ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 03/04 説教の美しさについて

2013-03-05 08:28:40 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。礼拝奉仕を終え帰宅後、録画しておいた「そこまで言って委員会を見た。テーマは今の日本での「危機」、国際問題や健康問題、TPP問題、マスコミの問題、特に記者クラブの問題が取り上げられていた。夕食後、WBCの対中国戦を見て、10時過ぎに就寝。5時起床。体調快調、チュン、チュン。

大野 泰男さん、小磯 孝仁さん、野間 悦三さん、他19人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。暖かいです。体に気を付けて下さい。良き日となりますように。お祈り致します。
昨日 6:45 (携帯より) · いいね!

文屋 善明 「そこまで言って委員会」は関西での有名なタレントたかじんの冠番組で、関東地方では、とくに東京では流れていないということで、出演者もかなりリラックスして発言しており、私の好きな番組の一つです。思想的傾向はかなり保守的で、とうてい同調できるものではありませんが、出演者たちの人脈で裏情報がジャンジャン出てくることが興味あるところです。
昨日 6:52 · いいね!

Yasuo Hirose 富山での視聴率は相当高いとの評判です。

日々の聖句2013 03月04日(月)
立ち上がって、我らをお助けください。我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。(詩44:27)
キリストの言葉:神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17:21)
私の黙想:
詩44は実に言い訳がましいが、領土問題についてのイスラエルの民の「本音」が感じられる。カナンの地に移住したのは、私たちの意志ではなくヤハウェの導きによる。そのためにイスラエルは諸国から憎まれることになった。これはヤハウェの責任だと(1-9)。ところがヤハウェはこの地からイスラエルを追放され、諸国民の間で笑いものにされている(10-23)。というわけで、ヤハウェよ、わたしたちのために立ち上がって、助けて下さいと祈る。神に対してまで、理屈っぽいイスラエル。これが領土問題についてのイスラエルの本音。その本音は今も続いている。何もかも全てヤハウェの責任だ。私たちはただ従っただけだ。これが彼らの主張の根拠。この理窟が現代の国際問題に通じるのか。

野口 富隆さん、大野 泰男さん、小磯 孝仁さん、他19人が「いいね!」と言っています。

今日の名言:RT @meigenbot:
私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。 (夏目漱石 こころ)
<一言>良い説教の「こころ」を射た言葉である。恋人の心を射る言葉でもある。だから良い説教とは恋の言葉に通じる。これ良い説教の3段論法。

野口 富隆さん、大野 泰男さん、小磯 孝仁さん、他23人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが大脇 友弘さんの近況をシェアしました。
私もこれらの情報は既にフェイスブック上に流していますが非常に重要なポイントを突いていますので、もう一度まるごとシェアをします。

おはようございます。今朝のしんぶん赤旗が、自民党修議員の7割、205人がTPP参加反対だったと報じています。
 共産党の井上参院議員が公約違反だと紹介した山形衆院2区での自民党のポスターがまだ雪にさらされながら掲げらているそうです、笑。あの追及は、実にわかり易くヒットしましたが・・・。

 そこで、提案です。
ぜひこれ( http://www.youtube.com/watch?v=HLVKAalmD48 )も国会で取り上げて欲しい!
...もっと見る (写真4枚)

玉城 豊さん、野間 悦三さん、畠山 秀明さん、他9人が「いいね!」と言っています。

大脇 友弘 文屋さん、おはようございます。共感同感!!シェア、ありがとうございます。


嶋津 雅彦 これだけ問題の多いTPPを、なぜ進めようとするのか、全く理解に苦しみます。主権はどうなってしまうのか、国会は掘り下げた議論をしてもらいたいと思います。


文屋 善明さんが奥田 知志さんの近況をシェアしました。
23時間前
「説教の美しさ」について考えさせられました。シェアさせて頂きます。
「合理性の近傍にある」
 
 東八幡キリスト教会は、近々創立60年を迎える。その記念事業として4月より新教会堂の建築に入る。設計を担当してくださったのは手塚貴晴・由比ご夫妻。NHKプロフェッショナルや情熱大陸、トップランナーなどで紹介された建築家の夫妻である。(手塚建築研究所http://www.tezuka-arch.com/japanese/index.html)。教会建築の詳細については、東八幡キリスト教会のHP(http://homepage3.nifty.com/higashiyahata/)をご覧いただきたい。

