ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 3/8

2012-03-09 06:51:49 | ツイッター
お早ようございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。昨夜は「相棒」見たり、ウトウトして11時前に就寝。今朝は5時半に起床。夜中の3時から「新しいiPad」に関する機能発表があり、孫息子は一晩中パソコン3台とニラみっこしていたようだ。体調快調。チュン、チュン
posted at 05:58:21

#losungenj 03.08(thu) まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて無用の水溜めを掘った。水をためることのできないこわれた水溜めを。(Jer2:13)
posted at 06:02:34
#losungenj キリストの言葉:疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 (Mat11:28)
posted at 06:03:33
#losungenj 私の黙想: 「生ける水の源」と「無用の水溜」、この対比を提示されると聖句の元々の意味よりも、自然エネルギーと原発とを考えてしまう。それは「読み込み過ぎ」だが、やはりそう考える。原発は「大き過ぎるダム」と同じ発想の延長線にある。両方とも「毀れた水溜」になる。
posted at 06:14:27

今日の名言: RT
汝の愛するものを仕事に選べ、そうすれば生涯一日たりとも働かなくて済むであろう。(孔子) 
<一言>未確認だが、これは孔子の言葉だという。単純すぎるように思うが、これが人生における最大の課題だ。自分が価値あるものと思っていることを職業とする。今はそれが最も難しい。
posted at 06:26:09

文屋 知明 愚弟には、孔子の言葉を理解できない!「・・そうすれば・・」の前後の講釈をよろしく!(^^♪

文屋 善明 孔子は「仕事」という言葉と「働く」という言葉とを使い分けているようだ。それはそれで批判される面がないではないが、ここでは一応、召命観にもとづく仕事と生活のためにやむを得ずするの労働とが対比されている。自分がしたいと思っている仕事を職業にすれば、その職業はやむを得ずする(時間)労働ではなくなる、という意味であろうと愚兄は考えます。

文屋 知明 過去の人生で、仕事であろうと、労働であろうと「ほとんど食べるために働いてきた者」のは羨ましい感覚ですね!「どんな労働であろうと、自分と家族の生活のために働くことは、価値ある仕事」と考えている。それは、「社会」を支えることにつながる。犯罪的なモノは問題外!!(^^♪

文屋 善明 職業論をあまり単純化しては必ず穴が開く。ここでは孔子が述べるのは若者が職業選択をする場合の1つの視点を述べている。芸術家であれ、牧師であれ、必ず「食うために働く」という要素がなくなるわけではない。

「昨日のツイート 3/7」をブログにアップしました。 http://t.co/ZgpPfezK
posted at 06:43:21

大斎節第3主日説教「自分の命 マルコ8:31-38」をブログにアップしました。 http://t.co/qvi9KDAe

<補遺>
一昨日の深夜、厳密には昨日の午前3時にアップル社から「新しいiPad」についての重大な発表があった。評価はかなり分かれているが、わたしとしては値段が思ったより安かったこと、通信が早くなったこと、画面が4倍ほど向上したこと等を考えて予約申し込みをした。16日に来るとのこと、楽しみだ。

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