ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 02/12~02/18

2012-03-09 10:51:07 | ローズンゲン
losungenj 2012.02.12(sun)
主よ、あなたのいます家、あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います。(Ps26:8)
両親は、三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。(Lk2:46)
私の黙想:
神の「遍在(遍くどこにでも存在すること)」性については異論の余地はない。私としては随分古い言葉を使ったものである。むしろ重要なことは神の「偏在(偏って存在すること)の方に多くの異論があるだろう。今日の聖句は後者に基づき「神の居ます所」を求めている。信仰としてはこちらの方がごく自然だ。

losungenj 2012.02.13(mon)
わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。(Jos24:18)
管理者に要求されるのは忠実であることです。(1Cor4:2)
私の黙想:
「信仰=仕える」と考えるとニーチェのように信仰は奴隷根性ということになるが、「親孝行」の「孝」と考えると抵抗感は薄れる。もうこちらも「大人」になったのだから、孝の形も「甘え」から「世話(ケア)」に変えなきゃ。神はまだまだ元気な「うちの爺さん」なんだ。まだまだ金も持っているしね。

losungenj 2012.02.14(tue)
主はモーセに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」(Deu4:10)
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。(2Tim2:15)
私の黙想:
今日の聖句は説教の本質を示している。説教の中心メッセージは「神の畏れを語ること」。神の声を聞くということ、それ自体が神の畏敬の経験である。「神はあなたを(私を)ご存知である」ということの驚異と畏敬。神から「園の木の間に」(創2:8)身を隠す私。

losungenj 2012.02.15(wed)
その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。(Gen6:9)
信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、自分の家族を救うために箱舟を造った。(Heb11:7)
私の黙想:
「義人」とか「全き人」等、今までの全ての邦訳もあまり良くないが、その中でも新共同訳の「無垢な人」という訳は最低。これは歪んだ社会の中でノアだけが「まともな人」だったという意味であろう。歪んだ社会の中では「まともな人」は「変人」とされる。こういう社会においては、まともな「民主主義」は育たない。イエスの当時の社会において唯一の「まともな人」だった。

losungenj 2012.02.16(thu)
あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。わたしの神よ、速やかに来てください。(Ps40:18)
重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われた。(Mk1:40-41)
私の黙想:
人間とは弱い存在だ。一寸した肉体の変調、社会環境の変化、人間関係のもつれで、精神も肉体も弱ってしまう。じつに微妙なバランスの中で生きている。その人間にとって「逃げ込む所」、「隠れ場所」、助けを呼び求める「お方」が居られなければ生きていけない。

losungenj 2012.02.17(fri)
いかに幸いなことか、主に信頼をおく人は。(Ps40:5)
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。(1Cor15:19)
私の黙想:
主に信頼をおくか、それともラハブを信じるか。ラハブと対比させて始めて「主に信頼をおく」という意味が明白になる。ラハブとは神話的な怪獣で、この世における陰の権力者を示している(フランシスコ会訳では「偶像」)。今や、ラハブは空想の世界から飛び出し、「頼もしい姿」で現代社会に登場し、人々の「信頼の座」を奪っている。

losungenj 2012.02.18(sat)
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。(Isa42:1)
荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。(2Pet1:17)
私の黙想:
今日の聖句からは、身内の者を誇りに思う(自慢する)「神の声」が聞こえる。こういう言葉を語り、書き残すことができる旧約聖書の預言者の凄さをつくづく思い巡らす。彼らこそ神の懐に飛び込み、神の思いを体感し、神と一体化している。イエスはこの伝統を受け継いでいるのだ。

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