先日手塚建築研究所との打ち合わせに東京に行ってきた。建築会議で出た意見をお伝えし話し合った。手塚貴晴さんは「わかります、わかります。考えましょう」が基本スタンス。たまに出来ないこともあり「それは無理です」と仰ることもあるが、基本的には「わかります」と受け止めてくださる。手塚さんほどのトップランナーの設計士に物申すとなると少々緊張するが、この「わかりました。考えましょう」のおかげで、おっかなびっくりではありつつもこちらは好きなことが言える。これはありがたい。
 
 打ち合わせが終わると建築や宗教などいろいろな話に発展する。それがまた楽しい。今回の打ち合わせで印象に残ったのは「美は合理性の近傍にある」という手塚さんのことばだった。このことば自体は手塚さんのものではないらしいが、美しさというものはどんなに合理的な裏付けがあったとしても、そこにはなく、そこから少し外れたところ、すなわち「近傍」にあるというのだ。勉強をして広い知識の裏付けを基に設計をしたとしてもどうも美しない。それよりも多少その合理的裏付けから外れているものが美しかったりする、それが建築と言うものだと手塚さんは仰った。
 
 そうかも知れない。おいしいと思う料理を合理的に分析してタンパク質が何グラム、塩分が何グラム等々と理解できても、それはおいしいと言うことの裏付けにはならない。そういう成分分析には到底表せないものが料理人によって加味されているからだ。説教もそうだ。ギリシャ語原典がどうのこうの、コレコレという神学者がこう言っているなどどれだけ調べつくして説教を作ったとしても、それは説教としての力を持つかと言われると難しい。「君の説教は正確なんだけどおもしろくないね」と言いたくなるのは、そういうことなのだと思う。「近傍」辺りにズレていること、それが大事なのだ。
 
 では「近傍」とは何か。僕はこのように解釈した。人は努力をすればするほどすべてを自分の手中に治めたいと思う。合理性とは人間が事柄や対象を自分中心の論理、すなわち自分が納得できる範囲に治めることではないか。しかし、それでは美しなく、人の心を動かせない。他者と出会い、あるは他者が入る余地がないからだ。建築はわからないが説教ということで言えば説教者はある意味、未完成で未熟なことばを常に語っている。だからこそ、そこに神が働かれる。聖書が人間によって語られるにも関わらず「生ける神のことば」と言われるのはそのためだ。合理性で固めると神様が働く余地が無くなる。「近傍」と言うのは、自己完結せず、今から出会う他者の存在余地を残すことだと思う。

 東八幡キリスト教会の新教会堂は完璧な代物ではない。手塚さんとの出会いと対話の中で、皆で話し合ってきたリクエスト項目(部屋数など)とはずいぶん違う建物となった。しかし、この私たちの合理性の「近傍」に逸(そ)れたが故に、他にはない「美しくさ」を表現する建物になると思う。
 
 ・・・・・・・さて、最後にお願い。建築費用が足りません。皆々さま、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。詳しくはこちら⇒http://homepage3.nifty.com/higashiyahata/ (写真3枚)

野間 悦三さん、平松 洋一さん、上野 博志さん、他9人が「いいね!」と言っています。

Akira Ueda 近傍という概念は、位相空間論の中で用いているのなら、話の前提として「連続」ということがあります。説教論でいえば、「美しい説教」と「美しくない説教」という二分法はこの「連続」という理解を妨げています。また話の文脈からして、「合理性」「美」といった特性は特定の価値観によって位置づけられておらず、「合理性の近傍でなければならない」というような「べき」の議論から解放されているのだと思います。

文屋 善明 成る程、鋭いですね。私は「近傍」という概念を「アバウト」という意味に解し、説教の始めから終わりまで一貫した論理で貫かれている「キチンとした説教」に対して、一寸抜けているところがある、完成度90%というような意味で理解しました。従って、連続性は確保されているがその途中のところで雲がかかっていてその連続性が明瞭でないことであると思っています。「一貫した論理」とは人間の側に属する「合理性」で、その意味ではそこに裂け目が覗いているという表現でしょうか。というようなことを考えています。

