得ない。人間は「こう考え」ざるをえない。だから、信仰者は使徒パウロの言葉、ロマ書8章28節の立場に立つ。

Luke Etsuzou Nomahさん、木下 海龍さん、牧山 佳永さん、他34人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

門叶 国泰 おはようございます。今朝もまたまた、同じ個所で!

播 稔 将来のこと、神父のおっしゃるとおりです。 感謝。

文屋 善明
NHKスペシャル「巨大災害」第2部、「スーパー台風」を見ている。タモリのあの人を小馬鹿にしたようなレスポンス、何とかならんか。

Luke Etsuzou Nomahさん、播 稔さん、岸本 望さん、他12人が「いいね!」と言っています。

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