Akira Ueda ある原理(合理性)が先にあってそれをここもかしこもと定規のようにあてがって全体の整合性を確認するやり方と、連続性は「霊の充満」のようなものによって与えられる、という考え方とがあるように思います。

文屋 善明 それは違う。説教は悪までも論理的に整っていなければならないと思いますが、その論理性とは叙述のうえでの論理であって、形而上学的な「合理性」ではないと思います。それを前提にしたうえで、説教においては準備段階でどれ程論理的に整っていたとしても、「語り」において、語る者と聞く者との間の「もどかしさ」が醸し出す「いらだち」が「語り」に熱を加えるのだと思います。

Akira Ueda 語りの合理性と論理(形而上学?)の合理性とはどういう関係にあるかというのは難しいですね。それとどこまで重なるかわかりませんが、デカルトは「完全な円を描くことは出来なくても、完全な円は存在する」と考えました。不完全な円を描きながら完全な円について語ることは、しかし情熱的な語りにはなりません。数学者が情熱を持って語らないという意味ではなくて、「不完全な円を目の前にしてその不完全性を捨象して完全な円についての議論に移る」からです。あるいは今書きながら考えているのですが、説教者のもどかしさもまた「完全な円を描いて示せないこと」ではなくて「円についての完全な議論が出来ないこと」なのか。色々発想は広がりそうですが、ちょっと今すぐは手に負えなさそうです。(勝手に話を広げてしまって済みません)

文屋 善明 いや、私自身がそのことで説教毎に悩んでいる問題です。平たく言ってしまえば、完全な説教なんて出来ないと怒鳴りたい気持ちです。

文屋 善明 「美しい説教は合理性の近傍にある」という言葉を不完全な説教こそ美しいという意味に解しました。ただ、論述の合理性もなく、内容そのものが支離滅裂という説教だけは、へきへきします。

文屋 善明
J・クラン『マグダラのマリア 無限の愛』(岩波書店)。かなりマニアックな書である。各章の前半が詩文で後半が聖書学的な論述になっているが、全体としては文章を理解する以上にイマジネーションによって感じるべき書である。男女間の性的交わりについてはかなり激しい。
○男と女の見事な結合はイエスとマグドレーヌのカップルであり、彼らは旧約聖書の「雅歌」にでてくるカップルと対応する。
○イエスがマグドレーヌのからだから追い払った七つの悪霊は女性に関する七つのイメージかも知れない。
○イエスのほかだれひとり、悪霊のいなくなったわたしのからだを凝視できなかった。悪霊のいなくなったわたしのからだを見るのは神の顔を見るように耐えがたい。

奥野 卓司さん、小磯 孝仁さん、野間 悦三さん、他13人が「いいね!」と言っています。

小磯 孝仁 無限の愛のアガペーの愛の反対はエロスです。諸刃の剣です!

文屋 善明さんが梁取 洋夫さんからのリンクをシェアしました。
深刻な状況です。この肩書きの人物の発言を無視しますか。

福島原発を密閉しないと、東日本は放射能で使い物にならなくなる
www.youtube.com
欧州放射線リスク委員会(­ECRR)の科学委員長クリス・バズビー博士 【発言要約】 (福島第一原発の)原子炉を密閉する必要があります。 原子炉の下を掘って、コンクリートを流し込み、上部を囲うためのドームを作るには1兆ドル(78兆円)かかるかもしれませんが、しなければなりません。 そうしなければ、放射性物質はずっと...

上野 博志さん、平田 武治さん、金井 望さん、他18人が「いいね!」と言っています。

梁取 洋夫 · 信頼できる科学者です!!


文屋 善明さんがShoichiro Ikenagaさんの写真をシェアしました。
「未来というごみ箱に核のごみを捨てている!」、心に響く言葉です。
原発:「ごみ問題、未来への投棄だ」 脚本家・倉本聰さんインタビュー
毎日新聞 2013年03月04日 東京朝刊

 テレビドラマ「北の国から」などの作品で知られる脚本家、倉本聰さん(78)が作・演出した舞台「明日、悲別(かなしべつ)で」が、全国各地で巡演されている。閉山した架空の炭鉱町「悲別」シリーズの最新作で、東日本大震災をきっかけに原発問題を取り入れた。国のエネルギー政策に翻弄(ほんろう)され、故郷を追われた「棄民」が大きなテーマだ。倉本さんに「悲別」に込めた思いや原子力政策に対する考えを聞いた。【聞き手、論説委員・鴨志田公男】

 --東日本大震災から間もなく2年。自民党が総選挙で圧勝し、安倍晋三首相は、民主党政権が掲げた「2030年代の原発ゼロ」見直しを表明しました。

 ◆原発にはいろいろな視点がありますが、ごみ問題が最大のテーマでしょう。事故が起きなくても使用済み核燃料の問題があるし、40年で廃炉にする場合も大量にごみが出る。廃炉に使うロボットも高レベルの放射能に汚染されたごみになる。処分については何も決まっていない。これからアジアで原発の新設が相次ぎ、日本がビジネスチャンスとばかりに参入しようとしているが、許されるのかという気がします。核のごみが出る責任を誰が取るのか。私たちは資本主義の中で、ごみを出すことに慣れきり、反省がなくなった。

 --私たちは電力を使っているのに、核のごみの処分はひとごとで、誰かがやってくれると思っている面があります。

 ◆未来というごみ箱に核のごみを捨てているわけです。それでは我々の子孫はたまらない。そもそも、そこまで人間という生き物は持たない仕組みになっているのでしょう。

 --世の中はアベノミクスを歓迎し、多くの人々は景気回復を期待しています。経済成長を中心に考えると、原発は必要だという意見も出てきます。

 ◆安倍さんには、核のごみの問題をどうするのか、しっかり答えてほしい。経団連の会長さんにも。何の返答もなく、次のステップ、その次のステップというのはおかしい。便槽のあふれ出した家に住んでいるようなものなのに、どんどん原発を動かしていこうというのは理解できない。

 --震災直後の夏は東京でも省エネ意識が進み、明かりが消えましたが、昨年の夏は違いました。

 ◆日本人は忘れっぽくなってしまった。私自身は、資本主義的な考え方とは決別しなければいけないと考えています。

 --昨年は東北の被災地で「悲別」を巡演しましたね。反応は。

 ◆大きな反響がありました。特に福島の公演では「ありがとう」という叫び声も出た。(震災や原発事故が)風化されることが寂しいし、嫌なんでしょう。舞台で「悲別は人がいなくなって、大熊や双葉町を見ているようだ」というせりふが出てきます。今年も3月11日に福島を訪れ、大熊や双葉、楢葉町あたりの状況がどうなっているかを見てきたいと思っています。

 --廃坑に埋められた「希望」は、つるはしやハンマーでした。坑道に入って落盤事故にあった者たちは、これらを使うことで、生きる力を導き出します。

 ◆つるはしやハンマーは、人間が本来持っているエネルギーを使いなさいということなんです。現代の文明社会では、速くものを解決し、時間を余らせて、別のことをしたいという感覚がありますね。でも、コンテナ船で米国から日本に貨物を運ぶのに8日かけていたのを7日にしたら3割もエネルギー消費が増えたという話もある。それでよいのか。皆さん、一人一人に考えてほしいと思います。

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 ◇「悲別(かなしべつ)」シリーズ最新作巡演中

 20年前に閉山した炭鉱町、悲別。若者たちは、先人たちが地下300メートルの坑道に埋めたタイムカプセルに封印された「希望」を探しに、2011年の大みそか、町に集まることを約束する。20年後、福島の原発労働者となって事故処理にあたる者があり、片や、悲別の町おこしのため、炭鉱の地下1000メートルに原発廃棄物を閉じ込めようと画策する者がいた……。

全国21会場を巡る公演は1月にスタート。3月6日に茨城県東海村で最終日を迎える。

玉城 豊さん、Su Suさん、奥野 卓司さん、他15人が「いいね!」と言っています。

Satoshi Tanaka 原発に反対する決定的な理由は、使用済み核燃料の処理の問題、此の一点につきます。再稼働が必要だと言う人々に対して、この質問をしてまともな答えが返ってきた試しはありません。

玉城 豊 シェアさせていただきます。

<補遺>
特になし。

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